https://netallica.yahoo.co.jp/news/20171025-61704102-magmag

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リベラルの自滅を呼び寄せた「ネトウヨ」

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匿名のネット民だけではなく、著名人、有識者においても「ネトウヨ=バカ」と様式美を崩しません。いや、思考停止しているのでしょう。

言論の多様性などそこにありません。対立意見への寛容性も、都合の悪い指摘にたいして目をつぶると言うことをせずに攻撃してきます。反論のつもりが論拠を示さず、罵倒語だけを投げつけます。

これで世界標準におけるリベラルである日本人の支持者が拡がるわけがありません。

対するネトウヨはといえば、かつてほどの罵倒語、中傷はなりをひそめました。全廃には至っていませんが、これも多様な言論の副作用で、むしろ完全排除すべきではないと考えます。

そして右派、保守派は賛意や批判、具体性を持って主張する傾向を確認します。とりわけ保守とは、可能な限り伝統や習慣を残そうとするので、その為に常に現実と対峙しているので、事実や具体性を添えて話す傾向が強いのです。保守とは頑迷な権威主義や、狂信的伝統派ではありません。

もちろん、そのすべてが正しい主張ではなく、トンチキな声も少なくありませんが、具体例があることで、それをみたネット民に考える材料を与えます。

安倍政権の熱狂的支持者のなかには「信者」と呼べる人もいて、彼らは株価や有効求人倍率に、外交の成果などをあげて「マンセー」と褒めそやします。確かに株価は上がり、アルバイトの時給は上がっています。

しかし、これを贔屓の引き倒しと思うネット民なら、それでも安倍政権を批判するでしょうし、一方でマスコミの「安倍一強」への批判を漠然と信じていた人が「そうだよね。安倍さん、なかなか良くやっているよね」と思うこともあるでしょう。

この繰り返しで「議論が深まる」のです。

もちろん、左派やリベラルのなかにも、具体例を挙げて批判する人もいれば、現状を踏まえた上で是々非々の批判をする識者もいますが、ネット言論を渉猟する限り少数派であり、また、ネット界隈で声の大きな人=フォロワーが多く、拡散される自称リベラルは、感情と妄想と印象を論拠とし、なにより言葉が汚い。

善良なる日本人なら眉根を寄せる汚い罵倒と中傷が、なぜか多様性と寛容を大切とする「リベラル」から拡散されています。

その場の勢いで言葉が過ぎることはあるでしょうが、「リベラル」のシンパや信者は間違いを指摘されても、論点をずらし攻撃を止めず、謝ること、諦めることをしません。繰り返しになりますが、その入口が「罵倒」です。

匿名とは言え、見ず知らずのアカウントに、突然、論拠も示さず「バカ」と呼ばれて良い気分になるものはいません。

彼らはバカと呼ぶことで「勝った」つもりでいるのでしょうし、各所で同じことを繰り返しているので、ひとつひとつを覚えていないのかもしれません。

しかし、バカと呼ばれた側は覚えています。そして本来的には中立で、是々非々だった日本人的リベラルのネット民が「反リベラル」となっていくことは否めません。

ネットはこうした言葉をすべて保存しています。累積された罵詈雑言は、そのままストックされ、繰り返し拡散されていきます。そして自称リベラルと、そのシンパと信者の居場所が小さくなるのは当然と言えるでしょう。それを「自滅」と言います。

ここまでは「ネット」の話。ながら、マスコミと政界も同様です。

安倍のバーカ、自民党のハゲ…は言ってないか…、いずれにせよ、安倍首相、自民党の全否定から入ります。

安保法制によせテロ等準備罪、そして憲法改正などその最たるもの。

「安倍政権での改憲はしない、させない、許さない」

と、どこかで聞いたことのある「3ない運動」のような全否定の振る舞いは、議論の場である国会でも、多様な情報を提供するマスコミにもっとも相応しくなく、また多様性を重んじ、寛容を大人の所作と考える「日本人」が違和感を覚えるのは当然です。

そして民意は自民党を選びました。それは確かに自民党からみれば「敵失」ですが、日本国民からみれば「自称リベラルの敗北」に過ぎません。

2017/10/26(木) 18:07:36.53
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