シルバーバーチ友の会 [転載禁止]©2ch.net
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英語でやりとりされたシルバーバーチさんの色々な教えは日本語に訳されており、
このスレッドを読める人なら誰でも素朴ながら真理であるところの知識を得る事が出来ます。
その知識の普及を図るスピリチュアリズム普及会が自費出版している翻訳本をネットで公開しています。
それを無償で読む事が出来るのでスピリチュアルの知識を身に付けるのは簡単にできます。
その上で思うところを書いて頂けるとお互いに得るところが多くあると思います。
シルバーバーチさんは遙か昔に地上で生活した人で、奮闘努力による向上進化を遂げ、
もはや地上に再生する必要が無くなったという凄い人です。
更にシルバーバーチさんより向上進化した人たちから指導を受けているとの事で、
それは単純素朴な教えながら、素朴だからこそ人の心を打つモノが在ります。
まあ読んでみてよ。
それで感想や意見をお互いに交わして、我らも霊的真理に親しみましょう。 >>428
何度も反復する事こそ、重要だと考えます、マイフレ。
それは自分には出来ない事です。今のところ、すいすいとは読めません。
ですが頑張って読み続けます。2年ぶりに読むと本当に新鮮で興味深く読めます。 なら私も吐き出させていただきますが、肉欲を捨てるのは正直かなり辛いですね。まだ20歳ではないので。ストレスがたまったときや、単純に抑えがきかなくなったときにやってしまうことが多々あります。
しかし驚きました。こんなスピリチュアリズムのスレがあるとは。 430です。追記ですが、私が霊というのが実際にいる、と思い始めたきっかけは、私が親に怒られている時です。怒られている最中に私が思っていたことは、原子の塊が原子の塊に怒っているというこの状況は、なんとわけのわからないことなのだろう、ということでした。 430です。長くて書き込めなかったので連投します。
やはり自分には霊があり、それが親に怒られて恐いと感じているのだろうと考えた方がしっくりきました。 430です。
脳のはたらきがどうのこうの、というのもわからなくはありませんが、やはり脳という物質が恐いと感じている、というのも私にはどうも納得できることではありません。 430です。これで最後です。
もう一つは、もし霊というのがいなければそもそも怪談という霊に関する文化もなかったと思うからです。しかも怪談というのがある、ということは世界共通です。
以上のことより、私は霊がいる、ということを思い始めました。 >>430
その若さでここに辿り着いた事に驚きました。
若くして霊的真理の探求に進めるのは幸いなことだと思います。
今後の人生で役立つことも多いでしょう。
宜しければシルバーバーチの本もご一読されることをお勧め致します。
性欲に関しては、無理に否定なさらずとも良いかと思います。
依存や性欲のはけ口としてではなく、お互い心から愛し合ってする行為は素晴らしいものだと思います。
また、霊的真理を探求していく中で、肉体的な快楽よりも、精神的な充実に重きを置くようシフトして行くものと思います。 >>435
立派なご回答に感服しました。
私は青春の悩みはまるで青春小説が読めなくなったと同じように、
若者の書き込みを全部拝見しましたが、小っ恥ずかしくて書き込めませんでした。
今でも話しかける言葉を持ち合わせておりません。 >>435
430です。ご返信ありがとうございます。
シルバーバーチの本、一度読んでみようと思います。あと、スピリチュアリズム普及会のサイトでスピリチュアリズムを学んでおります。こちらのスピリチュアリズム普及会にはありがたく思っております。
また、肉欲のことですが、正確には性欲と書くべきだったかもしれません…。なんせ相手がいないもので(^.^)。。。
スレ汚しすいません。
また、このスレを立ててくださった1の方に感謝します。このようなスピリチュアリズムのコミュニティがあると本当に助かります。 >>437
>>1です。皆さんの協力のお陰でスレも進んでいます。
救いを求める心は皆一つです。
そして光は光です。
きっと明日に繋がる道が見えてきます。
あと性欲の悩みですが、青春の頃は仕方が無いと思います。
あまり悩みませんように。 性欲なんて嫌でもなくなってくるし悩むことなんてないよ
ただ欲望に任せて手当たりしだいセックスするのとかはやめといたほうがいいと思います >>438
>>439
お二方、ご回答ありがとうございます。
あまり深く考えないことにします。
ただ、一つ気になっていることがありまして…。どこかで聞いてみたかったのですが、某サイト(自称スピ系)を見たときに、想念物質?をつくり、それが霊の周りを漂ってしまう…
とか書いてあったのですが、これは本当なのですか?また、本当だとすると、霊や霊的エネルギーに敏感な人にはそういうことがわかってしまう、ということですか?
