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彼方「Diary of Karin」

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1名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:01:10.46ID:bGKQdJRT
前作
彼方「Diary of Karin」 Day1-Day3 Afterschool
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1663429259/
2名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:01:41.26ID:bGKQdJRT
Day3 Night

遥「おねーちゃーん?起きてー!」

彼方「んぅ……。……あー、はるかちゃんだー……」

顔元に置かれた右手には、茅色の髪がかかっている。
ゆるくふわっと伸ばしたそれを払うこともせず、お姉ちゃんは私の方へまっすぐ腕を伸ばす。

遥「ただいま。もうそろそろ起きないと、夜寝られなくなるよ?」

彼方「そんなことないけどー……遥ちゃんがいるから起きるー」

遥「ふふっ」

伸ばされた手を取ってお姉ちゃんを引き上げる。
その途中、まだ重そうな瞼の隙間に覗く瞳。頭を下げて、その瞳の真中に私を据えると、微笑みにつられて瞼は軽やかに閉じた。
2023/04/01(土) 18:03:18.09ID:gsAvioyM
期待
4名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:03:29.56ID:bGKQdJRT
遥「お姉ちゃん、テストお疲れさま!」

彼方「ありがとう〜!遥ちゃんにそう言ってもらえるだけで、頑張った甲斐があったよ〜」

頑張ったという一言に、昨日までの様子が思い出される。無理した顔色はなくても、いつもより遅くまで起きて勉強していた疲れはあったはずだ。

遥「ううん、お姉ちゃん頑張ってるのに、私、ごはんの準備とか全然手伝えなくて……」

彼方「でも、洗濯もお掃除も、遥ちゃんがやってくれてるでしょ?」

遥「それは……そうだけど」

彼方「だから彼方ちゃん、テスト自信あるんだ〜。いっぱい勉強出来たからね〜」

微笑み返す顔に翳りは見えなくて、私は安心する。

遥「今日はいっぱいお昼寝も出来た?」

彼方「うん!お夕飯の下ごしらえしてからはずーっとすやぴしてたよ〜」
2023/04/01(土) 18:03:57.85ID:Zk7ksakt
待ってた
6名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:06:09.77ID:bGKQdJRT
彼方「そういえば、今日席替えがあったんだ」

遥「そうなの?どんな席?」

やけにゆるんだ顔でもったいつけるお姉ちゃん。相当に好ましい席が当たったのは間違いなさそうだ。

彼方「窓際の〜……」

遥「うんうん」

彼方「一番後ろ!」

遥「あはは……お姉ちゃんには一番の席だね」

彼方「先生には絶対に一番前の席を引いてって言われたけど、彼方ちゃんはついてるね〜」

その一言に軽く呆れながらも、顔は綻んだ。
2023/04/01(土) 18:07:05.90ID:bYHvXxEY
待ってたぞ
8名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:07:51.94ID:bGKQdJRT
遥「近くにはどんな人がいるの?」

お姉ちゃんの一番の関心事はその席がいかにお昼寝に適しているかだけれど、一般的にはこちらも重要な点だ。

彼方「うーん……そうだなあ……」

少し悩んで、おそらくはもったい付けてから言うには、妙な表現だった。

彼方「……たまご?」

遥「たまご?」

およそ人間を表すには不適当な言葉を吐いたお姉ちゃんは、そのまま話を続ける。

彼方「うん。モデルのたまごなんだって〜」

遥「そういうことかー……。……モデル!?」

彼方「うんうん。驚くよね〜」

遥「虹ヶ咲はすごいなあ……」

設備も人も、本当になんでも揃っているものだと嘆息する。あの巨大な校舎は伊達ではないらしい。
9名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:09:49.32ID:bGKQdJRT
遥「その人はどんな人なの?」

彼方「んーとねー……。朝香さんっていうんだけど、ひとことでいうと……」

またもや長考して、今度は言葉を探すお姉ちゃん。

遥「ひとことでいうと……?」

彼方「……アンバランス?」

遥「アンバランス」

私も再びオウム返しになってしまうワードチョイスに、件の人物像がつかめない。

遥「どういう風にアンバランスなの?」

彼方「クールなのに猫舌とか……とにかく普通じゃなくて面白いんだよね」

それは確かにアンバランスだ。私も俄然興味がそそられる。

彼方「あ、写真あるんだ〜。後で見せるね〜」

私もお姉ちゃんも、箸を進めるのが速くなった気がした。
10名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:11:18.25ID:bGKQdJRT
彼方「こんなだよ〜」

食事後に朝香さんの写真をお姉ちゃんが見せてくれる。
やけに乱雑な部屋を背景に、中央には藍色の髪をウルフカットにしている女性。確かにアンバランスではある。

遥「この人、片付けが苦手なの?」

彼方「それもアンバランスなところのひとつだねー」

遥「ほかには?」

彼方「この前、カフェの窓際の席でブラックコーヒーを机に置いて黄昏れてたんだよ。……なんでだと思う?」

逆質問の中身からは、いかにもこの人、朝香さんにぴったりな図が浮かぶ。その光景の存在に理由が必要だろうかという気さえする。

遥「……誰かに撮られるのを待ってた……とか?」

彼方「あー……。確かにそれもあったのかもしれないなー」

ということは何か他の理由があるらしい。訊ねた結果の答えは、もっと呆気ないものだった。

彼方「それがねえ……猫舌で冷ましてたんだよ。コーヒーを」

遥「え?」
11名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:13:03.19ID:bGKQdJRT
遥「猫舌で冷ましてただけ?」

彼方「うん。本人は認めようとしないけど」

遥「それは……アンバランスだね……」

いかにも雑誌などで見るような、自分とは住む世界の違う人間のように見えていたこの女性が、一気に等身大の人間に思えてくる。

彼方「他にも勉強は苦手だし方向音痴だし…………」

遥「……かわいい人だね」

もはや彼女をカッコいいと形容することは難しくなっていた。

彼方「そういうわけで、彼方ちゃんは今日から日記を付けるんだ〜」

遥「日記?」

お姉ちゃんは、テーブルに置かれた袋から新品の日記帳を取り出した。
シックな茶色におおわれた装丁のそれには、タイトルを含めまだ一文字も書かれていない。
12名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:14:06.52ID:bGKQdJRT
彼方「うん。モデルとは思えない朝香さんの日常を記録しておこうと思って」

一瞬、暴露本なんて言葉も頭をよぎったけれど、クールモデルの日常には私も興味をそそられた。

遥「私にも読ませてほしいなっ!」

彼方「遥ちゃんには彼方ちゃん直々に語ってあげるよ〜」

遥「うん、楽しみっ!」

Day3 Night End
13名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:16:52.85ID:bGKQdJRT
Day4 Morning

彼方「うーん…………」

果林「どうしたの?」

机に左頬をへばりつけて悩む私に、たった今教室にやって来た朝香さんの声が飛んでくる。

彼方「……あー、朝香さん。おはよう」

この前の席替えで、何の因果か私のすぐ前の席を手に入れた朝香さんは、当然私の傍にやって来た。

果林「おはよう。……カメラ?」

私の視線の先にあるものを朝香さんが俎上に載せる。私は、頷く代わりにシルバーのシャッターボタンを押し込む。
小気味よい音と軽い衝撃で応えたカメラに、時間を切り取る心地よさを感じた。

彼方「んー……」

朝香さんは、いきなりシャッターを切られたことを気にも留めず、続きの言葉をかけてくる。

果林「結構いいものじゃない。どんな風に撮れたの?」

朝香さんがそう言ったころには、とっくに撮影後のプレビューが表示されていた。
カメラのフラッシュを焚いたかのように鮮烈な印象を与えるその画像は、それがプレビューであるために瞬く間に消えてしまう。
14名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:18:30.09ID:bGKQdJRT
時間が経って消えてしまったプレビューの代わりに、ギャラリーを呼び出してから画面を朝香さんの方に向ける。
カメラを持ち上げた朝香さんは、何やら操作しながら頷いている。しっかりと握り込んでいるわけでもないのに、操作はすいすいと進めていく、たどたどしいような慣れたような不思議な手つきだ。

果林「いいわね、よく撮れてるわ」

これまで私がスマホで撮った朝香さんの写真を思い出す。
スマホの方を見るまでもなく、写り方の綺麗さが違うことは明らかだった。

彼方「そうだよねえ……」

煮え切らない私の返事と同時に、突如機械音が響く。

彼方「……わっ!」

果林「あら、ごめんなさい」

起き上がった私に、朝香さんが画面を向ける。

果林「どうかしら?あなたも綺麗に写ってると思うわよ?」

ぐでっとした体勢の私を見せて、朝香さんは優しく微笑む。
15名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:20:15.54ID:bGKQdJRT
彼方「綺麗?こんなにだらけてるのに?」

果林「ええ、ふたつの意味でね」

肯定したかと思ったら、思わせぶりなことを口にする朝香果林。その真意を尋ねる。

果林「ひとつは単純に、美しいという意味よ。とてもきれいだわ」

彼方「……っ…………」

あまりにも自然に、慣れた様子で口にされたその響きに、息が詰まって、たじろぐ。わざとゆっくり発音された言葉に呼応するように、空気をため込んだ肺はそろそろとしか縮まない。
そんな私の様子など気にしない様子で、朝香さんはもう一つの意味を説く。

果林「とても鮮明に写っていて、校内でも有名な眠り姫の日常がよく分かるわ」

彼方「んなっ…………」

破裂しそこねた肺から大量の息を吐いて、図らずも深呼吸したかのように落ち着きを取り戻した私は、朝香さんの口がいたずらっぽくつり上がっているのを目で捉えた。

果林「これ、いい写真だわ。クラスのみんなにも見せましょう」

彼方「やめてっ!」

さっとカメラを奪い返した私は、これが朝香さんのスマホでなかったことに心底安堵した。
16名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:22:12.44ID:bGKQdJRT
果林「……スマホで撮っておくべきだったわね」

私と同じ事に気づいたらしい朝香さんは、もう先刻のいたずらな笑みを崩して、子どもみたいにしょんぼりしている。

彼方「そこまで残念だった?」

果林「ええ、いい写真だったもの、惜しいわね……」

今度は頬が熱くなるのが分かる。朝香さんを眺めていた私は、ずっと動画を撮り続けているスマホみたいに熱っぽい。
処理を軽くするため、朝香さんの言葉には答えずに話を流すことにした。

