日月神示には
「今まで出ていたのは皆筆先じゃ、これは筆じゃ」
とあるが、

大日月地神示には
「これは筆先じゃから・・・」

とある

仮に大日月地神示が日月神示の正当な続編であるのであれば「筆先」ではなく「筆」と記述されていないとおかしいのではないか

日月神示には
「この神示悪く言われる時が来たら結構が近づいたのざ」
と日月神示自身が自らを悪く言われる事については寛容ではあるが

大日月地神示は
「この神示や神人を悪く申すものは魔物の下僕である」
と記述されており、何の疑いも無く信じろと言わんばかりのカルト性を孕んでいる
日月神示の続編を謳うのであれば日月神示の読者から日月神示と大日月地神示の内容が筋が通っているかを判断(審神者)されるのは当然の道理であり、大日月地神示や神人を疑う者は魔物の下僕であると判断するのは軽率であり如何なものかと思うのである
そして自らが悪く言われる事に関して許容性が無く、大きな器や深い懐を感じさせない

日月神示には
「神の道で食う事はならんから」
と神を商売にしてはならないと戒めているが
大日月地神示を降ろしたとされる神人さんは神示を書籍にして販売しているのである

日月神示の続編であるのであればその点に関しては追求されて然るべきだと思うのだが、大日月地神示では
「神人を疑うな、悪く言うな」
と言う立場を取っている

日月神示には
「この神示を食い物にしようとて出てくる者だんだんにあるなれど皆アテ外れてしまうぞ」
と神示を商売にする者に対して戒めているが
さて、神示を書籍にして販売している神人さんはどうなる事やら・・・



そして最近の神人霊媒日記では大日月地神示について一切触れていないのが気になる点である