>>101
時代劇なんて、モロに長州史観だからね。
徳川幕府の綱紀粛正ノブレス・オブリージュは半端なくてさ、全国に放たれた公儀隠密が庶民視点から諸藩を監視していたわけで。
旅芸人や僧侶がそうだね。
飢饉で不当に領民を餓死させた大名はお家取り潰し、領民から不当に搾取する名主庄屋が居れば担当代官が切腹、とにかく徹底的に凄かったそうじゃん。
じゃなかったら、300年も徳川時代は続かない。
(平安時代は基本的に京都周辺だけで地方は勝手にやってた節があるアナーキズムに近かったような気もする)

だから、薩長は幕府の公儀隠密を警戒して独自の道徳風習と方言を強化してたらしいね。

なお、家康の遺言で伊達政宗の仙台藩には甘かった。
二重居城をお目こぼし、実質200万石だったらしいがお目こぼし。
家光は政宗のホラ話が大好きで、政宗は家光を孫のように可愛がった。