チョ・スンヒ(弾丸マン)の経歴

1984年1月18日、韓国・ソウル特別市道峰区生まれ。

1992年、8歳のとき、一家で韓国・ソウルからアメリカのミシガン州・デトロイトに移住。彼を含む家族4人は韓国籍。アメリカ永住権(グリーンカード)所有者である。

2003年、バージニア州フェアファックス郡のウェストフィールド高校を卒業。

2005年11月二人の女子学生からストーカー行為で警察に告発された。その後、自殺の恐れがあるとして、バージニア州モンゴメリー郡の精神病院に短期間収容された。

2007年4月16日、バージニア工科大学の英語学科4年に在学中に、32人を銃で殺害した後自殺した(バージニア工科大学銃乱射事件。アメリカで起きた乱射事件の中でも過去最悪の事件である。)
最初に寮で2人を射殺、その約2時間半後に大学の教室で30人を無差別に射殺した。
その後、アメリカNBCテレビに届いた小包によって、彼が1回目と2回目の殺人の間に自らを写した画像・動画や手紙を同局宛に送っていたことがわかった。

チョはストーカー行為の他にも放火の前歴があった。周囲からは異常人格者と思われ、指導教員にカウンセリングを勧められていたという。
また、幼少の頃からほとんどしゃべらず、熱心なクリスチャンである両親は毎日教会で息子がしゃべれるようにと祈っていた。
彼を知る牧師は犯行声明のビデオテープを見た際に「こんなにまともにしゃべる彼を見たのは初めてだ」と語っており、皮肉にも神に両親の願いは届いたようだ。

2015年8月26日に起きたバージニア・テレビクルー射殺事件の犯人はチョ・スンヒを称賛し影響を受けたことを表明する犯行声明文をテレビ局に送り付けている。