変な話を続けてしまいすいません。ただ、どうしても気になっているもので…。 >>440
お若いのに素晴らしいですね
あなたの直感は真理です。ぜひ、その感性を大切にしてください。
何か、霊的真理に関わる使命を持って、生まれてこられたのかも知れません。
お尋ねの件ですが、シルバーバーチを読み進められると自然とご自分なりの回答にあなたなら行き着くと思いますが、わたしなりの愚考でよければこのようなことです。
シルバーバーチによると地上生活の物質は全て、影であり幻です。実在は霊であり思念であり想念であり思想です。
低い誤った思念の霊は低い同じレベルの階層で生活し、高い思念思想の高級霊は高いレベルの階層に住みます。
地上生活では、高い思念の人間と低い思念の人間がごちゃ混ぜに生活しています。たとえば、奉仕や隣人愛のある優しい高い思念の人も、差別的で争いを好む低い思念の人もごちゃ混ぜです。
私たちには目に見えませんが霊の目で見ればそういった思念は、実在としてしっかりと見えるそうです。オーラと呼ばれるものはその一種のようです。
ただ、私たち霊視力のない凡人でも、雰囲気は感じとれます。嫌な感じの人や場所、緊張感のある会議室の雰囲気、スタジアムの興奮した熱気なども感じられる思念ですね。
なので私たちも肉体に閉じ込められた霊であるからには、お互いに思念や思想で影響を常に与えあっています。良い思念の人には癒されますし、悪い思念の人にはぎすぎすした嫌な感じを受けます。
いずれ、見えない世界のことですから断定はできませんが、わたしなりにはこのような理解をしています。
ご参考になればよいのですが、、、。 肉欲=肉体的欲望
に関してはわたしはこのように理解しています。
性欲、食欲、睡眠欲、運動欲、排泄欲、遊び欲
など肉体に不随する肉体的欲望は適当に発散すべきだと思います。ただし、隣人愛にのっとって、他人に迷惑をかけない範囲内で発散する分には健全だと思います。
たとえば、性欲や運動欲も暴力や強制的な他人に迷惑をかける行為以外なら、むしろ、適当に発散するべきだと思います。
睡眠欲も会話中とか仕事中でなければ積極的にとるべきですし、食欲も美味しく食べることは人生のなかの幸せなことです。スポーツや旅行、ゲーム、テレビなどの娯楽も生きる楽しみのひとつでしょう。
また、美味しい食事を食べさせてあげたいとか、ゆっくり眠らせてあげたいとか、セックスで気持ち良くしてあげたい、とかは物質的なことですが、その想念は善意であり、利己主義とは程遠いと思います。
むしろ、禁欲的な人は、そのこと自体を自慢し、禁欲的でない人を非難するぎすぎすした高慢な雰囲気で寛容に欠き、あまり良くないのではと思います。禁欲的にすることで何か他人の役にたっているのなら別ですが。
あまり、禁欲がすぎると、やはりストレスになりますし、イライラし他人への寛容さを失うことになるのではと思います。
どなたかがおっしゃるように、老人になれば霊界に行く準備のためにいずれ、肉体的欲望は衰えます。わたしとしては自然の衰えに任せるのが一番かと思います。
あとは、奉仕活動の喜びが肉体的欲望をはるかに上回るような高級霊なみの悟りの方なら、良いと思いますが、よほどのことがないと凡人には、なかなか難しいのではないでしょうか?
わたしとしては、無理な禁欲で満足するより、他人に迷惑にならないようまたはまりすぎないよう適度に発散し、人生を物質的にも楽しみながら、隣人愛を出来る限り発揮するのがよい と考えています。
何よりも隣人愛、他人に尽くすこと、を第一にすることと思います。
私たちは完璧とは程遠い、未熟な人間であると認識しつつ、少しずつ向上できればよいのではと思います 霊の書にも、神は欲望に一定の限度を設けている、というようなことが書いてありますね。
自分の調べた限りでは、それらを超えれば、不快感を感じたり、病気や災厄などにも自然に繋がっていくようです。
小さい例でいえば、食べ過ぎなどがそれに当たるかもしれません。
上の方も書いておられますが、他人の迷惑にならない範囲、そして、限度を超えない範囲で欲を発散するならそれはやはり悪ではないように思います。 >>444
ご同意ありがとうございます
わたしも、シルバーバーチのほか、霊の書、テスター氏の著作、近藤千雄氏の著作などを参考に致しました
霊的真理はある程度は肉欲には仕方ない部分もあるとして、限度付きですが未熟なんだからと、比較的、寛容ですね 既存宗教では真理が曲げられて意味のない断食や戒律などのドグマと化して、宗教間の争いの種になっているようですね。
ただ、シルバーバーチほか霊的真理も権力欲や金銭欲、独占欲、差別的な行為などの利己主義には戦争や貧困の原因として手厳しく非難しています。逆に既成宗教はこちらは緩いですね。
やはり、宗教と権力や富裕層などが結び付いて霊的真理がねじ曲げられた結果なのでしょうね。
やはり未来の世界平和には、霊的真理の広まりがいつかは必要と痛感しますね >>440
どのような想いであれ、貴方が他者に抱く想いは相手に伝わります。
攻撃的な想いを抱けば、行動に移さなくても相手の霊体を傷つけますし、愛や感謝の想いを抱けば、相手の霊体に良い影響を与えます。
誰かを嫌えば嫌われるし、誰かを好けば好かれるとも言い換えられます。 440です。
みなさま、私の疑問にお答えくださりありがとうございます。新しい考え方も得ることができ、とても参考になります。
確かに我慢し過ぎるのもよくないですよね。
あと、恥ずかしながら白状させていただきますが、442さんの
「むしろ、禁欲的な人は、そのこと自体を自慢し」
という部分にまことに恥ずかしながら、心当たりがあります…。
ほどほどに、という感じで性欲と付き合っていきたいと思います。
本当にためになるご回答、ありがとうございます。
あと、441さん、シルバーバーチの本を一度読んでみます。今まで読んだことがなかったもので…。 >>447
言ってるわたし自身もたくさん心あたりあるのです(笑)
人間弱く未熟なんですからあたり前ですよ。
何でも頑張りすぎると、ひがみや高慢さが出てしまいます。よけいな自尊心が首をもたげます。
謙虚さ、寛容さが霊的真理の最高の美徳のようですので、気を付けたいものです。 >>448
やあ、こんにちは。マイフレ。
横から失礼するよ。
すると、慈愛・寛容・奉仕が大事だって事になるね。
