【私はいない】ノンデュアリティ ・ティーチャー総合3【無断転載禁止】©2ch.net
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>>232
いや、社長連中、結構スピな人、多いで。
ライオ○ズクラブとかで、そういう話をしてたり。
まあ、そういう直感力がないと、会社を運営出来ないのかもな。 昔から「不二」という言葉あるんよ。
のんでありてい 非二元なんて いわんでいいw 皆さまに最後のお願いをしに来ました。
わたしは遂に地縛霊との対決に終止符を打とうとしていますが、
それと引き換えに私の気力も衰えを見せ始め、想念を持つことが
難しい状態へと進行しつつあります。
その為、私が地縛霊の人達から聞き出すことが出来た神の秘密は
私自身、これから話し続ける体力が残されているかわかりません。
是非、皆さんで以下のスレッドを閲覧頂き、
私が、悪魔たちから何を聞くことが出来たのか、それを纏めて頂き
ますようお願い致します。
それでは、お手数をおかけしますが、宜しくお願い致します。
王路(引き寄せの法則)おまえらの力が必要だ!
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/atopi/1512118999/ まだ、話の全体像を掴めないと思うので、要点だけ述べておきます。
一、聖書はイナンナによって作られたこと。
二、イナンナはその後、イシュタルと名前を変え、ファラオ(アーメン・ラー)とイエスに仕事を託して身を隠したこと。
三、イシュタールは、アストラル界を作り、アシュタールを発足させたこと。
四、イースター島のモアイは、イクナートンの顔であり、何体もある由来は、コピーが作られているということ。
五、永遠の命の承認を得た死者は、生まれ変わりがなくなり、地上の人間の雛形として御霊分けをお願いされること。
六、イエスはアシュタールを使って人間が想像する思考を限定し、神への容疑を持たせないようにしていること。
七、悪人であっても、イエスのボディガードをする死者は生まれ変わりを命じられず、霊界で生き延びていること。
八、イエスのボディガードをする死者は、人間を誘惑し、その者が死んだ後、イエスの許しを乞うように働きかけるということ。
九、天使は、生まれてすぐに亡くなった赤ちゃんの性格と大人の霊の性格を合体させることで作り上げている存在だということ。
十、これらの計画はすべて、金星の守護神、イシュタルによって計画されていたのだが、イエスが主役として祀り上げられているということ。 >>262
語元は同じだろうが、語元をいったん英訳し和訳した感じ。
不二は語元を漢訳かな。 話としてまとめると、誰でも飲み込めそうな話なんだよね。
あの世で起きた神の相談。
エバは、イナンナだった女性でモーゼに旧約聖書の作者になってもらうことをお願いして
自分はイシュタルとして身を潜める。
イシュタルは、マリアとイエスが親子だという話を広める為に
イエスにメシアの役を務めるようお願いする。
イシュタルは、マリアや中国の妲己や天照大御神とグループを形成し、
お稲荷さんを始める。※お稲荷さんには重要な仕事があり、悟りを開く前の人間に対し、
誘惑を仕掛ける。また、人間の秘儀参入時の霊界の審査もお稲荷さん中心で開催される。
それが、稲穂を実らせる前の荷物という意味。
此処重要。重要なのに日本人は誰も字の意味を解いてない。
お稲荷さんとは悟りそうな人をそのまま進ませるかどうかを
判定してくれる存在。
現在の課題。
イエスが中心の世界だけれども、イエスはお稲荷さんに呼ばれてメシアになった人で
メシアはお稲荷さんが引き連れている地縛霊に憑依を依頼し、輪廻を終えるカルマが
無くならないように働きかけ、霊界からの支配が継続するように見張っている。← この点を言及してほしい。
王路(引き寄せの法則) おまえらの力が必要だ!
