総理は「敗戦の日」にわざわざ靖国参拝すべきではない 青山繁晴(参議院議員、作家)
IRONNA:2017.8.16 13:53更新
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71回目の終戦の日を迎えた靖国神社には、祈りをささげるため早朝から参拝者が訪れた=2016年8月15日、東京・九段北

青山繁晴(参議院議員、作家)

 8月15日は敗戦の日ですね。終戦の日では、ないのではありませんか。

 これは、本稿のために考えた言葉ではない。小学生の時に胸の中で大人に問いかけていた言葉である。
夏恒例のNHKをはじめテレビ定番の「もう二度と戦わない」という番組でも一斉に「終戦」と繰り返すから、口には出さなかった。
何でも、相手も選ばずに、そのまま言う気の強い子供だったとは思うが、これだけは言わなかった。

 いや、言わなかった胸の裡(うち)の疑問はもう一つある。
「もう二度と戦わない? じゃ、日本の大人は奥さんとかお母さんとかが酷(ひど)い目に遭わされそうでも戦わないのかな。ぼくは戦うよ。母さんでもお姉さんでも家族に何かあれば、ぼくが子供で相手が大人でも戦うよ」

 長じて、安全保障の専門家の端くれになったことと、この幼い素朴な疑問とは案外に直接的な繋がりがあると思う。
たまさか国会議員となり、2度目の8月15日を迎える今、それに気づいた。

 幼い疑問は大学で、あるいは社会で解決されるどころか余計に深くなったから、それが生涯の仕事のひとつを安全保障分野から選択することに繋がったのだろうと思う。

 さらに仕事上、海外の諸国を歩き回るようになると、もっと生々しい現実に向かい合わざるを得なかった。
すなわち敗戦を終戦と言い、それを契機にして友だち、恋人、家族が辱められ殺されても自らは戦わないという国となった例は世界にないという現実だ。

 そして諸国はみな、実は敗戦国である。
いつの戦争で負けたかという違いだけだ。
第二次大戦で圧倒的な勝者となったアメリカも30年後の1975年には小国ベトナムに無残に負けた。
しかし「家族を殺されかけていても二度と戦わない」という国に成り果てたのは、この祖国だけである。

 子供時代のふたつの疑問で言えば「敗戦をなぜ、終戦と呼ぶのか」ということについては、
やがて「勝った、負けたという以前に、戦争という惨劇がようやく終わったという庶民、国民の気持ちも込められているのだろう」と考えるようになった。

 しかしそれでもなお、歴然たる大敗を終戦と言い換えるのは、まさしく子供の教育に悪い。

 こうした姿勢が、どれほど広範囲に惨たる現実を生んでいるだろうか。


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