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【スクスタ】ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS ★287

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2020/09/26(土) 11:47:26.61ID:0qaev/ig0
!extend:checked:vvvvvv:1000:512

・次スレ作成時は本文頭に【】内を2行以上記述すること(立てると1行消えます)
【!extend:checked:vvvvvv:1000:512】
・次スレは>>950が宣言してから立てること。無理ならばレス番を指定して代行を頼むこと。
・荒らし、煽り、disは徹底放置。反応するのも荒らしと同類。

□公式サイト
http://lovelive-as.bushimo.jp/
■公式Twitter
http://twi tter.com/LLAS_STAFF/
◇スクフェスID
http://www.sifid.net/
☆App Store
http://itunes.apple.com/jp/app/id1377018522
★Google Store
http://play.google.com/store/apps/details?id=com.klab.lovelive.allstars

したらば避難所

ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS 避難所
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/anime/10934/1593414718/

※前スレ
【スクスタ】ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS ★285
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1600922776/
【スクスタ】ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS ★286
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1600992386/

VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured
2020/09/26(土) 11:52:04.47ID:Ijy/H+z4d
【関連スレ】

ラブライブ!総合 1159thLIVE
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1599657052/

ラブライブ!サンシャイン!!総合スレ Part907
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1600839620/

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 総合スレ 活動80日目
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1600517855/

【スクスタ】初心者質問雑談スレ★8
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/lovelive/1599347546/
2020/09/26(土) 11:52:34.87ID:0qaev/ig0
Q.リセマラはどこで妥協する?
A.今のガチャで1点狙いはきついから推しが出るまで

Q.ミスしていないのにライブ失敗になるんだけど?
A.スタミナ切れだから育成しよう

Q.育成しても失敗する
A.レベル上げより特訓を優先しよう

Q.特訓で素材が足りない
A.合宿&ライブをぶん回そう
  マカロンは赤とピンク、金と銀の違いに注意

Q.メモリーが足りない
A.キズナレベルを上げることで入手できる。
  ホーム画面でキャラを切り替えて触りまくる(1日5回まで)か、スキチケ編成に組み込んでポイントを稼げ。
  またはライブでもドロップする。

Q.制服以外の衣装はどこ?
A.特訓のスキルツリーを進めると入手できる(SR以上のカードに限る)

Q.ステータスやライブ中の操作について
A.重要なのはアピール(攻撃力)とスタミナ(HP)
  詳しくは、教えてスクスタとヘルプを見よう

Q.作戦って?
A.今のメンバーで最高のライブパフォーマンスを出すために理解は必須
  詳しくは、教えてスクスタとヘルプを見よう
  育成が一通り終わるまでにはマスターすべし

Q.ホーム画面の衣装と背景ってどうやって変えるの?
A.どちらもエピソード→ お気に入り→→きせかえ で変更可

Q.虹アクセ出ない
A.上級ならB評価でも出る、確率は1%未満、数百回ハマリも覚悟して

Q. 上級+のノーツ速度変えられないの?
A. 上級の速度変更しろ

Q. DLPで使ったアクセが分解したり合成材料にしたりできない
A. アクセサリー一覧から該当アクセサリを選択して一括解除ボタン
2020/09/26(土) 11:53:27.82ID:0qaev/ig0
合宿で獲得できる有用なひらめきスキル【パッシブスキル:アピール+】について

★メイン火力の作戦のメンバーにオススメ
・アピール+[中]:同作戦(ランニング)

★控えメンバーにオススメ
・アピール+[中]:仲間(腕立て)

★環境次第でオススメ
・アピール+[中]:同属性(ランニング)
・アピール+[中]:同タイプ(ストレッチ)
・アピール+[中]:同学校(ランニング)
・アピール+[中]:同学年(ランニング)

★間に合わせにお手軽でオススメ
・アピール+[小]:全員(瞑想)
・アピール+[小]:仲間(瞑想) ※リーダーに付けたいときはバッヂ使用禁止

※バッヂの効果はリーダーのみで、使用すると銅以上のスキルしか出なくなります

一見レアで強力に見えるボルテージ獲得[特]やボルテージ獲得[極]はほとんど
役に立たない罠なので上に挙げたアピール+を優先して覚えさせよう

★おまけ
・スタミナ回復[小]:ボイストレーニング
2020/09/26(土) 11:53:51.19ID:0qaev/ig0
【日替わり楽曲ドロップ】

銀色のマカロン
・[火] まほうつかいはじめました!
・[木] in this unstable world
・[金] Dream Land! Dream World!
・[土] Pianoforte Monologue
・[日] おやすみなさん! ※金・銀の両方が出る

金色のマカロン
・[月] Beginner's Sailing
・[水] SUPER NOVA
・[金] ありふれた悲しみの果て
・[土] ぶる〜べりぃ♡とれいん
・[日] おやすみなさん! ※金・銀の両方が出る

○○書/植物
・Voタイプ:[月] Sing & Smile!
・Spタイプ:[水] Daring!!
・Gdタイプ:[木] Sing & Smile!
・Skタイプ:[火] One More Sunshine Story
・○○書のみ全タイプ:[土] 孤独なHeaven
・植物のみ全タイプ:[土] さかなかなんだか?
・○○書も植物も全タイプ:[日] SUPER NOVA
2020/09/26(土) 11:54:10.59ID:0qaev/ig0
【ゲストについて】
・選択したゲストキャラの個性(フレンドの場合は+ひらめきスキル)は、ライブ時に編成中央のキャラに"上乗せ"される。
 ゲストの個性等の「同属性」「同作戦」等の『同』は、『編成中央のキャラと同じ』という意味になり、ゲストキャラ自身の属性等とは無関係

・一度使ったゲストは4時間で復活する

・設定は「ホーム>メニュー>プロフィール>ゲスト設定」で行う

・属性ごとにゲストを設定できるようになっているが、わざわざ各属性を揃える必要は全くない
 (例えば、スマイル枠にアクティブSkルビィを置いたとしても、アクティブSkで絞り込めばちゃんと出てくる)

・無理に属性を合わせようとして使えないキャラを置くくらいなら、推しキャラのSR以下でも置いた方がよい
 (大抵はURで絞り込むため、そのときに邪魔にならない)

・有用キャラだからといって、同一のものを複数設定するのはNG。絞り込みの際、設定した数だけズラっとリストに並ぶので邪魔になる。
2020/09/26(土) 11:54:29.31ID:0qaev/ig0
カード一覧
 https://i.imgur.com/7JUcSsy.png
タイプ別(月1更新)
 https://i.imgur.com/CeQeEu7.jpg
μ's
 https://i.imgur.com/ipmOo4w.jpg
Aqours
 https://i.imgur.com/r53xzdR.jpg
虹ヶ咲
 https://i.imgur.com/RqILpVQ.jpg

フェス限の歴史
第10回 Vo Gd (穂乃果 梨子)
第09回 Gd Sk (しずく ダイヤ)
第08回 Vo Sp (千歌 凛)
第07回 Vo Sp (愛 絵里)
第06回 Gd Sp (ルビィ 海未)
第05回 Gd Sk (花丸 花陽)
第04回 Vo Sk (彼方 鞠莉)
第03回 Gd Sp (にこ エマ)
第02回 Vo Sp Sk (せつ菜 ことり 善子)
第01回 Vo Gd Sp (曜 真姫 果林)

Vo6 Gd6 Sp6 Sk4

フェス
 https://i.imgur.com/4iR3rNB.jpg
2020/09/26(土) 11:54:53.06ID:0qaev/ig0
【アクセ一覧】
イヤリング:SPゲージ獲得+(元気) 最大0.7%(1.0) [曲中]
キーホルダー:特技発動率+(元気) 最大1.8%(2.5) [曲中]
タオル:特技発動率UP 10ノーツ間1.8%(2.5)上昇 [曲開始時30%]
ネックレス:ダメージ軽減+(元気) 最大0.7%(1.0) [曲中]★
ブレスレット:SPゲージ獲得 自身アピの1.8%(2.5) [AC成功時100%]★
ブローチ:アピール+(元気) 基本アピ最大1.8%(2.5)増加 [曲中]
ヘアピン:クリティカル+(コンボ) 150コンボで最大1.8%(2.5) [曲中]
ポーチ:スタミナ回復 150コンボで最大180(250) [AC成功時30%]★
リストバンド:アピールUP 10ノーツ間アピ1.8%(2.5)増加 [曲開始時30%]
リボン:シールド獲得 150コンボで最大180(250) [AC成功時30%]★

※効果量は金アクセLv1時、( )内は虹アクセ [ ]内は発動タイミング
※★付は作戦外でも効果有、★無しは自身対象(操作中の作戦内のみ有効)
2020/09/26(土) 11:55:11.57ID:0qaev/ig0
新アクセ
https://i.imgur.com/Iw2Z7dc.jpg
https://i.imgur.com/6TrWIj7.jpg
https://i.imgur.com/M0NZyXE.jpg


※ベルトの効果の表記は誤り!
 ×「ゲーム終了までSP特技で獲得するボルテージが自身のテクニックのn%増加」
 ○「ゲーム終了までSP特技で獲得するボルテージが【自身のテクニック×0.000n】%増加」

 仮に作戦内のテクニック合計45,000、ベルトのスキルレベルMAX5%なら45,000×0.0005=22.5(%)
 非装備時のSP獲得量を20万とすると1.225倍になって245,000となります。

日替わり曲まとめ
https://i.imgur.com/4xDH6Of.jpg

タイプ別特訓に必要なマカロン(金銀除く)
https://i.imgur.com/5ub0yW7.jpg
2020/09/26(土) 11:55:38.16ID:0qaev/ig0
μ's/Aqours/虹ヶ咲メンバー誕生日一覧

. 1月. 1日 ダイヤ
    17日 花陽
    23日 かすみ
---------------
. 2月. 5日 エマ
    10日 果南
---------------
. 3月. 1日 歩夢
.     4日 花丸
    15日 海未
---------------
. 4月. 3日 しずく
    17日 曜
    19日 真姫
---------------
. 5月30日 愛
---------------
. 6月. 9日 希
    13日 鞠莉
    29日 果林
---------------
. 7月13日 善子
    22日 にこ
---------------
. 8月. 1日 千歌
.     3日 穂乃果
.     8日 せつ菜
---------------
. 9月12日 ことり
    19日 梨子
    21日 ルビィ
---------------
10月05日 栞子
    21日 絵里
---------------
11月. 1日 凛
    13日 璃奈
---------------
12月16日 彼方
2020/09/26(土) 11:56:40.44ID:0qaev/ig0
テンプレはここまで
2020/09/26(土) 11:56:47.61ID:0qaev/ig0
スクスタパス内容
・UR7%ガチャ1日1回
・1日1回メンバーズコイン50個
・合宿アイテム2倍
・1日1回LP150回復
・デイリー課題追加
(スキチケ10、経験値ゴールド10000、メンバーズコイン5、合宿チケ1、石15)課題内容は普段のデイリー課題と同じ
2020/09/26(土) 11:57:13.66ID:0qaev/ig0
【スクスタパスについて】

Q.お試し版は継続期間に含まれる?
A.含まれません。

Q.お試し中に有償版を購入するとどうなるの?
A.お試し期間が終了します。
  お試し中に使った無料ガチャとLP回復は復活しません。

Q.いきなり購入したら継続1ヶ月目になる?
A.なります。

Q.購入したら継続特典すぐもらえる?
A.もらえます。

Q.有効期限が切れたら自動で延長される?
A.されません。
2020/09/26(土) 12:00:19.50ID:0qaev/ig0
>>13は間違いでこっちが正しい



