>>315
日本軍が南京に達する以前に、蒋介石は、すでに早々と南京から脱出していました。
また南京防衛をまかされた唐生智将軍も、敗北色濃くなったとき、敵前逃亡して南京から出てしまいました。

中国には、「督戦隊」というものがありました。これは戦いを督促する中国人部隊で、背後にいて、戦場から逃げ出す
中国兵を見つけると撃ち殺す兵士たちなのです。逃げる中国兵を撃ち殺す中国兵です。そんな非人間的な部隊が、
中国にはありました。実際に、中国督戦隊に撃ち殺された中国兵たちが多くいました。

NYTのダーディン記者は、南京城壁の北側の門において、高さ1メートル半にも積み重なって小山を形成していた
中国兵の死体を目撃しています。これは日本軍が殺した中国兵ではなく、中国督戦隊に殺された中国兵だったのです。!!!
なぜならダーディン記者は戦後、こう語っています。

「これは、この門から脱出しようとした中国兵の死骸です。中国兵はあちらこちらで城壁によじのぼり、
脱出を試みました。これらの死体の山は、日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。
この地域で(日本軍の)戦闘はありませんでした」(1987年8月14日のインタビュー、質問者は笠原十九司、伊原陽子。
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『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』P571 青木書店)
 つまり、それは中国督戦隊によって殺された中国兵らの死骸だったのです。
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↑チョンコとバカサヨのねつ造連合軍は、督戦隊とか「清野作戦」とか、シナ独自の特異な前提があったことを知った方がいいよ


>771 南京事件を研究してる日本人学者の本とか読んだ方がいい

質問者は笠原十九司 ← こいつ、あった派の首魁