無心の真我で在るとき 肉体に起こる空腹感は 一切考慮されない 何故なら無心である真我は肉体でなく心でも無いから

しかして 肉体と同一化した心は 私に空腹が起こった言う

真我によって 心も肉体も真我で無いと分離された場合

心は真我に従って無心であるが 肉体の胃は 食べるという行為にでる

手足を動かし食物を食する行為が起こる これは起こることであり 行為するということではない

よって真我は行為者になり得ず 観照者に留まる
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このことは ラマナが寺院の暗闇でサマディの内に座っていて 心が気が付いたとき 少し離れた山車の陰に移動していたが

この間の記憶が無かった しかしラマナの肉体は 歩いて移動する行為を行っていた 

ラマナの真我は行為を知らず一切記憶が無かった

つまり真我は行為者になり得ないと言える