そういう考えで良いと思うかな? >>449
友よ、あなたがおっしゃる通りです。
慈愛と寛容で奉仕することが何より大事だと思います。
ただ、その実践にあたってやはり謙虚さが大事だと思うのです。
例をあげます。
わたしが電車に乗って、席に座っていて混んでいる状況です。前に足の悪い方が来たのでわたしが親切な奉仕の気持ちで席を譲ったとします。
でも、その方はお礼を言わずに席に座りました。
ここで、わたしが
席を譲ったのにお礼も言わないで失礼な人だ、と思ったとしたら、わたしの親切な奉仕は謙虚さがなく台無しです。
そうではなく、席を譲るという奉仕をさせていただいてありがたい奉仕の機会を与えていただいて神様に感謝します
と思えば、最高の奉仕になるでしょう。
同じ奉仕をしても、謙虚さがあるのとないのとでは、雲泥の差があります。 >>449
弱い人間のわたしはついつい、謙虚を忘れてしまいます。
あなたがいつもおっしゃる、伝道師面したくないというのも素晴らしく謙虚な姿勢だと思います。
せっかく、霊的真理を学んで伝えるにしても、上から目線で教えてあげているんだ、という感じでは謙虚さと誠意がないことになるでしょう。
わたしもあなたの謙虚な姿勢に学んでいます。
お互いに少しずつ学んで高め合えたらとわたしは考えているのです。
よく、スピリチュアリズムやヒーリングのサイトでも、さも自分や自分達がすごく修行し善行で徳を積んだかのように自慢しているものがあります。
そういうサイトにはやはり謙虚さがなく、低級霊に利用されるかも知れませんので注意が必要だと思います。
本当に善行を積んでいる人は決して人には自慢しません。自分の徳は隠すもので謙虚さは、霊格の現れだからです。
このようにわたしは考えています。
親愛なる友よ、
あなたの優しさ、謙虚さ、素直さを尊敬しています。
どうか、今後とも宜しくお願い申し上げます。
あなたが幸福で毎日気持ちよく過ごせますように。
魂の友より ちなみにシルバーバーチは自分の自慢は一切しませんね
わたしたちからは遥かに高級霊のはずなのにです。
やはり謙虚さが霊格の現れである証左なのではと思います。 >>452
全て大霊に感謝して欲しいといった事を言っていますね。
ちなみに伝道師面したくないというのは、ご多分に漏れずシルバーバーチの言葉です。 >>451
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
あなたを含め、もう一名の身体の不自由さに悩む人にいつも霊界の医療団を
派遣して欲しいと祈っているのですが、自分の駄目さ加減のせいか、上手い事行きません。
キプロスのダスカロス級のヒーラーがいるといいのですが。日本に。 447です。
ここまで謙虚な姿勢は…到達に長い時間がかかりそうですね…。
自分がそのように考えられるように少しづつ考え方を変えていかねばなりませんね…。
わかりやすい例を挙げてのご説明をありがとうございます。
あと、自分にはまだそのような重い病気をして入院している、という経験が今のところなく、病気で苦しんでいる方の投稿を読んでいる私には貴方に何も励ましの言葉が送れず申し訳なく思っております…。
ただ、病院内ですと常にインターネットの通信ができる環境とは限らないと思うので、ネット接続のできるときにでも聴いていただくといいと思うのですが、音楽なんかどうでしょうか?もう既に聴いていらっしゃるかもしれませんが、(次に続きます) こんな音楽はどうでしょうか?
私の好きなジャンルの曲で、マーチ(行進曲)があるのですが、威勢のいいだけでなく、ゆったりとした部分もあってここが聴いていて非常に心地よく感じます。また、マーチなので聴けば少しは元気が出てくると思うのですが…。 それによって少しでも楽になれば、と思います。いくつかURLをはりますので、よろしければ聴いてみてください。 >>454
友よ、ありがとうございます
きっとあなたの祈りは届いていると信じています
ただ、まだ治癒しないのは何らかの理由があるのでしょう 霊的成長のために病は必要経費でもありますから 気にしないでください >>459
おはよう、マイフレ。
何か理由があるのでしょうか。
苦しみを取り除いてあげたい一心なんですが。 >>455
わたしも経験と失敗と反省の繰り返しです。
これも霊的成長のための過程なのでしょうね
お心つかいとあなたの優しさに感謝致します。
その優しさが一番の励みになります。 >>460
いろんな理由が霊界にはあるみたいです。
前世の悪行の償いや、霊的成長のためにあえてハンディを背負い使命を果たす場合などや、治る時期ではないのであえて魂が治さない時、などです。
ここで、霊的真理を皆さんと語り合うために病になったのかも知れません。ここでの使命がお互いにあるのではないでしょうか?偶然は世の中にはないとシルバーバーチも言っていますし。
いろんな理由が重なりあっているかも知れませんが、やはり、病による困難が自分の未熟さを克服するのに必要なのではと思います。 >>462
そうですね。そうかも知れません。
自分も病気になって、初めて両親のありがたみに、愛情に気がつきました。
どれだけ心配を掛けたか、どれだけ私を支えてくれるか。
今は穏やかな性格になれて、病気には感謝しています。ある意味においてのみですが。
入院した時には、途中数週間退院しましたが、直ぐに再入院しました。
合わせて1年8ヶ月ほど入院しました。
この時父にCDを買って貰ったのですが、保護室に入っている時に聴いて、
中島みゆきを聴いて、心が救われたのがよい思い出として残っています。 そういえば、全然関係ない話なのですが、人間の感情で最も美しい感情って、「感謝」の気持ちだと思いませんか?この感情ほど自分も非常に満たされた気持ちになる感情はないと実感した経験があります。 ある日自転車で塾に向かっているとき転んだのですが、傷口を見ると確かに擦りむいてはいましたが、それほど大きな怪我ではなくホッとしました。その後家に帰ってからその時着ていた服を見て、服に対して大きな感謝の感情が湧いてきました。 この時、自分も ものすごく満たされたような気持ちになって、とても大きなものを感じました…。
いかに感謝という感情が美しいものか改めて理解できた気がしたことを覚えております…。
