http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/122000032/081700033/

前略

マスコミも国も信用できない

 問題が起こったのは、夏休みが明けて2学期に入ってからだった。1学期まで、学校の先生たちは「この戦争は世界の侵略国である米国や英国を打ち破り、彼らの植民地にされているアジアの国々を独立させるための正義の戦争だ」と僕らに話していた。「だから、君らも早く大人になって、戦争に参加し、天皇陛下のために名誉の戦死をしろ」。僕もその覚悟を持っていた。

 ところが2学期になると、同じ先生たちの話す内容が180度変わってしまった。「あの戦争は、やってはならない戦争だった。間違いだった」と口を揃えた。さらに、1学期までは英雄だった東条英機が、占領軍に「A級戦犯」として逮捕されてしまった。

 新聞やラジオも、学校の先生たちと同じだった。1学期までは「この戦争は正しい」と言っていたマスコミは、2学期になると「間違いだった」と逆のことを平気で報じた。東条英機が戦争犯罪人として逮捕されると、「当然である」と言った。

 僕は「大人たちがもっともらしい口調で言う話は信用できない。マスコミも信用できない。国は、国民を騙す。特に、権力とは信用できないものだ」と強く思った。これが、僕のジャーナリストとしての原点だ。

 当時の気持ちは、今も褪せることなく僕の中にある。特に政治家やマスコミの言う話は信用できない。

 さらに僕は、その後2度も騙されている。終戦後、「平和こそ大事だ。もし、戦争が起こるようなことがあれば、君らは命を賭けて平和のために戦え」と教えられた。だから、朝鮮戦争が起こったとき、高校1年生になった僕は、教えられた通りに「戦争反対!」と声を張り上げた。すると先生は、「お前たちは共産党か」と叱りつけたのだった。

 共産党は、戦争が終わるまで「戦争反対」を主張していたので、幹部たちは皆、獄中にいた。それを、連合軍が解放してくれたことから、彼らを「解放軍」と呼んでいた。だから、共産党の徳田球一氏や野坂参三氏は、連合軍ととても仲が良かった。

 ところが、朝鮮戦争が始まったらがらりと事態が変わった。GHQの指令により、共産党員やその支持者たちは非合法に解雇されたのだ。いわゆる「レッドパージ」だ。だから、僕らが戦争反対と主張すると、先生たちは「お前たちは共産党か」と言ったのだ。

筋が通っていたのは共産党だった

 僕は、やはり大人たちは信用できないと改めて感じた。むしろ筋が通っているのは、戦争反対を最後まで貫いた共産党ではないか、とさえ思った。

 その頃から僕は、「世界は社会主義になるのではないか」と思うようになった。ソ連という国は、本当は理想的な国なのではないか、と。

 1965年のことだ。世界ドキュメンタリー会議がモスクワで行われることになり、日本からは当時、テレビ東京に所属していた僕が出席することになった。

 その前年、ソ連首相のニキータ・フルシチョフが失脚した。彼は、スターリンを批判して登場したので、日本では「ソ連の雪解けだ」と大変歓迎された人物だった。

 そのフルシチョフが、なぜ失脚したのだろうか。僕は、モスクワ大学の学生15人とディスカッションした時に、「フルシチョフはなぜ失脚したのか」と率直に聞いてみた。そこで彼らがちゃんと説明してくれると思ったからだ。しかし、学生たちは何も答えないばかりか、口が震えんばかりに顔が真っ青になった。

 4週間の滞在の間、僕は取材を続けたのだが、ソ連という国は、言論の自由が全くない国だということが分かった。これはとんでもないことだ。この国はダメになる。僕は強く思った。

 しかし、帰国した僕は、そのことを日本で言えなかった。当時は、朝日、読売、毎日、産経、みんな左翼だったから、「ソ連はダメだ。社会主義なんかダメだ」と言えば、僕はパージされると思ったからだ。いや、今にして思えば、僕が当時、こんな発言をしたら、明らかにパージされていただろう。

 そういう体験から、僕は左翼を信用しなくなった。かといって、敗戦の経験から自民党を信用するわけにもいかない。僕はアナーキスト(無政府主義者)のような考えを持つようになった。

以下ソース