相当サマーディは詳しいようですが、結局心の中でサマーディという対象とそれを経験する主体の自分を生じさせているだけではないでしょうか
心の外に出たらもう二度と戻りませんよ
ただ心の中に自我だの感覚だのなんだのは当然生じます
心も身体も幻とはいえ真我の現れとして生じてるからです
しかし自分は心の外に出ているので関係ないのです
そのとき自分という主体は主客関係でない、対象にならない主体になっているのです
それがアートマンです
自分という主体がまだ心の中にあると錯覚して、サマーディだの無我だの美だの特定の状態を心に作りそれを心の中で観ているから、元に戻ってしまうだけです
サマーディの状態が生じ、消えてしまうのです
サマーディがあってもなくてもそれらは心の中のことに過ぎず、自分はそれら客体とそれらを知る主体の自分という関係世界の外側に出るだけです