あれは守護霊から与えられた感謝を知るための体験だと思っております。 霊の宿らないものは無いという事ですから、身体を守ってくれた服には感謝ですね。
スクーターに乗る時も、手袋を付けないと転んだ時に大変なので、
載っていた時にはいつも付けていました。
1000円のやつでしたが。 一つの服、一つの手袋が作られるまでに何千人いや何万人の人が関わっているのでしょうか?デザイン、布、糸、縫製、それを作る機械、パソコン、その部品、部品のデザイン、部品をつくる人、部品をつくる機械、パソコン、、、果てしなく感謝の輪がつながりますね。
最終的には神=大霊への感謝に行き着くことになりますよね。われわれ人間一人一人を存在させていただいているのですから。
人間や生物が偶然生まれたという、唯物論がいかに合理的でないかも、わかりますね。 >>468
フィリピンやバングラデシュなどの貧しい方々の子どもたちは、苛酷で危険な労働を強いられており、サンダル一つ買えずに裸足で生傷を沢山作りながら毎日過ごしています。
テレビで見て、可哀想で胸が張り裂けそうになり、涙が止まりませんでした。難病で横になるしかない自分はほんのわずかな募金をすることしかできず、無力感をすごく感じます。
霊的真理のもとで、一部の富裕層が富を独占しないような、愛の政治が世界中に広まることを願ってやみません。
世界平和や格差是正のために、わたしたちがシルバーバーチの霊的真理を少しでも広めることが大事なのだとわたしは思っています。 >>463
素晴らしいですね。
両親の慈愛、無私の奉仕の偉大さに心洗われて、魂が目覚められたのだと思います。
霊的真理の光は苦難のなかから芽生えると、シルバーバーチがおっしゃる通りですね。
ちなみに、わたしは中島みゆきの 糸 は名曲だと思います。彼女の歌は魂をゆさぶります。おそらく、霊界からのインスピレーションで生まれた曲であるとわたしは思います。 10巻が高騰して買えない。
古本屋巡りでもしようか。なんてねぇ。 >>471
普及会かどこかが版権を買ってくれるまで手が出ない値段になったね。 >>470
本当に両親のお陰で生活出来ています。
今のうちに料理のレシピなどの勉強をしないといけないと思っています。 >>468
確かにその通りですね…。
大霊より生み出された我々があり、そしてさらに大霊より この世のみで使うことを許された物質により、我々が生み出した「様々な物」があり、それらが最終的には大霊からの 我々へ間接的に届けられる愛(守護霊などの霊を通じて)とともに帰する
ということなんですかねえ…。表現がうまくできませんが…。 それにしても大霊を捉えるのはなかなか難しいですね…。スピリチュアリズムには大霊が摂理そのものであるとありますが…。 俺には無理だどうしようもない自分や運命に怒りを感じてネットでその怒りをぶつけてしまう
畜生昔の自分に帰りたい >>476
よくないパターンだ。
ネットという無記名・匿名の場所でそんな事をしてはいけない。
怒りを感じるなら、運動をすると良いよ。
すかっと爽快コカコーラ。 とりあえず、6時半から始まるNHK第一のラジオ体操第一をお勧めする。
ブラウザで「ら汁・ラ汁」を検索すると出てくるよ。 シルバーバーチやスピリチュアリズムは霊的真理の最高峰だと思う。
シルバーバーチは瞑想よりも奉仕の実践に力を入れるよう言われる。
それは時代がちょうど戦時中のことで行動が重要だったからだと僕は思う。
今は戦争もなくなり平和が訪れたので、瞑想が重要な時代と思う。
実際シルバーバーチを実践して奉仕的に生きた10年間は、あまりぱっとしない冴えない困難と試練の多い人生だった。
僕は今さらに上の段階にきている。
ラマナマハルシなどの覚者の教えによる真我探求の道。瞑想の道。
もちろんスピリチュアリズムの霊的知識を基盤に置きながら、悟りへの道を実践している。
驚くことに自分自身や環境が変わってきた。いい方向に。
それはより上の真理を得たから。今この瞬間に思考したことが将来現実になる法則。
これは昔から言われてた法則だが、瞑想を実践するようになってから恐ろしいほど現実化するようになってきた。
ここでシルバーバーチ信者に忠告しておきたい。 シルバーバーチ信者に忠告しておきたいことは、その思考が将来現実化するということ。
ぼくはシルバーバーチに忠実に生きていた。
シルバーバーチが奉仕に生きろというので、そう思っていたら目の前に奉仕する機会が出現した。
シルバーバーチが苦難や試練によって魂は磨かれると言う言葉を信じていたら、
様々な苦難や試練の現象がおとづれた。
もう苦難は嫌だ、と思ったら苦難は去った。
スピリチュアリストとして霊能力ほしいと思っていたら、ほんとに使えるようになった。
つまり、思ったことが自分に起こるということ。
シルバーバーチの言うことを信じていると、苦難や試練と奉仕の機会の多いだけの人生になってしまう。
それによって魂が磨かれるかもしれないが、それさえも磨かれるという自身の思いが現象化してるだけにすぎない。
このシルバーバーチを信じることによって生まれたあなたのその信念はあなた自身の人生を縛り付ける足かせになってしまうだろう。
信念というものは何にせよ自由を奪う。
それから自由になるにはその信念を変える必要はない。ただ信念を作り出す思考を止めればいいだけ。
自我やエゴや感情さえも思考から生まれる。
思考を止めさえすれば、真我、シルバーバーチのいう神性が現れてくる。
それには瞑想によって思考を止める以外方法はない。
ブッダが悟りを開いたヴィパッサナー瞑想でもいいし、ラマナマハルシの真我探求でもいい。
瞑想によって、今この瞬間に思うことが瞬時に現実化することを知るだろう。
自分は世界や運命の操り人形なのではなく、自分が世界を創造する主体であると気付くだろう。
それはつまり神と同じ性質があると気付く目覚めでもある。
シルバーバーチ愛好家の皆さんもぜひさらに上の段階に足を踏み入れてください。 ぼくはシルバーバーチを愛読してた10年間は、霊格高くなろうと努力してきたつもりだった。
どのような人が霊格が高いのか洞察し、真似てみたりした。
善良になるように努め、感情を統制し、欲もコントロールし、悪を遠ざけ奉仕に生きて、
利他主義に生きるよう心がけてきたつもりだった。
でも実のところ自分をそうやって縛り付けることで苦しい部分もあった。