彼方「…………」

果林「…………あら、撮らないの?」

彼方「……ん?」

湿っぽくしたかと思えば妙なことを言い出す、いつも通りの朝香果林。彼女らしく勝手に言葉は続く。

果林「せっかく私が物憂げな顔をしていたのに。丁度いいシャッターチャンスじゃない」

普通の人間がおよそ口にしないであろう、自信家だけに許された言葉を飄々と言ってのけるこの高校一年生には、幸か不幸か、自信に対応する中身が伴っている。
17名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:25:19.41ID:bGKQdJRT
彼方「……た、たしかに…………」

朝香さんに翻弄されて思考が追いついていなかったけれど、今思えば絶好の機会だった。
もはや記憶の中にしかない過去を切り取っておかなかったことが口惜しい。

果林「授業中以外カメラを手放さない、なんてくらいの気概でもいいかもしれないわね」

彼方「うーん……。そこまで出来るかは分からないけど…………」

それでも、人差し指をシャッターボタンの上にのせておくことには、なぜか心地よさがあった。
私の手元を見た朝香さんが話題をカメラそのものに戻す。

果林「やっぱりスマホよりもいいわね。大きすぎないのも持ち運びやすいし……」

彼方「朝香さんはカメラに詳しいの?」

果林「カメラに囲まれるのが仕事だもの、それなりにね。……買ったの?」

もうすぐデビューするらしいこのモデルの卵には、卵という表現は似合わないほどの余裕が感じられて憎らしいほどだ。
朝香さんの疑問にかぶりを振って答えた私は、つい30分程前のことを思い出す。

彼方「さっきのことなんだけど……」

〜〜
18名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:26:53.91ID:bGKQdJRT
大方のクラスメイトよりも早く教室に入って、めでたく手に入れた窓際最後列の席に向かう。
透き通った朝日の差す机に鞄を下ろそうとして、かわいらしい洋封筒が置かれていることに気づいた。

彼方「……おや?」

開けてみるとただ一言、あまりにも不遜なメッセージが書かれている。

「写真部に来なさい」

彼方「んんー?」

差出人の名前もなく、命令文が1つあるだけ。これは手紙というよりもむしろ脅迫状のフォーマットではなかろうか。
たった1文だけであまりにも殺風景な白く広い背景は、その後ろからの黒い影を透かしている。2枚目があるらしい。

彼方「……部室棟……の地図かな?」

こうも不遜な手紙をよこすくせに、このだだっ広い学内で迷わないようにわざわざ地図を付けるアンバランスさが飲み込めない。

彼方「写真部……ねえ」

普通ならこんな手紙に従うことはない。けれど、この親切で不完全で、なんだかかわいげのある脅迫状に心惹かれてしまった私は、入学してから初めて部室棟へ足を向けた。
19名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:29:16.06ID:bGKQdJRT
無防備に部室に入った私をまず迎えたのは、手紙の差出人ではなくてカメラのレンズだった。部屋中に響くシャッター音がそれに続く。

「来たわね」

彼方「……えーっと…………」

私の姿と撮影結果を確認して、フィクションの悪役の如く不敵に微笑む生徒。あんな手紙をよこす人間らしいといえばらしいけれど、初対面の相手にはずいぶんな挨拶だ。

彼方「どちらさま?」

「私のことはどうでもいいの。ただの写真部員よ」

彼方「…………」

「これを見て」

彼女は名乗りもせず勝手に話を進める。写真部員らしく、見せてきたのは何かの写真。
その写真にある種の感動を覚えた私は、ひとまず他の疑問を横に置いた。

彼方「おおー……」

長く垂れ下がった茶髪の持ち主は、自分が移動していることも知らずのんきに、やわらかく瞼を閉じて眠りこけている。

彼方「なるほどねえ…………」

マイペースな眠り姫とその荷物を抱えて焦った様子で一心不乱に走る、スラッと背が高く藍色の髪の彼女は、校内を前のめりに疾走する姿さえも様になっている。
その目は文字通りの真剣のように鋭く細められていて、手元の眠り姫と同じ世界の住人とは思えないバランスを作っている。
20名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:31:04.25ID:bGKQdJRT
先日、外でお昼ご飯を食べた後、すやぴして起きなかったらしい私を抱えて教室まで戻る朝香さんの写真だ。私は寝ていたので、そういうことがあったらしいとしか知らないけれど。

「この写真が欲しかったら私に協力しなさい」

彼方「んん?」

この謎の人物の言葉を上手く咀嚼できずに戸惑う。自分をお姫様抱っこする朝香さんの写真は……一般的には欲しいものかもしれない。

「いらないの?これ」

彼方「いやー……んー……」

「だったら朝香果林のファンクラブに流してもいいのよ?」

それは困る。朝香さんのファンクラブがあるのかどうか知らないけれど、あってもおかしくないだろうし、もしそんなところにこの写真が渡れば私の命の保証がない。

彼方「そういうことなら貰うね。…………データがあるからって流さないでね?」

それを聞いてにんまりと笑った……いや、ほくそ笑んだこの名も知らぬ少女は、スッと立ち上がると、別の机からおもむろにカメラを持ってきて私の目の前に置いた。
21名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:33:18.72ID:bGKQdJRT
彼方「これは?」

「余ってたカメラよ。あなたにあげるわ」

〜〜

彼方「っていうことだよ」

買ってもいない高そうなカメラが手元にある理由を大方話し終えて、私は軽く息をつく。

果林「それで、何を頼まれたの?」

彼方「朝香さんの写真を撮って見せに来い、だって」

果林「私のファンなのかしら」

彼方「みたいだよ?いいね、モテモテで」

カメラちゃん曰くファンクラブもちゃんとあるらしいし、朝香さんはいつも羨望の的だ。
22名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:35:42.64ID:bGKQdJRT
果林「カメラちゃん?」

彼方「うん、名前教えてくれなかったし、とりあえず」

果林「なるほどね。ところでそのカメラ……」

「はーい席についてー!」

何か言おうとしたらしい朝香さんの言葉は、やはりいつの間にか来ていた1限目の教師に遮られる。朝香さんはいつも授業開始ギリギリに来るから、これでも長く話せた方だ。
意表を突かれた様子の朝香さんが教卓の方に向き直った。

彼方「……あ」

カメラをしまう前にふと気づいて、朝香さんの後ろ姿を画面に収める。一度だけこっそり切ったシャッターは、はずむ足音のように聞こえた。

Day4 Morning End
2023/04/01(土) 18:36:53.43ID:+3X2ozB/
うひょーかなかりだ
24名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:37:49.52ID:bGKQdJRT
Day4 Noon

お昼休み前最後の授業中、今日になってから1ダース分の時間がたまったころ、朝香さんは後ろの私の方を向いた。

彼方「どうしたの?」

この席順になってからというもの、朝香さんは何らかの理由でほぼ毎日授業中に私の方を振り向く。
今日の私はあらかじめ筆箱から取りだしておいた予備のペンを軽く振りながら応答した。

果林「…………」

私の右手と共にノートに置かれたペンをチラ見した後、左手で振られている方のペンを無言で凝視する朝香さん。私は軽く微笑むけれど、言葉は発しない。

彼方「?」

果林「そ、その……ペンを……」

朝香さんの言葉が進むにつれて、私の顔も少しずつ歪んでいく。

彼方「ペンを何?」

果林「貸して欲しいの……」
25名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:39:30.37ID:bGKQdJRT
閉じない程度に目を細めたところで満足した私は、振っていたペンもろとも腕を前に倒して彼女に差し出す。

彼方「はい、どうぞ。……インクは満タンだよ?」

果林「……っ!」

ペンをひったくり、一瞬で翻ったにも関わらず、急激に紅潮したらしい顔はよく目立つ朱色を私に差して別れの挨拶をしていった。

彼方「ふふ……」

前後の席とは面白いもので、その顔や手元が見えなくても、前の席の人間が一体何をしているのか、後席の人間にはある程度分かってしまう。

彼方「……朝香さん」

ふと魔が差した私は、もう一度朝香さんにこちらを向かせる。彼女は、うさんくさいものを見るような目を伴って振り向いてくれた。心外だな。

果林「……なにかしら」

彼方「……私のペンではノート、ひっかかないでね?」

果林「うるさいわよっ!」

数分ほど前からの朝香さんは、筆箱を漁ったり、妙に力を込めてペンを滑らせて……もとい、ペンでノートをひっかいたりしていたので、何に困っているのかは大体検討がついた。
26名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:42:22.09ID:bGKQdJRT
それから20分ほどして、授業が終わる。手早く筆記用具やノートなどをしまって、遥ちゃんとおそろいのお弁当を取り出す私と、さすがモデルと言うべきしなやかさでもって体をひねる朝香さん。

果林「これ、ありがとう。返すわ」

ペンを返そうとしてくる朝香さんに私にからかわれたことを気にする様子はもうない。

彼方「いいよ、持ってなよ。午後も授業あるんだし。……筆箱の中、全滅なんでしょ?」

果林「あなたねえ……もう少し言い方が……」

筆箱に書けるペンが1本も無くなるなんておかしな状況を生み出すあたり、さすが朝香さんだと思う。遠慮した言い方ではなく、しっかりと断罪しておくべきだろう。

彼方「私はお昼を食べるのに忙しいので聞こえません」

果林「まだ食べてないじゃない…………」

返そうとしたペンをお昼ごはんに持ち替えて、朝香さんが椅子を反転させた。

果林「……開けないの?」

彼方「うん、食べててよ」

不審そうに私を見つめる朝香さんをよそに、私は鞄の中をじっと見つめてその時を待つ。
27名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:45:08.12ID:bGKQdJRT
サンドイッチを口に含もうとして、いくばくか前のめりになる朝香さん。肩まで伸びる紺青の髪。
二房の一方が頭の前に垂れ下がるのを、しなやかな動きで掬いあげる指と、すぐ横を通り過ぎる髪に反射的に細められた瞳。その瞼の動きに合わせて、私の指もシャッターボタンを押し込んだ。

