富岡八幡宮の先々代宮司(被害者の祖父)は、皇室の戦前回帰「正しい憲法制定」が悲願で
全国の神社をまとめた団体を作って政界や社会に働きかけようと、1946年に神社本庁を設立。
1978年に、お寺、神社本庁、生長の家とともに宗教を横断する改憲団体「日本を守る会」を設立。
1986年、日本を守る会から行動団体として「日本を守る国民会議」が分派。
1997年、日本を守る会と日本を守る国民会議が再合流し、「日本会議」が設立される。
しかし、富岡八幡宮の富岡長子は「神社が政治に関わるべきではない」と主張。そのため、神社本庁は長子の宮司就任を認めなかった。
日本会議の国会議員会会長は安倍晋三首相。神社本庁は2016年、全国の神社に700万もの改憲推進の署名を集めさせる。
そこで、氏子や参拝者が多く金銭的に余裕のある神社ほど、政治的な主張を強める神社本庁から離れようとする傾向が出てきた。
富岡八幡宮は、今年、「離脱について手続きを進めております」と正式表明。
祖父が改憲派の、神社本庁、日本会議の設立メンバーだったことから、改憲反対派は富岡長子を「護憲のジャンヌダルク」と呼ぶ。