奉仕に生きれば、奉仕的じゃない人が鼻につく。
利他的に生きれば、利己的な人に腹がたつ。
謙虚に生きようと思えば、傲慢な人を嫌悪する。
善良に生きようとすれば、不正や悪事を許せなくなる。
今まで何も考えずふつうに生きてたときは、そんなことまったくなかったのに
このような善良な信念で生きようとすると、その反対の事柄に無性に怒りを感じるようになる。
シルバーバーチを実践してずっと抱えてた問題だった。
それが解決された。
シルバーバーチは言う。善悪、利己利他、謙虚傲慢、などこの世の相対的な現象は
一本の棒の両端のようなもので元は同じだと。
神は善の中にも悪の中にも存在し、利己の中にも利他の中にも存在する。
神はその両方を区別したりしない。区別するのは人間側。
その感覚を瞑想を通してわかりつつある。
瞑想すると、信念さえも消えてなくなる。自我がなくなる。
あるのは大いなる意識のみ。その意識で世界を見たとき、善も悪もないことを知る。
利己も利他もないことを知る。謙虚も傲慢もないことを知る。
そのときはじめて個人的感情を超越した平等の視野を手にいれる。
そこには悪や不正や傲慢に対しての正義の怒りなどない。
あるのは、そのような現象がただある、という認識のみ。
それが良い悪いじゃなくて、そのようにして在る、というだけ。
それにレッテルを貼り、善悪を定義づけ、裁こうとするのは人間だけであって、
自然界や神はそのようにはしない。
この神意識を体得すると、シルバーバーチの信念からくる悪や利己や傲慢に対する怒りが消えて無くなった。
たぶん、その怒りは自我からくるもので、瞑想によって自我が消えるとその怒りも消えて無くなったんだとおもう。