【スクスタパスについて】

Q.お試し版は継続期間に含まれる?
A.含まれません。

Q.お試し中に有償版を購入するとどうなるの?
A.お試し期間が終了します。
  お試し中に使った無料ガチャとLP回復は復活しません。

Q.いきなり購入したら継続1ヶ月目になる?
A.なります。

Q.購入したら継続特典すぐもらえる?
A.もらえます。

Q.お試し版の有効期限が切れたら自動で有償版になる?
A.なりません。

Q.有償版の有効期限が切れたら自動更新される?
A.されます。

Q.自動更新分の支払いはどうすれば?
A.iTunesやGoogle Playに残高が残っていれば自動更新されます。
2020/09/26(土) 12:01:10.53ID:0qaev/ig0
15
2020/09/26(土) 12:01:15.50ID:0qaev/ig0
16
2020/09/26(土) 12:01:19.88ID:0qaev/ig0
17
2020/09/26(土) 12:01:25.18ID:0qaev/ig0
18
2020/09/26(土) 12:02:39.38ID:0qaev/ig0
19
2020/09/26(土) 12:02:43.78ID:0qaev/ig0
20
2020/09/26(土) 12:02:50.23ID:0qaev/ig0
21
2020/09/26(土) 12:02:57.89ID:0qaev/ig0
22
2020/09/26(土) 12:03:02.31ID:0qaev/ig0
23
2020/09/26(土) 12:04:09.80ID:0qaev/ig0
ここまでで大丈夫かな?
修正とかあれば次スレで直せるよう指摘お願いします
2020/09/26(土) 12:13:50.98ID:QUM1+lcHd
いちおつゅ!
2020/09/26(土) 12:16:27.35ID:Ky9QBi9pr
いちおつ
スタミナ回復ってこん中のどれが1番いいのん?80パー?
https://i.imgur.com/CGPMCD9.png
2020/09/26(土) 12:18:00.06ID:JsTbZYVLr
残80
2020/09/26(土) 12:20:46.14ID:FEHBOrDV0
30%達成時が一番使いづらい
2020/09/26(土) 12:22:39.78ID:1e8T/P6E0
いちおつ
2020/09/26(土) 12:23:25.27ID:Ky9QBi9pr
>>27
>>28
サンキュー残80で染めるわ
2020/09/26(土) 12:27:50.91ID:vWRLNjZbd
回復もなかなかひらめかなくて泣けるわ
お陰で銀マカロン不足には今の所困ってないけど
32名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-D++W [182.251.123.216])
垢版 |
2020/09/26(土) 12:33:09.71ID:ZGzk888wa
>>1おつ!
2020/09/26(土) 12:36:14.35ID:lSxWnPg00
回復閃きはAC時が強いと思う
残80%は確定発動なら使ってたんだが
2020/09/26(土) 12:36:16.41ID:N9/inLt9d
生放送で新規フェス限のお知らせがないと暴れるやつが続出してせっかくの周年気分が台無しになりそうだから、もう逆張りでも何でもいいからフェスやってほしいまであるわw
そのためなら発言権返上してもいいわこの際
2020/09/26(土) 12:37:05.92ID:4C3eNYdPa
>>33
???
2020/09/26(土) 12:38:04.72ID:WS6SIy3q0
スタミナ回復のひらめき
AC絡みは博打
80%は安定
30%は通好み
2020/09/26(土) 12:38:06.41ID:ngAZYgChd
>>33
確定ではないが、発動するまではノーツ毎に再判定されるから確実性は高い
2020/09/26(土) 12:38:44.40ID:lSxWnPg00
>>37
あぁそういう仕組みなのね
無知晒してすまんかった
2020/09/26(土) 12:40:31.35ID:LEnWnUum0
自分のUR確定チケットはスマイルせつ菜の1凸目でした。
2020/09/26(土) 12:40:39.33ID:ngAZYgChd
>>38
ええんやで
蟹語は難しいからな
2020/09/26(土) 12:49:54.93ID:Rze8aad5M
夏合宿の貝殻の交換期限まであと2時間
まだの人は12時の合宿を済ませてから交換を。
2020/09/26(土) 12:52:02.70ID:z6yH2pla0
ノートいる?
2020/09/26(土) 12:55:12.88ID:fzV/J2d0a
マカロンの★1と★3のドロップ数完全に逆転してるよなぁ
要求数の多い1が少なくて3はその逆とか枯渇するのは当たり前じゃん
これも蟹流の簡悔なのか?
2020/09/26(土) 12:56:57.91ID:bCvkegK/0
100連無料ur2枚でフィニッシュです^^
2020/09/26(土) 12:57:00.59ID:SAfr2ZhKa
フェスバレきた?
2020/09/26(土) 12:58:12.50ID:N9/inLt9d
>>43
これでも調整が入った結果なんだよ
調整前は今以上に★2と★3しか出なかった
47名無しで叶える物語(茸) (スププ Sd42-+pNE [49.96.39.169])
垢版 |
2020/09/26(土) 12:59:46.78ID:Bjr2ynG3d
🦀1マカは交換しろ
2020/09/26(土) 13:01:42.60ID:eGMvbA1MH
とうとうURガチャチケ10枚溜まった
引きたいような引きたくないような
https://i.imgur.com/TmQQNYP.jpg
49名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-5PEE [182.251.252.18])
垢版 |
2020/09/26(土) 13:02:12.60ID:MutFUNt8a
おまえら1周年のURチケ何出た?
2020/09/26(土) 13:02:25.87ID:9HZSvmz70
そもそも前の調整で均等に落ちるようにしますとか言ってたのにそれすら出来てないし
いい加減マカロン割らせろ
2020/09/26(土) 13:03:20.28ID:VL4g8RcS0
無料ガチャ引いてもフェス出ないからほんとつまらない
2020/09/26(土) 13:04:10.67ID:wOW0RCn8a
https://i.imgur.com/9tabMOx.jpg
可愛いからセーフ
2020/09/26(土) 13:05:02.05ID:N9/inLt9d
>>47
SBLで弱きものをなぶり殺しにしてメダル総取りしてる課金者は★1限界まで交換しろよとは思う
俺はクソ雑魚だからガチャチケとイベ部員交換するだけでいっぱいっぱいだけど課金者はたっぷり貯め込んでるんだろ?
2020/09/26(土) 13:07:45.45ID:9OY5/6m/0
>>49
skことりこないだの確定は流星チカ
2020/09/26(土) 13:07:54.96ID:4C3eNYdPa
ルサンチマン拗らせるとこうなってしまうのか
2020/09/26(土) 13:09:54.77ID:c3sCNQjw0
デスノート最終日だから交換して記念にスキル取っちゃった

https://i.imgur.com/8rASMvR.jpg
2020/09/26(土) 13:11:00.41ID:LQkXTMRh0
いつの間にか侑ちゃんの身長公開されてるな
https://i.imgur.com/c6nlra9.jpg
2020/09/26(土) 13:11:47.04ID:CBkSB7Rx0
2ndの直後に公開されてたよ
2020/09/26(土) 13:13:35.42ID:wHd2L1nf0
歩夢ちゃんに思い出つけたかったけど無理だった
あのノートの要求数で仲間中並みに出ないとか糞ガチ罠すぎる
2020/09/26(土) 13:15:22.58ID:GwZnjQK50
>>57
歩夢
  が大
好き。

@
2020/09/26(土) 13:21:25.92ID:8hc+lEjwM
あと1時間半、マジでフェス限ないの引くわ
2020/09/26(土) 13:22:25.17ID:l2fohACS0
蟹が星1が足りないって把握してからやったことが、イベ報酬の順番を星3→星2→星1に変えました!だからね
足りないなら配ろうじゃなくて足りないってことは貴重なアイテムだから後にしようって発想よ
2020/09/26(土) 13:24:58.93ID:svNA3zuMd
フェス限無し→金使う必要なし
🦀としては良心的だ
2020/09/26(土) 13:25:29.72ID:/1dC2XV4p
数字がまとまるようになって明らかに星1マカロンの数は少ない、良くて星2,3と同じ数でしかないと分かりやすくなった
2020/09/26(土) 13:26:54.19ID:ss3TpYCT0

