30年前の“新右翼本”に再評価 日本会議の「源流」とは?
dot.:2017/7/14 07:00
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1989年刊行の『果てなき夢』

 改憲をめざす運動団体「日本会議」への関心が高まる中、約30年前に刊行された本が再評価されている。
『果てなき夢』(二十一世紀書院)。
知る人ぞ知る好著として民族派の間で語り継がれてきた長編作品だ。
朝日新聞編集委員・藤生明氏が著者に現在の思いを尋ねた──。

*  *  *
『果てなき夢』は、右翼や新左翼、ヤクザなどのノンフィクション作品で知られる山平(やまだいら)重樹氏(64)が1989年に著した。390ページにおよぶ大著だ。
最近、ジャーナリストや出版関係者らの注目を集め、文庫化に関心を寄せる出版社もあるという。

 第一章「もうひとつの学生運動」は、新右翼「一水会」元代表の鈴木邦男氏らが民族派「早稲田大学学生連盟」を結成する場面から始まる。
鈴木氏はその後、新宗教「生長の家」の活動に軸足を移すが、その頃、同教団の学生運動で着々と実績を積み重ねていたのが、現日本会議事務総長の椛島有三氏ら、長崎大学のグループだった。

 山平氏は、椛島氏らが左翼学生と闘い、全国組織「全国学生自治体連絡協議会」(全国学協)を結成する経緯を詳述。
さらに70年の三島事件や、同じ民族派の全国組織「日本学生同盟」(日学同)と全国学協の蜜月と反目などについて、同書の前半部分約160ページを割いて描いた。

 そのくだりが、日本会議の源流を探ろうと資料をあさっていたジャーナリストらの目にとまった。
『日本会議の研究』を書いた菅野完氏も、『日本会議の正体』の著者・青木理氏も、執筆の際に山平氏を取材している。
菅野氏は言う。

「新右翼のムーブメントがまだ歴史になっていない30年前に、歴史として描ききった。その構想力、筆力に脱帽する。早すぎた名著というべき作品だ」

 その言葉通り、同書は60〜80年代の右派学生・青年運動史を俯瞰している。

 山平氏自身、右派学生運動の活動家だった。
高校在学中の70年、三島事件に衝撃を受け、法政大進学後、日学同の門を叩いた。

 その頃の学生運動と言えば、東大安田講堂陥落(69年)を境に左翼が急速に退潮。
だが、法政大は新左翼「中核派」の拠点とあって運動がなお活発だった。
山平氏らはもっぱら、日学同の拠点だった早大など他大学で活動していたという。

 山平氏らが訴えたのは戦後体制打倒、自主憲法制定、自主防衛確立、北方領土奪還、反自民……。

「ベトナム反戦運動、60年安保闘争、三里塚闘争は本来、右翼がやるべき運動だったのに左翼に取られた。その点、日学同は対米自立で、既成右翼と違った。そこが魅力的だった」

 と山平氏は語る。
日学同は当時、民族派学生運動の2大勢力の一つ。
もう一つの勢力が先述の全国学協だった。

 全国学協のメンバーらはその後、社会人組織を結成、改憲団体「日本を守る国民会議」で事務局を握ると、日本会議の結成(97年)へと運動を進めた。
今や、安倍政権に近く、国政に一定の影響力をもつまでになった。
しかし、山平氏は首をかしげて言う。

「日本会議に詳しくはないが、彼らもむかし、『YP体制(ヤルタ・ポツダム体制=戦後体制)打倒』を言っていたわけですよね。
その当時から考えると、体制肯定、政府と一体というのは、ちょっとおかしいですねえ」

 再評価の高まりを受け、二十一世紀書院の蜷川正大(まさひろ)社長はこう話す。

「民族派の歴史を語る上で、最良の書。再び注目されたことは好著の証しだ」

※週刊朝日 2017年7月21日号