https://www.asahi.com/articles/ASL76664BL76UCVL01S.html

 オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚らの死刑が執行された。事件はなぜ起きたのか。その後の日本社会を変えたのか。社会学者の宮台真司さん(59)に聞いた。

オウムとは極めて陳腐な存在

 オウム真理教の事件は、今の首相官邸や国会、そして霞が関に見られる「エリート」の迷走の出発点だったと言えるでしょう。事件を起こした教団幹部の多くは学歴が高い「エリート」。彼らの多くは、社会が上昇機運に包まれた高度経済成長期に生まれ、その機運が残る社会で育った世代です。

 子どものころに抱いていた「輝かしさ」を経験できないことに不全感を抱えていた若者は、何もオウムに集まった人たちの特徴ではありません。世代的に共有されたものでした。僕自身1980年代半ば、「自己啓発セミナー」の現場で、このような感受性を共有した人たちと数多く出会いました。不全感を認知的な訓練などを通じて乗りこえようとしていた人には若い官僚や芸術家らが数多くいました。

 貧しさの克服に代表される社会の中での地位上昇では解決しない「実存」という問題を、どう解決するか。地下鉄サリン事件が起きた95年というのはその上昇の記憶が遠のき、一言で表すならば「こんなはずじゃなかった」という感覚が少なくとも「エリート」の中には充満していた時期です。

 オウムとは社会的な地位達成では埋め合わせられない実存的な不全感を、宗教によって埋め合わせるという形で若者を引きつけ、実存的な不全感の解消を、「ハルマゲドン」に代表される「世界変革」に直結させたことに特徴があります。

 事件が起きるまでは、こうしたオウム真理教をさも「真なる仏教」「本当の信仰」などともてはやす人たちがいた。選挙に出馬し、「朝まで生テレビ」などに出演したことなどでも注目を集め、なぜ若者たちが入信するのかという動機の不透明さが「新しさ」として受け止められた。ですが、僕は低俗だし、危険だと考えていた。地下鉄サリン事件の4カ月後に発表した『終わりなき日常を生きろ』は、こうした「輝きを失った世界」で、実存の問題を世界変革に結びつけず、そこそこ腐らず生きて行くことを「まったり」という言葉で肯定しました。

 オウムという存在自体が日本社会を大きく変えたとは思いません。むしろ逆です。その後の報道などでも明らかなように、この社会に絶望して教団に入ったのに、教団の中で繰り返されていたのは今風にいえば、麻原彰晃の覚えをめでたくするための「忖度(そんたく)」競争でした。教義や大義、手続きはどうでもよく、全体性もない。オウムとは、日本社会の特徴とされる構造を反復した。その意味では極めて陳腐な存在です。

 だからこそ危ないとも言える。実存的な不全感を解消さえすれば、現実でも虚構でもよい。自己イメージの維持のためにはそんなものどちらでもよいという感受性は、昨今の「ポスト真実」の先駆けです。誤解されがちですが、オウムの信徒たちは現実と虚構を取り違え、虚構の世界に生きたわけでありません。その区別はどうでもよいと考えていたことこそが重要です。

 事件後、バッシングも広がり、実存的な不全感を世の中に訴えることは「やばい」ことになる。アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に代表されるように、2000年以降、若者は自己イメージを維持するために繭にこもっていきます。ですが、その根幹はオウムの時代と変わっていません。「エリート」の迷走しかり、「現実と虚構」の関係もしかり。

 「エリート」のみならず、社会全体がオウム的になっていると言える。にもかかわらず、社会の側はオウムを自らと切断し、その自覚も学習もないまま、死刑が執行された。結局日本社会は、オウムを自分たちの問題として捉えることに失敗しました。(聞き手・高久潤)