>>438
そうですか
自己としてならわたしは有るのかもしれないですね

マハラジは「私は在る」は最初の観念、最初の想念であり、最終的には「私は在る」も消える、あるいは「私は在る」を超えるというような話をしています

私は在る無いというのも2元的な観念ですから、実際は、私は在るということも無いということも無い、
あるいは私は在るということも無いということも在る、というのが言語でできる一番近い表現かなと解釈しています
私や有無という観念から自由であればいいのではないでしょうか