顎と伝えてきたが、仏教の法華経を第二品まで学んだだけでも、
見せている容姿が変えられた事実に学んだ事柄による理解を向けるのには十分である。
仏教がかくも子どもの教学とは呼べない事実は、
イメージしていた仏教観を大分変えてしまっている。
その学びの中で釈迦牟尼世尊がどのように経典を学ばせようかと思案した工夫を
しっかりと受け取ったような学びの後の感想は現代ですら近未来を想起させる。
そこで、既に他に書き込んだが釈迦牟尼世尊の話では
陀羅尼・無礙弁才は
悪因善果、善因悪果、善因悪果、悪因善果、善因悪果、悪因善果・善因悪果学び
である事は公にすべきであると判断される。
これが学びを理解した結果である。