>>743
薄いというように程度の感じだとまだ主客から離れていないのかもしれません
つまり自分が「薄いと感じる体験者」になっているということです
あなたは「薄いと感じる体験者」ではなく、「薄いと感じる体験者」を知る者です
薄いも濃いもありません

もちろん執着(自我)が薄まることによって当然行為を薄く感じるようになります
執着がなくなればなくなるだけ薄くなります
しかし体験内容と体験者の主客から離れるときは、薄い濃いという程度の問題ではなく、バッサリと離れます
バッサリと離れてしまい、体験が濃かったときも薄くなった時も、同じように、それらをただ認識していた認識者(アートマン)だったのだとわかります

ただアートマンもまだ概念が残っています
私は在るという概念です
私は在るという概念すらなくなったときスクリーンだけが残るのかもしれません
残念ながら私はまだ私は在るという概念がなくなってはいないのでそのスクリーンだけが残る最終状態は知りませんね