スピリチュアル本総合
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下記のサイトの後半部分に、『喜びから人生を生きる!(臨死体験が教えてくれたこと)』アニータ・ムアジャーニ著の抜粋を入れました。
4年越えで絶命寸前までいった末期ガン(ステージ4B)・多臓器不全からの臨死体験、
そして意識復帰と数日での大きなガン部位の消滅・臓器回復という奇跡的体験(何人もの癌専門医が詳細に病院での病状データを検証・確認し驚く)をした女性が、
臨死時の具体的な詳細を語った貴重な本です。
この本もベストセラーであり、かつ読んだ人全体から相当に高評価されている本です。
《10分ほどで読んで、分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
P284〜
訳者あとがき
臨死体験の本は数多く出版されていますが、本書が際立っている理由は、臨死体験後、末期癌から奇跡的治癒を遂げたことにあると言えるでしょう。
死を迎えようとした時、アニータはほとんど全身を癌にむしばまれていましたが、臨死体験後、
すべての癌が短期間のうちに一つ残らず消えてしまったのです。
この事実には、アニータが自らの体験を投稿した臨死体験研究会(NDERF)の代表者である癌専門医も非常にまれなケースだと注目しました。
さらに、もう一人のアメリカ人癌専門医コー医師も、この異例の回復ぶりに大いに興味を持って、
アニータと彼女の主治医に会うため、アメリカから香港へ訪れたほどでした。アニータのケースは、
癌専門医を対象としたコンファレンスで紹介されるなど、医学界でも注目を浴びたのです。
このような奇跡的治癒と医師による調査結果は、彼女の臨死体験が真実であることを示す証拠にほかなりません。
P19〜
「心臓はまだ動いていますが、奥様の意識はもうありません。助けるには手遅れです」と、医師は夫のダニーに告げました。
その時、自分は死ぬのだと悟りました。「ああ…… 私は死ぬんだ。死ぬって、こんな感じなの?
これまで想像していたのとは、まったく違うわ。とても安らかで、穏やかな気分…… やっとやっと癒された気がする!」
私は、たとえ身体の機能が止まっても、生命という大きなタペストリーの中で、あらゆるものが完璧であり続けると理解したのです。
すなわち、それは、人は死なないということでした。
とりあえず
シルバーバーチの霊訓
ジュリアの音信
ベールの彼方の生活
ブルーアイランド
マイヤースの霊訓
カルデックの霊の書
あたりは読んで損はないと思う
理性を無視して信じることを強要するような内容じゃないから安心して >>35
の『喜びから人生を生きる!』という本。
内容は本当に人生が完全救済されるほどの稀有・特殊的に素晴らしい本だけれど、
本の題名が、世に多くあふれてる「人生に感謝推奨本」に埋もれてしまいがちで、
よほど人から強く推奨されたりしないと、見つけて読めない本だと思う。
本の中で、前書きを書いたダイアー博士が「この本が読めた貴方はとても幸運です」と書いていたけど、
本当に、この本を見つけて読めた人は稀有な幸運者だと思う。
ある意味、本当に幸運、人からの紹介ナシにはなかなかたどり着けない本、
つまり人から愛されてる人、徳によるツキのある人だけが読める貴重・価値ある本なのかもしれない。 >>37
性格が良い人、真剣に頑張った人だけが見つけられるようになってる神様からの贈り物なのかもね 『聖なるヴィジョン』ジェームズ・レッドフィールド
全てを読む必要はないかもだけど、良いと思える部分を抜粋。amazonの読後レビューに書いた内容。
前書きより抜粋
ますます多くの人々が、日々生じている意味のある偶然の一致に気づき始めています。
その中には、大きな出来事や衝撃的な事件もあるでしょう。一方、ごく些細で目立たないものもあります。
しかし、そのどれもが、私達は切り離された存在ではなく、何か不思議で霊的な動きが私達の人生に影響を与えているという証拠を、示してくれるのです。
この本を、私はノンフィクションという形で書くことにしました。それは、人類としての私達がこの広まりつつある気づきとの関係において、今、特別な状況にあると考えているからです。
幸いなことに、この点については、私達はすでに1つ、重要な境界線を通過したように思えます。大部分の人々は、人前を気にしたり、他人の批判を恐れたりせずに、自分の霊的な体験について話し始めているようです。
懐疑的な人々はまだたくさんいますが、人々の見解は変わりつつあります。
高次の霊的体験を経験するためには、少なくとも、霊的認識が存在する可能性を受け入れる必要があります。
霊的体験を得るためには、一時的にでも懐疑主義を忘れて、あらゆる方法で霊的現象に心を開く努力が必要です。聖書にも書かれているように、「ドアを叩く」必要があるのです。
本文より抜粋
共時性に気づくことは、私達の人生に働きかけている神の力の存在を証明することである。
そして、私達の直観と信仰はこれまでもずっと、神の力が存在することを私達に伝え続けてきたのである。
現在では、個人的な神秘体験について本や講演からだけでなく、友人、知人からも聞くことが多くなっている。そのためにこの概念は現実のものになりつつある。