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/atopi/1512118999/ このノンデュアリティって要は覚醒の言い換え
自分はいないとか自他一体とか全部自分とか
ノンデュアリティの概念が日本に入ってくるまえから
既に言われていたことだよ はっきり言っておく。
太古からの賢者どもは気づいている。
この茶番を
この自画像を
この超大作を
全てはあなたに還元される。 そして「あなた」とは「存在」そのものだ。
「存在する」とも言えないものであり「在る」
事の根源、或いは「無」の如き在り方だ。
在るとさえも言えないのだ。 高尚な教えを学ぶが、得意になりてかえってあだとなる 【全部、言っちゃうね。】今頃カルチャー転換ですか?無駄ですねw
http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2691
殺人事件まで起きました。飛び降り自殺まで起きました。
何故?カルトだから。
そこまで凄惨な事件が内部で起こらなければ自身の間違いを正せない?
ここまで来てしまったら、もう終わりなのです。
「幸福の科学」は最初から、教祖親子の嘘で始まりました。
元々は、「中川力=仏陀」「中川忠義=教祖」「中川隆=霊媒」で始める予定でした。
教義内容の概要は、「エメラルドタブレット」のパクリ、
その他、読書で得た知識の継ぎ接ぎによる完全パクリ教団です。
つまり、この教団は、立て直しようがないのです。
教祖は悪魔(裏宇宙の邪神)・ナイアーラトテップの分身に過ぎません。
ライトサイドの軍事魔獣が、政治利用されて、裏宇宙に放逐されたのです。(核廃絶のようなもの)
それが「一千億年の孤独」の意味です。
根本仏に孤独は存在しません。
絶対世界に、二元的思考はないのです。
嘘から始まったカルトを正すなら、原点から正さねばなりません。
つまり、最初から嘘である為、それを正す行為は、全てを消し去る行為となります。
そう、一切合切を消し去らねば、正すことが出来ぬほどの闇なのです、「幸福の科学」は。
信者さんたちよ、職員さんたちよ、皆さんが善良な人間としてとるべき態度は只一つ、
退会すること、この間違ったカルトへの信仰を捨て去ること、完全に縁を切ることです。
それしかないのです。
そして、それが正しい判断です。
大川隆法は
悪魔(裏宇宙の邪神)・
ナイアーラトテップの分身です
仏陀ではありません
宇宙神ではありません
エル・カンターレなど存在しません
そもそも地球系霊団最高大霊
というポストもありません
息をするように嘘を吐く大川隆法は
只の「魔物のキレッパシ」に過ぎません >>268
学びはいずれ捨て去られる。
セミのぬけがらが何の役に立つだろう。
私は完全に謙虚だ。 いいかね
言葉は何処へも連れて行きはしない。
言葉を超えて行きなさい。
それはどんなイメージも超えている。
あなたは本当にいないのだ。
それにも関わらず在る。
あなたは想像を絶して在るのだ。 >>272
それでは、言葉を捨てて、ココに書いてあるものは言葉ではないと言われるのですねww
それならば、言葉を使っても使わなくても同じことになる
それに、あなたはいないと書くなら
あなたは想像を絶してある
ではなく
想像を絶してあるものは、在るのだ
ではないかなあ
まあ、在るものを、想像を絶しているのに、確認できるはずはないがw 言葉が無意味だということを表現したい場合、言葉以外で何で表現できるだろうか
そして、言葉が無意味だと言おうと言葉に意味があると言おうと、
言葉が無意味だということも言葉に意味があるということも証明しない
どのような言葉であれ、ただそこに言葉が在るということに過ぎない 私は言葉が無意味だとは言っていない。
真理を描写する為に膨大な数の聖典、仏典、哲学書がある。
ただそれらは言葉であり比喩過ぎないと言っているのだ
知識を超えた体験が必要なのだ。
ひと度あなたがいないと知れば全てがあなたである事を知る。
またこれも比喩に過ぎないし言葉には限界があるということだ。 >>276
体験は、生まれてから、ずっとしてるでしょうw >>275
言葉が無意味なのに、なぜ、言葉を使うのかwwwww >>274
分かりやすく書きましょう
言葉が必要ないのなら、掲示板に書かない 言葉でなくては伝わらないと言うなら、言葉には意味があると、主張しましょう 絵にすべきか?