果林「……」

朝と同じく、急にシャッターを切られても動じず、平静に動く朝香さん。私は顔の前に構えていたカメラを下げた。

彼方「こういうこと、だよね?」

果林「ええ、そうね」

授業前の朝香さんが言っていたように、授業中以外カメラを手放さないような心持ちで臨んだ。

果林「でも、まだまだね。それを続けないと、被写体は警戒するわ」

彼方「どういうこと?」

果林「普段カメラを持っていない人がカメラを持っていると、相手はそれを不自然に思うでしょう?」

なるほど、カメラを持っているのが普通だと認識させて初めて自然な写真が撮れる、ということか。
28名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:47:38.31ID:bGKQdJRT
彼方「でも朝香さんは大丈夫でしょ?」

果林「私だって、人とカメラが珍しい取り合わせなら仕事の時ほど自然にはならないわよ?」

彼方「私も?」

割と自信を持って、否定を期待して聞いたところ、それは裏切られた。

果林「あなたは前科があるじゃない」

彼方「…………前科?」

心外だ。朝香さんに非難されるようなことをした覚えは…………いや、あるかな……お姫様抱っことか。

果林「私の部屋を去り際に撮ったでしょう!」

彼方「あん……?」

……ああ、朝香さんの部屋で勉強を教えた日の帰りのことを言っているのか。
見事に3分割された素晴らしい写真だったと今でも誇らしい気分だ。日記帳を買ってから、あの日のこともしっかりと認めた。

彼方「まだあるよ?見る?」

果林「結構よ!」
29名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:49:18.30ID:bGKQdJRT
彼方「ああ、そうだ。朝もらった写真は?そっちも見ない?」

果林「もらった……ああ、あれね。…………あのときはよくも眠りこけてくれたわね」

ウルフカットにふさわしくまさにオオカミのように細められた双眸は、先ほどとは異なって恨めしさを前面に出してこちらを見つめている。

彼方「まあまあ、それは勉強教えて返したでしょ?」

果林「…………その帰りに盗撮してくれたわね」

彼方「…………」

このままでは分が悪そうなので問題の写真を出して話題を変えた。

彼方「……ほ、ほら、これがその写真だよっ。朝香さん綺麗に写ってるねえ〜」

果林「当たり前でしょう?私なんだから。……綺麗に寝てるわね」

彼方「き、きれいでしょ〜?」

すぐに紡がれると思っていた返答がなかなか返ってこず、心持ち焦る。

果林「………………」

彼方「うっ…………」
30名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:51:22.20ID:bGKQdJRT
果林「…………ふふっ、いいわよ。もう怒ってないもの」

彼方「なぁんだあ…………」

朝香さんも人が悪い、と思ったけれど、私もあまり人のことは言えないな。お姫様抱っこさせるし、部屋は盗撮するし。その分朝香さんにも返されているけれど。

果林「それで、その写真……じゃなくて、カメラね。問題は」

彼方「問題?」

果林「ええ、今朝言いかけたのだけれど……」

そういえば一限目の前に朝香さんが何か言おうとしていた。主題は私が入手したこのカメラについてだったはずだ。

果林「…………私の担当をしてくれている雑誌の編集さんが、SNSに載せたり自分の趣味だったりでカメラを持ってるのよ。……これね」

朝香さんがスマホで見せてくれたのは、カメラを構えて微笑む女性。

彼方「この組み合わせじゃあどっちがモデルか分からないねえ」

果林「それはいいのよ。……ほら、このカメラ、同じものでしょう?」
31名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:54:58.30ID:bGKQdJRT
彼方「え?」

二本指を広げて写真の中に写るカメラを拡大すると、確かに私の手元にあるそれと同じものが写っているようだった。

彼方「本当だ。同じものだね」

しかし、それがどう問題なのだろうか。カメラなんて同じ機種はごまんとあるはずだ。

果林「それ、余ってたって言って渡されたのよね?」

彼方「え?……うん、そう言ってたねえ」

突如増えた部員に対して「とりあえずこれでも使っておけ」、というような雰囲気で渡されたものだった。

果林「……私はこのカメラ、買い換えたって言って見せられたのよ」

彼方「買い……」

果林「もちろん新品よ。最新モデルだからスマホとの連携が出来て楽だって喜んでいたわ」

彼方「最新モデル……」

カメラちゃんの言葉を信じるならば、最新モデルが余っていた、ということになる。けれど、いくら規模の大きな学校だからといっても寝かせておくために最新モデルのカメラを買えるような部費は出していないはずだ。
32名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/01(土) 18:56:27.58ID:bGKQdJRT
果林「…………まあ、実際のところは本人のみぞ知るだけれど」

その言葉を境に、もはや興味がなくなったとでもいうように朝香さんは食べることに専念し始めた。

彼方「……………………」

果林「ほら、食べないと時間なくなるわよ。……妹さんとおそろいのお弁当なんでしょう?」

彼方「……ああ、うん。そうだね」

朝香さんにそんなことを言われるなんて珍しい体験だ。今朝から疑問は溜まる一方だけれど、今は忘れよう。

彼方「あ、朝香さん、授業終わったら本屋に行こうね」

果林「本屋?どうしてそんなところに……」

本気で意味が分かっていない様子の面持ちに、私は呆れて答える。

彼方「……朝香さん、明日も私のペンだけで乗り切るつもり?」

Day4 Noon End
33名無しで叶える物語(とばーがー)
垢版 |
2023/04/01(土) 18:57:32.02ID:bGKQdJRT
今日はここまでです。
書き込みの調子が悪いのは>>1だけですか?
34名無しで叶える物語(はんぺん)
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2023/04/01(土) 19:32:24.41ID:vBV8m5eA
俺も悪い~
2023/04/01(土) 19:50:33.49ID:bYHvXxEY

あまり不調は感じないですかね
36名無しで叶える物語(しまむら)
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2023/04/01(土) 19:56:17.78ID:d3IFlD9r
前のも読んでた
今のところ何も感じない
37名無しで叶える物語(もんじゃ)
垢版 |
2023/04/01(土) 22:07:48.73ID:pA5QP+IZ
あ〜かなかりたまんねえ〜
期待
2023/04/01(土) 23:35:15.66ID:AN9UCeau
キャラクターを活き活きと描いてくれて日常の解像度が高まるからほんとたすかる
2023/04/01(土) 23:50:13.30ID:+2MkF3BC
Daisuki of Karinに見えた
2023/04/02(日) 07:25:17.45ID:MR0S85X4
続き読みたかったから本当に嬉しい!
前回から半年くらい?経ったけど、しっかりそのまま続いてくれてるの最高だわ......
41名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:02:19.23ID:mWd6f4QD
Day4 Afterschool

放課後、校内にある書店に朝香さんと来た……もとい、ひとりでは迷いそうな朝香さんを連れて来た私は、むしろ書棚で溢れた店内の方が朝香さんを見失いそうだと思った。

彼方「朝香さん、手つなごっか?」

果林「……どうしたの?いきなり……」

突然の申し出に、隠そうとはしているものの引いている様子の朝香さん。キミは自分に対する周りの評価を見つめ直すべきだと思うよ。

彼方「いいから、ね?」

静止した振り子を持ち上げるように朝香さんの手を引いて、最後にウィンクで彼女の口を塞ぐ。そのまま腕も体も引っ張って文具のコーナーへ向かった。手を塞がないように首にかけたカメラが揺れるのにまだ慣れない。

彼方「朝香さん、何本のペンがインク切れになってたの?」

果林「…………何本だったかしら……」

彼方「…………聞いた私が間違ってたよ」
42名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:05:49.99ID:mWd6f4QD
一面に並んだボールペンを前にして、以前からの疑問を朝香さんにぶつけてみる。

彼方「朝香さんって大体ボールペン使ってるよね。シャーペンじゃなくて。どうして?」

朝香さんはノートを取るときも含めてほとんどの場面でボールペンを使っている。だから彼女のノートには二重線での取消しがよくある。そこで修正ペンを使わないところも朝香さんのずぼらさの現れだと思う。

果林「その方が私らしいでしょう?」

彼方「はあ?」

果林「インクも黒じゃないわ。ブルーよ」

彼方「はあ?」

果林「その方が私らしいでしょう?」

彼方「………………」

最初と同じ言葉で締めた朝香さんに、私はただただ呆れていた。

彼方「朝香さんがナルシシストなのは分かったかな」

その表現は心外だと言わんばかりに朝香さんが言葉をつけ足す。

果林「あら、ブルーブラックって、万年筆では一般的な色なのよ?」

彼方「だったら万年筆使いなよ……」
43名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:09:14.53ID:mWd6f4QD
そもそものポイントのずれた弁解を披露した彼女は、今度は呆れた様子でのたまう。

果林「あなた、万年筆使ったことないわね」

彼方「ないけど」

果林「あれはね、すぐにインクが切れるのよ」

誇らしげなような、言い聞かせるような、妙に思い上がった顔で朝香さんがほざく。

彼方「…………それで?」

果林「一週間で諦めたわ」

彼方「……………………」

むしろズボラさを直すためには無理にでも使い続けた方がいいのではないかと、したり顔の同級生を見つめて思う。

果林「……なによ、その顔は」

彼方「朝香さん、私も予備のペン買っとくね。……朝香さん用の」

果林「心外だわ」
44名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:12:42.01ID:mWd6f4QD
予備も含めて10本以上のペンを手に取った朝香さんは、どうせならと雑誌のコーナーへ向かう。

彼方「雑誌が見たいの?……確かにイメージ通りではあるけど……」

果林「ええ、まあそうね」

朝香さんは、彼女にしては珍しくいまひとつ歯切れの悪い返事を残して、さっさと背を向けてしまった。さっきとは反対に手を引かれる私は、慌てて声をかける。

彼方「ちょっ……!朝香さん待って……!」

果林「いいえ、待てないわ。……見せたいものがあるのっ!」

本当にいつもと何かが違う、ハイテンションな朝香さんは引く手の力を緩めてくれない。
でも私だってこのまま引っ張られるわけにはいかない。

彼方「……朝香さんっ!雑誌はそっちじゃないよ!」

果林「………………え?」

今度こそ止まってくれた朝香さんは、それでも顔を見せてはくれない。
けれど、そこにどんな色が見えるのか容易に想像できた私は、サッとカメラを構えて朝香さんの前に出た。

