https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170908-00000026-sasahi-pol

「どうしてそこまで怒るの?」「そこまで言わなくてもいいのに」――。このところ、イライラする人や罵詈雑言を目にする機会が多いとは思いませんか? あそこでもここにもいる「感情決壊」する人々。なぜ私たちはかくも怒りに振りまわれるようになったのか。それにはちゃんと理由がありました。アエラ9月11日号では「炎上人(えんじょうびと)の感情決壊」を大特集。怒りの謎に迫ります。

 政治家や野球選手、芸人──。かつては感情にまかせて怒ったこともあったけど、過去を静かに反省し、「怒り」から学んだことを達人たちに聞いた。今回は、政治家の辻元清美です。

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 意外かもしれませんが、元来あまり怒らない性質なんです。ただ、子どもの頃から譲れないことがあって、そこに触れると、爆発的に怒っていました。

 5歳の時、銭湯で在日韓国人の子に差別的なことを言ったおばちゃんに、頭から水をかけにいったそうです。「差別はいかん。人間みんな平等やんか!」

 在日韓国人や被差別部落の人たちへの差別を見てきたこと。父方の祖父が戦死し、経済的に苦しい環境で育ったこと。美容師だった母が、「女も自立せないかん、世の中を変えなきゃいかん」と言っていたこと。そんな経験が、今も大切にしている、男女平等、憲法9条を守る、格差をなくしたいという思いに結びついています。私を昔から知る友人たちは、「清美は子どもの頃から変わらないね」と言います。

 以前は、感情にまかせて怒っていたかもしれません。集団的自衛権問題で小泉元総理に「総理! 総理!」と呼びかけた時も、鈴木宗男さんとの対決も、怒りを120%の力で相手にぶつけ、攻撃していました。

●共感を広げないと

 権力に立ち向かう姿に喝采を送ってくれる国民もいて、爽快感もありましたが、政治家としては、未熟でしたね。「私の考えが正義」が先に立ち、独りよがりだったかもしれません。

 転機は、2002年の議員辞職でした。どん底まで落ちて、もう二度と社会に出られないと思っていました。けれど、もう一度応援してくれる人たちの声に触れ、つらい思いをしている人や声をあげられない人の声を伝えていこうと決意を新たにしたんです。

 私が政治家として多くを学んだ、土井たか子さんの怒りには、品位と重みがありました。売上税を巡る土井さんと中曽根元総理の本会議場でのやり取りはいまもよく覚えています。

「導入しないと言っていたのに、導入を決めた。政治家の公約とはいったい何か」

 土井さんの怒りの土台には、国民の共感がありました。国民が抱いている怒りを、政治家として発言している。それが、政治家として正しい怒りだと思います。

 私は靖国神社に参拝しませんが、参拝する人もいて、みな国民です。すべての人を守り、自分と異なる意見も聞き、どうすればいいかを考えるのが政治家の務め。「こんな人たち」と国民を分断したり、口汚く野次を飛ばしたりすることではありません。

 そして、怒るだけではダメ。そう思わない人に気づいてもらい、共感を広げないと、社会は変わらない。理詰めで伝え、相手にも逃げ道を作っておく。論戦は攻撃ではなく、問題を明らかにするために行うものです。

 PKO日報問題でも、「なぜ隠すのか」と責めるだけではなく、「日報は過去の教訓を引き出し、自衛隊員の命を守るものだから破棄してはいけない、もう一度捜すべき」と訴えました。稲田前大臣の後ろの防衛省の官僚たちがうなずくのが見えました。

 昨年12月の日ロ交渉の際、「歴代の総理や外交官、先達の努力を台無しにしているのではないか」と指摘しました。後日、「よく言った」と電話をくれたのは、ある自民党の幹部でした。

「最近、丸くなったんじゃないか」。そんな声をいただくこともあります。でも、いまは7、8割の力で怒るようにしています。政治家として闘い方を学んだんです。(構成/編集部・熊澤志保)