>>276
それなら、言葉を体験する方法を描けばいいんじゃないの??
w >>278
知識を得るため
リンゴを知らない人にリンゴの話をするでしょう
リンゴの話をいくらしてもリンゴという知識を得るだけでリンゴがどんなものか、その味も実体も実際にはわからないし意味はない
しかし知識を持っていればリンゴに興味を持つかもしれないしリンゴを食べたときにそれがリンゴだとわかるためです
しかし知識などいくら持っていても無意味という意味では言葉は無意味と言えるでしょう
例えば言葉が無意味だという知識を伝えるために言葉が無意味だと言うのです
しかしだからといって言葉が無意味かどうかは本人が自分で知るしかないでしょう
実際の認識においては無意味ですが知識の伝達としては意味があるかもしれません ニワトリが先か? タマゴが先か?
どっちが先かは知らないけれど、
それぞれの食し方、それぞれの味わい方、それぞれの栄養が、あるにはある
哲学するのが好きな人には、言葉遊びという味わい方も、それはそれで一興なのかな? >>282
故に知識(言葉)を超えた体験が必要だと言葉で説明しているのだよ。
何とか説明しようと試みている事をご理解頂きたい。 >>285
言葉を超えた体験とは??
体験は常に言葉を超えてるのではないの 例えば、人々を安心させるには、言葉をかける時もあるし、側にいて話を聞いてみるときもあるし、美味しいご飯を食べに行ったり、その人の趣味につきあったりと、いろんな方法があるけれど、どれも無意味なんかじゃないよね
言葉が無意味というのは、誤りでは? 相手が聞かなかったら無意味だから無意味とも言える
相手が協力的でようやく成り立つもの >相手が聞かなかったら無意味だから無意味とも言える
論点がズレてます
それは結果論の話であって、>>287さんの言ってるこの場合の無意味とは根本的に意味合いが違うっしょ‥‥ 意味があるってどういう意味?
価値があるって意味ならその人次第だから意味があるともないとも言えないよね >>286
この場合の言葉とは思考の事だ。
意味があろうとなかろうとどうでもいいのだよ
例えるなら、あなたはそこに落ちているつまようじを拾ってこれはどういう意味だろうかと考え込んでいる人の様だ。
私は非二元の話しをしている。
勿論、不二一元でもワンネスでも三位一体でも何でも構わない。
「私はいない」ことについてだ。 >>291
言葉がどこへも導かないと言いながら
掲示板で導いてどうするww
言葉が、導かないなら、他の方法で伝えるべきである
言葉が、導くと思うなら、分からんでもないがなw 言葉がどこへも連れて行かないなら
言葉で説明するのは、必要ないではないかw
それとも、言葉が、どこかへ連れて行くのか?