彼方「……捕まえたっ!」

朝香さんの手を振り払った代わりに、今しか見られない深紅の朝香さんの姿を捕らえる。
私は、意識してそうしようとするが早いか、あるいは頬が勝手に動くのが早いか、満面の笑みをお礼に返した。
45名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:15:37.50ID:mWd6f4QD
今度こそやって来た雑誌のコーナーで、朝香さんは若者向けのファッション誌を2冊手に取った。

果林「これ、買いましょう。……他に見たいものはあるかしら?」

彼方「いや、ないけど……」

他の雑誌と見比べるでもなく、迷いなくそれを選んで抱えた朝香さんは、私の返事を聞くと私をレジに誘導した。

果林「…………さ、さすがにレジくらい私も分かるわよっ!?」

彼方「まだ何も言ってないんだけどねえ〜」

軽口を叩きつつ会計を済ませた私たちは、朝香さんの提案でカフェに行くことにした。
私が朝香さんに初めて話しかけたときのことが思い起こされる。

彼方「今日は何を頼むの?」

果林「もう完全に夏だし、アイスコーヒーかしら」

彼方「ホットコーヒーじゃしばらく飲めないもんね〜」

果林「なんのことかしら」

彼女が猫舌なことは、私にはすでにバレているのだけれど、朝香さんは一向に認めようとしない。
私は前回と同じくカフェオレを、朝香さんは宣言通りアイスコーヒーを注文して、前回と同じ窓際の席に着いた。
46名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:19:16.34ID:mWd6f4QD
西日差すカフェの一角で、暖かく柔らかに照らされた朝香さんに、以前のような近寄りがたさはもう無かった。
待たなくても飲めるアイスコーヒーに手を付ける前に、先ほどの雑誌を1冊取り出して私の方へ滑らせる。

果林「これ、お礼よ。今日はありがとう」

彼方「……お、お礼?そんな大層なことは……」

ただペンを貸して一緒に買い物に行っただけでこうも丁重にされては調子が狂う。
……また、雑誌をお礼にするというのが私には馴染みのない行為だというのもそれに拍車をかけている。
結果的に手元の雑誌を怪訝な目で見つめることになった私に、朝香さんが説明してくれた。

果林「ええと………………。……ああ、ここね」

一度手元に戻してパラパラとめくる手つきは手慣れていて、過不足無く、よどみなく、目的のページを開き当てる。
文庫ならともかく、ファッション誌を開いておくには少し手狭なテーブルに置かれたそれ。そこにさっきまでは感じなかった存在感を感じたのは、ただ面積が倍になったからではない。

彼方「次号……デビュー……」

果林「ええ。…………やっとね」

見上げて目にした朝香さんの顔に、今日一日よく目にした、照れたり、軽く怒ったりする色は全くなくて、少し前までの私がただ眺めていた朝香果林が、私の方を向いてそこにいた。
47名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:22:15.64ID:mWd6f4QD
彼方「おめでとう。次号が楽しみだね」

果林「ありがとう。……もう来週なんだけれどね」

彼方「え?これ月刊誌だよね?」

一度閉じて、表紙の中から月刊の細かい文字を捜す。それを見つけるよりも前に朝香さんが答えを教えてくれた。

果林「そうよ。……だから、先月には既に出ていたの」

彼方「ええ?…………もっと早く教えてよ〜」

果林「…………この予告のためだけにいきなり雑誌を1冊持って行くなんて、少しアンバランスでしょう?」

今日たまたま書店に一緒に行ったから、どうせならということなのか。そうでなければ、確かにアンバランスではある。

彼方「…………じゃあ、来週は発売日にプレゼントしてくれる?」

果林「ええ、もちろんよ」
48名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:26:00.98ID:mWd6f4QD
目的は果たしたとばかりに息をつく朝香さん。ストローを咥えてコーヒーを吸う姿に納得感があるのは、その姿すら様になっているからなのか、それともどこか子どもっぽいからなのか。
普段教室で見る、端正だけれど張りつめてはいない、いつもの調子に戻って、からかうように次の言葉を切り出した。

果林「ああ、そういえば」

彼方「?」

果林「あなたがここから逃げたときに、猫舌は飲み方がどうとか言っていたわよね」

朝香さんに私が初めて話しかけた雨降りの日。朝香さんのペースに飲まれきる前に退散しようとして、去り際にそんなことを言った。

果林「その飲み方とやら、教えてもらえないかしら?」

その真意は分からないけれど、何かしら裏がある様子の朝香さんには、私もそれなりの態度で応じることにした。

彼方「なんで?朝香さんは猫舌じゃないんでしょ?」

私の予測ではほぼ間違いないのだけれど、朝香さんはその事実を今でも認めていない。

果林「ええ、そうだけれど。……でも、反対にどういう飲み方をすると熱いものがダメなのか、知りたいと思って」

そこですっと目を細める朝香果林。嘘偽りない上品な笑顔にも見えるものの、どうにもうさんくさい。
49名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:32:03.20ID:mWd6f4QD
彼方「まあ、いいけど。教えてあげるって言ったからね」

私はカップの持ち手に指を通して、縁が口に付く少し前で手を止めた。

彼方「舌の前の方じゃなくて、舌の奥か、裏側に熱いものが当たるようにすればいいんだよ」

極々簡素な説明をして、その後に実演して、熱いものでもちゃんと飲めるのだということを改めて朝香さんに見せつけてからカップを置く。先ほどの会話の間にカフェオレは温くなっていて、もはや舌がどうとか気にしなくても飲めるようになっていたけれど。

果林「そうなのね。…………」

笑顔を崩さずにアイスコーヒーのグラスを円く揺らした朝香さんは、何周かしたところで動きを止めてこちらを向いた。

果林「ねえ、私、温かい物を頼まなかったのよ」

彼方「そうだね」

果林「だから、…………あなたのカフェオレ、一口いただけるかしら」

彼方「は、はぁ!?」

やはりうさんくさい笑顔には裏があった、油断ならない人間だ、とか考えている場合ではない。
今し方、私が口をつけたばかりのカフェオレを、朝香さんが飲もうとしている。
50名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:37:11.70ID:mWd6f4QD
果林「あら、大丈夫?顔が赤いわ。冷たいものでも飲んで頭を冷やしたら?」

ふざけたことを抜かして追撃をかけてくる朝香果林。その武器として自分が一口飲んだばかりのアイスコーヒーと共に。ご丁寧につまんだストローをこちらに向けて。
形式的には私を心配する文言なのに、彼女の顔は変わらず笑顔のままで、私を心配する様子なんて垣間見えるほどもない。

彼方「ちょっ……やっ……」

果林「?」

そこに確実にあるはずの邪気を隠して、顔色をまったく変えずに、軽く頭を右に倒す朝香果林。
年齢の桁を一つ間違えたように子どもっぽくて、あまりにもわざとらしいその動作も、夕陽の当たる面積が増えた顔も、プロのモデルにかかればどうしようもなくかわいらしくて、愛らしい仕上がりになっている。

彼方「い、いらないっ」

果林「そう言わずに、ね?」

普段の朝香さんならば、こちらが遠慮すれば大人しく引き下がる。やはりわざと、こちらの狼狽を分かって故意にやっている。
徐々に距離を詰めてきた朝香さんは、すでに私の口元すれすれまでストローを持ってきていた。
51名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:39:52.48ID:mWd6f4QD
彼方「……ぅ」

白い樹脂の断面が私の唇を押し曲げる。刃物を皮膚に押しつけたようで、さらに押す力に熱さのような痛みを感じる。
わずかに下を向いた刃は、自身をねじ込むように唇同士を切り離そうとする。痛みに耐えられなくなった私は諦めてそれを受け入れた。

果林「ほら、ゆっくり飲んで?」

ストローの首元にかけていた、白さも細さも負けず劣らずのたおやかな指が、今度は私の喉元に迫る。
せめてもの抵抗として中身を吸わずにいたら、信じられないことに朝香果林はグラスを緩りと傾け始めた。

果林「……飲んでくれないとこぼれちゃうわ」

少し目を伏せて、子どもに言い聞かせるように。私の焦る心なんてつゆ知らないように。
まだ一口しか飲まれていないグラスの持つ猶予など大したことはなくて、黒い滝の降り注ぐ限界点はすぐそこまで来ていた。

果林「…………」

コーヒーが私の喉を通ったことを、触感でまで確認した朝香さんが私の首から指を離す。
冷めるどころか、先刻までよりもずっと熱くなったことが一見明白な私の顔を堪能したらしく、朝香さんは席に戻っていった。
52名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:42:20.07ID:mWd6f4QD
彼方「バッカじゃないの!?」

ここがカフェであることは分かっていながらも、爆発するように言葉を吐く。

果林「あら、どうしたの熱くなって。もう一口飲む?」

彼方「いらないっ!」

果林「じゃあ、あなたのそれをちょうだいな」

この期に及んで私のカフェオレにまで手を出そうとする朝香果林。ずうずうしいにもほどがある。

彼方「………………勝手に飲んだら!」

Day4 Afterschool End
53名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:46:18.75ID:mWd6f4QD
Day5 Morning

果林「授業がないって、いいわね」

自席で後ろを向いてごちる彼女は、勉強が苦手だ。まだ休みには入っていないけれど、授業は既にない今の時期は、彼女にとって天国のようなものだろう。
先週テストを終えた虹ヶ咲学園は、既に夏休みムードに包まれていた。二学期制の学校では、前期中間テストの後にあるのは前期期末テストではなく、夏休みだ。

彼方「じゃあスポーツは?」

果林「それなりに自信はあるわよ。これでも結構活発な幼少期を過ごしてきたの」

彼方「それ、自分で言う言葉かな……?」

まるで有名人の紹介文のようなセリフを自分で述べた朝香さんのナルシシズムの片鱗はともかく、今日のイベントは普段よりも朝香さんの得意分野らしい。

果林「そろそろ行かないとね」

彼方「うん、そうだね」

私は朝香さんとともに立ち上がって、ストラップと繋がったカメラの重みが首にあることを確認して、会場へ向かった。
54名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:51:40.82ID:mWd6f4QD
体育館に着いた私たちは、緊張感と歓声に満ちた空気に迎えられた。それは学校の球技大会というよりも、プロスポーツの会場のそれに思える。これも規模の大きな学校だから仕方ないのだろう。

