https://ironna.jp/article/10902

 自民党総裁選が終わり、第4次安倍改造内閣が発足し、これから政策論争の時期か、と思ったら、また「モリカケ問題」である。具体的にいえば、今回は「カケ」の方で話題が盛り上がった。

 学校法人加計学園(岡山市)の運営する岡山理科大獣医学部を巡る問題で、同学園の加計孝太郎理事長が、7日に学部のある愛媛県今治市で記者会見を開いた。この会見で、加計理事長は、以前から問題視されてきた愛媛県や今治市に対して行った、加計氏と安倍晋三首相との面談に関する虚偽の説明を謝罪した。

 もちろん、虚偽の説明自体は、倫理的な意味でも行政的な観点からも問題である。今後このような虚飾に満ちた、政治家の利用はやめたほうがいい。今でも、大して面識もない有力政治家とのつてや、あるいは中央省庁との有力なコネをひけらかす人たちは絶えない。ただの自己顕示欲に満ちた悪習でしかないだろう。

 ただし、加計氏と安倍首相が面談したこと自体がいったいどんな「汚職」や「深刻な疑惑」につながるのか、筆者にはさっぱりわからない。そもそも、面談した客観的な証拠もないのだが、仮に面談が事実だからといって、それの何が道義的な意味も含めて「犯罪」的なのだろうか。

 おそらく、疑惑を求める人が、そこに根拠のない疑惑を見いだしているだけなのだろう。いわゆる「疑惑喰(く)い」とでもいうべき消費者のスタイルだ。基本的に芸能スキャンダルを好む心性と変わらない。

 政府側の人たちは「権力者なので悪」、というような単純な善悪二元論で判断されやすい。これを経済学では「悪魔理論」という。

 基本的には魔女狩りと変わらない。人はどんどん尽きることない「疑惑」を相手に投げかけていくのだ。視聴者の「疑惑」の量が多ければ多いほど、テレビなどはその話題性をさらに増幅していく。単純に視聴率稼ぎのためである。

 ただし、以前よりも下火になってきたのか、今回の加計氏の記者会見を取り上げるワイドショーなどは、現時点では少数だろう。もっとも、これからまた煽り始めるかもしれないが、それを予測することはできない。

 一方、新聞やネットニュースでは、「疑惑」の煽りが今も盛んである。相変わらず「(して)ないことを証明せよ」という悪魔の証明を求める論調も根強い。「悪魔はいない」という人たちにその非存在を証明することを求めているのだが、これは基本的に不可能である。

 最大野党の立憲民主党も、相変わらず「疑惑商法」とでもいうべきものに懲りずに便乗している。同党の福山哲郎幹事長は、加計氏の記者会見を「より疑惑が深まった」として、関係者の国会招致を要求する構えのようだ。

 この動きは2年近い間、繰り返されてきたのだが、その都度起こったのは、安倍政権への支持率の減少(不支持率の増加)とその後の回復である。それは、まるで景気循環のようだ。

 さすがにこのワンパターンを繰り返していくと、世論は二つに分断されてくる。根拠もなく「疑惑」におぼれる人たちと、代替的な情報を手に入れて違う考えを抱く人たちだ。

 要するに、社会はこの疑惑商法で分断されてきたのである。分断の責任は「悪魔の証明をせよ」と要求する側にあると思うが、「そうではない」とあくまで「疑惑が深まった」と主張する人たちは言うだろう。こうなると、まさに価値判断の闘争である。

 さて、そもそも「加計学園問題」とはなんだろうか。まず、安倍首相の何らかの違法な関与の証拠は全くないので、その種の「疑惑」は論外である。

 だが、問題はあった。それは「市場からの排除」の問題である。

 経済学の基本では、政策によって暮らし向きが良くなった人が、暮らし向きが悪くなった人たちに補償して、それでもなお政策が実行される前よりも暮らし向きがいいのであれば、その政策は経済の資源配分を効率化する、という原則がある。この場合、実際に補償するかどうかは問題ではなく、あくまでも仮説的な推論のレベルで正しければいい。

(略)