なぜ、自由を与えられているのか?
それは神様の愛が、わたしたちに選択の自由を与えてくださるのですよ。愛から離れれば、そのぶん因果応報で責任をとるのは自分です。愛に生きれば愛の光が与えられます。

なぜ、人々は平和を希求すれのか?
それは人々が愛を求めているからですよ。平和のなかでこそ、安らぎの愛を表現できるから幸せなのです。わたしたち一人一人の愛だけが憎しみも紛争もとかし、浄化するのです。

汚い言葉も自分の精神を徐々に、汚していきます。使うのは自由ですが、霊魂を汚れまみれにします。いずれ、自分がキレイにするための責任があるのですよ。

しかし、そうやって自分の行った自由に自分で責任をとり、因果応報の痛みのなかで愛を希求するようにいつかなるのです。

だから、わたしたちがどんなに遠回りしても、いずれ愛を学ぶ時が来るで大丈夫なので、神様は愛に背く自由も与えて下さっているのですよ。

わたしたちの霊魂はそのように神様に作られています。愛に背くとその汚れの浄化の責任が発生します。美しい愛に生きれば愛と歓喜が与えられます。

なぜなら、神様は愛の権化だからです。

いつの日か、想念の囚われから脱し、あなたも気付き少しずつ学ぶ日が来るはずです。なので、わたしたち魂の友たちの愛の光への導きの言葉を、心の片隅に刻んで下さいね。

『すべては大丈夫ですよ。わたしたちは共に、神様とお互いの愛で守られていますよ。』