★★
★★★
どれが貴重に見えるかの問題
2020/09/26(土) 13:27:47.87ID:ss3TpYCT0
めっちゃズレたw
2020/09/26(土) 13:29:46.94ID:N9/inLt9d
課金して強くなればSBLで毎月1マカ2800個ずつ補充できると考えたら、課金してない自分が悪いって錯覚しそうになる
2020/09/26(土) 13:30:01.91ID:fzV/J2d0a
スクスタパスもドロップ2倍とかマイナスをゼロにするような内容だし
基本的に簡悔スタイルを崩す気が全く感じられない
育成面は期待するだけ無駄かもしれないな
69名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-D++W [182.251.123.216])
垢版 |
2020/09/26(土) 13:31:07.35ID:ZGzk888wa
もう慣れた
2020/09/26(土) 13:31:23.05ID:/1dC2XV4p
例え2000個あっても使えば一瞬で溶けるという
2020/09/26(土) 13:33:30.57ID:CBkSB7Rx0
Rは無視してSRとURは一部以外衣装剥ぎ取って放置が丸い
2020/09/26(土) 13:34:06.11ID:C3oUHJB+0
>>26
経験上、80%×2とAC時×1が安定
80は曲も終盤で3もいらないから、それなら複数回ACで回復する方が使える
2020/09/26(土) 13:34:32.57ID:f4Oaw+A00
使う場所厳選しないといくらあっても足りない
厳選すると解放分の☆が手に入らない
2020/09/26(土) 13:35:37.69ID:M+5meYxV0
一周年要素どこ?ここ?
2020/09/26(土) 13:35:45.62ID:lSxWnPg00
虹3rd曲一気に増えたから称号ついでにマカロンはわりと稼げてる
MV追加される前に全部終わっちゃいそうだが気にしない
2020/09/26(土) 13:36:41.72ID:CQ8fipm+0
暇だからiPadOS14に上げとくか
まぁ大丈夫でしょ
2020/09/26(土) 13:38:04.16ID:tdk3I3dDa
初心者ログボいろんなボイスあって楽しい
デイリーももっとバリエーションつけてほしいな
2020/09/26(土) 13:40:28.89ID:DpVtI1Lr0
フェスガチャは30日からかな。育成キャラ増えたし焦らずいくわ
2020/09/26(土) 13:42:07.08ID:Hi2jdVVe0
2000個が一瞬で溶けるのはマジだな
いつかの上級+で稼いだ赤マカロンがなくなったわ
2020/09/26(土) 13:42:57.56ID:fAd9MTTQ0
合宿の昼回復分はすぐにやらず15時になって呪いノートイベ終わってからの方がいいのか
2020/09/26(土) 13:44:45.58ID:afd5JK+fa
貝全然交換してなかった
あぶねー
2020/09/26(土) 13:45:13.05ID:N9/inLt9d
>>80
今やったほうが星をGにできるんだからお得じゃない?
星は別判定だから星が出た分報酬が減ってるとかないよ?
2020/09/26(土) 13:49:52.61ID:fAd9MTTQ0
>>82
あ、ノート全く持ってないならそうか。まあ余りまくってるGが微増するくらいだからそこまで気にしなくてもいいかな
自分はスイカスマッシャーのためにノート3つだけ換えてたんだ
2020/09/26(土) 13:52:51.83ID:yQ/TsDRp0
>>43
俺も今こんな事になってキレてたところ
https://i.imgur.com/PSp0xgo.jpg
2020/09/26(土) 13:55:25.46ID:AjueBLHad
たまーーにこういう時もあるしさ…
https://i.imgur.com/hWYHypI.jpg
2020/09/26(土) 13:56:44.31ID:z6yH2pla0
>>85
9割こうなるように調整しても誰も怒らんと思う
87名無しで叶える物語(茸) (スプッッ Sd62-njwO [1.75.234.153])
垢版 |
2020/09/26(土) 13:58:39.48ID:YNdLISC8d
>>78
ガチャ間隔ずらす為に7月から下旬にしたから月末はないぞ
2020/09/26(土) 13:59:36.18ID:V01/0IDsp
なんか調整前は☆3の方が多いとか言ってる奴いるけど、一応調整前は☆1が一番多かったぞ
今はライブ毎でもらえるマカロン数が増えて数同じになってるだけ
2020/09/26(土) 14:01:00.53ID:vs90t2IE0
貝殻を全部Gに交換したら20だけ余った。
そんなにノート取らせたいのか。
2020/09/26(土) 14:01:05.81ID:0qaev/ig0
難易度高いほど☆3が出やすい、って運営が説明してなかったっけ?
2020/09/26(土) 14:02:05.54ID:z6yH2pla0
ミラティブ配信したら報酬貰えるのか
2020/09/26(土) 14:02:14.85ID:1e8T/P6E0
ミラティブ配信報酬は草
2020/09/26(土) 14:02:34.16ID:N9/inLt9d
>>90
そうだよ
>>88がなんか勘違いしてる
2020/09/26(土) 14:02:38.92ID:NhaxZKW0d
今日の確定チケは何引けました?
2020/09/26(土) 14:02:39.19ID:/1dC2XV4p
ていうか星1が1マスで落とす量が消費量に対して少なすぎるんだよ
2020/09/26(土) 14:03:02.91ID:DJKfawjJ0
あと1時間で開放できる…
https://i.imgur.com/kUkgY9V.jpg
97名無しで叶える物語(たこやき) (ワッチョイ f788-9HpR [124.145.30.143 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:04:44.02ID:Jdh2q+HL0
ミラテイブ配信ってスクスタ内の報酬なんか貰えるん?
2020/09/26(土) 14:04:50.92ID:L4s6dJ2td
ラインナップは変わらないぞ?
2020/09/26(土) 14:04:56.64ID:0qaev/ig0
>>93
だよね。まぁ実際には個人差はあるだろうけど☆1のほうが多い人はそうとうにレアだ思う
2020/09/26(土) 14:05:24.16ID:4d/QIWx20
>>97
これ
https://i.imgur.com/DQU8IsH.jpg
2020/09/26(土) 14:05:39.33ID:bxjh4+Xip
>>96
いつ回しても内容変わらんのに何を待つ必要があるのか
102名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 0f88-/QqT [116.65.220.40])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:06:11.89ID:LEnWnUum0
>>94->>39
103名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-9HpR [182.251.123.216 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:07:12.77ID:ZGzk888wa
>>100
悪くない報酬やん
2020/09/26(土) 14:07:29.02ID:N9/inLt9d
またわくわく10連ガチャチケ貰えるのか
2020/09/26(土) 14:07:54.83ID:V01/0IDsp
勘違いも何も3000回以上の上級の統計でそうなってただけなんだが
そもそもドロップ1枠の数でも☆1マカロンの数が多かったし
2020/09/26(土) 14:08:08.26ID:MHnbZk3/0
10連いらん確定くれ
2020/09/26(土) 14:08:21.93ID:MogjykXA0
5000配信も行くか?
2020/09/26(土) 14:09:49.37ID:5PszNqjx0
初心者です
りなりーしかきません助けて
https://i.imgur.com/zj7GrPh.jpg
2020/09/26(土) 14:11:08.08ID:DpVtI1Lr0
一枚もURりなりーがいない俺にくれよ
110名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-9HpR [182.251.123.216 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:11:36.23ID:ZGzk888wa
俺も配信した方がいいんか?
やるぞ?
2020/09/26(土) 14:12:02.37ID:z6yH2pla0
ミラティブ配信って身バレしない?
2020/09/26(土) 14:12:46.48ID:+/70hfY7M
配信とかしたくないんだけど1秒で切ってもカウントされるのかな
113名無しで叶える物語(八つ橋) (ワッチョイ b754-5Rk+ [60.94.64.68])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:13:19.89ID:+jV6nRd50
友達とかミラティブよく見る人いるなら身バレするかもね
2020/09/26(土) 14:13:42.25ID:2NB3lcR2M
配信すっぞ!!
みんな見てくれよな
115名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-9HpR [182.251.123.216 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:13:58.74ID:ZGzk888wa
ミラテイブ配信ってそもそもミラテイブってなんだよのとこから始まる
2020/09/26(土) 14:15:07.27ID:5PszNqjx0
>>112
ミラティブの配信デイリーが着くのは15分から
マイクオフで垂れ流ししてても大丈夫だし人なんてどうせ来ない
2020/09/26(土) 14:15:30.30ID:F1jGJinQ0
https://i.imgur.com/J9FaYEL.jpg
ぷちぐる……お前生きて…
118名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-9HpR [182.251.123.216 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:15:42.47ID:ZGzk888wa
15分配信しっぱなししたらいいのか
2020/09/26(土) 14:16:16.66ID:dez93Ssv0
こうしてゴミのような配信が量産されるのか
120名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-9HpR [182.251.123.216 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:16:39.66ID:ZGzk888wa
ミラテイブって蟹となんか提携でもしとんのか
2020/09/26(土) 14:17:00.81ID:+/70hfY7M
>>116
そうなのか
じゃあ15分無音で垂れ流すわ
2020/09/26(土) 14:17:23.49ID:WNyupAf90
誰もここにいる人に興味なんて無いから配信するだけなら何のリスクもないよ
123名無しで叶える物語(八つ橋) (ワッチョイ b754-5Rk+ [60.94.64.68])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:18:01.41ID:+jV6nRd50
累計5000って個人?配信者全体?
2020/09/26(土) 14:18:20.15ID:b27PGlWvM
>>117
みかんいっぱい!!
125名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-9HpR [182.251.123.216 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:18:34.68ID:ZGzk888wa
みんなが力合わせて何回も配信したら累計5000いくな
2020/09/26(土) 14:19:47.53ID:8/Xb0IsUd
そもそもミラティブって何よ
2020/09/26(土) 14:20:24.77ID:WS6SIy3q0
リツイートですら15000が精一杯のスクスタで配信5000とか無理そう
2020/09/26(土) 14:21:46.89ID:WNyupAf90
>>126
ライブ配信に特化したyoutubeみたいなもん
2020/09/26(土) 14:22:35.97ID:N9/inLt9d
>>105
勘違いだよ
Ver.1.7.0前は上級で★3の抽選率が高かったのを全難易度で抽選率が一律になってその結果上級では★3は明らかに抽選されなくなった
★3が減った分★1が増えたかは微妙だけど★3が減ったことだけは明らか
2020/09/26(土) 14:25:15.79ID:C3oUHJB+0
ミラティブってたしか任天堂とかカプコンから蹴られてたよな
2020/09/26(土) 14:25:18.26ID:nDpi59LU0
よっしゃーーーーミラティブ配信槍ヶ岳登山しながらするでーーーー!!!
ぜってい見てくれよな!
2020/09/26(土) 14:26:57.45ID:DJKfawjJ0
ミラティブ配信でガチャ分くらい稼げる?
2020/09/26(土) 14:27:21.57ID:dcdW3J8g0
ドロップ量と消費量が全く釣り合ってないのが蟹味噌
レアリティ表示通りに星1の方が溢れるようなバランスにしとけばRとかSRの育成にまわしたり出来たのに
134名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-9HpR [182.251.123.216 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:30:35.41ID:ZGzk888wa
なんか勘違いしとるヤツおるやん
2020/09/26(土) 14:30:50.56ID:IWrB/H0A0
周年フェスはよ
136名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 837c-3Hlp [114.158.60.46])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:31:24.35ID:hVCOz/Zs0
スレ民の配信見れるの?
137名無しで叶える物語(奈良漬け) (ワッチョイ db4b-I9r0 [112.70.253.8])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:40:05.29ID:KRHtFYNg0
ミラティブ配信してたらアプリ落ちるんだが
2020/09/26(土) 14:40:51.00ID:nDpi59LU0
>>137
機種言わんとわからんぞ!
2020/09/26(土) 14:42:10.09ID:1RvEjdOLp
今日の生放送終わったらミラティブ配信するからお前らみてくれよな!
140名無しで叶える物語(奈良漬け) (ワッチョイ db4b-I9r0 [112.70.253.8])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:43:29.42ID:KRHtFYNg0
>>138
zenfone max pro m1
2020/09/26(土) 14:45:30.43ID:8/Xb0IsUd
>>128
身バレとかしないなら試しにやってみるかね
2020/09/26(土) 14:47:44.59ID:FnMWe3D80
ミラティブ配信って何すればいいの?

高ランクのSP連打オナニーショーだろ?
2020/09/26(土) 14:49:26.66ID:rtaIwY+cF
新規フェスこないなら課金必要ねーな
2020/09/26(土) 14:50:24.91ID:nDpi59LU0
>>140
ソフト起動しながら録画みたいな感じだからメモリ3Gじゃ多分足りないんだと思う
145名無しで叶える物語(奈良漬け) (ワッチョイ db4b-I9r0 [112.70.253.8])
垢版 |
2020/09/26(土) 14:52:42.82ID:KRHtFYNg0
>>144
なるほどありがとう
2020/09/26(土) 14:55:09.61ID:DJKfawjJ0
血が冷たくなってきた
2020/09/26(土) 14:55:55.32ID:N9/inLt9d
無料ガチャでフェス限引ける時が来たか
2020/09/26(土) 14:56:24.88ID:rtaIwY+cF
来るぞお知らせが
2020/09/26(土) 14:57:40.41ID:nDpi59LU0
さぁくるぞ!くるぞ!!
2020/09/26(土) 14:58:42.47ID:DJKfawjJ0
全てのスクールアイドルを葬るぽむに震えろ
2020/09/26(土) 14:59:22.49ID:nDpi59LU0
せつ菜「うほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
2020/09/26(土) 15:01:35.49ID:grxYNTxhd
DLキタ━(゚∀゚)━!
https://i.imgur.com/gdpQMND.jpg
2020/09/26(土) 15:02:02.24ID:DJKfawjJ0
なんで動画に穂乃果ちゃん梨子ちゃんいないん…?
2020/09/26(土) 15:02:05.24ID:xatXOMfN0
きたぞ!
2020/09/26(土) 15:03:32.30ID:vWVAbVlVd
思い出の流れ星取れんかったわ
取れなくなると欲しくなる
2020/09/26(土) 15:03:36.08ID:nDpi59LU0
のんたんとかなんいないやんけ!!
今思うと恒常強いのそのためか?
2020/09/26(土) 15:03:36.42ID:vs90t2IE0
μ'sフェスにのんたんが居ないんですが?
2020/09/26(土) 15:03:38.42ID:Vc17cCZOp
120円でガチャチケ10枚は美味しすぎるな
2020/09/26(土) 15:03:40.55ID:vgvn6yXT0
120円入れて終わり
2020/09/26(土) 15:03:49.79ID:ZUifs1I2d
既存情報の詳細か
新規無いんかな…生放送を信じるしかなさそ
2020/09/26(土) 15:04:10.15ID:N9/inLt9d
分かってたけど新規なし
これでもまだ生放送で発表されるからまだあわてるような時間じゃないって言うの?
2020/09/26(土) 15:04:26.58ID:9R3JuzEo0
120円のだけでええな
2020/09/26(土) 15:04:38.37ID:oF67td2x0
>>157
今月UR1SR1追加されてるしいなくて助かったよむしろ
ていうかやっぱり前のニジガクフェスと一緒でピックアップ率もあって新規追加無かったな
2020/09/26(土) 15:04:43.23ID:vs90t2IE0
>>161
諦めたらそこで試合終了ですよ
2020/09/26(土) 15:04:53.48ID:LEnWnUum0
スターターコースきたー!!!
166名無しで叶える物語(とばーがー) (ワッチョイ 220a-D++W [219.100.21.141])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:05:03.29ID:H7iTfcIc0
とりあえず無料分でUR出たから満足
https://i.imgur.com/WAL27YW.jpg
2020/09/26(土) 15:05:04.78ID:ZUifs1I2d
>>161
お前は何と戦ってるんだよ
2020/09/26(土) 15:05:16.14ID:svNA3zuMd
イベントUR
ガチャチケットは得?
2020/09/26(土) 15:05:45.72ID:DJKfawjJ0
願いセットは3セット買わないとって考えるとちょっと躊躇うな
170名無しで叶える物語(らっかせい) (ワッチョイ f7ae-njwO [124.47.252.227])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:06:01.01ID:NJzeeyYt0
こんなん100%盛り上げる為だけの目的で生放送で発表じゃん
2020/09/26(土) 15:06:14.91ID:dez93Ssv0
この茸DLPの時勝手に発言権剥奪された新日本だろ
2020/09/26(土) 15:06:18.76ID:7sifrNBM0
https://i.imgur.com/JVHYtHH.jpg
無料で1周年の為に我慢したフェス限きてくれて最高や!
173名無しで叶える物語(茸) (スプッッ Sd62-njwO [1.75.234.153])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:06:23.36ID:YNdLISC8d
>>161
お前昨日からうざいよ
2020/09/26(土) 15:06:27.17ID:+/70hfY7M
とりあえず120円のだけ買うか
175名無しで叶える物語(はんぺん) (ワッチョイ 2f7b-njwO [14.11.132.32])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:06:49.61ID:x0jW0HnU0
>>117
写真加工するんやで…
2020/09/26(土) 15:07:23.05ID:F5g4zQS+0
>>153
それな
まさかの対象外かと思ったらそういうわけでもなくて草やわ
穂乃果とかおらんと目立つのに
2020/09/26(土) 15:07:25.92ID:xatXOMfN0
生放送まで様子見
まさか何もなしはないやろまさかね
2020/09/26(土) 15:07:34.53ID:iSnQa18Xa
例のイベントUR確定チケってイベント特攻になってたUR全部が対象なんだな
てっきりイベント報酬URしか出ないのかと…どの道イベ報酬混じってる時点で微妙だ
2020/09/26(土) 15:07:45.23ID:DJKfawjJ0
無料ステップ分でンミチャー
じゃあ100連行ってくるわ
https://i.imgur.com/IFJXbOJ.jpg
180名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 837c-3Hlp [114.158.60.46])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:07:46.64ID:hVCOz/Zs0
3rdソロのMVは生放送で発表するのかな
2020/09/26(土) 15:08:02.07ID:Hi2jdVVe0
120円のは買い得なのはわかった
2200円の1stセットは何とも言えない感
ステップアップは1万しないけどどうなんだろうなこれ
2020/09/26(土) 15:08:19.14ID:9R3JuzEo0
虹のフェスガチャ無いんか、あると思いこんでた
なんか仕込んできそうで様子見やな
183名無しで叶える物語(とばーがー) (ワッチョイ 220a-D++W [219.100.21.141])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:08:38.38ID:H7iTfcIc0
とりあえず120円入れて今夜の生放送まで様子見かな
184名無しで叶える物語(らっかせい) (ワッチョイ c6f7-ZFvJ [153.222.226.106])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:08:45.35ID:DiAlQEzi0
生放送終わるまでフェスこないと思ってからこれはサプライズ
GJ蟹
2020/09/26(土) 15:09:00.49ID:mZQ9ryyf0
希果南は結局1周年ハブかなんだかな
2020/09/26(土) 15:09:03.44ID:dez93Ssv0
μ's・Aqoursガチャにおはガチャあるの忘れてた
2020/09/26(土) 15:09:13.16ID:svNA3zuMd
金にがめついな🦀
2020/09/26(土) 15:09:19.90ID:cUjK0ECIa
ステップアップ全部回したらフェス凛ちゃんが2凸まで行って草
もう「にゃあっ…」見たくないわwwww
2020/09/26(土) 15:09:27.25ID:mAb1qDH/p
フェス限0.2%×8人で1.6%だからフェス限が出る確率はいつものフェスとほぼ変わらんな
べつにお得ではないただの復刻ガチャでは?
2020/09/26(土) 15:09:36.30ID:4d/QIWx20
>>178
ガチャのラインナップ見た?
報酬キャラはいないよ
2020/09/26(土) 15:09:43.58ID:GwZnjQK50
焦るのは まだ 早い!
192名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 275a-u7T5 [150.249.203.135])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:09:45.27ID:6bGWiztv0
240円で最低保証がないとはいえ20連とか+ライブキャンディ20個とか安すぎ
2020/09/26(土) 15:09:45.66ID:8crL/h8k0
9000円課金しないとフェス限R確定じゃない。さすがに高すぎるよ。
2020/09/26(土) 15:09:54.54ID:wOW0RCn8a
https://i.imgur.com/us7jnas.jpg
やったぜ
2020/09/26(土) 15:10:12.57ID:WS6SIy3q0
>>178
セットの詳細に出るURの一覧書いてあるけど報酬URは入ってないよ
2020/09/26(土) 15:10:39.52ID:1RvEjdOLp
マジで果南なし?
萎えたわじゃあな
2020/09/26(土) 15:10:48.64ID:ntAGUb/la
願いって何に使うんだっけ?
2020/09/26(土) 15:10:50.35ID:CfUDzx0yd
スクスタに詳しい俺がこっそり教えてやる生放送で虹3人フェス発表なんだ
2020/09/26(土) 15:11:24.25ID:wHd2L1nf0
今月新規フェスなし?頭蟹すぎない
200名無しで叶える物語(しまむら) (ワッチョイ a26f-HtPz [59.133.186.191])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:11:37.80ID:3eHHdSTY0
>>167
昨日から暴れてるやつだから気にしなくていいよ
2020/09/26(土) 15:11:46.96ID:HMTVf/f80
ステップアップ全部引いてURはフェス確定の千歌だけ
イベント確定URはスケートせつ菜