善良に生きようとすることで、他人や不正に対して批判的にもなってしまった。
そういう生き方をずっとしていたので、自分の至らなさ未熟さを日々感じた。
そして最近、ある覚者の言葉に生き方が変わった。
彼はこう言う。善い人になろうとしないでください、そのままでいてください。と。
善い人になろうとするのもしょせんは自我から生じているにすぎない。
宗教や信念によって善良な性格になるだけでしかない。
真我つまり神性というのはその性格を消し去ったときに現れるもの、
だから善い人にな努力はやめてありのままそのままでいてくださいと。
ただ真我の状態でね、と。
その言葉を実践してみると、まあなんと生きやすいのなんの。
今まで利他的人のためにと思い、自分を犠牲にして人に気を使い続けてばかりの人生で、
それをいいように利用されるだけの人間関係が変化した。
怒ってでも言いたいことをすべて相手に言うこと、相手が反省し気付き変わるようになった。
今まで自己犠牲に生きてきた人生が自分がおもうようにまわりだしてきた。
自己犠牲に生きようという信念も現実化するのでなくしたほうがいい。不幸になるだけ。
シルバーバーチはその面でもすこし危険性があることを、身をもって体験した。 ラジオ体操第一は出来た。
ラジオ体操第二は知らないので出来なかった。
朝のストレッチにはちょうど良いよ。 >>482
あなたの今のそれが心境なのですね。
瞑想することも良いことだと思います。
ただ、他者に奉仕することが不幸だとするあなたの解釈にはわたしは賛同できません。また、世の中の不正や残酷さを批判的にみることは世の中を改善するために正しいことですよ。
霊的真理は普遍であり、時代によって変化しません。わたしたちが未熟で理解力に限界がありますだけです。その理解力に応じて、霊界からの霊的真理の教えがあるのです。
長く霊的真理の実践の努力をされてきたことは、尊敬致します。ただ、残念ながら、現状はかなり、霊的真理から外れておられるようです。
わたしとしては、もう一度、シルバーバーチなど霊訓を読み返し基本的真理に立ち返られることをおすすめします。
あなたの幸福を心よりお祈り致します。 >>481
霊能力が欲しいとか、あまり思わないほうがよいと思いますよ。そういう低い想念は、低級霊につけこまれ利用されるとあらゆる信頼性ある霊界通信が述べています。
どうか、ご自愛ください。 >>480
どのような困難と試練にあわれたかわかりませんが、困難と試練を経験するためにわたしたちは地上に生まれてきたのですよ。
そして、神はその試練を克服したものには、その何倍ものご褒美を霊界で用意してくださいます。
地上生活の苦難は、永遠の生命であるわたしたちにとってほんのわずかなことらしいのです。
それが霊的真理の素晴らしさであり、地上で困難や慈愛と奉仕に生きる人々の希望であるのです。わたしがシルバーバーチの霊的真理を信頼する由縁です。
神は完璧であり、わたしたちの成長を見守っており、わたしたちに必ず報いてくださいます。 はっきり宣言いたします。
天国は死後の話ではありません。 >>482言いたいことはよく分かる
自己犠牲や善人になることに縛られてはいけないと思う
喜怒哀楽人間に必要だから備わってるわけで
昔自利利他という言葉を聞いたけど、自己犠牲ではなく自分も人も良くなる方法を取るべきだよね
俺は親に虐待されて捨てられたんだけど、生んでもらっただけで感謝しなきゃとか周りの大人は綺麗事言ってたし自分もそう思わなきゃと自分を押し殺して生きてきた
違うよ虐待されて捨てられることはとても辛く悲しいことだし怒ったり恨んだりすることも大切なんだと今は思う
それがあってその先の感謝であって キリストも釈迦も怒ることは絶対あったし、マザーテレサも神の不在に怯えていた
では彼らは聖人ではなかったか?
そういう人間味のある人間だからこそ彼らの生きざまに意味があり真の聖人だったのだと俺はおもいます
色んな人に相談してきたけど綺麗事ばっかり言う人の言葉はやはり重みがないし響かない >>488
その通りですね
過度に禁欲的になったり、偉い人格者になろうとして他人を見下げたり、肉体を疲労困憊にするほどの過度の自己犠牲は、逆に慢心を呼んでしまい謙虚さを失う可能性があります。
シルバーバーチも霊の書も、そういう自己欺瞞は偽善者としてすすめていませんね。
わたしたち人間は完全には程遠いので良くない感情も抱きますし、失敗たらけです。
ただ、そこに成長の余地があり、他人への慈愛や奉仕や感謝を生み出す種があるのも事実です。
困難や試練や失敗は人の精神を成長させる栄養分なのだとシルバーバーチは述べていますから。 ああ、自分は読み込みが足りない。
ようやくシルバーバーチの霊訓の第一巻の5章に進んだばかり。 見返りを求めて奉仕しても苦しみが増すだけ
まずは自分自身を愛し、魂を輝かせる
それが奉仕にもなるし、同時に喜びでもある >>492
友よ、あまり気にしないでください。
あなたの病のために読めないのであるのですから仕方ないですよ。
あなたとわたしは友愛で心は繋がっています。
だから、わたしはあなたとともに皆さんとも、ここで霊的真理を語り合います。
焦らずゆっくり学びあいましょう。 >>493
良い事言うね。
過程を踏まないといけないから、初めは自己満足の、それが偽善と呼ばれようとも、
第一歩から踏み出そう。
>>494
ありがとね。
2年前に読んだきりだから、読み返すと新鮮で。 >>495
ありがとうございます。
奉仕にも色々な形がありますから、困っている人に直接手を差し伸べるのも、歌や絵画などの芸術で人を喜ばすことも奉仕ですね。
ただ愛でいること、ただ喜びでいることも奉仕です。
何者かになろうとするのではなく、最高の自分自身でいること。
自らの魂を愛と喜びで震わせること。
そのエネルギーは宇宙全体に響き渡り、すべての存在のエネルギーを高めるでしょう。
あなたの愛は世界中の愛になり、あなたの喜びは世界中の喜びになります。 奉仕的に生きて苦難と困難の連続になるの今のは日本が腐ってるのをよく表してる
例えば女性なら顔整形して注目集めて金稼いで高級ブランド品集めるみたいな生き方が持て囃されている
リア充だのインスタ映えだのがすべてて困っている人苦しんでる人になんて見向きもしない人ばかり
