なぜ万博が盛り上がらないのか 大阪在住民俗学者に聞いた1970年万博との違い「政治的イベントと化した」:東京新聞
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2024年7月28日 12時00分

 巨費を投じる大阪万博は来年4月の開幕まで9カ月となっても、開催の機運が高まらないままだ。開幕したパリ五輪でも問われた巨大イベントの是非。日本の五輪や万博の歴史を振り返った「五輪と万博 開発の夢、翻弄(ほんろう)の歴史」(春秋社)著者で、大阪市在住の民俗学者、畑中章宏さん(61)に聞いてみた。(森本智之)

◆社会資本整備を進める意図

 「万博や五輪は巨大な文化運動でもあった。ところが日本の文化力を海外に知らしめようという意識がすっかり薄らいでしまった。今の大阪万博は、IR(統合型リゾート施設)を目指す大阪維新の会の政治的目的のイベントになってしまっている」。畑中さんは盛り上がりを欠く背景をこう指摘した。

 高度成長期以前は五輪や万博をテコにして、遅れている社会資本整備を進めるという意図があった。日中戦争などで断念した1940年の幻の東京五輪は関東大震災からの復興が旗印となり、1964年の東京五輪では東海道新幹線や首都高速道路が整備された。
 1970年の大阪万博は「東京だけじゃなく大阪も発展させなきゃという政府の意図があった」。東京五輪時に都の副知事を務めた鈴木俊一氏(後の都知事)は、実務能力を買って政府が官僚から転身させ、大阪万博でも事務総長を務めた。実際、万博会場周辺はニュータウンとしての整備が進み、地下鉄やモノレールも整備された。


 「開催費用を国と大阪が押しつけ合う今のような状況とは全く異なる」

◆オールスター級の文化人が集う

 だが、それだけではなかった。かつての東京五輪、大阪万博とも当時のオールスター級の文化人が集い「建築史的にも、美術史的にも大きな遺産を残した」。

 五輪では、今も首都を代表する建築となっている丹下健三氏の代々木体育館が造られた。「市川崑さんの公式記録映画では甲州街道を行くマラソン選手、その超人的な肉体よりも、声援を送る聴衆にカメラを向けた。歩みを進める戦後の日本人を描こうとした。作品としても今見ても、かなりおもしろい」

 大阪万博もしかり、だ。岡本太郎氏の太陽の塔を除いてほとんどの建築物が解体されたが、建築家の丹下氏、菊竹清訓氏、磯崎新氏らや、作家の小松左京氏、美術家の横尾忠則氏らも集った。「当時の記録を見れば、歴史的な文脈の中で自分に何ができるか、自分の作品が何十年もたってどう見られるかを真剣に考えている。ただのイベント礼賛ではない」。”国策”に反対する美術家の「反博(はんぱく)運動」も起き、表現者たちのエネルギーが渦巻いていた。

(中略)

畑中さんは問いかける。「前回の万博から50年。今回の万博でさらに50年後の未来に何かおもしろいモノが残せるだろうか」

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