現象界の万物の本体は 平等であるが、高下・善悪などの様々な違いがある[5](差別相、しゃべつそう)。

人が経験する現実では 多数の個我があるように見える[3]。

人は、統覚機能などの アートマンではない諸属性を アートマンであると思い、
アートマンとブラフマンは 別であると考える[2]。

こうした誤りは無明によるもので、無明によって人は迷い、自分という中心主体があるのだと思う[3]。

アートマンと非アートマンを 区別できないことが、輪廻から抜け出せない原因である[2][3]。