あーでもねーこーでもねーとやってることが、
自分がそれを行っている訳じゃ無く、
ただそういう反応が起きていただけだった。
確かに静止だ。気付いた「私」も居ない。
この文もただ起きている。
実質説明不可能ではあるが。

そこから久しぶりにラリブログを目にすることが起きて来て、
このポンコツジジイは完全に自我の視点から悟りと言う「設定・作り話」について、
一瞥だのキモチイイだのさも素晴らしいことのように説いて、
思考でウンタラカンタラやってるだけだということが、如実に見て取れてしまった。
だから信者達もまた、気付かされたー、癒やされたー、至福だ愛だ平和だと、
自我の視点でウンタラカンタラとその作り話に乗っかるしかない。

しかし誠実なグル( この辺も誤解を生むから言葉にし難いんだが )なんかだと、
いや、その気付いた何だかんだ言ってるのがただの思考だから「私」を付けるなと、
ひたすら同一化を解く方向に意識を向けさせようとするんだけど、
このポンコツは長年探求してる?割に未だにそれすら分かってないような有様だし、
( 一応「知識としては」知ってるのかな〜? )結局自分を持ち上げて欲しいだけだから、
信者達の、ウンタラカンタラほざいてるのが私であるとの錯覚を解けるはずもないw

んでな、カネを騙し取ってるから詐欺師だーとか、まぁ現実的にはその通りなんだけど、
もっとそれ以前こ、こいつら一体全体何やらされてるんだ!?って所の驚きなんよ。
教祖も、信者も、誰一人「私」が抜けてない。私は居ないと「私」が言っている。
全く分離が解けておらず、本当の所ではその意味すら分かっていない。
だから瞑想してシフトだとか、生まれて来た意味だとか「私」を基準とした幻想が展開される。
顧客が「私」が抜けてない人達だから、このおかしさに気付かれないまま続けられるカラクリ。

こんなお花畑が次から次へと湧いて出て来る、この圧倒的な茶番劇!
そして何よりもの肝は、この茶番劇が全体から起こされているということ!!
本当に、本当に、誰一人「私」が抜けてないまま、「それ」について語らされてる。
もうこの世の全てが作り話www自称覚者のあいつもそいつもまるで分離が解けてないwww
その全体の過ぎる悪ふざけに驚かされて、何だか自然とこんな長文まで起きて来たんだが・・。
結局言葉にした瞬間にこれも意味付けになっちゃうけど、分かるやつには分かるよなこれ。