彼方「私より朝香さんの方が先だよね?私観戦してるね」

果林「ええ、行ってくるわね」

今回の種目はバレーボール。どこからともなく取り出したヘアゴムで深く煌めく藍色の髪をポニーテールにする後ろ姿を見て、慌ててカメラを構える。
シャッターの音が聞こえたのか、一度こちらを振り返ってウィンクひとつ。そちらも同じように写真に残した。そこら中で上がっている歓声が、いくらかは朝香果林に向いているような気もする。

彼方「……♪」

プレビューで写りを確認して、私もウィンクを返す。跳ねたポニーテールが空になびくのにつられて目線を僅かに横に逸らすと、反対側の壁際にカメラちゃんの姿があった。肩に鞄までかけている。

彼方「写真部だもんね。いるのは当たり前か」

呟いたとき、カメラちゃんの目線が私の方に向いた。何を思ったか、カメラを下げてこちらへ向かってくる。
55名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:54:52.33ID:mWd6f4QD
彼方「お、おはよう……」

かける言葉が見つからず、ぎこちない挨拶になってしまった。彼女はそれを全く気にせず、要件を伝えようとする。

「おはよう。……そのレンズだけど」

彼方「うん」

「きれいに写るんだけどズーム出来ないし、遠くも狙えないし、スポーツには不便でしょう」

カメラ本体とは違うメーカーの名前が書いてあるこのレンズは、回してもピントが変わるだけでズーム出来なかった。ズームが出来ないタイプのレンズというものらしい。

「…………これ、渡しておくわ」

彼方「うん…………うん?」

鞄から取り出した黒いレンズを私に渡すカメラちゃん。今ついているものよりも随分長い。

「これなら今のレンズより広く写すことも出来るし、ずっと遠くを写すことも出来るわ。……でもかさばるから、日ごろから持ち歩くのは難しいかもね」

彼方「ええっと…………。こんな高いもの渡して大丈夫なの?」

「あと、外したレンズはこれに入れておきなさい」

私の質問には答えず、カメラちゃんはシンプルなポシェットを押しつけてきた。

「……今度部室に来て。撮ったの、全部見てあげる」
56名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 18:58:49.19ID:mWd6f4QD
「それじゃ、私は色々と撮らないといけないから。さようなら」

彼方「いや、ちょっと!」

去って行くカメラちゃんを引き留めようにも、両手はレンズとポシェットで塞がっていて手が足りなかった。

彼方「行っちゃった……」

仕方なくその場に座り込んで、レンズを交換してみる。交換するレンズを持っていなかったから実践するのは初めてだけど、方法はカメラを渡されたときに教わっていた。

彼方「高いんだろうなあ……このレンズ」

朝香さんにこのカメラが最新モデルだと言われて、一応調べた。最初に渡されたカメラとレンズの組み合わせが15万円くらいするはずだ。
その時に入ってきた知識によると、何ミリメートルと書いてあるところが大きければ大きいほど遠くを写せて、値段も高くなるらしい。焦点距離といったか。

彼方「12mmから100mm……!?」

一体いくらするのか調べるのが恐ろしくなって、スマホを取り出そうとした手を止める。前を見ると朝香さんの出る試合が始まろうとしていた。

彼方「……とりあえず撮らないとっ」
57名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:03:10.32ID:mWd6f4QD
電源を入れると、それまでよりずっと広い世界が画面に映る。それまで30mmと表示しているところしか見たことがなかったところに、12mmと表示される。2倍以上広く映っている……ということだと思う。
網目越しの世界の中央に朝香さんを据えて、レンズのリングを回す。静かな車に乗っているかのようなスムーズさで朝香さんに近づいていくけれど、こちらに気付く様子がないのがむずがゆい。

彼方「盗撮してるわけじゃないんだけど……」

数字が大きくなるほど朝香さんの顔がより大きくなって、つられて私の緊張も高まる。
表示される数字の桁が変わったところで、試しに1枚撮影して、少しリングを戻した。

彼方「……透明人間みたい」

もしかすると朝香さんなら試合に臨みつつこちらのことも意識しているのかもしれないけれど、ひとまずコート上の視線はボールに向いている。私の存在はそこになかった。
唯一存在をアピールするチャンスのシャッター音も、ボールの衝撃や走る音、周囲の歓声にかき消される。

彼方「…………」

ボールがコートを数巡往復する。相手側コートから打ち込まれたボールを朝香さんが受ける。朝香さんはその勢いでネットの方へ走りだす。
目まぐるしく動く青いオオカミを電子の目で捉えつつ、私はひたすらボタンを押し込み続けた。

彼方「うわ…………」

クラスメイトがボールを高く、上階の観客席と同じところまでトスする。コートの中で誰よりも長身の朝香さんが、ボールをこれ以上落ちさせまいと迎えに行く。

彼方「え」

胸をネットの上端まで上げて、振りかぶった腕ごとボールを落とす。
勝ち点への距離は、驚くほど短かった。
58名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:07:29.05ID:mWd6f4QD
あっという間に試合を終わらせた朝香さんがこちらに戻ってくる。額に乗った汗とさすがに乱れた髪は、彼女にかかればもはやアクセサリーだった。
最後に1枚写真を撮って、カメラを下ろして迎える。

彼方「おつかれさま」

果林「ありがとう。……さすがに疲れたわ」

息が上がった様子で答える朝香さん。それでも彼女は言葉を継ぐ。

果林「さっきの人が、『カメラちゃん』かしら?」

いつの間にか見ていたらしい。私は重くなったカメラを掲げて見せた。朝香さんは呆れた様子で答える。

果林「……聞くまでもなかったようね」

彼方「私も正直困ってるんだよ……」

果林「あら、その割には随分私のこと、撮っていたんじゃない?」

彼方「気づいてたの?」

確認してみると、軽く100枚以上撮影していた。スポーツは動きが多いから仕方ないのだろうけれど、自分で思っていたよりもはるかに多い。
59名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:12:01.10ID:mWd6f4QD
彼方「カメラちゃんに言われたから仕方ないよ」

果林「そうかしら?今に限って言えば、彼女が自分で私を撮ればいいじゃない」

彼方「…………」

確かに言うとおりだ。朝香さんを撮れと言われたのは嘘ではないけれど、さっき改めて言われたわけではない。

果林「……そんな必要、ない気がするけれど」

彼方「え?なに?」

果林「ほら、あなたの番よ。早く行きなさい」

彼方「もー……」

急かす朝香さんは何を言ったのか説明してくれない。
コートに向かおうとして振り返ったところ、お腹に軽い衝撃を覚える。

彼方「……あ、カメラ……」

果林「持っててあげるわ。あなたの撮ったものも見たいし」

彼方「よろしく。じゃ、行ってくるね」
60名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:17:01.05ID:mWd6f4QD
果林「あ、ちょっと」

急かしたかと思えば私を呼び止める朝香さん。振り返ると後ろ手にヘアゴムを引っぱって、小さくまとまったポニーテールを振り広げている。

彼方「なに?」

果林「私ならともかく、あなたの髪は結ばないと危ないわ」

彼方「あ、そうだね」

言われてヘアゴムを取り出す。

彼方「……え」

果林「忘れてきたでしょう。カメラに気を取られて」

彼方「あー……」

やってしまった。朝香さんの言うとおり、今の私はカメラ以外何も持っていない。

果林「貸してあげるわ。……向こう向いて」
61名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:22:53.79ID:mWd6f4QD
彼方「ありがと……」

言われるがままにコートの方を向く。朝香さんは手際よく私の髪を手に取ってまとめていく。

果林「でも、それだけ熱中出来るものがあるのはいいことよね。嫌いじゃないわ」

彼方「え?熱中?」

私はそこまで写真に熱中していただろうか。……確かに、カメラ以外何も持ってこなかったのでは、反論は出来ないけれど。

果林「……はい、出来たわ。似合うわね」

彼方「お世辞はいらないよ」

果林「私がお世辞なんて言うと思う?」

彼方「…………」

朝香さんは、性格が悪いようでも嘘はつかない。そんな事実を今思い出さなくてもいいのにと思う。

彼方「……ありがと!」

それだけ言い残して、振り返らずコートに向かった。
62名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:30:58.76ID:mWd6f4QD
どちらかに点数が加算されるたびにわき起こる歓声は、単なる学校内イベントをプロチームの試合かのように思わせる。
観客ではなく選手としてそれを経験している今の私は、ただ感心している。

彼方「本当に何かの公式大会みたいな雰囲気だなあ……」

その雰囲気の醸成には、視界の左側でカメラを構えているカメラちゃんも一役買っていると思う。そのほかにもカメラを構えている生徒がちらほらいるけれど、彼女が最も目立っている。
朝香さんと違って、私はやはりレンズに見つめられることには慣れていないらしい。

彼方「…………」

相手コートからのサーブボールは、私のところへ飛んできた。

彼方「うわっ……!」

咄嗟に両手を合わせて、ボールの軌道へ持って行く。それが精一杯だったけれど、そのボールはなんとか相手コートに返された。

彼方「いったあ……」

手首は熱さでもって痛みを訴えているけど、バレーボールというせわしい競技はそれがおさまるのを待ってくれない。
トスに回ればこの痛さも少しは休められるかと思って、ネットの前に近づく。

彼方「ふぅ……」
63名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:35:40.36ID:mWd6f4QD
「近江さーん!」

クラスメイトに呼ばれて改めてボールを見やる。跳ねたボールは私へ向かって来ていて、休んでいる暇はなさそうだった。

彼方「えー……」

私はもっとゆっくりしていたいのに。でも無視するわけにもいかず、両手を胸の前に備える。

彼方「そーっと…………えいっ」

ネットに平行な向きで、花開くような動きでボールをふわっと持ち上げると、花びらの間にカメラのレンズ。
寄ってきた虫をいなした私は、実はもっと別の動物に狙われていた。