それなら、誤りだったことになる >>293
言葉が何処へも導かないことを知らせるには言葉が必要だ。
前にも書いたが言葉は無意味ではない。
説明するのに便利な道具だ。
だがそれが言葉(思考)を超えたところに連れて行きはしない。
瞑想の本で知識は得られても
瞑想そのものは沈黙のものだ。
あらゆる聖典も真理そのものではない。
沈黙こそが最高の教師と言われるのもそれゆえだろう。 世界中の写真を見ても世界一周したことにはならない、みたいなもんだな。
情報はあくまでも情報。 そう 情報は無意味とも情報は意味あるともいえる
どちらでもあるしどちらでもない
たんなるものの見方の話 あなたがたの言う通りだ。
そしてよく見なさい。
あなたが何なのか自分自身に尋ねなさい。
言葉によってではなく、
見ることによってだ。 言葉を超えた体験もまた言葉だ
人は言葉の中で生まれて言葉の中で死んでいく。あなたもまた遺伝子的にチンパンジーとほぼ変わらない猿の肉体の中に閉じ込められた言葉だ。 私が身体ならそうかもしれない。
あなたの言う通り世界は言葉で埋め尽くされている。
世界をありのままに見る人は稀だ。 形なき者にとって全てが混ざり合った抽象画の様なものだ。
これが何色でここが街並みでといった区分けはない。実際にそのような境界は存在しない。
例えば道に小石が落ちていたとする。しかしその小石は世界の片隅の道ばたに置かれた孤立した小石ではない。
小石は圧倒的に全体だ。
そしてその景色は身体と同じ様に実体がないのだ。
これは驚くべき現象だ。
私がそれを発見したのは人の後頭部だ。
私は人の後頭部を見ていた(といってもただ単に見えていた)。にも関わらず誰が何を見ているのか、見るものも見られるものもその背景も何もかもが混ざり合い、それは説明出来るものではなかった。
それは言葉を超え、そして起こる。 例えば時おり私がうんざりさせられることの一つに、霊界からの“高等な教え”ばかりを求めて、それを同胞のために役立てることをしない人がいることがあります。
人間は成長するにつれて大霊の摂理の働きを理解していくのであって、教えそのものに“高い”も“低い”もありません。
そうやって勿体ぶって真理の追求ばかりをしている人たちが、地上を少しでも住みやすい世界に、つまり飢えや渇きから解放し疲れた身体を癒せる家に住めるような世界にするために行動を起こすようになれば、
それこそ“最高の教え”を実践することになるのですが…… >>300
貴方は飢えや渇きで苦しんでいる人間は真理を得られないと考えてるからそういう結論になる
事実は逆だ、真理は飢えや渇きの地獄の中でも燦然と現れる。貴方はただ憐れんでるだけだ。そこは真理とは関係ない、政治の場所だ。 世間から隔絶し社会への義務を果たさないで宗教的ないし神秘的瞑想に耽っている人が大勢いますが、そういう人たちは一種の利己主義者であり、私は少しも感心しません。 結果が出ないということは、生き方のどこかに摂理に順応していないところがあることの証拠です。
歴史をひもといてご覧なさい。最も低い界層、最も貧しい民の中から身を起こして、厳しい試練の末に偉大なる指導者となっているケースが少なくありません。
試練に耐えずして神に不平を言ってばかりいる人を相手にしてはいけません。 宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが、人間を永いあいだ迷わせてきたようです。
実際は必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、
それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです。
祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い選ばれし者の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらもあるのです。
問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです。 人は神秘を学べば、何か道が開けると思いがちです。
だが、霊的神秘は言葉で魂に伝わるものではありません。世のすべての書を読みつくしても、人はいぜん無力です。
それに至る道はただ一つ、日常の貴方の生活のみです。どんなに願い、憧れ、欲求しても無駄です。肝心なのは人類への現実の奉仕です。 心に記して貰いたいことは、人が人生の階段を一歩登るのは、この時、この地上での経験を通じてのみであると。
どうか、自分のなすべき物質界の事にベストを尽くされるよう。 >>300
そのような世界をつくりたいのであれば先ずあなたが変わるべきだ。
変容は内側から起こる。
いわゆる賢者と呼ばれる様な人たちは変える必要のない世界に住んでいる。
世界が幻想だと知っているからだ。
彼らの中に他者は存在しない。
全てが自分だと知っているし変える必要もないが幻想の中で苦しむ人々も見る。
そしてその苦しみさえも恩寵だと知っているのだ。
彼らは沈黙の中で常に福音の鐘を鳴らし続けている。
それが止む事はないだろう。 世間から隔絶し社会への義務を果たさないで宗教的ないし神秘的瞑想に耽っている人が大勢いますが、そういう人たちは一種の利己主義者であり、私は少しも感心しません。 >>304
霊格の高さを最も鋭敏に意識しているのはあなただ。
良し悪しを判断し、差別をつくり出している事に気づきなさい。
何も欲しがらなければ幸せは向こうからやってくる。 真の宗教とは同胞に奉仕することによって大霊に奉仕することです。
いつどこにいても人のために役立つことをすることです。同胞の重荷を軽くしてあげることです。それが宗教です。
振り返ってあなた方の世界を見回してご覧なさい。悲惨と絶望の窮状、悲しみと苦悩に満ち溢れております。
ということは、手を差し伸べるべき奉仕の場がいくらでもあるということです。 人のために役立つチャンスはいくらでもあります。
なすべきことを怠ったら、それ相当の代償を支払わされます。その摂理の働きに介入できる者はいません。 しかし現実には、本来その人たちこそ、そうべきであるはずの「自称覚者」たちがそれを拒絶しております。
神学という名の隔離された世界に閉じこもっております。
書物から得た理屈という名の修道院に身を隠しております。 本当に何が役に立つのかあなたは知っているのだろうか?
