赤木雅子
相澤冬樹

(文藝春秋『私は真実が知りたい』序章より)

 私の目の前に二本のコードがある。オーディオセットをつなぐためのコード。一本は真ん中あたりで切れている。私が切った。トッちゃんの首に巻き付いていたのを外すため。

 二〇一八年(平成三十年)三月七日、私の夫、トッちゃんはコードの一本を首に巻き付け、もう一本を居間の窓の手すりに結びつけていた。帰宅してその姿を見た私はトッちゃんに駆け寄って体を抱き上げた。何とか助けたいと思って。すると首に締まっていたコードがゆるんで、のどの気道に空気が入り、「ゴボゴボっ」という音がした。私は一瞬、「まだ生きてる!」と思った。

 でも、コードが首に食い込むほどきつく巻き付いていて、なかなかはずれない。はさみを取りにいくためトッちゃんの体を離したら、またコードがぎゅっと締まった。急いではさみを取ってきて、切れるかどうかと思いながらコードを挟んだら、意外にあっさりパチンと切れた。すると、宙に浮いていた体がドサッと床に落ちた。

 トッちゃんの体はまだ温かかった。ちょうど前の日にテレビで見たばかりの心臓マッサージをした。胸の中央を押さえて「大丈夫よ、よう頑張ったなあ、つらかったなあ」と話しかけながら。

 けど、じきに、だめなんだと気づいた。携帯にメッセージを送っても、トッちゃんから返信がないので、あわてて職場を出たのが一時間ほど前。あの時、すでにコードを首に巻き付けていたのなら、まだ生きているはずがないじゃないの。冷たくなっていくトッちゃんの体を抱きしめながら、私は不思議なほど冷静に考えていた。

 私の夫、トッちゃんの本名は赤木俊夫。この時、五十四歳。財務省近畿財務局の上席国有財産管理官。あの森友事件で、国有地の値引き売却についての公文書の改ざんをさせられ、以来一年ずっと苦しんできた。それを間近で見ながら救い出してあげられない私もつらかった。何度も死の一歩手前までいきながら何とか引き戻すことができたけど、とうとう助けられなかった。

 私は自分を責めた。でも同時に思った。私以上に責任があるのは財務省と近畿財務局。彼らがトッちゃんに無理矢理改ざんを押しつけたのに、何の救いの手も差し伸べてくれなかった。トッちゃんは公務員としての仕事に人一倍誇りを持っていたのに、公文書の改ざんをやらされたことに苦しみ、一人責任を押しつけられる恐怖におびえて、命を絶ってしまった。だから私は一一九番より先に思わず一一〇番に電話してしまった。「財務局に殺された」という思いがあったから。

 居間にあったオーディオセットは見るのも嫌になった。だから全部捨ててしまった。このオーディオコードも、実家の兄に「捨てておいて」と渡したんだけど、兄が気を利かしてとっておいてくれた。最近になって、「あのコードが実はまだあるんだ。手元に置いた方がいいんじゃないか」と言って送り返してくれた。このコードを見ていると、あの日の記憶がよみがえって胸が苦しくなる。そして思う。トッちゃんにこのコードを使わせた責任は誰にあるんだろう?

 政府も、財務省も、近畿財務局も、誰も責任を認めようとしない。そんなことを思うと悲しみよりも憤りが募ってくる。責任がある全員にこのコードを短く切って送りつけてやりたい。トッちゃんが味わった苦しみと恐怖を味わわせてやりたい。

続きはWebで

iRONNA
文藝春秋 2020/07/29
https://ironna.jp/article/15500