彼方「……うわ、はずかし……」

無意識のうちに撮影されることの恥ずかしさを再確認してしおれた私は、相手コートの方に向き直る。
朝香さんの操るレンズから目を背けたと思ったら、今度は視界の左側にも同じ動物がいるのを見つけてしまった。

彼方「あー、カメラちゃんか……」

左右を抑えられたコート上に逃げ場はないらしい。
敵はカメラのレンズだけではない。また飽きもせずこちらのコートへ飛んできたボールもそうだ。
64名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:41:05.57ID:mWd6f4QD
クラスメイトが受け、飛ばす。着地を妨げられたボールは、また同じように垂直落下の軌道を与えられようとしている。

彼方「……え、わたし?」

落下予想地点に一番近いのは私だ。ボールの下を通り過ぎない程度に軽く駆け出した。
いつでも腕を振り上げて、落とせるように心の準備をしておく。一瞬のタイミングを逃せない緊張が私の身体を強ばらせるのと、その一瞬がやって来るのは、どちらが早いだろうか。

彼方「…………っ」

走りながら飛び上がる。慣れないことをしたからか、あまり視点が上がった実感はない。
自分が落ちだしたのを感じた瞬間、それにあがくように、足ではなく腕を振り下ろす。

彼方「やあっ!」

押せば凹むはずなのに、そんな気はさらさらないとでもいうほど固いゴムの感触を手のひらいっぱいに感じて、顔が歪むのが分かる。
アスファルトの地面みたいにざらざらした球面が手元を離れて、私の身体が床に落ちる。前のめりになった体につられて、ポニーテールが背中をトンとたたいた。なぜか一回で終わらなかったノックは、最初よりも強くなった。
65名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:44:50.55ID:mWd6f4QD
「やったー!」

「近江さん最高ー!」

彼方「え?…………え?」

振り返ると、チームの全員がゲームを放棄して私のところに集まっていた。

彼方「…………かったの?」

混乱から間抜けな抑揚で発声した私に、口々にみんなが笑って答えてくれる。
私はその場からなかなか解放されなくて、助けを求めてあたりを見回す。

果林「♪」

朝香さんはお得意のウィンクを送ってくる。今の私には返す余裕もなくて、頼りにならない朝香さんの代わりを探した。

「…………」

反対をみやると、カメラちゃんがめずらしくカメラを下げてこっちを見ていた。遠目にだけれど、口元が引き結ばれているのが分かる。
何か文句でもあるのかと心配になるけど、目尻は下がっていて、全体的には笑顔に見える。不思議な顔だ。
66名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:47:38.30ID:mWd6f4QD
果林「おつかれさま」

彼方「ありがとう……って朝香さん、ウィンクするだけじゃなくて助けてよ!」

もみくちゃにするクラスメイトから解放されて朝香さんのところに戻った私は、一応文句を言っておいた。

果林「だって、あの中に入っていったらこの高いレンズにキズが付くかもしれないでしょう?」

彼方「ものは言いようだね」

そんな殊勝なこと、考えてもいないということを隠しもしない表情に毒づく。
それもやはり気に留めない朝香さんは、撮影したものをわざわざ見せてくる。

果林「どう?いい写真でしょう?」

私がトスを終えて朝香さんのレンズに気づいたときの写真だった。こちらを向いている私のほかに、アタックしたクラスメイトや朝香さんと一緒に私を挟んでいたカメラちゃんも写っている。

彼方「自分の写ってる写真みても…………」

果林「そういうことじゃないのだけれど……。まあいいわ」

どうせなら朝香さんを写した写真を見ればいいと思う。私の渾身の作なんだし。

果林「あなたの撮ったのも見させてもらったわ。いい写真、ありがとう」

彼方「それは…………どうも」
67名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:50:50.05ID:mWd6f4QD
果林「そうだわ。ヘアゴム返してくれるかしら」

彼方「ああ、うん。ありがとね」

ポニーテールをヘアゴムの中で滑らせて抜き取る。初めて触れたそれは、同じくゴムで出来たバレーボールとは違って、優しくて柔らかだった。

果林「私も今日はこれ一本しか手持ちがないのよね。普段使わないし」

彼方「え?」

朝香さんの言葉に認識の食い違いを感じた私はつい声を出した。

果林「どうかしたかしら?」

彼方「それ、もしかしてさっき朝香さんが試合中に使ってたやつ……?」

果林「そうだけれど?」

彼方「…………っ」

ボールをたたき落としたときよりも固い衝撃と、ボールを受け止めたときの手首よりも顔が熱くなるのを感じた。

Day5 Morning End
68名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/02(日) 19:52:23.51ID:mWd6f4QD
今日はここまでです。
明日で終わりです。

ちなみにいま彼方ちゃんが持っている機材は全部で30万円位のものです。
69名無しで叶える物語(光)
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2023/04/02(日) 19:54:07.23ID:wgfcHIje
ありがとうございます
2023/04/02(日) 20:11:40.94ID:umnBvDTH
終わるな!終わらないでくれ!
2023/04/02(日) 20:12:45.72ID:I9SLbCgY
3日ずつ更新していく感じかな?
結構綿密に構成してそうでいいですね......
2023/04/02(日) 20:28:53.47ID:BQ7BPRhc
素晴らしいSS…続き楽しみです
2023/04/03(月) 08:22:40.38ID:SIaxVU9h
支援
74名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 18:48:17.22ID:m2ClmTL7
Day5 Noon

私の前の席で、椅子を180度回転させてこちらを向いて座っている朝香さんの眼差しは、私にぶつかっている。
食事をそれなりに管理している彼女は、小食というわけではないだろうけれど、食事の量があまり多くない。私よりも先に食べ終わるのは当然の結果ではある。

彼方「……ねえ、話したいことがあるなら早く言ってくれない?私は食べながらでもいいからさ」

数分前に食事を終えた朝香果林は、それからずっと私を眺め続けている。もの言いたげな視線にさらされながら自分だけ食事をするのもいい加減居心地が悪い。

果林「いえ、ここでは話したくないわ」

彼方「はあ?」

ここでは、なんて限定を付けるあたり話す気はあるのだろうけれど、正直うっとうしいのでさっさと話して欲しい。

彼方「なんでここじゃダメなの?」

果林「どうせなら全員の前で推理を披露するほうが楽しいでしょう」

彼方「はあ?」
75名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 18:53:27.86ID:m2ClmTL7
高校生には普通馴染みのない推理などという行為を、よりによってあの朝香果林がするなんて。自然と細められた目元は、ずっとこちらを見つめている朝香果林には当然すぐに察知される。

果林「あら、私、これでも推理には自信あるのよ?」

彼方「何も言ってないけど」

この数週間、朝香さんに接した人間としては、その言葉はにわかには信じがたい。……いや、信じがたい。

果林「私、勉強は出来ないけれど、頭の回転は速いのよ」

自信満々に言ってのける朝香果林。その自信はどこから来るのだろうか。

彼方「それ、自慢げに言うことじゃないよ?」

果林「早く食べないと推理を披露出来ないわよ?」

彼方「…………」

ここでは話さない、なんて私を焦らしているくせにふざけたことを言うものだと思う。言葉を飲み込んだ私は、視線を朝香さんのそれと重ねながら箸を進めた。
76名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:00:20.73ID:m2ClmTL7
彼方「…………それで?どこならいいの?」

朝香さんの視線に耐えつつ昼食を食べきった私は、なんだかもうすっきりした気分で訊ねた。
朝香さんは私の身体を一瞥して、私に背を向ける。

果林「案内するわ。ついてきて」

彼方「え?」

さっさと歩き出す朝香さんに仕方なくついていく。既視感があるのは何に対してだろうか。

彼方「…………」

果林「…………」

彼方「ねえ、朝香さん。全員って誰なの?」

せめてそれくらいは聞かせて欲しいと声をかけると、返答とも言えない返答がやってきた。

果林「彼女よ」

彼方「かっこ付けなくていいから」

果林「…………カメラちゃんよ」
77名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:05:15.76ID:m2ClmTL7
彼方「推理って、カメラちゃんに何の推理があるの?」

確かに彼女の行動はよく分からないし、何も説明してくれないけれど、私でなく朝香さんが何に気づいたのだろうか。

果林「あなたからは見えないこともあるのよ」

彼方「……ふうん……」

朝香さんの向こうを見ると、虹ヶ咲自慢の巨大なゲートが佇んでいる。一般的な学校では校門にあたるものだ。
それで復活した疑問を再度朝香さんにぶつける。

彼方「……ねえ、朝香さん、どこに向かってるの?」

果林「どこって……彼女がいるのは部室でしょう?」

今度は隠さず、しかも堂々と答える朝香さん。

彼方「写真部の?」

果林「他にどこがあるの?」

彼方「この方向に写真部の部室があるの?」
78名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:15:12.89ID:m2ClmTL7
果林「…………」

彼方「推理に自信を持つのはいいけどさ、方向に自身を持つのはやめたら?」

果林「うるさいわよっ!」

目的地が私の知っているところだと分かったので、朝香さんの手を取った私は引き返して彼女を先導することにした。学内のコンビニや書店を流し見て部室棟に目を向ける。

彼方「まったく…………」

果林「…………」

彼方「朝香さん、学内に迷子呼び出しのシステムはないんだよ?」

果林「学内で迷うことなんてないわ」

たった今の事実を無視してすっとぼける朝香果林は、それだけを聞けば真実だと思えるほどに雄弁だった。

彼方「今迷ってたじゃん!」

果林「部室棟なんて行ったことないんだもの。仕方ないじゃない?」

彼方「…………」

本当に聞く価値のある推理を披露してくれるのか、不安だ。
79名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:19:03.00ID:m2ClmTL7
彼方「っていうかさ、そもそも部室にいるの?カメラちゃん」

果林「いると思うわ。撮った写真はすぐに確認したくなるものでしょう?」

カメラちゃんを形容した言葉は、私にも納得できた。

彼方「そうかな、確かに。…………ほら、ここだよ」

ドアの上部に写真部の表示を確認した朝香さんは、間を置くこともなくノックする。

「っは、はいっ、どうぞ!」

彼方「え?」

私が聞いたことのない慌てた様子のカメラちゃんの声がする。朝香さんはさっさとドアを開けてしまう。
カメラちゃんはパソコンの前に座っていたけれど、画面が付いていない。朝香さんの後に私の姿を認めたカメラちゃんは、いつもの様に尊大な話し方に戻る。