最も最悪な出来事がその人を救う事もしばしばあるのだ。
逆に良かれと思ってしたことが仇となる事もあるのだよ。
勿論、人助けが悪いと言っているのではない。困っている人がいたら助けるのは当然の事だ。
しかし、あなたの救済を世界が待ち望んでいるのだろうか?
先ずあなたが救われるべきだ。 人生がもたらすさまざまな境遇に身を置いて、はじめて成長します。
痛みも、嵐も、困難も、苦しみも、病気もないようでは、魂は成長しません。
といって、その結果、同情心も哀れみも優しさも敬遠して、“ああ、これも摂理なのだ。仕方ない”などと言うようになっていただいては困ります。
それは間違いです。あくまでも人間としての最善を尽すべきです。
そう努力する中において、本来の霊的責務を果たしていることになるのです “スピリチュアリズム”の名称で呼ばれている真理普及運動の根幹は、一体何であるかをお考えになってみてください。
それが正しく理解されているでしょうか。霊的能力をお持ちの方に“人のため”の精神がどれほど行きわたっているでしょうか。
少しはいらっしゃるようですが、悲しいかな、大半の人がそうではないようです。
大部分の人はご自分の能力を、悲しんでいる人、困っている人のために使おうとは努力なさっていないようです。
こういう局面は一日も早く打破していただきたいものです それは防ぎようのないことではないか?なぜなら幾ら訴えたり教育したりしようとも次から次へと新たに生まれて来てしまうからだ。
あなたはそれのために一生を費やすか?しかしあなたが死んだら終わりだ。 わたしがいつも直面させられる問題が二つあります。
一つは、惰眠をむさぼっている魂の目を覚まさせ、地上で為すべき仕事は地上で済ませるように指導すること。
もう一つは、目覚めてくれたのはよいとして、まずは自分自身の修養から始めなければならないのに、それを忘れて心霊的な活動に夢中になる人間を抑制することです。 >>320
あなたは世界を目覚めさせる救世主なのだろうか?
あなたが夢を見ている時、一体他の誰が目覚めるというのかね?
あなたはあなたを知る事から始めなさい。 彼は、市街の教会や寺院で、霊たちを集めていろいろな説教をしていた。
しかし、その中身は「天の理」の立場からすれば、いわば自分勝手な内容に過ぎず、説教の動機も、自分がリーダーでいたいという利己的な場合が多かった。
彼らは“大掃除”によって地獄に送られた。 地下の穴蔵のようなところに、薄暗いろうそくを点して暮らしている霊も多い。
学問に熱心だった学者などを、よく見たものである。
彼らの学問は、それが本当の意味での内奥の心と結びつき、そこから発しているものではなかったのであった。
彼らは人間だったときにも、学者としての名声がほしいために学問をしていたのである。 私は、このほかにも地獄的な生を送っているたくさんの霊たちと会っている。
地上時代ときに、表面的な名誉ばかりを追い求めていた者の霊、口先ではきれいでも実際の行動は反対だった人間、
他人をだますことばかりしていた人間。 まずもって、わたしは霊なるものを目撃したことは一度もない
もちろん地獄を見たこともない
だからと言って、ないとかいうことではない
あるかないか、わかりませんね
ってことです
しかし、霊について語る人たち、天国地獄について語る宗教者はたくさんいる
どのような方法をもってして、そこへ行ってきたのか??