https://i.imgur.com/xFyLQE6.jpg
2020/09/26(土) 15:11:49.33ID:4iDwOvDsd
有償ステップ冷めるからやめーや
2020/09/26(土) 15:11:52.68ID:ntAGUb/la
ほんとに八人でフェスやりやがったwww
八人や、うちを抜いて
2020/09/26(土) 15:12:03.47ID:mAb1qDH/p
>>184
お知らせにだいぶ前から書いてあったことがサプライズて
2020/09/26(土) 15:12:04.93ID:YhM1JKuyM
虹だけ何もなしとか明らか不自然だしなあ
生放送でぶっ壊れ栞子発表されるやつだろこれ
206名無しで叶える物語(しうまい) (ワッチョイ bf54-ZAfc [126.66.74.100])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:12:08.17ID:h+FOv8EL0
すぐ回すやつなんなん?
放送でもっといい石の使い道出てくるかも知んないのに
2020/09/26(土) 15:12:20.07ID:RNqHIpoL0
4倍になろうが相変わらずピックアップは仕事しねえな
ただのオールスターガチャだったわ
2020/09/26(土) 15:12:29.72ID:Fv9opdeGM
とりあえず、ステップアップ無料分とμ'saqoursフェスのおはガチャやって生放送待でええか
2020/09/26(土) 15:12:42.36ID:h6JuPXRvd
>>198
期待するのはいいけど、何もなかったからって裏切られたとか言って暴れるのだけはやめてくれよ
210名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 27a3-u7T5 [150.249.203.139])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:12:50.90ID:TRqxApFT0
生放送終了直後に希果南歩夢3人ピックアップフェス開催
俺の占いは当たる
2020/09/26(土) 15:13:05.48ID:ub67G5jh0
アニバ当日に120円しか入れなくていいポカポカゲー😊
212名無しで叶える物語(たまごやき) (ワッチョイ fb91-54hQ [218.185.158.171])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:13:11.67ID:WNyupAf90
>>197
凸素材、30個でUR1凸分
2020/09/26(土) 15:13:15.49ID:jDczmHM+0
>>208
俺もそうする
2020/09/26(土) 15:13:28.98ID:IPq/l4gYp
ウチを入れて
2020/09/26(土) 15:13:33.98ID:lwfBjAje0
せっかくの1周年で虹放置とかありかよ
生放送後かアニメ開始後にまたなんかあるんやろなあ
2020/09/26(土) 15:13:48.58ID:oF67td2x0
>>181
個人的にはスターターと2200円は買っていいなと思う
ステップアップはとりあえず何でもフェス限欲しいとかなら1万入れて良いと思うけど
買うにしても次の新規フェス限の強さ見てからでいいと思う
2020/09/26(土) 15:14:14.46ID:gFdKUMPxp
これ推しのフェス限を凸したい人以外引く価値あるの?ってか希と果南ハブとか馬鹿にしてんの?
2020/09/26(土) 15:14:22.37ID:FEHBOrDV0
フェスステップアップガチャ
STEP1:無料、確定枠なし
STEP2:200石、確定枠なし
STEP3:300石、確定枠なし
STEP4:400石、確定枠なし
STEP5:500石、フェス限定UR1枚確定

確定枠はSTEP5にしかないので注意
2020/09/26(土) 15:14:27.59ID:WNyupAf90
もう課金してまでURチケはいらないんだよな
恒常だけでもいいから選べるチケットならうれしいけど
2020/09/26(土) 15:14:29.58ID:DJKfawjJ0
100連終わり
UR枚数的に微妙だけど温泉彼方ちゃん欲しかったし弓海ちゃんきたからおっけーおっけー
https://i.imgur.com/sVmGoBQ.jpg
https://i.imgur.com/uc2lIqx.jpg
https://i.imgur.com/z4FVZNT.jpg
https://i.imgur.com/HbAvJ5k.jpg
https://i.imgur.com/lTHv6O2.jpg
https://i.imgur.com/9HBDMbl.jpg
https://i.imgur.com/gHQ6Rb7.jpg
https://i.imgur.com/JqPGoD6.jpg
https://i.imgur.com/wds7zKo.jpg
https://i.imgur.com/QpUPYOa.jpg
https://i.imgur.com/woLGoR5.png
https://i.imgur.com/3QLT2hO.jpg
2020/09/26(土) 15:14:34.96ID:MaeX6aGl0
μ'sフェスは今のところ当たり中の当たりってキャラが居ないし真姫という超大外れがあるから引きづらい
2020/09/26(土) 15:14:48.14ID:ntAGUb/la
>>212
バカンスと比べたらうんちだな
おはガチャ石補充に凸付く感じか
2020/09/26(土) 15:14:51.69ID:vxlL9tFx0
むほほw
https://i.imgur.com/GAwYKOn.jpg
2020/09/26(土) 15:14:56.63ID:P3ldTFrN0
アニメでも「うちを入れて9人や」
「えっ?」て感じだったしな
2020/09/26(土) 15:15:05.68ID:1e8T/P6E0
めちゃくちゃ嬉しい
https://i.imgur.com/TXrlZgM.jpg
2020/09/26(土) 15:15:12.97ID:iSnQa18Xa
>>190
本当だ…出現UR一覧先頭のせつ菜を別イベのUR報酬と勘違いしてた申し訳ない

フェスSTEP無料はフェスエマ来て凸ったから嬉しい
227名無しで叶える物語(はんぺん) (ワッチョイ 2f7b-njwO [14.11.132.32])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:15:31.30ID:x0jW0HnU0
6600円で1凸+石900個か フェスエリチ完凸早くさせたいし買うか
2020/09/26(土) 15:15:35.51ID:mAb1qDH/p
8人フェスでよりにもよってハブられてるのが勝手にミューズに入った希ってのが痛々しい
2020/09/26(土) 15:16:23.81ID:CfUDzx0yd
>>209
俺は無料100連とμ'sAqoursフェスで満足してる良い茸だぞ
2020/09/26(土) 15:16:27.28ID:e6SvSGDF0
今日本当に1周年なの?これ
2020/09/26(土) 15:16:31.02ID:Kyk07I4a0
フェス一回目でURきたー!希だー!やったー!


あれ?
2020/09/26(土) 15:16:44.83ID:h6JuPXRvd
イライラしてキャラディス始めちゃったか
こうなるのが嫌だったんだよなあ
2020/09/26(土) 15:16:49.81ID:5PszNqjx0
https://i.imgur.com/zEJrtRy.jpg
2020/09/26(土) 15:16:53.81ID:xatXOMfN0
他のソシャゲなら1万も出せばUR選ばせてくれるのに(´・ω・`)
2020/09/26(土) 15:16:54.85ID:DJKfawjJ0
>>223
つよい
236名無しで叶える物語(しうまい) (ワッチョイ bf54-ZAfc [126.66.74.100])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:17:11.86ID:h+FOv8EL0
>>218
こんなん有償石じゃなく普通の意志で回させろってんだろ
2020/09/26(土) 15:17:26.40ID:gfCkRgAdp
╭*(๑˘ᴗ˘๑)*╮8人や、ウチを抜いて
2020/09/26(土) 15:17:28.14ID:QcwxP20J0
無料でUR3枚きたけど3枚とも推しの曜ちゃんで既に5凸済でショボーン
メロンは86個と大収穫だったけど残念
https://i.imgur.com/en7P8h1.jpg
2020/09/26(土) 15:17:29.58ID:5PszNqjx0
>>233
最初の方バグったかと思った
ちなみにμ'sフェスなんだけどフェス限は出ませんでした
2020/09/26(土) 15:17:31.58ID:DsMJrKDua
星が消えたから合宿ぶん回すぞー
241名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-NBcR [182.251.183.170 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:17:39.00ID:55cR2rkVa
>>203
ぶっ壊れフェスのんたんに震えろ
エマを超えるバストにフェス菜を超えるアピール値だ
2020/09/26(土) 15:17:48.49ID:DpVtI1Lr0
こういうセット全部買ってる人いるのかな?石だけで5天井は出来そう
2020/09/26(土) 15:18:02.36ID:eeoP7YFj0
>>238
すげぇ
2020/09/26(土) 15:18:22.36ID:yQ/TsDRp0
>>203
2020/09/26(土) 15:18:28.64ID:DRg1ESBqM
フェス真姫をハズレ扱いは自分が雑魚だと自己紹介してると同じだよ
246名無しで叶える物語(もんじゃ) (アウアウエー Sa7a-njwO [111.239.172.56])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:18:37.23ID:j34lYgGda
フェス果南のために石貯めてるワイ、絶句
247名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:18:40.50ID:7UYWdxiga
ニジガクフェスもハブられてたけど1人だけハブはまじでアホ。愛を感じないな
2020/09/26(土) 15:18:42.32ID:JsTbZYVLr
勢いでステップアップ3までいったけどUR0かぁ…
249名無しで叶える物語(きびだんご) (ワッチョイ 83fe-E7vW [114.173.233.15])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:19:04.27ID:7UVS2xgx0
120円だけでええな
2020/09/26(土) 15:19:05.44ID:7hgNeP2qd
現実はこんなものよなぁ