「あら、どうしたの?」

彼方「えーっと……、なんて言ったらいいのかな」

特異な状況の説明に悩む私をよそに、朝香さんが仕切り出す。

果林「……とりあえず、座りましょうか」
80名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:24:49.33ID:m2ClmTL7
果林「そうねえ……。本題に入る前に、どうせならあなたの撮った写真、見せてもらえないかしら」

「…………い、イヤよ」

朝香さんは、拒否の言葉を聞いて目を細める。一目見て明らかだったのは、それが意地の悪い微笑みの類だったことだ。

果林「あら、どうして?写真部だったら撮った写真は展示するでしょう?」

「それは…………」

果林「それとも、被写体本人に見せるのは、やはり恥ずかしいかしら」

「…………そ、そうよ!」

確かに朝香さんのファンが、自分で撮った写真を憧れの本人に見せるというのはなかなか酷なことかもしれない。そんなことを求める朝香さんもやはり性格が悪い。
81名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:28:31.46ID:m2ClmTL7
果林「ちなみに、今日は何枚くらい撮ったのかしら」

「……に、200枚くらい……」

果林「そう……」

それを聞いた朝香さんは満足げに微笑む。自分がそんなに撮られているからって、その反応はナルシシストのそれだ。

果林「……ところで、私のデビュー誌はもう買ったのかしら」

「は?」

果林「私のモデルデビュー誌よ。今日発売だったでしょう?」

朝香さんはころころと話題を転がすし、唐突なテーマばかり俎上に上げる。
でも、この言葉には聞き覚えがあった。先週の朝香さんが言うには、今週がその発売日だと。

「そんなこといきなり言われても……。私あなたのファンじゃないし」

彼方「ん?」

カメラちゃんの放った言葉に致命的な矛盾を感じて、思わず口を挟む。でも続く言葉を見つけられなくて朝香さんを見たら、やはり得意の満足げな表情を湛えていた。私はそれに安心していいのか、戸惑うべきなのか分からなくなってしまった。

果林「……やっぱり、そうよね。…………あなたの方からは、レンズを向けられている感覚が無かったもの」
82名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:33:48.15ID:m2ClmTL7
彼方「えっと……どういうこと?朝香さん」

果林「どういうこともなにも、今彼女が話した通りよ」

全てに納得した様子の朝香さんは、今度は大げさに、ゆっくりと話し始めた。

果林「今の会話の中で、彼女は、今日撮った写真を私たちに見せるのはイヤだ、と言ったわ」

果林「理由を聞いた私に対して、被写体本人に見せるのは恥ずかしいと認めた」

机を挟んだ向こうのカメラちゃんから、視線を体ごとこちらへ向けた朝香さんは、さらに続ける。

果林「その後、200枚ほどの写真を撮ったとも言ったわね」

朝香さんの瞳が、真っ直ぐに、私だけを捉える。そして双眸を細めて。

果林「…………そして、私のファンではない、とも言ったわ」

彼方「…………」

そこで少し頭を傾けた朝香さんの顔からは、張りつめた糸が抜け落ちていった。

果林「あなたよ」
83名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:39:17.63ID:m2ClmTL7
彼方「ぇ……」

それは声と呼べるのか、ただ息が漏れただけか。
朝香さんは、わずかに私から視線を逸らして、虚空をみつめた。

果林「好意があるなら、言葉にして伝えないと、届かないわ」

それから、また私を捉えて。

果林「彼女は、あなたのファンなのよ。……彼方」

彼方「ええ……!?」

私の目の奥で、何かがじわっと熱くなる。そこにかき混ぜる力が加わって、ただ座っているだけなのが酷く落ち着かなくなった。
信じられない事実を押しつけてくる朝香さんから逃げて助けを求めるようにカメラちゃんの方を向くと、彼女はもっと信じられないことをのたまった。

「なによ……。最初からそう言ってるじゃない……」

彼方「ええ!?…………いやいやいや、言ってないよ!」

果林「これは…………ツンデレというものね」

「朝香果林は黙ってなさい!」

ツンデレキャラクターがいかにも言いそうなこの一言を聞いた以上、私は納得せざるを得ないらしい。
84名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:43:07.81ID:m2ClmTL7
彼方「じゃあ、最初に私を呼び出したのも」

果林「あなたのファンだからよ」

彼方「私が朝香さんにお姫様抱っこされてる写真を撮ったのも」

果林「あなたのファンだからね」

彼方「私に最新のカメラを貸してくれたのも」

果林「あなたのファンだからでしょう」

彼方「データを送ればいいだけなのに、写真を見せに来てって言ったのも」

果林「あなたのファンだから」

彼方「さっき高そうなレンズを渡してくれたのも」

果林「あなたのファンだからこそね」

彼方「撮った写真を見せに来てって言ったのも」

「……あなたのファンだからよ」
85名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:48:27.76ID:m2ClmTL7
彼方「…………あの」

果林「なにかしら」

おそらく、他者からファンだと言われたときに取るべき行動を取れていないだろう私は、先達に助言を求めた。

彼方「私、朝香さんと違ってモデルでもないし、ファンだって言われても正直ピンとこないんだけど……どうしたらいいのかな?」

果林「さあ?」

彼方「はあ?」

なんて無関心な回答だろうか。朝香さんなら答えを知っていると期待したのに。

果林「……というより、何もしなくていいのよ」

彼方「……はあ」

何か答えてくれるのかと思ったら、またも煙に巻かれたような内容で気が抜ける。それでも朝香さんにはまだ続きがあった。

果林「……今までのあなたを好きになってくれたんでしょう。……そのままでいいのよ」

彼方「うっ……」

ストレートに形容された事実を改めて受け止めると、今度は顔の中も表も、どこもかしこが熱くなるのが分かる。
そのままカメラちゃんを見つめると、彼女からは怒られてしまった。

「……なによもうっ!私まで恥ずかしいじゃない!」
86名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:52:47.63ID:m2ClmTL7
果林「ふたつ、分からないことがあるの」

他人の照れなど興味が無いという雰囲気で話題を自分で動かす朝香さん。私はまだ分からないことだらけだというのに。

果林「まず、どうして彼方にカメラを渡したのかしら。……どうせなら、私に彼方の写真を撮らせた方がよかったと思うのだけど」

「…………同じ趣味が出来たら嬉しいでしょ…………」

彼方「あ……」

口を付いて出た声に、朝香さんが耳ざとく反応してくれる。

果林「どうしたの?」

彼女にカメラを渡されてから数日。その間に私が思ったこと。これだけは言葉にしておかないといけないと思った。

彼方「……楽しかった!……ありがとう」

「…………!」

見るだけで分かる彼女の言葉を受け取って、私はちゃんと彼女の好意に答えられたのだと確信できた。
87名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:56:40.30ID:m2ClmTL7
果林「じゃあ……」

いい雰囲気の中、朝香さんがまたもや口を開く。朝香さんにとってはやはり自分の好奇心が一番重要なのだと思う。

果林「被写体の指定が私だったのはどうしてかしら」

彼方「あ、確かに。私も気になる」

その疑問は最もだった。彼女がそう指定したからこそ、私はカメラちゃんを朝香さんのファンだと思ったんだし。
まさか朝香さんのファンクラブに流すためではないだろうし。

「その方があなたも乗り気になると思ったからよ」

彼方「どういうこと?」

「だって……あなたは朝香果林のファンなんでしょう?」

彼方「へ?」

「だから!あなたは朝香果林のファンなんでしょう!?」

彼方「……え!?」

果林「…………あら、違うの?」

求められたのは、未だに出せていない答えだった。

Day5 Noon End
88名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 19:58:22.47ID:m2ClmTL7
Day5 Afternoon

果林「……さすがに次は迷わないわよ」

彼方「……何も言ってないけど」

部室棟を出て、どこかへ向かいだした朝香さんが口にした言葉。ただ、そもそもどこに向かっているのかも聞いていないので、迷っているのかいないのかも私には判断出来ない。

彼方「どこ行くの?」

果林「先週も行ったところよ」

彼方「先週。……っ」

カメラを受け取ったあの日の放課後に朝香さんと行ったカフェで、私は朝香さんに飲みかけのアイスコーヒーを無理矢理飲まされた。そのことを思い出して軽く息が詰まる。

果林「書店よ」

彼方「書店……ああ、そっか。ペンと雑誌買ったよね」
89名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:03:42.03ID:m2ClmTL7
果林「今回は雑誌だけよ」

彼方「……デビュー誌」

先ほどのカメラちゃんとの会話の中で朝香さんが言っていた。今日が発売日だと。

果林「ええ。約束通り、発売日にプレゼントしようと思って」

彼方「…………」

果林「あら、いらないの?」

彼方「そうじゃないけど……」

先週の私なら、喜んでもらっていたと思う。
けれど、私は朝香さんを撮ることに楽しさを見出してしまった。素人の真似事なのに。
右手を、首からぶら下げたカメラのグリップにそっと添える。

果林「…………」

立ち止まった朝香さんが私を振り返る。私は慌ててカメラから手を離した。
近づいてきた朝香さんが私の手を取って言った。

果林「ほら、行きましょう?」
90名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:05:45.73ID:m2ClmTL7
学内の書店に迷うことなく辿り着いた私たちは、真っ直ぐ雑誌の棚に向かう。朝香さんが手に取ったものの誌面に、わたしは目線を向けられなかった。
同じものをもう一つ取り出して、朝香さんはレジに持って行く。私は、視界の上の方で朝香さんの手元を、下の方でカメラに添えた私の手を見つめる。

彼方「…………」

見上げた先に広がる朝香さんの後ろ髪。彼女が歩くのに合わせ揺れて流れる、海底のように深い藍色。震える手でレンズキャップを外し、電源ボタンを押し込む。キャップの爪がレンズの縁とこすれる。指を隣のシャッターボタンに滑らせたところで、手が固まった。
前を歩く朝香さんが、少しだけ頭を動かした気がする。彼女はそのまま会計を済ませた。