サハスラーーラだっけ、頭頂から、異次元空間へ行ってきたとかいう人もいる
俄かに信じがたいが、そのようなもんなのかなあ
しかし、仏教でも、六道輪廻があるというから、ないないと言ってたら、ほんとは、あるかもしれない
できるだけ、奉仕の精神で生きるに越したことはない
が、ノンデュアリティと、このことは、どのように関連してくるのだろうね まずだ、真実の世界とは、波動が違う世界がいくつも重なり合ってる。
スピリチュアル的にいうと、神界、霊界、幽界、現界と、だいたい4段階になってる。
神界の方に行くと、高次元。
現界というのは、我々の住んでる世界。
波動の低い世界だ。
たとえば、宇宙の最小粒子というのは、まだ今の科学では
何十段も到達出来ていない。 それほど細かい。
霊体もある意味、物質で出来てるわけだ。
この世で発見されえないほどの細かい粒子で・・・。
細かくなればなるほど、波動になっていくと言われている。
われわれの存在というのは、波動が低く現れているわけだが、現れるには元があるはずだ。
その元が、順に、幽体、霊体、神体、というわけだ。
神体の波動がこの世に降りてくる時に、波動が低下してくるわけだ。
宗教的な悟りとは、精神レベルが、元の神体の波動に
覚醒するということだ。
そうなると、最も波動の細かい神界からは、それ以下の、霊界、幽界、現界のことが
手に取るようにわかるようになる。
それで地獄から天国、人の運命まで見通せるようになるわけだ。
そしてノンンデュアリティとは、この低次元の意識を、神界の意識に向けるということ。
我々は常日頃、「思考」というものを使っている。
「あれ」「これ」「自分」 というように、常に「我」を主体に想いを巡らせてる・・・。
この「我」というのが、まさしく波動低下を引き起こしている張本人なわけだ。
神体に意識を繋げるには、「あれ、これ、私」 などといった、「我」の思考を消さなければならない。
それを語っているのが、ノンデュアリティということだ。 ノンデュアリティの教師の誰がそんなこと言ってるの? ご質問したいのですが、瀧川正眼さんって、どうですかね?
どういう人か詳細を書いていないのですが、ここの商品が気になります。
客観的に見てどうですか?やっぱ詐欺っぽいですかね?
ttps://cosmic-wave-orgonite.amebaownd.com/ >>332
こういうのはやってる本人は決して詐欺をしているつもりはないのが普通だと思う。
しかしおそらく効果はない、というか、人によってまちまちで、つまりプラシーボ効果しかないと思う。
逆にいうと効く人には効く。効く人は信じている人だ。 なるほど・・・ですよね。天照大御神などと書いておりますが
日本神話や古事記に出てくる神なんですよね。日本神話は神社に出てくる神の事だそうですが
神話上の神ですからね・・・。それらをまず信じているかどうかになるかもしれません。 まあでも表面上は信じていないという人でも効く人は居ると思うよ。そういう人は多分表面上信じてないと言うけど無意識下では信じてるんだよ。
人間の中身は誰でも純真な子供みたいで信じ易いから。日頃はその信じやすい内部を外側のシェルで保護している感じだ(催眠はこのシェル部分の機能が弱まった状態で掛かる)。
例えば世間体とか対外的なことがあるから周りの人には信じてないふりをしているとか、あるいは本当は効き目があるんじゃないかと疑っているとかね。
何れにしても無意識にほぼ全自動でやってしまっているので本人には自分がしていることが中々わからない。 まぁ・・・瀧川さんには失礼かもしれないけど
霊能者・修行者と自分で言ってるだけですからね・・・
顔写真や修行をしたという証拠とか修行風景とか、何かあれば良いのですが。
今のところ、妄想や空想で語っている小説家のように見えてしまいましてね・・・
なので詐欺師っぽいのかなぁと疑ってはいるものの、人格的にまともそうだし