だから一部の奉仕的な人は体力気力経済力いくらあっても足りなくてボロボロになる
それでもやはり奉仕的生き方を実践しそれを広めることには意義があると思う >>497
説得力のある文章でした。
最後の一文が心に染みました。
誤解はつきものですが、それでも場違いは避けるべきでしょうね。
伝わる事も伝わらなくなります。 それと霊的真理に目覚めた生活をしていれば、霊界の援助が受けられて、
その人食べ物なんかには困らないと「シルバーバーチの霊訓」第一巻にはあります。
恐れるものはありませんね。 自己犠牲の奉仕では、しばしば相手からの要求が増えたり、いわれのない不満をぶつけられたりします。
「〇〇してあげたのに」という思いが残るなら、それは見返りを求めているということになります。
自分自身の才能を活かし、より多くの人に喜んでもらえる道を探すことで、自他共に救われるのだと思います。 霊性を活かしつつこの物質主義の世の中を
生きるのは骨が折れるねえ >>500
それは相手の欲求が増えますよ。
苦労を抱えているんですから。
出来ない事は出来ないと、断る勇気も必要かも知れませんね。
>>501
霊的なメダルを手に入れるのが簡単なら、それは価値のないものだとシルバーバーチは言っています。
苦労の果てに手に入れるものなのでしょうね。自分に出来るか心配です亜。 >>502
「奉仕をしてあげている」ではなく、「奉仕をさせて頂いている」ということ。
奉仕すること自体が喜びであり、奉仕によって見返りを求めるようなものではないということ。
奉仕の結果に期待し、それが報われないことで苦しさや辛さ、不満などの負の想いを抱くのであれば、それはもはや奉仕ではなく、呪いのような影響を与えるということは肝に命じておかねばなりません。 ちなみにマザーテレサのエネルギーを読み取った時に感じたのは、溢れる喜びの想いでした。
彼女にとっては、奉仕をすること自体が喜びだったのでしょう。 >>504
県の保健婦が、精神障碍者を扱って「あとで職場で笑っていた」というのをホームパーティで聞いて、
陰鬱たる気分になりました。
仕事でやっているとは言え、職業人として失格だと思います。
あなたの謙虚な心意気は賞賛に値します。
確かに奉仕を望んでしているのであれば、呪いの言葉や考えを抱いてはいけませんね。
ただ、今の自分に出来ない事は無理してやる事はないということを言いたかったのです。
そのうち慣れるにしても。
>>505
マザーテレサも生涯を掛けて奉仕に生きた人ですからね。流石劣勢だかする人です。 他者にすることは即ち自分自身にすること。
自分自身にすることは、他者にすることと同義であること。
他者を愛することは自分を愛することであり、自分を愛することは他者を愛することに繋がります。 意識的に奉仕するのは間違ってると思うな。
奉仕の心は神性が開かれるにつれて自然とあらわれてくるものだから、
自然と奉仕的な生き方になっていくものであって、
意図的に奉仕をしようとするのは不自然であり、見返りを求めてしまう原因になりかねない。
愛もそう。
神性が開かれると自然に愛の心が芽生えるのであって、意識的に愛そうとすると見返りを求めてしまう。
なのでありのままのあなたでいてください。そのままでいてください。
シルバーバーチが奉仕に生きるよう言っても、あなたの心が奉仕をしたくないのであればしてはいけません。
なぜならあなたの心の声というのは神の声だからです。
あなたの内なる神の声とシルバーバーチの指導とどちらをとりますか?
シルバーバーチはあなたがどうなろうとも責任とってくれませんよ。
しかし心の声に従うと、その声は守護霊を通じた神の意志なのでちゃんと守護と導きがあり守られます。
霊界のシルバーバーチもたぶんぼくの意見に賛成すると思います。
シルバーバーチはいつも言っている、盲目的な信仰はいけない。
シルバーバーチが奉仕を進めるから、自己犠牲や利他主義を勧めるから、といって
盲目的に実践してはいけない。
時期というものがあり、魂が目覚めないうちにいくら奉仕や自己犠牲や利他的に生きても、苦しみが生じるだけで良い結果にならない。
自分を内観してみて、本当に自分は奉仕を行いたいのだろうか?利他主義に生きたいのだろうか?と問うてみてください。それが単なる徳を積むためであったり、霊格が高くなるためであれば、その動機は不純です。なので結果は幸せにはなりません。
内観してみて、自分が本当にやりたいのは奉仕なんかじゃなく、違うことであればそちらを優先すべきです。奉仕よりも自己犠牲よりも、あなたが心から楽しめることをやるべきです。それこそ内なる神の声なんですから。 >>508
仰るとおりです。
いちいち説明というか、言い訳するのはいやなのですが、今病気で動けないのですよね。
病院に通院するのも一苦労で、親に頼んで連れて行って貰っています。
そんな中、自分自身の事も出来ません。年末の大掃除も。
半年掃除をしていません。半年前には友達がやってくれました。
こんな状態では人様への奉仕などとても出来ない。
なので少ないお小遣いで募金するしかありません。
ユニセフとか、厚志家のプロテスタント教会とか。高いですが。
どうせ安タバコと安酒しか買わないので、ちょうど良いです。
健康が回復する事を今か今かと悩んでいます。 >>509
済みません、改行を打ってください。
読みにくくて貯まりません。 >>506
なんとも悲しい出来事ですね。
公務員は全体の奉仕者であるということを忘れ、自分の生活の安定のために公務員になる人が多いことは嘆かわしいです。
自分にできないことは断ると言うのも、自分を愛するということでしょうね。
負の想いを抱くぐらいならやらない、というのも大切だと思います。
私は他者の感情や思考のエネルギーに敏感で、日常的に様々な想いを受け取るのですが、とある老人介護施設に見学に行った際、「ジジイ」「ババア」と蔑む想いを感じ、いたたまれなくなったことがあります。
そのような想いを抱く人は、きっと奉仕の仕方が合っておらず、無理な自己犠牲によって自身の喜びから遠ざかっているのだと思います。
知人にも、見返りを求めた自己犠牲から不満を向けてくる人がおりましたが、その人の出す負のエネルギーに心身ともに傷つけられました。
