0585名無しヒーリング
2019/05/09(木) 06:27:35.57ID:7OnXjzQl経文は言う
『その声を聞けば 人はそれの源を感じとることができる
六感が解け合うやいなや もう門の中に入っている 』
ここで禅はみごとだ 他のどんな宗教も 他のどんな発展形態も これほど深く正道に触れてはいない
感覚は生きたままでなければならない それだけでなく
あなたの感覚は ふか~いリズムとハーモニーを醸し出していくべきだ
それらは1つのオーケストラになるべきなのだ そうして初めて《真実は知られうる
~
この一体性は 染料の中の色素のようなものだ どんなし細なものであれ 自己を離れたものはない
そして 感覚のこの全体性(Wholeness)から《真我》《アートマン》あなたの《真の実存》が浮かび上がる
-----------------------------
ワイの見牛体験は 喫茶店でコーヒーを飲みながら OSHOの『存在の詩』(マハムドラーの詩)を読んでいる時に 自然に訪れたなあ
あのときに どんな瞑想をしても得られなかった サット・チット・アーナンドの意識に入っていったんだわ
だからこの時点で 初めて至福のなんたるかを知り得たと言えるな
せやから 誰でもゆったりと自然な境地と言う マハムドラーに意識をチューニングすれば 見牛は直ぐなんやとおもうでえ
だって探求者としては凡人のワイでも 存在の詩を読み初めて3ヶ月目ほどで見牛行けたんやさかい そんな難しくは無いんやないかなあ?