デジャ・ビュというのか、カルキ・バガヴァンのディクシャに嵌まってた時を思い出す。
何年の何月何日からこうなります、黄金時代が始まります、
そのためには〜っていうね。
こういうのってスピリチュアルらしき装いではあっても、
実際はある種の社会運動なんだよね。
別に社会運動を否定はしないし、参加したい人はすればいいんだが、
神との関係というのは社会化・組織化し得るのかというとそれは違うと思う。
共同創造でもなんでもいいんだが、あくまでわたくしと神との一対一の関わりがそこにあるだけで、
それをみんなでこうしなきゃいけないとか、
こうあるべきだ、という方向に誘導しようとした途端にそれはスピリチュアルなファシズムへと変貌し、
そしてそれはいずれ必ず破綻する。
クリシュナムルティが言ってた「真理は決して組織化し得ない」というのはつまりそういうことだし、
過去にも上述のカルキやベンジャミン・クレーム等、頓挫し失敗した事例には枚挙に暇がない。
世の中を変える必要なんかないし、世の中はいつの時代も本質は変わらないよ。
二元性の世界とはそういうところなのだし、そこを超えていくのに社会運動は役立たない、というよりもとより何の関係もないんだよ。