年長者・エルダースピリット
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>>609 これも思考でものごとを判断している。 ジャッジは二元の視点だ。 損失だろうが、利益だろうが、嘘だろうが 誠であろうが、全てが学びだろ。嘘があるから真実があるんだろ。騙されて 本物を知るんだろ? 分けようがない。判断するのは思考だ。 >>610 本物、偽物という言葉を定義することを恐れる、おバカさん。 二元論を否定する自分に酔っていることに気づけ。 その心は、悟り、空、中道という言葉によって支配され それに反することを恐れている。..... 3流の悟りとは、悟りという言葉に恐れ、そこから離れる自分に恐れる。 ◆ 認識という真理を知れ 考察とは、2点の意味の対峙によって意識され、 3店の関係によってその性質’存在)が明らかになり、 4点の三角錐によって3次元の立体構となりることを知れ。 ◆ 認識の真理を知れ 意識を高めることは無になることではない。 無や空という言葉、 現実の実態は、いつも変化することを述べたに過ぎない。 実際の思考において、その変化がかに生じるかを 誰一人、(道元さえ)明らかにできなかった。 そのため、間違った欲望意識が、幽霊のように彷徨う。 すべては、1 に始まり 2 によって、互いに引かれ、反発し 3 によって、一つの関係、弱い結合と強い結合が生まれる。 4 によって、はじめて空間で機能が生まれ 多次元の関係によって、その価値は決定する。 価値の変化は、この結合の崩壊と再結合によって生まれるもので、 基準点そのものは消滅しない、 囲碁を学び強くなると、この意味が思考体験として認識できる。 横暴を振るものに対しては、横暴が許される。 それだけだよ。 ここは匿名掲示板だから、その場に相応しい コミュニケーションというのはある程度定まってくるだろう。 リアルと5ちゃんねるは違うし、そうだなぁ、 例えば5ちゃんねると爆サイも違うよね。 相応しい場所を選びな。君がよほど好きものでないのなら。 他人のことなんか気にしてると、時間を無駄にするよ。 >>610 天国、地獄.. 人間の欲望と恐怖が作った言葉... 存在しない言葉は、真理の考察から除外せよ。(創造の場合は使用OK) >>613 ちゃんと読めよ。二元論を否定してなどいない、貴方の視点が二元から来ていると言うだけだ、それに気づけと書いただけ。 無とか空は言葉ではないぞ?善悪と言うのは 全てが学びであって、判断するのは思考であって 全て許された世界なんだ。 わかるか?だから 良いも悪いも境界線と言うのはないの。頭が堅いぞ。 わかるか?とは書いたがわかれとは言ってないぞ。笑笑 貴方の視点が二元から来ていると言うだけだ、それに気づけ >>623 頭が堅いぞが二元と言いたいのか?私が頭が 柔らかいと言うならそうだろうな。 だが そこにも表裏一体で少しも別れてないだろう。 頭が堅い、柔らかいに 何の差も無いだろう。 頭が堅いのが悪か?頭が柔らかいのが善か? じゃあ 頭の堅い基準てどこから? 頭が柔らかい基準てどこからなんだ? >>623 >>624 個々の価値観で、個々が言い合っている。...無意味 二元論の是非を。三元論、正反合は三元論の一部でしかない。 価値という意識の基本原理を議論しなさい。 認識とは、言葉の曼陀羅であることを考えなさい。 >>626 価値観なんてないよ。言葉のキャッチボール。 意識は価値じゃないしね。 具体的な修養方法。 呼吸について。 吸った空気を足下側へ押し付けて、下腹を膨らませる。 次に下腹部を凹ませながら、それを吐き出す。 すると随意的な筋肉で呼吸をサポートする形になる。 精神が動揺すると、人間は胸で浅い呼吸をするようになる。 酸素の供給量が減り、重心が高くなって、身体が落ち着かなくなる。 その逆。重心を足下側へ降ろしておく。 一日数回意識して、下腹部で呼吸すると良い。 すぐにクセが付くだろう。 胸で吸う、下に押し付ける、腹を凹ませる。 この3ステップ。 あまり長い時間呼吸を止めるのは良くない。 自律神経のバランスが乱れるから。 急性期の統合失調症へのアプローチについて。 キリスト教的な枠組みで考えれば、有益と思えるのは 悪魔祓いだ。恐らく、外部から意図的に超自我を増強し 優越させることで、それを人格の統合の核として 仕立て上げることができるのではないか。 (その為には恐らく、恵みをもたらす地母神である母親の 偶像を断ち切る、という苛酷な試練が待っているだろう) 仏教的なアプローチでは、軟酥の法がすぐに思い付く。 が、仏教の修行方法は根本的に健全さというものを 前提に置いているから、精神病にまで達した 心理構造の調整にはあまり向いてはいないだろう。 だが思うに、悪魔祓いは神の権威が一般的に容認された 男性優位の社会でしか通用しないものではないか。 その儀礼はつまり混沌とした精神世界の中にキリスト教的な バランスを持ち込むということであり、首尾よくそれを 取り込めたとしても、後にその精神内界の秩序は改めて 外部の世界との相互干渉に晒されることになるからだ。 そして、社会の方がそうした超自我イメージをしっかりと 優越させた状態に保てていない限りは、遅かれ早かれ 「悪魔」は力を取り戻してまた地の底から這い上がり、 その大地の亀裂が世界を再びバラバラに 砕いてしまうだろう。 そこで今私が考えるのは、超自我を増強する 補強剤としての「神」イメージをより「自然」な形態へと 更新し、裁く神ではない別の神による悪魔祓いの形態を 作ることだ。 自然なというのは、生命を否定しない形での、 という意味だ。(そもそも生命を肯定できないことこそ 前時代の宗教の欠点ではないと私は確信する) だからそれは、もはや「悪魔」祓いと言うべきではない。 それはただ単に、折に触れ見直すような、賢明で、 幸多い何かだ。 超自我は高みに居るが、等身大の個人を強引に 引き上げたりはしない。そうではなく、待っていてくれるのだ。 失敗も成功も、喜びも自業自得の苦しみも、全てを 包んで「それで良い」と見守っていてくれる、そういう 超自我イメージを新たに創造すべきではないか。 それは宗教家の観点として言えば、断じて身勝手な 創作などではなく、私たちの倫理観と精神構造を より真理に、真実に近付け、進化させるということなのだ。 × 生命を肯定できないことこそ前時代の宗教の欠点ではないと ○ 生命を肯定できないことこそ前時代の宗教の欠点であると 真にハートチャクラが開いてるひとは イエスキリストの様に 何もしなくても 病は、臨在と接触するだけで治ります。瞑想してヒーリングが出来るようになったひとは沢山居ます。 それはテクニックではなく、全て そのひとの波動からです。 それから 真に悟ったひとは悪魔を寄せ付けません。闇は光を嫌います。臨在の中に闇は消滅され、病や不浄なものは消される。 いや、真に悟った人はもっとすごいよ。 指先一本触れるだけで、この世の全ての闇を消しちまうんだ。 え?そんなすごい人が今どこに居るかって? そりゃもう、ある時「この世の全ての闇よ、消えろ!」と おっしゃってな、杖かなんか振り回したんだ。 そしたら驚いた、そのお方自身も、きれいさっぱり 消えて無くなっちまったのさ!ハ、ハ、ハ! 虚像で膨らませたものなんて、 最後は萎れるだけだろう。 中身のない風船なんだから。 それはアーバンレジェンドなんだよな。 それはオカルトとしては、まあ合格点だろう。 でも宗教というのはその正反対で、中身、つまり 個々人の手足身体の感覚が、外側の辻褄より 優先する世界。 そしてスピリティズムも、どちらかといえば そうした個的感覚から始まる精神文化の一形態。 ここのみんなは、オカルトは求めていない。 風船は、楽しくない。 この地球で最も賢い人間に、私は問いたい。 「この宇宙が存在しなければいけない論理的な理由は?」 人類はまた、この単純な無知を 学びなおさねばならない。 宇宙を認識しようとするのは、人間は... 人間の認識は、部分的な論理による整合性によって、真理を獲得しようとする。 真理への理解とは、言葉によってなされ、 体系的、必然的な関係集合で行われる。 しかし、思考という行動)は、外部、内部から刺激によって その感性は無条件に無意識に振動し、自己認識は混乱し散乱する。 この混乱を再度不快と感じると、思いとしてまた整えようとする。 宇宙はこの散乱と集まりを繰り返すことで、 人に対し、論理のエネルギー(刺激)を与えている。 さて、どうだ.. お前の無知に気づけたかな? ◆ 宇宙の刺激と人間の思考 宇宙を認識しようとする人間は... 部分的な論理の整合性によって、真理を獲得しようとする。 そこには、近未来的な損得によって評価決定が行われる。 真理への理解は、言葉によって、 体系的、必然的な単語の配置関係で行われる。 思考は、外部、内部から刺激によって 感性が無意識に乱され、認識の関係も乱れる。 