https://i.imgur.com/dNXXX1N.jpg
2020/09/26(土) 15:19:06.48ID:oF67td2x0
>>217
馬鹿にてるっていうかここで追加されるほうが推しは辛いぞ
ニジガクフェスと一緒の状況だからここで新規追加されたとしてもピックアップされないフェス限の闇鍋に放り込まれることになるんだし
むしろ希は今月ピックアップで追加来てるし来なくてよかったよ
252名無しで叶える物語(しまむら) (ワッチョイ b754-C3PC [60.111.199.167 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:19:13.69ID:O9KDNVSy0
おはガチャでフェス限でて草
さすが4倍やな
2020/09/26(土) 15:19:14.24ID:4GT/+jsc0
Aqoursフェス、天井でフェス限なし
2020/09/26(土) 15:19:15.19ID:dclBz1a90
サン社員きたか
2020/09/26(土) 15:19:15.87ID:2pGi4ez20
うわぁ1番楽しみにしてた願いがめっちゃたけえ
6600円払って1凸かぁ
副産物でおは900石
2020/09/26(土) 15:19:28.22ID:Zp+jA2mz0
メロン14個追加いただきました
2020/09/26(土) 15:19:28.73ID:ntAGUb/la
>>241
これが虹みたいに五人や六人なら大して気にならんけど
一人だけハブられてるのは痛ましいわ
マジでなんとかならんかったのか蟹よ
258名無しで叶える物語(とばーがー) (ワッチョイ 220a-D++W [219.100.21.141])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:19:30.86ID:H7iTfcIc0
アニバ当日に120円で済むbニか財布に優しb「ゲームやね
2020/09/26(土) 15:19:33.57ID:LEnWnUum0
フェスステップアップ4まで課金したが、フェス限マリーが当たったわ。
フェス限かよちんも1凸目ヒット!
2020/09/26(土) 15:19:42.56ID:Py0wA2Xy0
>>236
まったくだ、この為にニジガクフェスすらスルーしたってのに
フェス菜もエマも愛も持ってないのに
2020/09/26(土) 15:19:55.44ID:ZUifs1I2d
スターターコースとアニバーサリーセットで良いかな
ステップアップは生放送でなんか良い知らせあったらお祝いで回すわ
262名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 0e09-TI1s [119.243.114.128])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:19:58.36ID:UGj1538R0
フェス限のことりまき花丸って使い道ある?
2020/09/26(土) 15:20:08.08ID:iSnQa18Xa
一周年ならせめて恒常縛りでいいから選べるURチケは買わせて欲しかった
いまだにガチャ産URかすみん難民なんで
2020/09/26(土) 15:20:37.22ID:ntAGUb/la
>>255
凸は魅力的だけど
3900円追加で1100有償石だからな…
265名無しで叶える物語(しうまい) (ワッチョイ bf54-ZAfc [126.66.74.100])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:20:37.31ID:h+FOv8EL0
>>255
ありえねえよな
こんなん1500エンでいい
2020/09/26(土) 15:20:44.27ID:sHOKm4Pz0
合宿エラーでログインできなくなったTwitterでも報告で始めてるな
267名無しで叶える物語(茸) (スフッ Sd42-DtiP [49.106.215.230])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:20:44.58ID:CfUDzx0yd
>>194
なんだろう辛く激しい戦いの跡が見える
2020/09/26(土) 15:20:45.47ID:Ge+Sa6Oua
ほのえり愛してる
https://i.imgur.com/wz8ahro.jpg
2020/09/26(土) 15:20:54.77ID:oF67td2x0
>>218
内容については何とも言えんけどステップアップそのものを10500円で収まる金額設定にしたのはまあいいかなって思う
2020/09/26(土) 15:21:21.17ID:1RvEjdOLp
>>246
これ
なんかもうどうでも良くなったわ
1周年はお前らで楽しんでくれ
2020/09/26(土) 15:21:29.39ID:lSxWnPg00
イベントURSRバナーに出ないキャラ使っちゃダメだろうw
2020/09/26(土) 15:21:31.33ID:kX8GP+xca
とりあえず様子見
273名無しで叶える物語(しうまい) (ワッチョイ 8328-kjqf [114.150.205.130])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:21:33.68ID:aciVgp980
願いがきらめきの時より渋くなってて草
2020/09/26(土) 15:21:40.42ID:u+X0e473d
生で新規ガチャはないな
そんなことしたら今ガチャしてる連中が切れる
2020/09/26(土) 15:21:43.90ID:DJKfawjJ0
ステップアップ別にフェス限PUされてはないのか
フェス菜狙いに行くか悩む
2020/09/26(土) 15:21:46.66ID:evMBaD000
無料10連UR0だったので思わず回してしまったがここでストップ
フェス限出るわけ無い
https://i.imgur.com/yYznlVF.jpg
https://i.imgur.com/czH6o5m.jpg
2020/09/26(土) 15:22:00.63ID:Z4q9/H160
https://i.imgur.com/Rairs8L.jpg
これはSR以上確定ってことなの?よくわかんない
2020/09/26(土) 15:22:00.93ID:S1yDuT0T0
これはドヤっていいの?
https://i.imgur.com/IcP67ns.jpg
2020/09/26(土) 15:22:11.41ID:FEHBOrDV0
>>250
R10枚を回避できた上にキズナレベル上限も上がった、と考えれば悪くはないな
2020/09/26(土) 15:22:31.41ID:mAb1qDH/p
120円ってスターターコースか
120円で10連ならさすがに得か
2020/09/26(土) 15:22:37.02ID:qHLjpFuWM
>>242
何も考えずに即全部買いました
https://i.imgur.com/qTEIUgc.jpg
2020/09/26(土) 15:22:42.53ID:ILFmbqMu0
やはりニジガクフェスで回した奴が勝利者だったか
2020/09/26(土) 15:22:58.76ID:e6SvSGDF0
無償石スッカラカンのスクショとか見るとよくその手持ちで周年迎えられたなって余計な心配しちゃうわ
2020/09/26(土) 15:23:01.90ID:aQZoFiPJa
ステップアップの無料分引いたらフェスにこ当たった
DLPに備えろってお達しなのか…
285名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 0291-+J6I [211.15.208.1])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:23:35.20ID:1Dfe9Zn60
ぽむ高咲しおこフェス限は今晩?
2020/09/26(土) 15:23:40.35ID:g2//EyODd
>>274
冷静に考えたらそうなんだけどね
ここの連中は1周年なんだからつよつよなフェス限が追加されるに決まってるって思い込みが強すぎてもう冷静な思考が出来てない
2020/09/26(土) 15:23:41.94ID:Hi2jdVVe0
とりあえず120円と2200円を1つずつ買ってストップにした
2200円のは3つ買えば即効性あるけど6600円叩いて1凸って果たして得なんだろうか?ってなってしまうね
2020/09/26(土) 15:23:46.31ID:DzkqlVjxd
>>255
スクスタパスでも願いは交換できるし
今すぐ凸を加速させたい奴向けだな
2020/09/26(土) 15:23:57.28ID:8crL/h8k0
無課金だけど、せつ菜と梨子だけフェス限持ってる。
2020/09/26(土) 15:24:28.83ID:m3fpkHSE0
えっと…今月のフェスは…?
学校別だけなのかそうでないのかだけ蟹は早く情報を出し切っちゃってくれ…
291名無しで叶える物語(かつお) (ワッチョイ 8688-gwTV [121.111.6.175])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:24:31.60ID:O5KLj9YB0
我慢できず10連だけ引いたらフェス限ダイヤさん当たった
強いですか?
292名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:24:33.22ID:7UYWdxiga
石は5桁あるのにフェスそのものが既存のしかなくて萎えてるユーザーです
2020/09/26(土) 15:24:33.47ID:evMBaD000
>>223
羨ましい
294名無しで叶える物語(SB-Android) (オッペケ Srbf-gS0e [126.194.111.222])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:24:45.85ID:XQZIB0oBr
しかしμ'sのフェス限弱いな
2020/09/26(土) 15:25:01.73ID:ntAGUb/la
>>287
300石って2080円だから
3セット買わなきゃ有償の劣化じゃね?
296名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 0291-+J6I [211.15.208.1])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:25:18.93ID:1Dfe9Zn60
μ's うみ、まき、りん Aqours ルビー 虹 エママ

無いフェス限が案外ないんだよな…凸出来たらそれでいいけど。
2020/09/26(土) 15:25:20.82ID:xx5k2mpyd
みなさん水着って買いました?
298名無しで叶える物語(しうまい) (ワッチョイ bf54-ZAfc [126.66.74.100])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:25:34.33ID:h+FOv8EL0
>>271
ん?!マジ!?
スクフェスで返金実績あるぞそれ!!
2020/09/26(土) 15:25:39.58ID:yQ/TsDRp0
>>230
夜の生放送でサプライズあるにしても、そんなの前日までに発表しといて今日の1周年当日に実装しろよって話だよな
2020/09/26(土) 15:25:49.66ID:FEHBOrDV0
ごめんなさい、ステップアップはそれぞれ確定枠ありましたね
2020/09/26(土) 15:25:57.22ID:oF67td2x0
>>286
何も無ければ今月のフェス限追加無しってことになるし、まあこれとは別に通常の月末フェスが来るんだろうなとは思ってるが
別にここから今月もう新規ガチャが無いなら無いで別に問題ないけど
2020/09/26(土) 15:26:23.20ID:mAb1qDH/p
有償石700個あるしある程度おはガチャで減らしてからフェス回したいな
マリーや花丸すげーほしいけど
2020/09/26(土) 15:27:13.41ID:QHK74+BWd
まあここで石使い切らせてからの
ぶっ壊れ新フェス限出して課金煽るという可能性はあると思う
……蟹にそんな知恵が回ればの話だが
2020/09/26(土) 15:27:24.02ID:Hi2jdVVe0
>>295
石だけにフォーカスを当てるならそうなんだろうけど
アレ買う人って凸りたい人だから言うほど劣化でもないと思う
パスでも願いは手に入るけどパス込で出来るだけ早めに、だけど安く済ませたい人は1つ買っておけばいいんじゃないかなって思う
305名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:27:29.11ID:7UYWdxiga
放送のサプライズとか言っても無い可能性とほぼあるだろうとバレてる時点で茶番だよね
15時にサプライズで出した方が興奮したわ
2020/09/26(土) 15:27:49.15ID:bExZUr6A0
はいはい最低保証
2020/09/26(土) 15:27:50.65ID:GwZnjQK50
フェスマリーは分かるけどフェス丸は前より評価上がってるん?
2020/09/26(土) 15:28:02.43ID:WS6SIy3q0
>>298
URの方もSR以上の方もそのチケットで出る可能性があるキャラだよ
>>271がエアプなだけ
309名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 0291-+J6I [211.15.208.1])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:28:28.29ID:1Dfe9Zn60
>>307
DLPで殺意の光ごり押しするときに使った
2020/09/26(土) 15:28:48.43ID:g2//EyODd
>>301
1stアニバガチャやってる最中なのにまだフェスが来ると思ってるのか
いい加減諦めたほうがいいよ
フェスは10月下旬まで来ません
2020/09/26(土) 15:28:49.75ID:vgvn6yXT0
>>303
公式ツイがわざわざ放送内容のチケ配りチャレンジ企画部分を追記で強調してるから
あれでほとんど時間使うと思うよ
312名無しで叶える物語(もんじゃ) (アウアウウー Sa9b-5PEE [106.133.51.140])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:28:52.39ID:ry/HU7wba
正直1stガチャ、ショボくね?
2020/09/26(土) 15:29:00.87ID:ntAGUb/la
普通は「これはノータイムで買い!」
みたいなセットが一つくらい有るもんじゃないの?
いやビギナーはその領域だけど、そうじゃなくてさ
2020/09/26(土) 15:29:39.96ID:mAb1qDH/p
>>307
耐久力ならマリーより花丸のが上だから使いやすいとかこのスレのプロたちに聞いたんだが違うんか?
315名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 0291-+J6I [211.15.208.1])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:29:43.84ID:1Dfe9Zn60
>>313
ビギナーとステ2の有償200までなら買いかなとは。
2020/09/26(土) 15:29:55.30ID:eeoP7YFj0
120円で飴10個もくれるなんてあったけぇ
2020/09/26(土) 15:30:23.40ID:ub67G5jh0
蟹検定不合格者が暴れそうやな
ソシャゲ界のアニバの常識を蟹ゲーに持ち込んで勝手に期待されても困るで
2020/09/26(土) 15:30:37.45ID:ntAGUb/la
>>304
なるほど、パスの願いと同じなのか恥ずかしい勘違いだった
2020/09/26(土) 15:30:40.17ID:JsTbZYVLr
1万で闇鍋UR確定と石1500個じゃなくて
3000円で石450とUR確定の方が売れるよね…?
320名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 4735-u7T5 [118.241.182.36])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:30:49.81ID:ChempdGG0
1周年ガチャの内容自体はかなり豪華だろ
新キャラがいないから地味に感じるだけで
2020/09/26(土) 15:30:52.08ID:E7gQ9valp
ナチュラルの飼育員自体が全然いないから普通に欲しいわフェス花丸
2020/09/26(土) 15:30:59.44ID:DJKfawjJ0
温泉彼方ちゃん可愛すぎる…
https://i.imgur.com/aw3Mkjj.jpg
https://i.imgur.com/ceJLQUW.jpg
https://i.imgur.com/vgqqbj2.jpg
https://i.imgur.com/3qO3bVM.jpg
https://i.imgur.com/Mq9ii0R.jpg
https://i.imgur.com/N8BMKjP.jpg
https://i.imgur.com/ke4RO5Y.jpg
https://i.imgur.com/XAce8Y4.jpg
https://i.imgur.com/SyMsx9B.jpg
2020/09/26(土) 15:31:29.21ID:8/Xb0IsUd
>>314
高火力殴りヒーラーの鞠莉と絶対に誰も死なせない花丸って感じ
2020/09/26(土) 15:31:31.39ID:WNyupAf90
基本的にセットは罠が基本だからこんなもんじゃね
きらめきはお得に感じたけどそれ以外で魅力なセットはあまり無いし
2020/09/26(土) 15:31:42.55ID:hh+GK34Xd
周年企画から果南ハブられてるのに生放送に諏訪さん呼ぶのは嫌がらせかな?
2020/09/26(土) 15:31:54.32ID:LOQeig1/0
他ゲームだと結構周年記念のガチャでも後から追加されてるイメージだけどな
2弾くらいはなんかあるんじゃないかなぁ
2020/09/26(土) 15:31:56.89ID:SAfr2ZhKa
フェス確定はちかっちだったやったぜ
https://i.imgur.com/iSRNVkP.jpg
2020/09/26(土) 15:32:12.01ID:oF67td2x0
>>310
無いならないで別にいいって書いとるやんけ
無けりゃ今のガチャに金入れるだけだ
329名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ 0291-+J6I [211.15.208.1])
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2020/09/26(土) 15:32:15.63ID:1Dfe9Zn60
ハーフのきらめきバカンス以下の課金効率
2020/09/26(土) 15:32:34.85ID:WS6SIy3q0
>>319
1500個はフェスステップアップが最後まで納まるのがミソじゃないかな
100個余るし単に蟹が集金したかっただけ説も捨てがたいけど
2020/09/26(土) 15:33:12.59ID:bbDGTDD70
石貯めとけって言われて貯めた初心者やけど何のガチャ回せばいい?
2020/09/26(土) 15:33:29.64ID:LQkXTMRh0
今回のフェスはAqours二回だけで撤退!あざっす!
https://i.imgur.com/vYLkNPa.jpg
333名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
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2020/09/26(土) 15:33:46.43ID:7UYWdxiga
新キャラ無し
各グループ1人ずつハブられた推しには鬼畜なグループガチャ