それは他の人が実際に体感したことであり、しかも誰の話にも共通性があるために、内なる神秘体験は人間に本当に起こることなのだと、納得できるのだ。
内なる神のエネルギーとつながった時、私達は人生は永遠であり、霊的なものであることを知る。
これは、私達が一人ひとり、宇宙の壮大な秩序の一部であるという実感から来るものなのだ。
私達は永遠の存在であるばかりでなく、愛され、包容され、さらに、地球上の生活という偉大な計画のための道具でもあるのだ。 続き
あとで見るように、意識が高まるにつれて、いつか私達は死後の世界の次元から自分の人生に起こったことを見るようになり、生まれて来た環境も自分が選んだものであることがわかるようになる。自分の人生をまさにその環境で始めたかったことがわかるのだ。
1つ、確実なことがある。自分の真実に焦点をあて続け、高いエネルギーを保ち続ければ、うれしいことに偶然の一致が頻繁に起こり始め、しかもそれまでよりもずっと意味のあるものになってゆくということである。
私達は自分自身で、大いなる自己の意識レベルには否定的な出来事などはないということを、悟らなければならない。
確かに、人生は時には悲劇的であるし、人間は悪事、それも時には極端な悪事を働くことがある。
しかし、人間の成長と人生の意味の観点からは、ビクター・フランクルが「意味を求めて」の中で論じているように、否定的な物事は単に挑戦を意味している。そして最悪の状況の中には、必ず成長のチャンスがあるのだ。
私達が成長する上での危機や行きづまりは、それまでとは別の方向に行きなさいというメッセージにすぎないのだ。
否定的な出来事の中にポジティブな意味を探すことは、いくら言っても言い足りないほど、重要なことである。
せっかく、共時性の道を歩み始め、自己発見と成長の旅に出ることに成功したのに、一度行きづまっただけでそれを否定的に解釈し、プロセスそのものを諦めてしまった人達を、私はたくさん見ているからだ。
私達の目的は、常に自分のエネルギーを保ちながら、子供達に自分の世界観と、彼らが充実した人生を送るために考えねばならないことを教えることである。
その中には、いつか彼らも神とのつながりを発見して欲しいという期待も含まれている。この神とのつながりに向かって自分の道をゆくための準備を子供のために整えてあげるのが、私達の役目なのである。
今、私達は人生の一部としての死を直視できるようになっただけでなく、死のプロセスで何が起こるのか、詳しく追求し始めている。そしてこの数十年間に、 新しい情報が溢れるほど私達にもたらされている。
臨死体験に関する本は次々に出版され、臨床的にはしばらくの間死んでいたが、その後生き返った人々の体験が報告されている。
その人々のほとんどは、まだこの世で行うべきことがあるのを自分で感じたり誰かに言われたりして、こちらへ戻って来たと語っている。
臨死体験で最も驚くべき点は、一度死んで再び生き返った人々の大部分が、その間の出来事について同じ事を話すことである。
人生の回顧は、臨死体験の中で最も魅力的なものの1つである。普通、体験者は自分の全人生が目の前に映し出されるのを見たと語っている。それも映画のようにではなく、ホログラフのように見えるのだという。
彼らはすべてを詳細に見せられ、自分の人生が他人によってではなく、自分自身によって裁かれるのを体験する。自分の意識が拡大して、より大きな神の知性と一体化したかのようになるのだという。
宇宙には唯一の神聖なる力が存在するだけであり、その力は肯定的なものであることを臨時体験は確証している。 @「現場写真観て
見事にブスばっかやないかい
と驚愕
それがある意味リアルなのかな
今日もいいお天気
みんながんばりましょー」
A「デブだろうがブスだろうが
人に何言われても
結局は
自分の気の持ちよう
私いい女(*´・ω・`)bでいいよね 」
B「ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」
C「しつこい笑
ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」
@だけでなくCまで全部同じ元AV女優(ほぼ無名)のツイ 自分なりの生き方ができればそれがスピリチュアルということ
何か見本になるものがあるわけではない
うち側にあるものを映し出した現実をみて
さて、ではどうしていこうか?と生きていくだけ
肉体の寿命までそれを繰り返していくことが生きることであり、スピリチュアルである @ABCと全て同じ女(元AV女優)のツイ
@「現場写真観て
見事にブスばっかやないかい
と驚愕
それがある意味リアルなのかな
今日もいいお天気
みんながんばりましょー」
A「デブだろうがブスだろうが
人に何言われても
結局は
自分の気の持ちよう
私いい女(*´・ω・`)bでいいよね 」
B「ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」
C「しつこい笑
ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています