https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170612-00000079-sasahi-pol

「共謀罪」を改め、「テロ等準備罪」を新設する法案の審議をめぐって、民進党が「強引すぎる」と提出した参議院法務委員会の委員長解任決議案は7日、圧倒的多数を持つ与党にアッサリと否決され、安倍政権は今国会での成立を目指す。元SEALDsの諏訪原健君は、自分が独裁者ならこの法案をどう使うか、などと妄想してみるが……。

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 ある日の講演に向かう電車の車中、混んでいて、持ってきた本を開くだけのスペースもない。退屈しのぎに、自分が独裁者だったら、「テロ等準備罪」をどんなふうに利用するだろうかなんて、くだらない妄想をしてみる。

 とりあえず政府に対して堂々と抗議行動をするような人たちはうっとうしい。大した力もない国民のくせに、政府に逆らうなんて身の程知らずだ。

「テロ等準備罪」を使って、市民運動をつぶすことにしよう。

 最近の市民運動にはいろんなバックグラウンドを持った人がいて、意外と誰でも参加できるらしい。とりあえず手下を送り込んで、いろいろと調べさせるのがいいだろう。抗議行動や集会に何度か参加してもらって、後はLINEグループやメーリングリストに入れてもらえれば準備完了だ。

 後は少々無理をしても「テロ等準備罪」にひっかかりそうな案件を探してもらう。もし見つからなかったら、手下に命令して、共謀している証拠を作り上げてもらえばいい。「テロ等準備罪」には「自首減免」(自首したことにより、刑の軽減・免除を受けること)という規定があるから、手下に自首させて、みんなまとめて捕まえた上で、手下の罪は免除してあげればいい。実に簡単なことだ。

 そんなことをしたら、さすがに「でっちあげ」とか「不当逮捕」とか言い出す人がいるかもいるかもしれない。でも世間は彼らに同情しないだろう。「テロ等準備罪」というネーミングが浸透しているから、危険な人間を捕まえてくれて良かったと、大多数の「一般人」は喜ぶに決まっている。そして悪いことをしておきながら、「でっちあげ」なんて言っているような人間には、絶対に関わってはいけないと強く思うはずだ。

 そんなことが2、3回繰り返されれば、「市民運動」という響きがどんどんうさんくさいものになっていく。市民運動に「危険」とか「テロ」とか、そういうイメージを植え付ければ、それだけで十分だ。市民運動に参加しようという市民は激減していくだろう。さらに市民団体のほうも、つぶされたらたまらないから、非常に閉じられた運動にならざるを得ない。市民運動は自然消滅の道をたどることになるだろう。

 市民運動をつぶすことに飽きたら、他の分野にこの手法を応用するのもいい。例えば、教育界へ介入しようと思ったら、教員で市民運動に参加している人を一人捕まえてしまえばいい。教員が学校現場の外で一個人として参加していただけのことだが、市民運動は「危険」だというイメージが浸透していれば、世間は必然的に学校に対しても責任を求めるだろう。必要以上に「政治的中立性」を求める声に、学校現場が萎縮すれば、政府に都合の悪いことを教える教員などいなくなる。政府に従順な国民が育っていくというのは、実に素晴らしいことだ。

 同じような働きかけを経済界に対してやるのも面白い。政府に批判的な企業の社員を捕まえて、その情報を週刊誌に流せば、企業の社会的な信頼は失墜する。企業の側としては狙い撃ちされたくないから、政治資金を提供してくれたり、選挙の動員に協力してくれたりするかもしれない。経済界が「お友達」だらけになるなんて、なかなかおいしい話だ。

 そんなことを繰り返していたら、きっと大多数の国民が、政府と同じ方向を向いてくれるようになる。権力基盤は磐石になる一方だ。そうなれば、ある程度好き勝手していても、許されるに違いない。「テロ等準備罪」は実に便利なものだ。どうしようもなく愉快で仕方ない。……。

 そんなことを考えていたら、あっという間に目的地に着いてしまった。

まだまだいくらでも「テロ等準備罪」を応用する余地はあるように思えて、何だか寒気がした。

 あくまでこれは僕の妄想にすぎない。実際にはそんなにうまくいかないかもしれない。でも一度、権力を手にしたら、あらゆる方法を使って、それを保持し続けたいというのは、どんな人間の中にも存在する心理だと思う。

 その意味では、誰が独裁者になってもおかしくない。民主主義の中から、事実上の独裁体制が生まれてもおかしくない。「テロ等準備罪」は、それくらいの危険性をはらんでいると僕は思うのです。