>>442
新しく何かを《知った》という理解ならそれは【第四身体】までの理解

公案は第四身体まででも解けることはあるので、それが解けたからアートマンがわかったと勘違いすることがあるかもしれない

自分が【第五身体】を《知った》という目安は、それが《すでに《知っていた》ことが《わかった》という理解かどうか

あなたは《すでに《知って》いる》(あなたはすでに悟っている)のだから

《外側に探すこと》をやめなさいという教師に言葉はこれを意味している

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ごめんなあ 442  否定するわけちゃうけど ワイの理解言わせてもらうわ

『新しく何かを《知った》という理解ならそれは【第四身体】までの理解 』

この部分と
『自分が【第五身体】を《知った》という目安は、それが《すでに《知って》いた》ことが《わかった》という理解かどうか 』

この部分は矛盾せえへんかな?
知ったと言う理解は第4身体までなんやから 第5身体では【何も知らない】ちゃうんか?なあ まあ知るも知らないの無いんやが

ワイの体験からなんやが 第5身体は第4身体の消滅 超越なんやから

《知る》《既に知っていた》《分かった》っちゅうことが 仮にも第5身体では起こらんのやわ 全てに初めてや

既に知っていたちゅうんはちゃうなあ 【生まれたこともなく 死ぬと言うこともない】不生不滅 前後裁断の今中 なんて表現もあるようやが

要は第5身体では(至った最初) マインドの容(かたち)は残るんやが 中身が空っぽなんや

つまりや 【知る】も【知らない】も両方《無い》ってことなんや
まあ普通は【私は 知らない】って表現されてもいるんやけど ワイは上記の方がええと思うわ

実際【無い】【空】がピッタリくる マインドの内容が無いであり空言うわけや

それでこそ 第5身体のみが【在る】んや 
最初それは 言葉を超えた【私】感みたいな 無色透明な力のような何かが

胸の辺りからフワーっと前上方へ 生まれ続けるような感覚が生じるんやが
それはありありとした貌(かたち)なき自己とでも言えばいいのか それが言葉を超えた《我あり我あり》と生まれ続けるんや

一言で表現すれば 『再誕生』やろな 第4のマインドの死であり 第5の無心として生まれたと言う意味で

肉体身体の自己が『誕生』なら 無心の自己は『再誕生』になるんやな いわゆる二度生まれなんだわ これ 無敵感がハンパないで

如何なる思いも無く 全てに相対するから
例えアメリカ合衆国のトランプ大統領に会っても 金ジョンオンさんより堂々とできる感あるんだわ

なんも無いって強いでえ ほんまに ってことなんやわ。