これが1周年か
2020/09/26(土) 15:33:54.56ID:VAf3LvEq0
今月分のフェス限は別枠やろなぁ
2020/09/26(土) 15:34:10.46ID:g2//EyODd
>>317
俺も最初は期待してたよ?
でも昨日の時点で新キャラのお知らせがなかった時点であっこれは既存キャラだけで1周年やるんだって察した
未だに新キャラ期待してるガチ勢が不憫でならない
2020/09/26(土) 15:34:15.67ID:CBkSB7Rx0
>>331
ガチャ期間長めだからもう少し情報が出るまで待つのが吉
少なくとも今日の生放送までは我慢して
引くならAqoursフェス
2020/09/26(土) 15:34:19.53ID:wJtCJJL2p
別でフェスくるよな流石に
338名無しで叶える物語(たこやき) (ワッチョイ f788-9HpR [124.145.30.143 [上級国民]])
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2020/09/26(土) 15:34:46.47ID:Jdh2q+HL0
今日の生放送控えてネガキャンはエアプ
2020/09/26(土) 15:34:52.63ID:g5St/1V80
SR穂乃果鞠莉が来てないから何かしらあるんじゃない?
2020/09/26(土) 15:35:12.93ID:kX8GP+xca
1周年に新キャラ出さないって商売する気あるのかなとは思う
2020/09/26(土) 15:35:30.86ID:GwZnjQK50
どう見えるかだ まだまだ心眼が足らぬ
2020/09/26(土) 15:35:46.37ID:SAfr2ZhKa
フェスはさらにまだくるだろうな
新フェス限きてないし
343名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:36:04.35ID:7UYWdxiga
生放送で発表
10月1日から開始とかだと萎えるなあ
毎回イベ後?に来てたイメージはあるが
2020/09/26(土) 15:36:23.60ID:IPq/l4gYp
生放送で何もなかったら荒れるから何かしらあるだろ

あるよね?
2020/09/26(土) 15:36:27.20ID:iSnQa18Xa
逆に「15:00にお知らせ無かったから各校フェスガチャ引いたのに
生放送で〇〇ガチャ追加なんで聞いてねぇぞ!石もうねーわ!」
とかキレ散らかす層なんているのか?
2020/09/26(土) 15:36:32.24ID:LGSNrVhB0
まずμ'sとAqoursしか来てないし虹フェスはくるんでないの?
2020/09/26(土) 15:36:39.09ID:nDpi59LU0
前の虹のフェス限の時どうだったっけ?
348名無しで叶える物語(ささかまぼこ) (ワッチョイ 4f9d-puC8 [180.11.231.190])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:37:12.15ID:Nu15FdQW0
ステップアップに金を入れるかは生放送で発表される内容次第にしてやろう
2020/09/26(土) 15:37:19.65ID:bbDGTDD70
>>336
ありがとう
生放送で発表なかったら引いていい感じ?
2020/09/26(土) 15:37:21.50ID:51xbq6Mp0
フェスぽむ待ちだけどニジガクフェスで石削っちゃったから正直まだ出ない方が嬉しい
2020/09/26(土) 15:37:26.12ID:g2//EyODd
>>344
10連チケット5枚があるよ
2020/09/26(土) 15:37:50.37ID:Cqm0HQgra
希果南ハブられてて笑うわ
数回3人ピックアップにして帳尻合わせりゃ良かったのにほんと馬鹿だな
2020/09/26(土) 15:38:24.18ID:DpVtI1Lr0
もえぴ「新フェス栞子!アピール15000!アピール全員持ち!」

放送でこうなってくれ・・
2020/09/26(土) 15:38:54.02ID:HMTVf/f80
ステップの5回目以外今有償引いても影響ないやろ?
2020/09/26(土) 15:39:28.31ID:jDczmHM+0
まだ買ってはいないけどそこそこお得な商品出してくれたからちょっと安心したわ
こんなの買うわけないじゃんみたいなのしかなかった時もあったからなぁ・・・
2020/09/26(土) 15:39:42.15ID:oF67td2x0
>>345
昔みたいに5日とかで終わるガチャでもないのにそれでキレてる奴がいたらアホでしかないのがな
2020/09/26(土) 15:40:14.39ID:5PszNqjx0
どれが強いとか分からないままとりあえずステップアップ引きました

強いキャラいますか?
https://i.imgur.com/WQmg4Bh.jpg
https://i.imgur.com/nzIOgw8.jpg
https://i.imgur.com/TPX2iEL.jpg
https://i.imgur.com/fN5o6dZ.jpg
2020/09/26(土) 15:40:25.65ID:+OQEZ8/Ga
のんたん推しだけど、ニジガクフェスで回しといて良かったわ
今日は皆で楽しんでくれ
2020/09/26(土) 15:40:28.50ID:H3Jo49hCd
>>353
ただアピール高いだけとか他の劣化だぞ
2020/09/26(土) 15:40:32.87ID:IdT2wpvM0
むしろ何で生放送でガチャ発表すると思い込んでるのか謎
今まで何度もガチャ告知を見てきた記憶が消えてるのか?
361名無しで叶える物語(SIM) (オイコラミネオ MM5e-xsES [61.205.4.192])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:40:35.97ID:uaOXtM2hM
こんなんなら石貯める必要なかったな
2020/09/26(土) 15:40:45.42ID:Z4q9/H160
>>357
凛ちゃんオススメ
2020/09/26(土) 15:40:45.66ID:LOQeig1/0
とりあえず無料分とそれぞれのグループ10連だけ引いたけどまあフェスダイヤ凸れたし今はこれでいいや
あとは様子見だなぁ
2020/09/26(土) 15:40:56.52ID:Py0wA2Xy0
ちょっくら希・果南推しがどんなお気持ち表明してるかtwitter見てみるか
スクスタやってる人がいるかは知らんけど
2020/09/26(土) 15:40:58.19ID:C/bHg/Tq0
今北産業
2020/09/26(土) 15:41:17.70ID:evMBaD000
ステップ確定が2枠くらいあれば残り行くんだが
ちょっと一回冷静になろ
2020/09/26(土) 15:41:28.72ID:7hgNeP2qd
>>357
弓引いてる海未は強いよ
368名無しで叶える物語(ますのすし) (ワッチョイ c679-/QqT [153.178.236.132])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:41:34.83ID:gmTbJeJY0
スターターセットこの内容で120円とか異様に安いな
500円でも買いだろ
2020/09/26(土) 15:41:56.68ID:9CZUNvkC0
スターターセット毎月売ってくんねえかな
2020/09/26(土) 15:41:57.21ID:SAfr2ZhKa
レインボーローズエマがなかなかでてくれない
2020/09/26(土) 15:42:05.47ID:Z4q9/H160
https://i.imgur.com/J4wzly4.jpg
フェス限が出る(出ない)
372名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:42:13.14ID:7UYWdxiga
萎えるわ
いつまで推しフェス待たせんだよ
2020/09/26(土) 15:43:19.57ID:sllVXIi40
ステップアップなんて罠だぞ!

https://i.imgur.com/WzYSp2T.png
https://i.imgur.com/LDoxZEx.png
https://i.imgur.com/7OuEG88.png
https://i.imgur.com/QQoVUwC.png
https://i.imgur.com/XT1WSij.png
2020/09/26(土) 15:43:31.95ID:5PszNqjx0
>>362
凛ちゃんは全部微妙みたいな意見どっかで聞いたけど信じていい?
>>367
そうなんだ、μ's好きだから使えるのは嬉しい
2020/09/26(土) 15:43:32.93ID:g2//EyODd
>>360
ブラジルの勝ち組みたいなことだろ
新規フェス限が来る来るってずっと言ってきたんだから、今更やっぱ来ないんじゃなんて信じたくない
2020/09/26(土) 15:43:38.36ID:bmIkHPmR0
果南ちゃん推しだがフェス限来なくてがっかりしてる
今日の生放送で栞子ちゃんフェス限来たらそっち回してやるもんね…
377名無しで叶える物語(ますのすし) (ワッチョイ c679-/QqT [153.178.236.132])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:43:54.18ID:gmTbJeJY0
>>357
スクスタは凸れば誰でも使い道あるし強いぞ
逆に凸らなければ一部のフェス限除いて使えない
2020/09/26(土) 15:44:43.61ID:dez93Ssv0
>>373
罠偵察ご苦労様です
2020/09/26(土) 15:44:43.72ID:J6H/NOY2p
フェス無料10連ハブられてる恒常希が来たぜ…
強い方の
2020/09/26(土) 15:45:07.69ID:ILFmbqMu0
有償1400もありゃおはガチャ回せばフェス限なんか出るからな
急いで欲しいなら兎も角
2020/09/26(土) 15:45:10.94ID:IdT2wpvM0
>>375
そういう奴らって最後は発狂オチだから面倒くさいんだよな
2020/09/26(土) 15:45:17.17ID:wJtCJJL2p
1周年で新規なしとか🦀さんでも流石に無いでしょ
なんかあるやろ
2020/09/26(土) 15:45:31.90ID:evMBaD000
>>373
持ってるUR凸るだけってのが本当に嫌だ
2020/09/26(土) 15:45:39.10ID:ub67G5jh0
ちょっと豪華なガチャ紹介動画見た時点で諦められないのはもはや逆張り
385名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:46:05.04ID:7UYWdxiga
新規の為や石半端にしかない能無しが爆死か無凸引いて喜ぶガチャだな
しっかり貯めてきて推しはその都度引いてきた古参にはほぼゴミ以下のガチャ
2020/09/26(土) 15:46:08.69ID:CBkSB7Rx0
>>349
推し待ちでも無ければ引いてもいいと思う
2020/09/26(土) 15:46:10.34ID:mIiDkha6r
>>373
まだ確定が愛さんだっただけいいじゃん
確定が雑魚フェス限なほうがキツいだろ
388名無しで叶える物語(あら) (ワッチョイ d755-/QqT [220.220.3.29])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:46:10.55ID:jnpYuvW20
フェス限せつ菜 3凸
フェス限千歌 2凸
フェス限彼方 1凸
初期果南 4凸
初期曜 4凸