この乱れを不快と感じ、再度、整理しようとする。 宇宙エネルギーらは、乱れと集まりを繰り返す。 この繰り返しによって、論理思考のエネルギー(刺激)も大きく影響される。 そんなに沢山書かないと ダメなのかな? 別によいけどね。 ◆ 分霊(分魂)と生まれ変わりでの成長過程 シルバーパーチの分霊と生まれ変わりという記述があるが.... 神智学の「モナド」という魂は、さまざまな波動体の中心点として存在し、 その周囲に様々な波動を引き付ける。これが、魂の個性と霊格になる。 個々の魂に周囲の集まった波動点は、 「個々の概念波動」一部としてをも同時構成する。 これが霊界の多次元で、同時に起こり変化する、 中道、愛、慈悲、などの曖昧な概念は、 このような発展過程によって、人類全体の共通概念として成長する。 言葉の概念成長は、時間と時代とともに変化し成長し 全世界の概念として、三次元の物質社会に影響し、人類全体の意識が変化する。 転生してきたって噂のあの子は、 こんな風にあっさりと言ってのけたよ。 「宇宙が存在しなければいけない理由? 僕が答えさ。それ以上必要ある?」 彼の噂の真偽はさておき、私はその答えが好きだった。 幸せに生きれば充分だと思いますが それではダメですか?先生? 良いともさ。幸せに生きることだよ。 だが中々、心からそのように思えないのが 人間だから、修行するんだろうね。 或いは、という迷いがなくなるまで。 もっと、という不満が満たされるまで。 もしかしたら、という不安が消え去るまでね。 皆さん意識しなくても 一番の望みは幸せに生きることだと思います。 その為に沢山の経験を積み重ねて。 >>651 経験すれば、よくなる、幸せになるのか?.. なりません。これにも気づくべきです。 経験したことを、どのように感じ、解釈すべきか? これが生きるテーマであり、各自の問題なのです。 このために宗教が存在し、哲学があるのです。 勉強すべきは、この解釈の正しさと多様性なのです。 自己探求には、基本の方法があります。このことを知るべきです。 自己流は、悪い結果を引き寄せます。 人生の問題は解決す、べて自己解決が基本であり、自己責任になります。 ただし、自己責任はカルマでの罪や罰ではないのです。 @ どのような結果であっても、それを受け入れる気持ち A 神によって導かれるという、安易な選択の拒否意識。 これが、ツインソウルや指導霊から導き、愛の妄想という自己愛を引き起こし 悟りと霊格追求いう超能力を求めることになるのです。 解釈勉強こそが、霊性を高めるという訓練になるのです。 命に欠けている。 一生もひとごとのように過ぎてく。 それではだめだ。 私たちは欠けている。 人間になりたいピノキオのように 「有るはず」の「無いもの」を手に入れたい。 https://youtu.be/eq8r1ZTma08 闇を知り光を知り、それらの誘惑に負けることなくそのすべてを超克したい。 どちらか片方だけではだめなのだ、と最近考えています。 己の中の獣と戦わず、命じることができるようになりたい。 「自己」のあるじであることを極めたい。 そして最終的にはその舟をも手放したい。 フランクルは言っているよ。 人は人生の意味を問うが、その有様は矛盾そのものだ。 むしろ本当はこの世界、その人生そのものが、 君が何者であるかを問うているのだから、と。 君は自分を、獣を飼いならす主人だと思っている。 だが本当は、君は主人ではなく、飼いならされる 獣の方なのかもしれない。 或いはそこには、主人など居ないのかも。 ただ一匹の獣だけが… 言葉に囚われてはいけないよ。 言葉は影なのだ。それは作られた世界だ。 心は言葉より前に存在している。 獣を飼いならしたければ、獣について学ぶべきだよ。 猫は何を感じ、魚はどんな心を持つ? クラゲは「海」を知っているのか。 ミドリムシに、心はあるか? ごんべさんサンキュー なんかこう、今はかたくなになっているみたい。 理想についていけなくてきついんだ そうだね。理想は迫害的なものだから。 それは君を否定しているんだよ。 だが本当に君を否定しているのは、 ある理想を自己の理想たらしめている、 君自身の飢えた心なのだ。 まあ、苦労はいずれ報われよう。 仮に君が立ち止まっていても、世界は動く。 兎に角なるようにはなる… 内在する神様は素晴らしいです。 癒しの力は他の何にも 負けません。 