私にとっては、関わる人が何をしているかということよりも、どのような想いのエネルギーを出しているかということの方が重要であり、全てがエネルギーであるという霊的真理の世界においてもそれは同じことだと思っています。
例えその人が何も行動していなくても、愛や喜びの想いで過ごしているというだけで、関わる人を愛と喜びに導くことができます。 >>512
エネルギーというか、波動は伝わってくるのでしょうね。
県の保健婦の話は残念です。まあ相応しい相手を見つけたので、
それ相当のお勧め出来ない生活をしていると思います。
でも私をバーベキュー会場から家まで送ってくれた恩は忘れません。
何で善良な面を持ちながら、障碍者を笑うのか、理解出来ません。
介護施設で「ジジイ」や「ババア」は言ってはいけませんね。
自分に勤まるとは思えません。タフな根性をしていないので。
何処で便をするか分からなかったり、赤ん坊よりは手がかかるのでしょうね。
介護職も給料を増やすしか、報われる道はないと思うのですが、
国は何もせず、アメリカ相手のロシアの軍備拡張に付き合っています。
止めて欲しいのですが。
相手の感情やエネルギーに瓶缶なのは私も一緒です。
一挙手一動が心に突き刺さります。負の感情を持っていると、伝わってきますね。
まとめになっていませんが、昨日の瞑想にまでは至れません。
今はシルバーバーチで勉強あるのみです。 >>510
それは大変お辛いですね。
私もあなた様ほどではありませんが、まともに働くことができない状態で、社会不適合者と言われるような立場におります。
他人から絶えず送られてくる負の念の影響で、心身喪失の状態です。
どのような状況にあっても、ご自身を否定せず、人と比べることなく、そのままの自分を愛し認められると良いですね。
今はあなた様が幸せな気持ちで日々を過ごすことが最大の奉仕であると、そのように思って頂ければ幸いです。
色々書かせて頂きましたが、これらは私自身に対する戒めでもあります。
辛い境遇の中にあって幸せな気持ちで過ごすということは難しいものと思います。
しかしながら、どん底の状態の自分を無条件で愛することができるようになれば、たくさんの人を愛することができるようになるのだと思っています。
レスをたくさん頂きありがとうございます。
霊的真理を求める意見を交換できるということをとても嬉しく思っています。
あなた様の健康が一日も早く回復されることを、心よりお祈り申し上げます。
話は変わりますが瞑想はされますか?
思考止め、意識を呼吸に集中することで少しずつ幸せな気持ちになれるかと思います。
呼吸ができる喜びも感じられるかもしれません。 奉仕に生きれば、奉仕的じゃない人が鼻につく。
利他的に生きれば、利己的な人に腹がたつ。
謙虚に生きようと思えば、傲慢な人を嫌悪する。
善良に生きようとすれば、不正や悪事を許せなくなる。
今まで何も考えずふつうに生きてたときは、そんなことまったくなかったのに
このような善良な信念で生きようとすると、その反対の事柄に無性に怒りを感じるようになる。
シルバーバーチを実践してずっと抱えてた問題だった。
それが解決された。
シルバーバーチは言う。善悪、利己利他、謙虚傲慢、などこの世の相対的な現象は
一本の棒の両端のようなもので元は同じだと。
神は善の中にも悪の中にも存在し、利己の中にも利他の中にも存在する。
神はその両方を区別したりしない。区別するのは人間側。
その感覚を瞑想を通してわかりつつある。
瞑想すると、信念さえも消えてなくなる。自我がなくなる。
あるのは大いなる意識のみ。その意識で世界を見たとき、善も悪もないことを知る。
利己も利他もないことを知る。謙虚も傲慢もないことを知る。
そのときはじめて個人的感情を超越した平等の視野を手にいれる。
そこには悪や不正や傲慢に対しての正義の怒りなどない。
あるのは、そのような現象がただある、という認識のみ。
それが良い悪いじゃなくて、そのようにして在る、というだけ。
それにレッテルを貼り、善悪を定義づけ、裁こうとするのは人間だけであって、
自然界や神はそのようにはしない。
この神意識を体得すると、シルバーバーチの信念からくる悪や利己や傲慢に対する怒りが消えて無くなった。
たぶん、その怒りは自我からくるもので、瞑想によって自我が消えるとその怒りも消えて無くなったんだとおもう。 >>515
そうですね。
最終的には、陰陽の統合・ジャッジをしない・自分の喜びに従って生きる
ということになるのかと思います。 >>514
今近くにいる、両親や友人には感謝感謝で過ごしています。
毎日は不幸せではありませんが、幸せではありません。
ただ、病院の問診票では「幸せである」と書きました。
私も人からの負の感情で参っています。心神衰弱かも知れません。
統合失調症で陰性症状という、元気が出ない状態なのですが、まさに元気が出ません。
クルマも運転出来ますが、自分一人でどこかに行こうという気分には成れません。
友達はありがたいですね。飯屋や温泉に付き合ってくれます。ありがた屋。
辛い環境で幸せに暮らそうと思ったら、身近な人への感謝敷かないと思います。
スーパーでの買い物でも、相手が無味乾燥の人でも礼を言うと心は伝わります。
霊的真理の意見交換こそ、このスレを立てた意義です。初心に返れてよかったです。
そして瞑想ですが、マインドフルネスの本を2冊ばかり買いました。
しかし集中力が雑念で邪魔されるので、続ける事が困難です。諦めました。
シルバーバーチの霊訓も読めないので、集中力が無いのですよね。 シルバーバーチの霊訓が読めないのでは無くて、読むのに大変な時間がかかるという事です。
一度に1頁読むのがやっとなので、それを数回繰り返して一日が終わります。 >>517
仰る通りだと思います。
家族や友人のサポートが得られるということはとても幸せなことですね。
問診票に幸せであると書かれたことも尊敬致します。
マインドフルネスは、気付いた時に1分や2分でもやることで効果があると思います。
近くに雑念の多い方がいる場合は、場所を変えて試してみることもオススメです。
呼吸への集中が難しいようであれば、他の五感に集中することでも良いでしょう。
重要なのは今この瞬間に意識を向けるということですので、温泉に浸かりながら、お湯の暖かさに集中するのも良いと思います。
