>>463
あなたが非二元の気づきであるという完全な理解が意味することは
人からの解放なのです。

人間のマインドは自己は人間、あるいはそれに付随する概念に
長い間晒されてきたので、新しいアイデンティティーは簡単に受け入れられません。
つまり真我であることが単に明らかになっただけでは
真我と真我に現れている“人”という二重性が見かけの二元性のまま留まっています。
これは真我がまだ対象として認識されていることを意味しています。

だから覚醒と解脱は別に考えられているのです。

ラマナなこの点を明確にしていて
例えサマーディを何年修練したとしても、ヴァーサナを根絶しない限り
解脱を成就することはできないと回答しています。

このヴァーサナの根絶という表現は伝統的なものではないのですが
意訳すればあなたが自分というとき、それが人を意味する
潜在的傾向が残っているならば、まだ仕事は終わっていないということです。

最後に知識は無知を破壊するために利用するのであって
知識でマインドを騙しているわけではないのです。
なぜなら真我であることは私達のデフォルトだからです。

目的地にいるとき、地図、ナビが必要ないように
終わったらヴェーダンタは捨てられます。
厳密には聖典が悟ったあと10年は洞窟で座るように示す理由がありますが
まあ全体的にはそういうことです。