それが自分の中にもあると気づいたとき、それまでの自分とは違う現れをしていることに気づきました。
肩の荷が下りているというのが分かりやすい言い方ですが、同時に「普通の人」になっていました。
普通の人とは、凡庸でつまらない人ということではなく、自然な人という意味です。
それまでは、特別な人を生きようとしていたので、その不自然さが日常になっていました。
自分が他者より優れていることを証明するのが仕事でした。
それによって、みんなの愛が得られると思っていたのです。
結局のところ、愛されたい、認められたいという心の衝動を満たすために、自分ではない自分を生きていたわけです。
「優しい気持ち」というのは、そのまま「愛」のことであり、自らの中に愛を認めた瞬間、他者からの愛が不要になり、自己演出が消えました。
人から好かれるために、いかに多くのことをしていたことか。
自分が普通以上の特別な存在だということを、執拗に印象付けようとしていたことが滑稽でした。
自分が心底普通だと思えた時、あらゆる人も本当は同じなのだとわかります。
そのとき分離が消えていました。
「特別さ」と「分離」は表裏一体で、どちらかが落ちれば両方が落ちます。
すべてが普通(自然)であるということは、分離した「私」はいないということ。
このことが、いまのメッセージの原点になっています。
上も下もないということがわかると、人生はとても楽になります。
僕もあなたも普通の人。
それでいいでしょ?
今日も自然な自分で、清々しく生きましょう。