アサヒ新聞は戦前から反日メディアだったんですよ。
「戦争に加担した反省」とか言ってるけど、実際にはゾルゲといっしょになって
軍部を後押しした尾崎秀実という朝日新聞の記者を見なさい。ソ連のスパイですよ。
他にも笠信太郎という朝日新聞の幹部がいました。
朝日新聞は「軍部に抵抗できずに戦争賛美の記事を書かされた」などと言っていますが
実際には、笠信太郎のような幹部を政権の中枢部に送り込んで日本を英米との戦争に
追い込んでいたのです。

笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - 1967年12月4日)は、日本のジャーナリスト。
朝日新聞論説主幹をつとめた。
1936年1月朝日新聞社に入社し、同年9月論説委員となる。
同じく朝日新聞社論説委員の佐々弘雄や記者の尾崎秀実らとともに近衛文麿のブレーン組織
「昭和研究会」に参加してその中心メンバーの一人となり、近衛を取り巻く朝食会(水曜会)の
メンバーともなった。
昭和研究会には稲葉秀三や勝間田清一ら企画院の革新官僚とソ連スパイ尾崎秀実をはじめとする
転向左翼ら所謂「国体の衣を着けたる共産主義者が結集しており、彼らはマルクス主義に依拠して
戦争を利用する上からの国内革新政策の理念的裏付けを行い、国家総動員法の発動を推進し、
近衛新体制生みの親として大政翼賛会創設の推進力となった。