>>245
常住なるものがなく無常であるのだから、それは我がものではない
我がものと言えるものは何もない
私を探してもどこにもいない
というのは、無は、つかまるところがないというような意味じゃないか?
ところが、その私の言葉や行為というものがあるとエネルギー的に感じていると指摘したので、その探求のエネルギーが消失するというのは、それまでの主張たちとは方向が違う
なにかできるということを否定した人は、なかなかいない
今は反応的だが修行すればとかが普通一般
彼女は、それも否定しているんだから
仏教でもないが、似ているのは似ている
アプローチが斬新
日本では知られてなかったのだから、伝えた功績はあるだろうw