買おうかどうか迷ってしまうのです。いかにも詐欺師っぽかったら迷いはしませんが難しい所です。 いや、修行してもしなくてもそういう能力があるっていう人は居る。しかしそれだけでは他の多くの人が見えないものが見えるというだけであって悟りとかとは関係ない。
もちろん目の見えない人にとっては目の見える人は助けてくれるかも知れないので特別な人だと感じるのは仕方のないことだろう。
しかしあくまでも同じ人間同士で助け合っているに過ぎないし、助けられたからといって目が見えるようになるわけでもない。
目の見える人の言う何かが参考になる事はあるかも知れないが、あくまでも参考になる程度だ。 >>329
概念は正しいです。
ただし、部分的には間違っています。
指摘すると
>われわれの存在というのは、波動が低く現れているわけだが、現れるには元があるはずだ。
>その元が、順に、幽体、霊体、神体、というわけだ。
正しい
>神体の波動がこの世に降りてくる時に、波動が低下してくるわけだ。
低下する? 意味不明
> 宗教的な悟りとは、精神レベルが、
>元の神体の波動に覚醒するということだ。
覚醒..意味不明、間違っているでしょう。
>そうなると、最も波動の細かい神界からは、それ以下の、霊界、幽界、現界のことが
>手に取るようにわかるようになる。
>それで地獄から天国、人の運命まで見通せるようになるわけだ。
ここまでくると、もう妄想..狂ってます。(誰かの受け売り)
手にとるようにはわかるようにはなりません。
あれ..おかしいなと感じ
思考しながらその矛盾を意識すると、その原因がわかるだけです。
【妄想と真理が混乱している人が多すぎます。】 >手にとるようにはわかるようにはなりません。
いいえ、手にとるようにわかるようになります。
原理はこうです。
たとえば、天之御中主から、高御産巣日神、神産巣日神が生まれたように、
1が多に分裂していったと考えます。
たとえば、1が10に分裂し、10が100に分裂したとします。
つまり、10即1、100即1なわけです。
1にとって100の全ては自分の身体同然です。
だから、末端が1000であろうが、1万であろうが、その全ては
手に取るようにわかるわけです。
たとえばイスラム教ではアラーの神が唯一の神だと主張します。
ところがこの唯一の神というのを、イスラム教徒は
曲解してしまいました。
すなわち、神々の中で、唯一本物の神だと・・。
つまり、これだと、本物の神と偽物の神、その周囲に、あらゆる存在が
取り巻いていることになります。
ちょうどアラーを中心に、何億、何兆という存在が、
取り巻いているという感じです。
イスラム教徒は「唯一」ということを、「たった一つの(本物の)神」、という風に
量的な意味で捉えてしまいました。
これがイスラム教の悲劇の始まりです。
ムハンマドの真の教えは、アラーが唯一、という時は、アラー以外には何ものも存在しません。
そうです、アラーが全宇宙を包括しているのです。
つまり、どこを向いてもアラー、ということになります。
事実、クルアーンには、「実際はどこを向いても神の方角を向いている、しかし、あなたが祈る方角を求めるから、
メッカの方角に定めたのだ」 というような記述があります。
万有がアラーであり、アラーが万有なのだと。
それが「唯一」ということです。
アラーの内と外があるわけではありません。
内と外があれば、唯一が破壊されます。
唯一のものは無限で、外側がありません。
人間の思考は内と外、本物の神と偽物の神、あなたと私、という風に、
二元的に考える性質を持っています。
これが全てを分離させています。
ノンデュアリティとは、この二元性を超越しようという考え方です。
これは頭の悪い人に理解できず、逆にバカにしてくるような態度をとるでしょう。
そういう人は救いがない。 2-142.人びとの中の愚かな者は言うであろう。「どうしてかれら(ムスリム)は
守っていた方向〔キブラ〕を変えたのか。」
言ってやるがいい。「東も西もアッラーの有である。かれは御心にかなう者を、
正しい道に導かれる。 地上界は暗黒に満ちております。