果林「……さあ、落ち着けるところに行きましょうか」

彼方「またカフェ?」

果林「いいんじゃないかしら」

彼方「先週と一緒じゃん」

果林「……そうね」
91名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:07:43.27ID:m2ClmTL7
夏の陽射しにさらされたカフェテリアに入る。朝香さんが私の注文も聞いてくれた。

果林「今日もカフェオレ?」

彼方「んー……さすがに今日は暑いし……」

果林「じゃあ、アイスコーヒーにしましょう。……アイスコーヒーふたつ、お願いします」

季節にも合っているシンプルな飲み物らしく、すぐに提供されたオーダーを手に取って座席に向かう。
先週とは違って、席に着いた朝香さんは、すぐには雑誌を取り出さなかった。

果林「熱いわね。本当に」

彼方「その割にはけろっとしてるように見えるけど?」

果林「そんなことないわよ?ほら」

そう言って指差した額には、うっすらと汗が浮かんでいた。

彼方「あ、ほんと……」

果林「…………」
92名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:09:20.96ID:m2ClmTL7
果林「ねえ、少しカメラ貸してくれる?」

彼方「……いいけど」

ストラップから首を抜いてカメラを朝香さんに渡す。ダイヤルを回しては拡大したり画像の細部を見つめている。ギャラリーを漁る朝香さんを、私はじっと待った。
何故かも分からないまま鼓動が強くなり、心臓がポンプのように動いていることが実感できるほどだった。
朝香さんと最初にここで会話したときもそうだったことを思い出す。私の思考は、彼女に筒抜けであると思えた。

果林「いいわよね。あなたの写真」

彼方「どこが?」

果林「あなたにしか撮れないところかしら」

素人の写真に何を、と思った私に、朝香さんは言葉を続ける。

果林「本当よ?……まあ言っても仕方ないでしょうけど」

言い切る前に、朝香さんは問題の雑誌を取り出す。ページを広げてこちらに押された雑誌に、私は身体を押し出された気がした。

果林「緊張しなくていいのよ。とりあえず眺めてみて」

彼方「うん……」

それはスタジオの中なのか、それともどこかの観光地なのか、輝くように美しい背景と、それに負けじと存在感を放つモデル。顔を右に向けてこちらを見つめる朝香果林の、深海のような紺青の髪も、青空を切り取ったような目も、全てが光り輝いている。まるでこの世の美をかき集めて人間の形に仕立てたようだった。

彼方「完璧だよ。……すごいね」

果林「でしょう?」
93名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:12:05.69ID:m2ClmTL7
溢れる自信を言葉にした朝香さんは、おかしな言葉を続ける。

果林「でも、足りないものはあるのよ?」

彼方「なにが?」

果林「私という人間がいないわ」

彼方「は?」

平然とされた異常な発言に固まる。朝香さんのこれまでの発言の中でも、最もおかしなものだと思わざるを得なかった。

彼方「意味分からないんだけど」

果林「思わないかしら?綺麗過ぎるって」

彼方「思ったけど……」

普通、そんなことは自分では言わない。けれど、彼女の目がからかいのそれではないのを見て、私の目の前の人間は普通ではないことを改めて思い出す。それは彼女に近づきたいと思った理由でもあった。
94名無しで叶える物語(とばーがー)
垢版 |
2023/04/03(月) 20:14:33.81ID:m2ClmTL7
そこからの朝香さんは、蕩々と語った。

果林「人によって色々考えはあるでしょうけど、モデルってファッションに身体を貸す人間なのよ」

彼方「はあ……」

果林「だって、そうでしょう?その服やアクセサリーを、私が身につけて似合うことは重要だけれど、それを見た人が自分でも付けたいと思わなければ、モデルのいる意味は無いわ」

朝香さんの言葉をゆっくり咀嚼して、飲み込む。確かに、ファッション誌にモデルがいる意味は、ファッションを見せるためだろうというのは理解出来る。

果林「だから、その誌面に映っているのは私の全てではないのよ。ただ身体は写っていても、私がどういう人間で、何を考えているのかは伝わってこないわ」

果林「……例えば、勉強が苦手とか、熱いものが苦手だとか…………」

彼方「……あははっ。たしかに」

果林「そこで笑わないでくれないかしら。……とにかく、まあ言ってしまえば、心は写っていないのよね」

そこで言葉を止めた朝香さんは、さっき私が渡したカメラを顔の横に持ち上げて私に見せる。手元の雑誌に載っている完全無欠のモデルと同一人物とは思えないほど、かわいらしさの溢れる構図だった。
いつもなら意地悪く細められている目は大きく見開かれ、周囲の全てを手玉に取ったと言わんばかりに抱き合った唇は、起き抜けに伸びをするように広がって、自由になる日を待っている。跳ねた口調の声が私に届いた。

果林「でも、あなたの写真は違うわっ」
95名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:16:43.17ID:m2ClmTL7
彼方「どう違うの?」

果林「人間としての私が写っているもの」

人間としての朝香さんが写っているとは、朝香さんがどういう人間か分かる写真だということだろうか。
私には、そんな大それた写真を撮った覚えはないのに。

果林「だって、あなたは私の日常を写したでしょう?」

彼方「それは……普段の朝香さんを撮ってただけだし」

私はそれだけしかしていない。それでも朝香さんは私を肯定してくれる。

果林「でも、普段の私を撮ってくれるのは、あなただけよ」

彼方「……それだけで、いいのかな」

果林「ええ。……私のぜんぶを写してくれて、ありがとう」

その言葉で、私は全てを受け入れるしかなくなってしまった。

彼方「…………うぅ」

果林「ちょっと……泣かないで?……もう……」

彼方「うるさい。……泣いてないもん」
96名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:19:22.03ID:m2ClmTL7
果林「早く泣き止まないと、その泣き顔撮影するわよ?」

そんなことをさせてなるものか。夏服になって袖の無くなった腕で強引に目元を拭う。

彼方「カメラ返して。そのカメラは朝香さんより私が持ってた方がいい」

果林「あら、もう復活かしら?」

彼方「うん。今から撮る」

朝香さんは、さっき顔の横にカメラを構えたときよりも笑顔になって、カメラを返してくれた。

彼方「考えてみたら、このカフェでは朝香さんの写真撮ってなかったでしょ?……ほら、ちゃんとお茶しよ」

果林「コーヒーだけど……そうね」

彼方「そういえば、ブラックコーヒーは飲めるんだね。砂糖入れなくても」

果林「もうそんな軽口を叩けるほど元気になったの?」

彼方「その方が、ちゃんと朝香さんを知れるからね」

雑誌では絶対に見られない朝香さんの呆れた顔は、私の日記に貼り付けておこう。

Day5 Afternoon End
97名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:21:51.15ID:m2ClmTL7
Day5 Afterschool

帰宅して、ダイニングキッチンに差す夕陽を見ると、いつもお姉ちゃんのことを思い出す。

遥「……ふふっ」

それは、私のものより明るいお姉ちゃんの髪色が、夕陽の色にそっくりだからだと思う。
けれど、もしかするとお姉ちゃんのお昼寝の時間と西陽の差す時間が重なっているからかもしれない。

遥「……ん?」

ソファにはすやぴするお姉ちゃんの見慣れた姿がある一方で、隣のテーブルには見慣れないものが置かれている。
最初に目についたのは太めのペンのようなものだった。あれは万年筆というものだろうか。隣には古い洋画に出てきそうなインク瓶らしきものも置かれている。

遥「Blue-Black……黒じゃないのかな」

現代の女子高生に似つかわしくない文房具から目を逸らすと、可愛らしいカメラが目に入る。面識のない写真部の人に渡されたと困惑していた品だ。
高いらしいというお姉ちゃんの言もあって私は触ったことがなかった。

遥「カメラって……けっこうかわいいんだ」

隣に鎮座する、カメラ本体よりもずっと大きく、無骨なデザインのレンズをあえて無視すれば、本心からそう思えた。
98名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:23:25.17ID:m2ClmTL7
さらに横に目を向けると、いかにも万年筆に似合いそうな日記帳が置かれていた。これには見覚えがあった。

遥「お姉ちゃんが朝香さんの日記つけるって言ってたあれだよね」

よく見ると表紙に文字が書かれている。先日見た時にはなかったものだ。
黒とも青ともとれる見慣れないインクで書かれた文字を、ゆっくりと読み上げる。

遥「だいありー……おぶ……かりん」

つまりは朝香さんのことをまとめた日記なのだろうと、すぐに分かる名付けだと思った。

遥「…………んー……」

お姉ちゃんが、朝香さんのことを私には自ら語って聞かせてくれると言っていたのを思い出す。
私は、それを楽しみに思いつつ、ソファに投げ出されたお姉ちゃんにはまだまだ起きる気配がなさそうだと思った。

Day5 Afterschool End
99名無しで叶える物語(とばーがー)
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2023/04/03(月) 20:24:31.27ID:m2ClmTL7
ありがとうございました。まだ一切書いていないものの、続きは夏休みのエピソードかもしれません。

過去作一覧
歩夢「かすみ」かすみ「ぽむちゃん?」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1634480042/
歩夢「ブックマーク同好会?」栞子「はい…」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1636726697/
かすみ「ぽむちゃんの」栞子「あゆねえの」歩夢「誕生日?」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1646145694/
遥「迷い蝶」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1654852449/
歩夢「お昼休みの」副会長「生徒会室に」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1657371444/
彼方「Diary of Karin」 Day1-Day3 Afterschool
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1663429259/
歩夢「栞子の誕生日」かすみ「前日のパーティ!」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1664980270/
果林「わたしメリーさん。今あなたの家の近くにいるはずなの」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1670768582/
歩夢「かすみに」栞子「しおにゃんを」
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1674441921/
2023/04/03(月) 23:17:06.12ID:Q1xycjjn

まだまだ距離があるから夏休みに期待してます!
他のシリーズもがんばってください
2023/04/03(月) 23:57:24.95ID:Vmp/jcV9
雰囲気が良すぎる
おつです
続きがあるならまた読みたいぜ
2023/04/04(火) 00:00:37.62ID:72CD24OR

学生としての日常っぽさもあって好き
続きが楽しみだ
2023/04/04(火) 22:43:02.46ID:AcOmNqSO
ゆっくり追ってたけどやっと追いついた
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