生まれつきの自己治癒能力は、何億年という生の果て。 それは確かに、とてつもない力を持っていることだろうね。 過去の覚者の方々によれば、サマディは長ければ長いほど良いとされています 俺ももうこんな歳になってようやく気付いたんだが、 金持ちになりたい奴、有名になりたい奴っていうのは そこら中にごまんといるものだ。 そんなのは探すまでもない。 まあ、人間の普遍的な欲望なんだろうな。 でも、悟りたいという人間はごくごく一握りだ。 悟りたいというか、世の中を見極めたい、自らの 存する意味を見定めたい、という奴だな。 そういう人間は本当に少ないよ。 実際のところ、金持ちになるより悟りに至る方が簡単だ。 だが人は思うんだな。「悟りを得たら、私も何事かの 第一人者として、一端の権威として、もっと 有名でお金持ちになれるのだろうか?」とな。 だが皮肉なことに、金や名声は人を悟りから遠ざける。 また一方で、金や名声は心を飢え苦しませ、 決して虚ろな心根を満たすことがない。 しかしそれでも、それを求めるようにできておる。 人間というのはな。これもまた不思議なことよ。 愛というのはね、水のようなものですよ。 私たちはその中に浮かんでいるのだけれど… それがあんまりにも自然なので、かえって わからなくなってしまうのでしょう。 愛は与えられるものではなくて… それはただ気付くべきもの。 それは満たしているもの。あなたを。この世界を。 つまりそれは、あなた自身の全て。愛は… 愛はあなた。あなた自身。 愛して。きっとわかるから。ほんの小さなものでも。 あなたの愛する何かが、きっとあなたを、支えるから。 愛は足元の王国 あなたはもうそこに立っている 遠い山に手を伸ばさないで 振り返って しゃがみ込んで 手のひらに滑り込む柔らかな土の中 そこで全てが見つかる 何もかも、そこにある 時の起こりの、そもそものはじめから https://youtu.be/sKupzannWko ありがとう やっぱり私は愛を学ぶために生まれてきたのだと思います 自分で言うのもなんですが、周りの人に保護欲を起こさせるような容姿で生まれてきました 今世での課題を達成するために、いちばん適した状態を選んだのでしょう 機能不全家庭で育った影響もあってか、どうしても信じられず、こわいです 愛を受けとるのが、人を信頼することが、こわくてたまらない でも神様は、これでもかこれでもかと私に試練をくださいます きっと、心から人を信頼し受けとれるようになるまで続くのでしょう 守護霊様や、周りの人々が、愛はすぐ側にあると、何度も何度も教えてくださっているのに 私にはどうしても、いちばん遠いもののように感じてしまいます おいしいものを食べたとき、おいしいと思うでしょう 好きなものを手にしたとき、うれしいと思うでしょう どうしてそう思えるのか? 信頼してるとかしてないとか、そういうのと関係なく、心は動く どうしてそうなるのか? それは愛があるから 受け取るとか受け取らないとか、そういうことに全く関係なく、愛はいつでも変わりなくそこにあるから あれが愛だろうか、これは愛だろうかと気にしなければ、自分自身が愛だったのだとわかるから 遠いとか近いとか、そういうことではなく、愛はどこにでもあるし、愛でないものは何ひとつないから なるほど… では、よろしければお聞きなさい。 あなた自身が愛である時に、どうしてあなたは、 それを他人から受け取る必要があるだろう。 愛されるということは、愛するということよりは、 偉大ではない。これがこの世の神秘。 あなたにそれを教えてくれるのは、優れた人? 強い人、大きな人? いいえ。 あなたに愛を教えてくれるのは、小さな人、 遅い人、弱い人。 なぜなら、あなた自身が愛だからです。 愛を見出すということは 受け取ったり、与えられること、というよりは 思い出すことであったり、それに気付いていくということ。 あなたが、愛なのです。 親愛なる人よ。 遠い山に手を伸ばさないで 振り返って、しゃがみ込んで 手の中に滑り込む柔らかな土 その土の中生きる真っ黒な一匹のアリ 全てそこにある それは輝きを放つ ああ、真実の話 何もかもが影に過ぎないのだ あなた自身が、太陽である時に。 弱くていい、愚かでもいい 間違っていても 正しくなくても かっこ悪くて 泥まみれでも良いよ その何もかもに 至らない不完全な、この世界に あなたの愛が意味を与えるから https://youtu.be/7_1y1DDLcKU 進んだ人とは 認知症が進んだ人と 意志疎通、会話ができる人。 わりと本当に。 ◆ 囲碁ので「部分と全体の価値観」の比較 全体効率とは、着手効率の可能性保持の法則になる。 (評価が非常に困難である) @ 全体目標と部分目標は価値観が異なる。 A 全体効率は、部分効率より優先される。 B 悪手が最善手になることがある。 C 部分効率の総和が全体効率の大きさではない。 全体と部分との効率差は、概念(価値観)が異なる。 D 部分の追求が全体の追求になることが多いが 悪手になることもある。 E 石を取る手、地を囲う手、分断する手など、すべての手が、いい手でもなく悪手でもない。 F 基本ルールという制約があり、 1 生死が最大の制約になる。 2 打った石は動かせない。 3 地の確定、生きの確定 (結論) 全体効率においては、可能性の保持が価値となり、 部分効率においては、確定性が価値(活用)となる ◆ スピリチュアルとの囲碁の価値観との対比 神の目標とは、未来方向(進化)への可能性保持の法則になる。(評価が非常に困難である) @ 神の達成目標と個々(人間)の達成目標とは異なる。 A 神の目標は、人間の目標より優先される。 B 進化の法則では、人間社会における善悪や道徳は無視されることがある。 C 個々の人間幸福の総和が、宇宙進化の方向ではない。 D 全体の幸福追求は、進化する方向性と合致するが多いが、追求することが、逆方向の場合がある。 E 幸福追求、因果法則、必然の法則、愛の追求、自由の拡大、等などすべてが、部分法則でしかない。 F 法則という制約がり、 1 人間の意志決定では生死が最大制約になる 2 エネルギーと力学的な法則がる。 3 物質の能確定の法則がある。 (結論) 神の目標は、全体の可能性の拡大と保持であり、 人間の目標は、真理、愛情、法則のなどの部分確定の発見と価値評価などの経験の蓄積と活用になる。 そして神の深遠なるはかりごとは、そもそもが 人間というような小さな生き物には無縁のものだ。 脳の容量が足りないからね。問題はただひとつ、 それでもなお、人間は自分を神のように見る目線から 自由になれないということだ。 全ては遊びなんだ。それが分かると大分楽になる。 呪いが解けたみたいに。 イエスは 自分は神の子だと言ったんだ。 我は霊なり とね。 ひとは死んだら 真っ暗闇を彷徨うよ、悟ったひとも 自由だから好きなことしても大丈夫だと 溺れて 闇を彷徨う。だって、僧侶でさえ 彷徨うんだよ。ここは遊びのようで誘惑のぬかるみなんだ。 消えて無くなるわけじゃないよ、個は残る。 ちゃんと、神を目指した人のみ 帰依できる。 みんな知らない。それを知ろうともしない。 暗闇をただ ただ歩いてるんだ。あなた死んだんですよ、と言っても 信じないで ただ ただ歩いてる。記憶が消えるまで。知らないから 遊びだとか言ってるんだ。知らないんだ。 >>677 >>678 ここで最も重要なこと。 この2つの意識は 部分意識 ⊂ 全体意識 の「抱合関係」ではなく 部分意識 < 全体意識 の「制約関係」になっているのです。 これは、いくら部分意識を考察しても、全体意識(神の目標)である霊的意識 の本質に気づくことができいだけでなく、 公理 愛の修行や真理の追究を必死に行っても、 全体意識(神の目標)の本質に気づけない。 さらに、全体意識の概念のない者は 低級な霊的成長は得られるが、 高級な霊的成長は得られない。 これらのことは、 囲碁における上達過程での根本原因として 実証証明されているのです。 、 >>686 このことは、 シルバーバーチの教えの矛盾であり、 その教はが、もう過去の者である。 という証になるのです。 >>684 >>685 仮にそうだとしても、そんなことを知っている 必要があるのだろうか。 鳥は宇宙について知っているか。アザラシは 原子と分子を区別するか。 人間は神について知っている? 知らなくて良い。必要がない。 寧ろ問題は、自分が何をしたいのか 何を望んでいるのか、それを嗅ぎ分ける 嗅覚の無い人間が多いことだ。 これは大問題だよ。腹を空かせているのに 水ばかり求めるような生き方に繋がるからね。 >>688 あると思います、だから 人は真理を求めるのです。 悟ったと言っても 増長慢になって、ばたばたと自滅するのです。 だから 覚者は必要なんです。 より多くの知識、より確かな理論、 そんなものを求めていると、まさに 無意味に暗闇を迷い続けることになる。 