人生に疲れ、生きる意欲を失い困惑している人々、慰めの一言、一片の真理を渇望している人々が大勢います。
あなた方による援助を必要としております。
そういう人々のために、
あなた方は一刻を惜しんで真理普及のために努力すべきです。
その霊的真理こそが、
その人たちにとって人生を建て直す盤石の土台となることでしょう。 >>342
わたしは、まだ、迷っている
迷っているから、真理を説くことはできない
救われるべきは己であり、他者を導けるほどのものは、ない 暗黒が蔓延している地上にあって、
どうぞ希望を失わず、
あなた方とともに人類の高揚のために働いている多くの霊、
物的世界を改善しようとしている霊の努力は必ずや実ることを信じてください。
その背後に控える霊力は、宇宙で最も強力な力なのです。 >>344
この世においては、力のあるものが勝利するのである
力というのは、できるものと、言う
種類は問われることはないが、とにかく、間違えないものである必要がある
それは、正しいとされていることが、できる人間である
その力を持ったものが、間違える人間を利用するようになっている
そうは、思わないか?
力のないものが、楽することは、一時的でしかなく
間違えるものは、どこかで、クジカレル ノンデュアリティでも、悟りでも、願望実現よ法則でも、それに、何を求めているか?
楽
安楽
とにかく、とかく、幸福、幸せ、喜び
などが、ほしいのである
そうであるならば、己の求めている質を正直に知ることが重要なことである
一体、なにを欲しているのか 奉仕の仕事に嫌気がさしてはなりません。
奉仕は霊の通貨のようなものです。
神が発行される万人共通の通貨です。
あなた方の仕事にとって必要な力は用意されています。
しかし一度に大きな仕事を成就しようとしてはいけません。
今日は今日できることだけをして、明日やるべきことは今日は忘れることです。 弱気になってはなりません。
毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。
これからも引き続き自信に満ちた生活の規範を垂れ、
あなたより不如意な境遇のもとで迷い、恐れ、疑い、
たぶん大きな不安の中で生きている人々が、
あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場、
あるいは避難所を見出すことができるようにしてあげて下さい。 地上の人間には失望させられることがあるかも知れません。
信頼していた同志から裏切られることがあるかも知れません。
しかし大霊は絶対に裏切りません。 >>349
そうですね
みんな仲良くなれたらいいのにねw
それが、こんなに難しいなんて
人間世界は、ほんと、摩訶不思議ですわ あなたが今
不幸の場にいると感じるのならば
幸せはその不幸の場にしか存在しない
他の場所を探してもみつからないのだ
なぜなら不幸も幸せも表裏一体であり、
もともと幸不幸の区別はあなたの頭の中で区切られただけのこと。
もう一度言う
あなたが今不幸ならば幸せはその不幸の場にしか存在しない
どこを探してもみつからないのだ >>351
日曜日だと言うのに
たまにしかない休みであるが
こころ喜ぶイベントなどないし
まあ、掲示板みたり、テレビ見たり、まあ、なんとなく時間がすぎ
また、仕事へ行くのだろう
幸せは、不幸の場所にあるかどうかはしらないが
私の機能の統率力によって、幾分、平安な気分になることはある
しかし、まあ、ノンデュアリティ的には
すべては起こっている!
とかちゃうん?w 全ては起こってるだけだっていうのに
起こってる出来事に幸せはないとか?w
ノンデュアリティって意味ねぇな >>353
幸せというのは
まあ、、、
なんやろね
幸せに感じる時もあるね ほとんどの幸せってのは自分の負の記憶や想像と比較して生じてるに過ぎないからな >>355
そーなんかねえ
まあ、幸せにありたいけども
なかなか、うまくいかんね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています