平成最後となる2018年大晦日。およそ30年間続いた「平成」の政界を野党第一党の立憲民主党代表の枝野幸男氏が振り返った。

「平成とは、ひとことで言えば、昭和の成功体験に引きずられてしまった30年でしたね」

 どういうことなのか?

「平成と昭和では、社会状況がまるで違う。それなのに、昭和の成功体験に固執した。成功体験から離れるのに時間がかかった」

 戦後、日本は戦後復興、高度成長をなし遂げ、経済大国になった。輸出企業が世界中にメイドインジャパンを売って稼ぎまくった。

 昭和と言えばバブルであったり、キラキラした世界。あの頃にまた戻ると思っていても、結局、戻りはしなかった。

「平成になり、人口減少、高齢化、海外の新興国の追い上げ、成熟社会に入っていく中で、昭和と同じモデルでは成功しなくなっているにもかかわらず、転換できなかった。強い者との格差は開く一方だ。いよいよ昭和の次の次の時代に入るのだから、新しいモデルを作り上げないといけない」

 2019年5月1日に元号が「平成」から改元される。

「改元は、何十年かに1回しかないこと。元号が変わると、社会が変わる。明治、大正、昭和、平成と、大きな変化があった」

 枝野氏は日本新党の公募に合格。93年、初当選した。日本新党、社会党、公明党などと非自民8党会派の細川護煕内閣が誕生した。翌94年、自社さ連立政権の村山富市内閣の時には、新党さきがけの政調副会長だった。

「初めて当選したら与党だった。だから、政権を獲ったという感覚はない。私の中では与党がベースであって、野党がイレギュラーの感覚。イレギュラーの状態がちょっと長すぎるよねという感覚です」

 枝野代表はその後、1998年に民主党結党に参加。2009年8月には自民党を倒し、政権交代を実現させた。枝野氏は民主党政権で官房長官、経済産業相など要職を担ったが、3年3カ月で野党に転落した。

「あんなに早く手放すとは思ってなかったが、間違いなく落ちると思っていた。発足した民主党内閣では、官房副長官の経験があった鳩山由紀夫さん(民主党初代首相)と厚労相をやった菅直人さん(民主党2代目首相)の2人くらいしか政権入りした経験がなかった。政権を回すという具体的な経験のある人がいなくては、うまくいくはずもなかった」

 民主党は民進党へと変わり、2017年10月の衆議院選挙では、小池百合子都知事が率いる希望の党のブームが巻き起こった。民進党から希望の党への合流が相次ぎ、希望の党、立憲民主党、無所属に分裂した。「希望の党」は、小池都知事の「排除発言」であっという間にブームが失速した。

 その最中、立憲民主党は2017年10月3日に結党。代表に就任した枝野氏は「エダノン」というニックネームで呼ばれるほどの人気ぶりで、集会で挨拶すると、女子高生達がスマホで撮影した。18年12月には、所属議員は衆参で国民民主党を上回り、野党第一党となった。

「あくまで起点は、結党した10月3日。こんなに拡がるとは思わなかったというのが率直な感想です。野党第一党としてはまだ不十分かもしれないけれど、私にとっては予想以上に党の基盤作りができた、この1年でした」

 夏の参院選挙を前に党勢拡大には手ごたえを感じているようだ。

「地方組織は年明けの段階で41都道府県連になった。こんなに作れるとは思いませんでした」

 18年9月の党大会では「野党第一党の代表である私がポスト安倍」と演説した。果たして、枝野代表を中心に野党はまとまるのか。枝野代表はズバリと答えた。

「うちは(野党)再編はしない。あくまで党とは話はしない。わが党の理念に共感する『個人』とだったら話をする。(民主党が結成された)1998年からの一連の流れの中で、党と党がくっついても、長い目で見ればよくない結末になるから…」
 安倍政権が推し進める憲法9条の改正については、反対している。

「あれでは憲法改正ではなく、改悪です。こんなことに乗るつもりは全くない」

 安倍政権が目指すのは、現行の憲法第9条の2項に自衛隊を明記するなど4項目の改憲案。18年の国会への提示は見送られたが、19年の国会に提示される可能性がある。

「自衛隊を明記するなんて論外。そもそも憲法が取り上げられること自体が間違っている。憲法を変えたからって、少子高齢化対策にもならないし、経済が良くなるわけでもない。日本の安全保障力が高まるわけでもない。憲法はいま急いで取り上げられなければならない理由はないし、他にやらないといけていことが山ほどある」


2につづく

週刊朝日
2018/12/31 08:00
https://dot.asahi.com/wa/2018122800078.html