■731と原子力村==== 東大医科学研究所(旧伝染病研究所) ====(こぴぺ)
http://blog.livedoor.jp/pph2tm-ikenobu/archives/54832245.html

上昌広教授、坪倉正治医師の所属する医科学研究所(医科研)は、初代所長があの北里柴三郎で、
由緒ある、エリート医学者のための研究所である。

しかし第7代所長・田宮猛雄は731部隊への人材供給役であった。
宮川米次(第5代伝研所長)、細谷省吾、小島三郎、柳沢謙、金子順一、安東洪次、緒方富雄、浅沼靖
などの研究者が731部隊に関与したと言われる。戦後、何食わぬ顔で東大教授になった人もいる。

戦後、731部隊長・北野政次が伝研に現れたとき、もっとも北野を庇護したのがこの田宮であったと言われる。

戦後、田宮は731部隊で得た成果を利用し、リケッチアによる伝染病、つつが虫病の研究で有名になり、
国立がんセンター初代所長、そして日本医師会会長まで登りつめ、医学界のボスとして君臨した。

水俣病では田宮委員会を組織し、熊本大医学部の有機水銀中毒説をつぶし、被害を拡大させた。

田宮が初代所長になった国立がんセンターだが、ここも問題が多い。

上昌広は、2001年から国立がんセンターで造血器悪性腫瘍の臨床研究をしていた。
国策遂行が最優先され、臨床試験を効率よく行なうために、重篤患者を切り捨て他の病院に回すのが
当たり前だったと語っている。患者の命よりも研究成果が重視されるのだ。