稲田朋美氏が計画した政治資金パーティー 大臣規範抵触も
7/23(日) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170723-00000003-pseven-soci

相次ぐ失言に加え、新たにPKO日報の隠蔽疑惑まで噴き出している稲田朋美・防衛相。東京都議選での公職選挙法違反発言に続き、九州北部豪雨で大きな被害が発生した7月6日には防衛省を1時間以上抜け出して私的な勉強会に出席していたことが発覚。

 相次ぐ不祥事で翌7日に予定していた政治資金パーティー「稲田朋美さんと道義大国を目指す会」を中止する事態に追い込まれた。

 実はこのパーティーには大きな問題があった。パーティーの案内状を受け取った後援者たちは、これが“故人からの案内状”だったことに驚かされた。

 案内状の挨拶文の署名には、〈稲田朋美全国後援会「ともみ組」会長〉として渡部昇一・上智大学名誉教授の名前があった。保守派の論客として知られた渡部氏は今年4月17日、心不全で亡くなっている。挨拶文の日付は「平成二十九年四月吉日」となっており、渡部氏が生前に記したと思われるが、故人の名前で〈皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます〉と資金集めパーティーの案内状を出すのは相手先にも、なにより渡部氏に対しても礼を失している。

 稲田氏が渡部氏の死を知らなかったはずはない。パーティーは当初、渡部氏の命日となった4月17日に予定されていた。稲田氏が番組制作・衛星放送会社『日本文化チャンネル桜』による追悼特番(5月13日配信)でこう明かしている。

「本当は渡部先生が亡くなられた日にパーティーをしようと考えていて、先生にも『わかりました』とその日に来ていただくことになっていた。国会でいろいろあったりして延期しました」

 延期の理由に挙げた「いろいろあった」とは、時期的に見て森友学園問題で国会の厳しい追及にさらされたことを指すのだろう。

 このパーティー計画にはもう一つ重大な問題がある。「大臣規範」に抵触している疑いが濃いことだ。2001年に閣議決定された大臣規範に次の一項がある。

〈政治資金の調達を目的とするパーティーで、国民の疑惑を招きかねないような大規模なものの開催は自粛する〉

政治資金問題に詳しい岩井奉信・日本大学法学部教授が指摘する。

「規範に“大規模”の定義はないが、目安としては、1000万円を超える資金を集める特定パーティーが自粛対象と見られています。会場の規模(鳳凰の間の定員は立食形式で500人。会費2万円)から考えると稲田氏がそれ以上の規模のパーティーを計画していた可能性は高い。中止したとはいえ、企画したこと自体が問題なのです」

 渡部氏は稲田氏の初当選以来、後援会長として支え続けてきた人物だ。稲田氏が“タカ派のプリンセス”として短期間で出世階段を登り、「初の女性総理」の最右翼とみられるようになったのも、保守論壇の大立者である渡部氏という後ろ盾を得たことが追い風になったのは間違いない。渡部氏と親交があった自民党関係者がいう。

「稲田大臣は批判されるようなパーティーの挨拶文を恩人の渡部先生にお願いしたばかりか、亡くなった後まで名前を利用するようなことをした。恩を仇で返したという誹りは免れない」

 渡部氏の遺族は、「案内状のことは知りませんでした。稲田さんも今年はいろいろあったはずなので事務的なミスでは」(長男の渡部玄一氏)と寛大だったが、稲田氏はどう説明するのか。稲田事務所に質問状を送ると「大臣規範も踏まえ、適切に行なってきております」と回答。パーティーの発起人が故人の渡部氏になった経緯や見解については回答を拒否した。

 稲田氏には新たに南スーダンPKO部隊の日報「隠蔽了承」疑惑まで持ちあがったが、安倍晋三首相はこれほど大臣としての資質を疑われる政治家を取り巻きだからと重用し、あまつさえ、後継首相として国の舵取りさえ任せようとした。国民の信を失ったのは、そうした“お友達びいき”の政治が国を危うくしかねないことを国民が感じ取ったからに他ならない。

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