エンパススレもよく覗きに行きますが、同じように苦しんでおられる方が多いようですね。 私は他者の念による影響で感情の起伏が激しく、攻撃的な幻聴も酷いです。
好きなことに対するやる気も起きず、一日中引きこもりの状態です。
医学的には双極性障害と診断されました。
うちは片親ですが、母親からは拒絶され、理解を得られる友人もおりません。
ここでこうしてお話しできることが、私にとっての救いとなっています。
お付き合い頂きまして、ありがとうございます。 >>519
初めから余談ですが、温泉は熱いのが好きで瞑想している余裕がありません(笑
何度も出たり入ったりして入る風呂です。気持ちが良いですよ。
マインドフルネスはどうしても続ける気が起きませんね。
今この瞬間でも苦しくて、見つめられないのです。 >>520
双極性も辛い病気ですね。
ただ、昔やっていたネトゲの人もそうでしたが、双極性でも働けたそうです。
今も続けているようです。
ネトゲはやっていて苦しかった。
意味の無い戦闘、難しい戦闘、覚えないといけない戦闘など、
枚挙にいとまがありません。
思い切って課金を停止しました。
すると楽になりました。もう二度と課金する事はないでしょう。
まあ余談でした。
理解を得られる友人は、偶然出会いました。
自販機にコーラを買いに行った際に、向こうもコーヒーを買いに来たのです。
その人は幼なじみで、職人の修業時代にパニック障害になった人です。
20年近く理解を得られずいたのですが、今では忙しい職場で週6にて働いています。
身体を鍛えるのが大事だというのが口癖ですね。
自分には真似出来ないので、ラジオ体操第一のストレッチくらいはやっています。
あなたの救いになる野田あれば、いつでもお話ししましょう。
別に霊的真理以外でも構わないと思います。 キーボードのキーが固いので、どうしても誤字をしてしまいます。
ご勘弁を。 霊的真理のスレで、霊的真理以外の話というと変ですが、
救いを求める心は一つなので、それで別に霊的真理じゃ無くとも良いと書きました。 >>522
お風呂で熱さを感じている時は五感に集中できているのかもしれませんね。
私はサウナからの水風呂でよく無になっています。
水に溶けて水と一体化するような感じになります。
双極性障害でも軽度なものでしたら働くことができるかもしれませんね。
私自身、二年程前まではスーツを着て満員電車に揺られていました。
スポーツジムにも通っていましたが、腰痛と神経痛で通えなくなってしまったのが残念です。
ジムにも行った次の日は、気分や体調も良かったです。
ストレッチは気付いた時にやってみようかと思います。 >>525
スーパー銭湯ですか?良いですよね。
ストレッチですが、ラジオ体操第一や少し運動量の多いラジオ体操第二が良いと思います。
ラジオ体操第二はYouTubeで動画を探すと良いと思います。ラジオでは覚えきれません。
スーツを着て2年前まではマイ院電車に揺られていた。羨ましい生活ですね。
自分には勤まらないと思うので、学生時代が終わったらさっさとフォークリフトの免許でも取って、
倉庫で働いていれば良かったと思います。得手不得手はどうしようもありません。
しかしそんな仕事で果たしてシルバーバーチに出会っていたかは分かりません。
むしろ、昼間にも書いた気がしますが、ある意味に於いては、親や友人の愛情を知り、
今の生活のお陰で感謝を知りました。
病院で生育歴を聞かれたのですが、母は私の子ども時代の事は知らないそうです。
働きづめの日々でしたから。父も午前様です。
ほったらかしの割には果実はもぎ取るらしく、進学校に入れたら鼻高々でしたが。
そんな時期があったので、感謝を知りませんでした。
今はそれを知り、誰に感謝すれば良いかと思っていますが、大霊なのでしょうね。 >>526
スーツも満員電車も大嫌いでストレスフルでしたよ 笑
ギリギリまで我慢した結果、心に大きなダメージを負ったようです。
その後、知人からの負の念により、夢も希望も趣味も何もかもが取り上げられ、絶望の中におりましたが、最近は少しマシになってきたみたいです。
スピリチュアルな知識がなければ、自死を選んでいたかもわかりません。
スーパー銭湯には本当に助けられていますね。
うちは高圧的な過保護で、芸術的な分野に進むことが許されなかったのですが、放任主義も辛いですね。
私は、自分にできることは他人もできる、できないのは努力が足りない、と考える人間でしたが、今の状況になって、人それぞれ出来ること、出来ないことがあるのだと痛感させられています。
闇の中にも光のような価値ある学びがありますね。
全ての存在が大霊の一部でしょうから、全てに感謝できるような心持ちになれたら良いなとは思います。 >>527
私もスーツも満員電車も嫌いです。
お陰で調子が悪くなりました。
絶望の淵からマシになってよかったですね。
あなたの後の話にも続きますが、人間は闇の中にいてこそ光が見えるそうですね。
苦しみがないと、光のありがたみが分からないとの事ですから。
スーパー銭湯で気分転換が出来るなら、それに越した事はありません。
つぼ湯とか好きですが、何しろぬるいので余り好きでは無いのですよね。
私の場合ですが、飽きてしまいます。
ただ寝湯というのがあって、あれは気持ちがよかったです。
寝ていると、お湯が周りを流れてくれるものです。落ち着けました。
自分が出来るなら他人も出来る、そう考えるのはやはりバリバリに働いていたからなのでしょうね。
人間蓼食う虫の好き好き、千差万別、色々言い方がありますが、個性がありますからね。
自分もコンピューターが好きなので、それで食べていきたかったのですが、教科書すら読まない、
集中力が無かったので、教科書を読み通す事が出来ませんでした。向いていなかったのでしょう。
早く諦めが付けばよかったのですが。本ばかり買って、無駄なお金を使ってしまいました。
上の方に書き込んでくれた人が、光と闇は棒の両端だと、シルバーバーチの霊訓の第一巻の内容を
説明してくれましたが、その通りで、光を知るには闇の中、苦しみの中出た得ないといけないようです。
霊性が開くには必要な過程のようですね。
そして全ては大霊の一部なのですから、感謝は全て大霊にするべきなのだと同感します。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています