>>780
非常に簡潔に言うと、悟りを通してこの社会や人間存在への関心を無くした者は、
人間の社会から見れば、無意味で不要な存在だからです。

恐らくそういう聖者は、山の中の小屋で一人で暮らすのが幸せでしょう。
勿論、彼自身はそれで十分満足だし、豊かになれると思います。

「聖者的虚弱」という言葉、私はあくまでこの人間の社会にとって、
という視点で使っています。

だって私たちは、人間同士として、人間の社会を通して、こうして
交わりあっているわけですから。

虚弱な聖者は人間の世界を良くしたりはしないのです。
ですから、人間にとっては不要な存在だということです。