【アカヒ】 1989年 “サンゴ落書き捏造” 記事に見る、朝日新聞 「虐日偽善」の姿
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この事件では写真の捏造ばかりが問題になったが、実は、記事の文章も「極めて悪質」と言わざるを得ない。その末尾は次のようになっていた。

「日本人は、落書きにかけて今や世界に冠たる民族かもしれない。
だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、
瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の…。にしても、一体『K・Y』ってだれだ」

仮に写真が本物であったとしても、この文章は二重の意味で明らかに間違っている。
第1に、犯人はまったく不明なのだから、日本人の犯行と断定することはできない。アルファベットのイニシャルだから、外国人の可能性も十分考えられる。

第2に、犯人が日本人だとしても、一部の人間の行為を日本人全体の犯罪として糾弾し、
モラルなき悪質民族と決めつけるのは、誠に異様である。それは、「世界に冠たる民族」「八〇年代日本人の記念碑」といった極端な表現に現れている。

ではなぜ、こんな発想が出てくるのか。

日本人を悪者として貶めたい欲求があるからではないのか。日本や日本人を「悪」と決めつけて糾弾することで、
自分自身は正義の側に立つことができる。他を貶めることで自分を美化し、道徳的優越感を享受したいのであれば、それは根本的に偽善である。
日本や日本人同胞を虐げる偽善だから「虐日偽善」と表現すべきである