>>778
私という主体は意識することである
私が無いならば、意識することがない
意識することと、意識そのものは差がある
この差は、方向性の差である
そして、この向かっていく意志が止まる
わたしがなきときに誰が悩むのか
他者の評価と欲求によって悩むのである
社会生活は、その他者によって、わたしが動く中にあるが、わたしは、見解によってなやまされるのである
受け手が消えるというのは、仕組みから遠ざかることであり、わたしがない地点は無である
そうは言っても、この世界はあるのであって、見られるものも見るものも残っている
主体なきとは、元々のところであって、顕在化した、ここには主体がある
客体と主体にわかれないと見るのであれば、客体がある
とにかく残るが、それは虚無からある