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◆「約束は無効と覚悟せよ」 福沢諭吉が見抜いた韓国の本質

韓国の不実はいまに始まったことではない。
明治の傑出した知識人、福澤諭吉は当時すでにそのことを看破していた。

「脱亜論」で彼はなぜ朝鮮を見限ったのか。
いまこそその背景にある思想に学ぶべきだ。文芸評論家の富岡幸一郎氏が解説する。

* * *

《左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。 既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ》
(『時事新報』明治三十年十月七日)

これは福澤諭吉の言葉であるが、まさに現在の日韓関係の本質を言い当てているではないか。
ただし福澤は決して「嫌韓」論者なのではなかった。

後で引く有名な「脱亜論」もそうである。
彼は西洋列強のアジアへの帝国主義的な侵略にたいして、明治維新によって近代化の道を拓いた日本こそが、中国や朝鮮にたいして力を貸して共に連帯して抗すべきであると考えていた。

また亜細亜という言葉から中国(清朝)と朝鮮を同じく捉えていたのではなく、むしろ朝鮮をアジア同胞として清韓の宗属関係から脱却させ日本のように文明化させることの必要性を説き尽力したのである。
李氏朝鮮の旧体制(血族や門閥による支配)のままでは早晩、清国やロシアの植民地となり、それはそのまま日本の国難になるからだ。

李朝末期のこの腐敗した絶望的な国を変革しようとした開化派を福澤は積極的に支援し、そのリーダーであった金玉均らの青年を個人的にも受け入れ指導教育を惜しまなかった。
また朝鮮に慶應義塾の門下生を派遣する行動を起こし、清朝の体制に取りこまれるのをよしとする朝鮮王朝の「事大主義」の変革をうながした。

清仏戦争が勃発し、清国軍が京城から退却したのを機に開化派がクーデターを企てるが(甲申事件・明治十七年)、それが失敗に帰したことから、朝鮮における清国の影響力は決定的となった。
福澤のなかにあった日本による朝鮮の文明化の期待も潰えた。

日本に十年余り亡命した金玉均も明治二十七年上海で朝鮮の刺客に暗殺され、その遺体は無残に切断され国中に晒された。
福澤に「脱亜論」を書かしめたのも、朝鮮の開明派、独立派の人々への必死の支援がことごとくその固陋な中国従属の封建体制によって無に帰したことによるものだ。

《我日本の国土はアジアの東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既にアジアの固陋を脱して西洋の文明に移りたり。
然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。》(「脱亜論」明治十八年三月十六日)。

この近隣にある「二国」は、《その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず……教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として……道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し》

(略)

※SAPIO 2018年3・4月号

NEWSポストセブン 2018.04.16 07:00

http://www.news-postseven.com/archives/20180416_657811.html

ネットの反応
名無し
簡単にまとめると福沢の時代から全然進化してない、どうしようもないマヌケってことだね。
名無し
それは彼らに限ったことではなくて、民族性とか国民性とかいったものは、100年や200年では変わりようがないということでしょう。
名無し
諭吉先生は偉大であった
名無し
諭吉先生、現代の官僚、政治家にはこれが分からないようです
名無し
脱亜論を義務教育で教えましょう。
出来るなら幼稚園辺りからやるべきだが
朝鮮通信使のニワトリ泥棒の紙芝居から
草薙の剣盗難の神話でもいいぞ