願い30個はどれに使ったほうがいいんだろ?
2020/09/26(土) 15:46:18.19ID:WS6SIy3q0
>>380
最初からやってるけど今のところおはガチャでフェス限0なんですがそれは
2020/09/26(土) 15:46:23.24ID:Py0wA2Xy0
>>373
そう言って非フェスの良いURの1枚2枚は当ててんじゃないかと思ったら何もない…だと…?
確定枠のフェス限は良さげだけど
2020/09/26(土) 15:46:41.56ID:5PszNqjx0
>>377
そうなんだ……

どこを見て強いとか判断すればいいのかさっぱり分からないのが辛いわ、他のゲームなら大なり小なりそういうの分かるけど
2020/09/26(土) 15:46:48.56ID:mIiDkha6r
>>388
書いてる順番からして優先順位わかってんじゃん
393名無しで叶える物語(茸) (スププ Sd42-+pNE [49.96.38.105])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:46:49.65ID:7BiZKu/Ad
>>357
どれもそれなりに強いと思う
しかし君のような有望な新規がいるとはな
2020/09/26(土) 15:47:08.06ID:BWBn76jz0
フェスの安売りをし始めたら終わりだからな、某デレみたいに
395名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:48:06.01ID:7UYWdxiga
有望(脳死でお得だと勘違いしてしまう)な初心者やな
2020/09/26(土) 15:48:08.32ID:Xym+sPAb0
サンキュー🦀
https://i.imgur.com/WDEi3K7.jpg
2020/09/26(土) 15:48:19.33ID:e6SvSGDF0
とりあえず一万入れる新規とか理想のお客様だな
2020/09/26(土) 15:48:39.77ID:oF67td2x0
>>364
希推しだけど今月もうUR1枚来てるから来るなとさえ思ってるぞ
何が何でもすぐにフェス限で来てほしいわけではないし
2020/09/26(土) 15:49:09.77ID:mQvU1rbJp
https://i.imgur.com/494sH7e.jpg
3ステップ目まではSRだけでキレそうだったけど欲しかったフェス曜出たから許したる
400名無しで叶える物語(SB-iPhone) (ササクッテロラ Spbf-kd6f [126.193.34.204])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:49:32.58ID:/1dC2XV4p
後夜祭合わせて合計無料120連したけどUR4枚か…
クッソ使えねえ
2020/09/26(土) 15:50:43.70ID:jDczmHM+0
>>391
このゲームはカードそのものよりも編成の仕方や立ち回りが大事だったりするから
これ持ってれば強いみたいなカードは存在しないんだよね
ただステータスの高さは大事だから育成はしっかりしないといけない
2020/09/26(土) 15:51:45.49ID:2irRIo2U0
なーんも成果ねぇや
つか改めて見るとAqoursのアタリ率はなかなかだな
403名無しで叶える物語(らっかせい) (ワッチョイ c29f-6HZf [131.147.144.239])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:51:56.32ID:3Lq2ev910
>>307
ナチュラルだからDayDayDayに使えるのもでかい
404名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:52:21.75ID:7UYWdxiga
これ使えば強いは

フェス菜フェス歌フェスマリとかやろ
大体のステージSだけならこいつら3人でほぼいけるはず
後はヨハネパワーとかシールドを臨機応変に入れればいいだけ
2020/09/26(土) 15:52:33.91ID:oF67td2x0
初期実装済みの上級曲を早めにS抜けしたいって考えたらUR自体は何でもいいからとにかく凸進んだほうがいいしな
2020/09/26(土) 15:52:40.28ID:vs90t2IE0
ID:7UYWdxigaはネガキャン要員
407名無しで叶える物語(らっかせい) (ワッチョイ 2288-dRpf [27.84.246.185])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:53:12.14ID:ZwXGMXQP0
確定枠せつ菜出て輝き25個で終わって草
2020/09/26(土) 15:53:25.69ID:WNyupAf90
>>388
フェス限ならどれでもいいよ、どれも強いと言われてるキャラだ
初心者がどの曲でも使いまわしたいならせつ菜あげとけば間違いない
2020/09/26(土) 15:53:34.03ID:gpsAWX0E0
ステップアップ20連目までやったけど何も出ませんでした
デスヨネー
2020/09/26(土) 15:53:53.68ID:fAd9MTTQ0
スターターコースのバナーにある「10日間ログインするたびに通常ガチャチケット×1&ライブキャンディ(50)×1獲得!」
って10日ごとに1個ずつしか貰えないように読めるんだが

まあ下見ればログイン10日間で計10個ずつと分かるけど

これも蟹語検定か?
2020/09/26(土) 15:53:59.18ID:YdWV+k7ud
Aqours回したけど出ねーわ
おはガチャ粘るわ
2020/09/26(土) 15:54:09.62ID:mAb1qDH/p
フェスで天井までぶん回してフェス花丸もらう気だけどいいよね?
フェス回復もってないからマリーか花丸の2択なんだがクール回復は2凸曜もってるし耐久力は花丸のが良いらしいから花丸もらおうかと思ってる
でもマリーのが総合評価は高いらしいから怖いんだよな
評価上のマリーのがいい?
2020/09/26(土) 15:54:52.57ID:T0w3iqlga
>>412
最終日まで様子見たら?
天井覚悟ならおは結果見てからでも良いでしょう
414名無しで叶える物語(もんじゃ) (アウアウウー Sa9b-dRpf [106.132.128.49])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:55:10.49ID:vHi1cR5Ba
フェス絵里とフェスエマどっちに輝きぶち込むのがええんやろ
2020/09/26(土) 15:55:49.64ID:mIiDkha6r
>>412
曜ちゃんが5凸ならともかく2凸程度ならマリー取った方がいいと思う
フレンドも増えるよ
416名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 15:55:50.32ID:7UYWdxiga
ボルランでも通用する火力も欲しいならマリーで耐久重視ならヘナメル
2020/09/26(土) 15:56:01.93ID:IdT2wpvM0
>>414
どう考えてもフェスエマ
2020/09/26(土) 15:56:33.58ID:oF67td2x0
>>410
さすがにそれはそうはならんな
10日毎にログインするたびガチャチケって書いてるなら分かるが
10日間ログインするたびなら10日分だなってなる
2020/09/26(土) 15:56:43.59ID:szi9IUoia
ぶち込む先はちんちんに聞くのが一番やで
2020/09/26(土) 15:56:51.81ID:YdWV+k7ud
>>414
推してる方
2020/09/26(土) 15:57:47.88ID:5PszNqjx0
>>401
あーそうなんだ。特技とかはそこまで重要じゃないのかな?ステータスを上げて物理で殴る感じか

どこ見ればそういう強い編成が分かるようになるんだろ、現状緑の作戦にアピールが高いやつとシールド、中央にテクニックが高いやつをとりあえずぶち込んでるけど、いいのかな?残りの関わらないメンバーは何を見て入れればいいんだ、とりあえず可愛いやつ編成してるけど
2020/09/26(土) 15:57:52.19ID:Hi2jdVVe0
>>412
こないだもここで聞いてただろ?
鞠莉の強みは同作戦アップで火力貢献しながらも回復が出来る
花丸は持ってないから知らんけど回復特化なんじゃなかったかな
俺はフェス鞠莉を推す
属性云々はDLPや廃課金の属性一致ユニットを考えない限りそこまでいまは考えなくていいと思う
2020/09/26(土) 15:57:52.40ID:vs90t2IE0
>>410
1日1回って書いてないからログインを繰り返せば無限増殖
2020/09/26(土) 15:58:05.89ID:vSWw0NZWF
これフェス限ガチャじゃないじゃん
騙された こらμ'sとAqours分ける理由ある?www
2020/09/26(土) 15:58:14.84ID:mAb1qDH/p
>>413
まあ回してみてからってところはあるんだけどどっちが良いか悩む
2020/09/26(土) 15:58:16.82ID:wJtCJJL2p
>>410
それは🦀のせいにするの酷いよ
2020/09/26(土) 15:58:23.80ID:jDczmHM+0
>>410
俺も最初そう思ったわw この書き方だとどっちにも取れるね
2020/09/26(土) 15:58:44.26ID:S1yDuT0T0
aqoursフェス天井したらフェスが花丸と千歌しか出ず
しかも千歌はメロン25個になるという大爆死になってしもた
せめてヨハネ引きたかったなあ
2020/09/26(土) 15:58:46.15ID:T0w3iqlga
>>421
最後の一文に従って育成してみて
詰まったらまたおいで
2020/09/26(土) 15:58:52.77ID:VdeM7BQG0
ステップアップ、全部黄サイリウムで確定枠から1枚だけとかぶちぎれますわ…
2020/09/26(土) 15:59:00.33ID:M+xrq02o0
新規フェスが来ると虹だけだな
ぽむと栞子はまだ有り得そう
のんたん、果南、かすみんは残念
2020/09/26(土) 15:59:39.03ID:DJKfawjJ0
せっつーに出会えなかった変わりにまたチュートリアル始まってしまった…
https://i.imgur.com/IFJXbOJ.jpg
https://i.imgur.com/IypVKR0.jpg
https://i.imgur.com/bNxHVAw.jpg
https://i.imgur.com/xoYy4BQ.jpg
https://i.imgur.com/QuKFRlM.jpg
https://i.imgur.com/tDCJFWP.png
https://i.imgur.com/d1Vi4Om.jpg
2020/09/26(土) 16:00:04.93ID:/1dC2XV4p
DLPを考慮して戦力が不足してるμ'sを引くか、更なる強さを目指してAqoursを引くか…悩みどころだな
2020/09/26(土) 16:00:32.27ID:mAb1qDH/p
>>415
2凸クール曜いてもクールフェスマリーって強いのか
マリーが回復の中でも1番評価高いみたいだしなぁ
マリーのがいっか
435名無しで叶える物語(あら) (ワッチョイ fb2b-xkQt [218.229.239.3])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:00:34.46ID:PPRFyFV/0
>>410
蟹語というより日本語の問題な気がする

「10日間、ログインするたびに獲得」か
「10日間ログインするたびに、獲得」か
2020/09/26(土) 16:00:46.95ID:dez93Ssv0
ところで運営だよりは?
437名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:00:59.45ID:7UYWdxiga
正解はどっちも引かずに2週目に備える
もしくは推しを待つ

2020/09/26(土) 16:01:10.63ID:vSWw0NZWF
フェス復刻ゴミすぎだろ
フェス限じゃないURでるし
欲しいURは天井まで回して下さいってか?