あなたは何年め? 命はもう40億年の時を経ている。 私たちは100万回を生きて、今や食物の中の栄養と 毒素とを正確に嗅ぎ分ける。 獣のように生きろよ。日々の感性に、強く鋭敏な 反応を従わせて。 それが真実さ。君は神じゃない。 肉体から生じる思考という意味では、ね。 それは全て命の持ち物だ。 君は一匹の獣を見ているんだよ。 そしてそのことに、完全に気付いている時、 それを完全に意識し、獣として全く目覚めているときに、 実に君は、君を通して神が生きていることさえ見るのだ。 >>689 若い人よ。必要ということはない。 覚者は生まれてくる。それは必然だが、必要ではない。 アリに兵隊アリと巣アリがいるのと同じだよ。 どちらも生まれてくる。 が、別にどちらが偉いということもない。 自滅するときは何であれ自滅する。 所詮アリだからな。 人間の覚者もこれと何ら変わらない。 生まれてくるが、別に重要ということはない。 >>690 神の子は神の子です。 疑いようがない。 私は獣でもないし、人間でもない。 貴方は 神の光を啓示されてないの? 神は目の前に現れる、閃光の輝きとして。 う 部分意識 ⊂ 全体意識 の「抱合関係」ではなく 部分意識 < 全体意識 の「制約関係」になっているのです。 生きるという使命と目的において、 部分意識 と 全体意識の制約関係、対立関係、共存関係を を学び、その本質を知った上で、 現実社会において、未来意識を持ちながら、調整適合させることで、 自分の魂の霊的で高度な成長が達成できるのです。 >>692 わが子よ。問題はそこではない。 問題は、自己の定義だ。 君は自分が神の子だと言う。それは良い。 だが、その"自分"とは何だ。例えば君の爪や髪は、 君という存在と不可分か。 だとすればある一本の髪が抜け落ちただけで、 神の子としての君の完全さは破壊され失われてしまう。 では手足は、骨は、内臓は、脳神経は或いは 排泄物はどうだ? それから、ああ、耳の中の音だよ。 頭の中にこんこんと湧いているその音と言葉。 それは君自身と言えるのか。本当に? さて…神の子はどこにいるのだろうな。 つまり、君は一体、"自分"というものを何だと 捉えているのだ? >>695 だから 私は人間ではないと言っている、 私は光だ。貴方は光の自覚をされたのか? 光には姿かたちはない。 だが 神と一体になったとき 私は神の子であったと知る。神に向かい入れられる。 或いはこう言おう。 怯えるな、娘よ。 自分を信じろ。 お前はそんなに無力ではないぞ。 他人などもう気にしなくて良いんだ。 お前が本当に飛び去りたい方向へ。 自分の世界を作れ。 この土の上にだって、本当の意味での お前の居場所を作れるよ。 君は自分を非難する代わりに、 他人を非難しているんだ。 いつも自分自身に失望を抱いてしまうのに、 その失望を自分で抱えていたくはないからさ。 君が本当に信じられないのは、 君が本当に許せないのは、 君自身なんだよ。 >>700 残念ながらそれもない。 思い通りだよ、 ああ、だから敢えて言おう。 友よ、君ほど実在の領域に精通する人物が、 一体この世にどれほどいると言うのだ? その君が自分の才能やエネルギーを、他人に向けて 注ぎ費やしているというのは何とも馬鹿げた損害ではないか。 踏み出せ。大丈夫だ。 何をやろうと、君は既に創造の領域にいる。 楽しめよ、自分の魂の音響を。 君はそれを手に入れたんだから。 その逆なんだ。私は今まで思い通り 好きなようにいきてきた、思ったことは自由自在だった、 ところがある日 光が降りてきて 私は人間ではなかったと知った、強制的に終了させられたんだ。 皆 人間をやっているが、自分は人間ではないと気づく時がくる。私は人間が楽しかったが なんと人間とは虚しいか、それに気づいたら神に出会う。 スピリチュアル漫才? スピリチュアルコント? 意味のない論争、いい加減に止めなさい。 >>706 君は神に出会い、自分が人間ではないと気付いた。 素晴らしいね。そういう人はどんな生き方をするのだろうな。 神の子よ。私は人間だよ。 これもまた素晴らしいことだ。 お互いの与えられたものを楽しもう。 君は神の道を、私は人間の道を。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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