「許す」ということは大変難しいと思います。
なぜなら、許すことによって、ある意味、相手の行為を認めるように
映ってしまうから。それが犯罪的なことであるならなおさらです。
でもそれは、誰にそう映るのか?
それは、自分でも相手でもなく、それを見ている他人にそう映るだと
思います。
「他人が」それを許していいのか?と問いかけてきて、
「他人が」これが正しい、あれが間違いだと意見してくる。

許すことが愛の一つだとするなら、
他人が「そんなやつに愛をあたえるのか?」と聞いてきて
他人が「あんな奴に愛など必要ない!」言ってくる。

でもそんなこと言う他人は、実は愛を渇望しているやつで、
愛に満ちた他人なら、「許そうよ」と呼びかけているかもしれない。

つまり許せないのは、愛を渇望する方の他人と同調して
振り回されて自分がいるからなのではないでしょうか。

そう考えると、(虐待は絶対許されませんが)
虐待死された魂が許すという判断をされたのならば、
その瞬間から完全に安らかな状態にあるのかもしれないですね。

34さんの前世では、自らの体を死に直面させることまでして
許すことに挑んだのかもしれないですね。
もしかしたら、神様か守護されている方々からは
「そこまでしなくても・・・」と言われていて
「いいや!絶対挑みます!」と34さんが拒否ったのかも。

すいません、無能力者のたわごとです。