2017.12.23 wezzy
http://wezz-y.com/archives/51159

前回、この連載原稿を、このように書き始めた。

「多くの人が、あちこちでこの事案についての記事を読んでいるはずなので『またか』との印象を与えるかもしれないが、加害者やその支援者は、この件を皆が忘れてくれるのを何より待望している。ならば、繰り返し言及するしかない」。

 今回もその書き出しをそのまま使う。繰り返し言及するしかない。

 セクハラ被害を告発する「#Me Too」の動きがようやく日本でも広がってきている。実名で表に出て、ジャーナリスト・山口敬之からのレイプ告発に踏み切ったジャーナリスト・伊藤詩織の姿勢は、日本における広がりの最初の「Me」と言える。忘れさせようとする加害者周辺の企みを放置したくない。

 事件の詳細については前回の原稿に目を通していただきたいが、少しだけまとめなおす。山口にレイプされたと告発し、レイプ被害者を取り巻く司法や捜査システムの改善、性暴力被害を語りやすくする社会の実現を訴えた伊藤詩織の著書『Black Box』の刊行を受け、山口が『月刊Hanada』(2017年12月号)で「私を訴えた伊藤詩織さんへ」と題した手紙風の手記で潔白を訴えた。伊藤の『Black Box』と読み比べれば、山口の弁解からは、明らかなる説明不足の点がいくつも抽出されたのだが(その旨も前回記した)、何があろうとも自分をかばってくれる右派雑誌とその読者には有効だったようだ。

 翌月号(『月刊Hanada』2018年1月号)の読者投稿欄を読むと、65歳の男性が、山口の手記について「客観的で一貫性があり、感情的な表現もなく、好感の持てるものでした」とする投稿が掲載されている。まず伊藤の著書が刊行されて、その後に山口の手記が書かれた、この順番を踏まえた上で読み比べれば、客観的で一貫性があり、感情的な表現がないものはどちらのテキストなのか、すぐに分かる。