これまでに講演などでは、自分がいかに当たり前の人間であるかを強調して話してきました。
なぜかと言うと、自分が悟ったあかつきには聖人になるとか、すべてを超越しているはずだとか、そのような誤解を持つ人がいるからです。

精神的霊的な気づきと、理想の人格は何の関係もありません。
存在の真相に目覚めることは、怒らないとか、悲しまないとか、不自然な人間になることではないのです。

そもそも理想の人格とは何でしょう。
なぜ人はそのような人にいてほしいと願うのでしょう。

それは自分の中にあるいくつかの側面を、克服すべき悪しき部分だと決めつけているからです。

怒り、嫉妬、物欲、性欲、怠惰、狡猾さ、落ち込み、惨めさ、無気力、演技性・・・・
挙げれば切りがありませんが、いま挙げたものだけに限ってみても、すべて僕の中にあります。

この世に特別な人などいません。

ただ人生で様々なことを経験し学ぶ中で、手に負えない感情や行動を制御できるようになるということはあると思いますし、それは悟りとは関係なく誰にでも起きることです。

しかし、いくら人間的に成長したとしても、悪しき感情が完全に消えるわけではなく、何かのきっかけで噴出することもあることでしょう。

それが人間だから。

人は何でも比較判断することで、良い悪いを決めます。
自分の中の悪いと思う面が全て解消したその時は、きっと自分を認められるし、人からも尊敬されると思うのです。

でもそのような日は来ません。
陰があれば陽があり、良いも悪いもどちらもセットで一つだから。
どちらかが無くなれば、もう片方も無くなります。
「悪い」がなければ、どうやって「良い」を認識するというのでしょう。