あほくさ
2020/09/26(土) 16:01:20.15ID:tbxj8pTn0
課金してるアカウント全部1周年買って最低限しかURこないのに
課金してない方がこれでもかとUR来やがって上級+S取れたよこのやろう
440名無しで叶える物語(らっかせい) (ワッチョイ 8328-Py1O [114.172.196.140])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:01:50.78ID:Gzt1mztP0
月末の新規フェス限は0.5%
今回のμ's水フェス限、確率0.2%
ほんとに天井があるだけのクソみたいな周年ガチャ
2020/09/26(土) 16:02:00.70ID:tuB0GmFqd
>>421
わかりにくいけど後ろ6人は作戦変えない限りステはスタミナだけ参照される
個性のアピールとスタミナの全員アップは使えるので最初はそこ見て編成するといいよ
2020/09/26(土) 16:02:11.41ID:j2lHs0KX0
>>237
これすき
2020/09/26(土) 16:02:22.71ID:5PszNqjx0
>>429
わかった!
2020/09/26(土) 16:02:24.96ID:Xym+sPAb0
天井いけないけど突っ込むべきか
突っ込むにしてもどっちに突っ込むか
Aqoursの方がつよそーだけどμ's推しだからなぁ
2020/09/26(土) 16:02:25.59ID:Z4q9/H160
てかこのフェスガチャ回しても直前の和風のんたん出ないんだね
希推しワイ、躊躇
2020/09/26(土) 16:02:53.16ID:RA6lPOODp
スターターってアイテム全部取ったらまた購入できるってやべーな
2020/09/26(土) 16:03:27.32ID:bxjh4+Xip
>>435
それでも10日のあいだ、なんだから特に悩むことないと思うわ
あいだ、を10日置きと解釈してしまうのならもう分からん
2020/09/26(土) 16:03:50.73ID:jEmYsYNUd
改めてμ'sフェス限の性能見るとちょっと泣けるな
449名無しで叶える物語(かぶらずし) (ワッチョイ 0780-47Hg [182.169.255.134])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:04:25.50ID:PidGMbKR0
ステップアップで念願のフェスエマとついでにフェスほのゲットした
うれし…
2020/09/26(土) 16:04:36.92ID:K6Rd1rtCa
ついにフェスマリーゲットしたからひらめき揃えてここに来るよ
頼むぞみんな
451名無しで叶える物語(なっとう) (ワッチョイ c67d-/QqT [153.221.62.160])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:04:42.22ID:uBkr6SEF0
ステップアップUR確定1枚だった…でもスターターのチケでURでたわ
2020/09/26(土) 16:04:48.05ID:mAb1qDH/p
>>422
想像以上にマリーのが評価高いんだな
天井までぶん回すからマリーにしよう
途中で他のフェス回復出る可能性はあるけどたぶん出ないし
2020/09/26(土) 16:05:04.46ID:kf/FxrSFa
他所のアニバとは違って石そのものの配布はないのね
まあ150連が代わりなのかもしれないけど
2020/09/26(土) 16:05:12.30ID:SAfr2ZhKa
フェス花丸は強シールドでHP実質倍だぞ
回復はHP最大までしか回復しない
2020/09/26(土) 16:05:22.56ID:z1HSdmQw0
アクアフェスガチャ20連したら廊下走ってる凛出たわ
アクア…フェス…。
456名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:05:34.47ID:7UYWdxiga
あくまで恒常しかくれないからな
2020/09/26(土) 16:05:48.08ID:T0w3iqlga
>>455
逃がさないにゃ…!
2020/09/26(土) 16:06:21.30ID:Ls+SDmFTM
虹フェスみたいに半分参加で半分不参加ならまだ溜飲下がるけど
8人参加で1人だけハブるとか絶対やっちゃいけない奴だろ
キャラゲーで商売してる自覚が全くないな馬鹿蟹は
2020/09/26(土) 16:06:30.23ID:/1dC2XV4p
μ'sフェスってもしかして殆どSPタイプなのか
2020/09/26(土) 16:07:15.54ID:Q0B7DM+Od
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お前らがステップアップ貼ってくれるお陰で冷静になれるな
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2020/09/26(土) 16:07:38.85ID:Xym+sPAb0
ま、ちょっと様子見てみるか
464名無しで叶える物語(SB-iPhone) (ササクッテロラ Spbf-Py1O [126.193.127.114])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:07:47.40ID:pbkW8PZep
アクアフェス大爆死の200連5枚
戦果フェス梨子のみ
千歌目当てで天井行く気だったが放心状態
2020/09/26(土) 16:07:52.31ID:FQHwOIY70
フェステップ、後夜祭よりマシとはいえ本当微妙なラインだな
せめてフェス率アップしなよ
2020/09/26(土) 16:07:56.78ID:VAf3LvEq0
フェス限がツイッタートレンドに上がっててスクスタやるやんと思ってたらデレマスとかぶっとったわ
467名無しで叶える物語(なっとう) (ワッチョイ c67d-/QqT [153.221.62.160])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:07:57.72ID:uBkr6SEF0
フェス回したらフェスことりがでたおっぱい最高
2020/09/26(土) 16:08:00.36ID:jDczmHM+0
>>447
その「10日のあいだ」がログインだけにかかるのか獲得まで含めてかかるのかの話ね
2020/09/26(土) 16:08:20.71ID:qKZ7UVz2M
>>464
あと50連がんばろう
2020/09/26(土) 16:09:06.83ID:VL4g8RcS0
まさかニジガクフェスが本命だったとは
471名無しで叶える物語(たこやき) (ワッチョイ f788-9HpR [124.145.30.143 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:09:26.77ID:Jdh2q+HL0
今日の放送楽しみ
2020/09/26(土) 16:10:08.97ID:Hi2jdVVe0
>>452
完凸すれば最高同作戦20%近くアップだったかな
それに回復のおまけ付
普段使いのように雑に使うのであれば鞠莉はとても心強い
ただ回復力だけで言うならば花丸のが優秀ではある
2020/09/26(土) 16:10:31.84ID:g2//EyODd
>>458
実際ハブられた推しの人は別に来なくてよかったって言ってる人多いのになぜか勝手にお気持ち代弁して文句言ってるの恥ずかしくない?
474名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:11:09.05ID:7UYWdxiga
新規追加が現状ないのが1番ゴミ
475名無しで叶える物語(SIM) (ブーイモ MMfe-rhaB [163.49.205.46])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:11:44.17ID:6sTwaij8M
相変わらずセットすげー高い
UR確定1万って強気すぎる
2020/09/26(土) 16:12:45.56ID:IdT2wpvM0
9人揃ってたとしても推しのフェス限は既に持ってるだろうしあんま意味ないよな
2020/09/26(土) 16:12:52.34ID:iIuym9cG0
フェスにいないメンバーのこと考えたら悲しくなった(・_・)
2020/09/26(土) 16:14:31.86ID:DJKfawjJ0
抜きますよ、ことり
https://i.imgur.com/AzngdU0.jpg
https://i.imgur.com/VTRPXSK.jpg
https://i.imgur.com/7vCU9Wt.jpg
https://i.imgur.com/uWzjOhE.jpg
https://i.imgur.com/FoBPTtr.jpg
https://i.imgur.com/tTtqDQc.jpg
https://i.imgur.com/3qRdncj.jpg
https://i.imgur.com/3t8hNtA.jpg
https://i.imgur.com/v4bwMXR.jpg
https://i.imgur.com/7wanQ9q.jpg
https://i.imgur.com/LbzFy7o.jpg
https://i.imgur.com/4ytQ1No.jpg
2020/09/26(土) 16:14:34.24ID:8D8umkNK0
オラァ!
https://i.imgur.com/O1RUFSS.jpg
2020/09/26(土) 16:15:53.95ID:R7yh6aaHa
てか推しだらったら来た時に引いてるんだから推しが入ってようが入ってまいが関係ない気が…
2020/09/26(土) 16:15:54.82ID:n7TLhcLap
ステップアップって最後まで回したほうがいいの?
2020/09/26(土) 16:15:55.44ID:hocGiK6z0
ステップアップなんもでねぇ
爆死続きだわ
2020/09/26(土) 16:16:02.47ID:vs90t2IE0
>>478
ヘソ出せヘソ
2020/09/26(土) 16:16:05.78ID:bxjh4+Xip
>>475
今回は石1500付くしステップアップ回せる分賄えるって考えると悪くないなと思うが
学校別のUR確定セットの石が少なすぎるんだわ
2020/09/26(土) 16:17:34.35ID:Rc2dQyCMH
フェス限確定1枚1万ならまあ悪い金額じゃ無いと思うよ
2020/09/26(土) 16:18:22.99ID:33Ku5SGz0
>>481
おれはやらなきゃよかったかなって思ってる
2020/09/26(土) 16:19:16.65ID:Xym+sPAb0
推しフェス限は完凸してるからAqours引くべきか
2020/09/26(土) 16:19:20.06ID:s2Eh7zDrp
ガチャ
しか
ないの?
2020/09/26(土) 16:20:27.50ID:5PszNqjx0
水着のセット買ったけど、1人だけ水着にするとめっちゃえっちかと思ったら面白いだけだった。

今絵里だけに水着着せてどんときでマラカス振ってもらったけど笑いが止まらなかった
2020/09/26(土) 16:22:20.19ID:n7TLhcLap
新しいフェス限でるまで様子見るか、、、
2020/09/26(土) 16:22:35.72ID:Cqm0HQgra
ステップアップとか言いながら最後以外どんどん内容悪くなっていくの流石蟹って感じ
2020/09/26(土) 16:23:46.58ID:JsTbZYVLr
ステップ4か3にUR確定つけてもバチは当たらないと思うんですがね…
2020/09/26(土) 16:24:01.28ID:XT/SRZ3wr
ステップアップ引ききってよかったと思う人のほうが少ない説
2020/09/26(土) 16:24:36.72ID:5PszNqjx0
ステップアップて普通減ってくもんじゃないのかと思ったけどねあの条件なら
2020/09/26(土) 16:24:42.52ID:dez93Ssv0
そりゃ5を餌に罠にはめるのが目的だからな
2020/09/26(土) 16:25:02.06ID:iIuym9cG0
フェスえまま来たけどこれ以上は🦀の罠な気がするからやめとこ
2020/09/26(土) 16:25:09.94ID:S1yDuT0T0
今回のAqoursフェスはフェス8種類でそれぞれ0.2%(0.002)だから
250連で0.002x8x250で4枚なので出たフェスが4枚未満の奴は大爆死乙だな

自分で言ってて悲しくなるけど
2020/09/26(土) 16:26:09.72ID:Zp+jA2mz0
願いセット買おうか迷う
ステップアップ200石分だけ回してみようかな
2020/09/26(土) 16:26:13.35ID:5j8jPSvZ0
ま、無料だからしゃーねーか
https://i.imgur.com/r5h5q01.png
2020/09/26(土) 16:26:29.79ID:Rc2dQyCMH
ガチャ引く時に自分の運に期待しすぎじゃない?
自分はいつも確率下回るから全く期待せず回してる
501名無しで叶える物語(らっかせい) (ワッチョイ f7ae-njwO [124.47.252.227])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:26:43.12ID:NJzeeyYt0
μ'sもAqoursもほぼフェス限持ってるからはよフェス開催してくれ ガチャ引きたいんだ
502名無しで叶える物語(SIM) (ブーイモ MMfe-6HZf [163.49.204.4])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:26:45.54ID:vYBpq0VyM
>>478
最初見た時ジャンパー?がごつくて微妙かと思ったけど、胸元と下半身がエチエチでやべえな・・・
2020/09/26(土) 16:27:16.06ID:vgvn6yXT0
今回だけでも天井下げれば復刻回されただろうに
504名無しで叶える物語(庭) (アウアウカー Saa7-njwO [182.251.244.5])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:27:27.08ID:7UYWdxiga
期待してないから運ゲー有償は回さない
天井確実狙いのみ
2020/09/26(土) 16:27:42.85ID:5KKWtfg40
虹アニメ放送記念ガチャの方がうまい予感するな
506名無しで叶える物語(たこやき) (ワッチョイ f788-9HpR [124.145.30.143 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:28:06.07ID:Jdh2q+HL0
なんで今日の放送またらへんのや君ら
2020/09/26(土) 16:29:31.39ID:XoyqKKRkd
果南ちゃんものんたんもいない
なんでハブるかなあ4ねクソ蟹
2020/09/26(土) 16:30:09.24ID:n7TLhcLap
虹ガチャもあるよね?
そっちひこう
2020/09/26(土) 16:30:41.31ID:FnMWe3D80
ステップアップゴミ過ぎる何考えてんだろ
2020/09/26(土) 16:30:42.67ID:GwZnjQK50
仮に新フェスやるなら後夜祭フェスみたいな感じになるんかね?
2020/09/26(土) 16:30:56.18ID:5Bjyx+2aa
無料でスプラッシュ曜ちゃん出て満足だ
2020/09/26(土) 16:31:28.84ID:SAEjnn/f0
スターターコースは1回分の購入特典終わるまでは2回目の購入出来ないん?
2020/09/26(土) 16:31:32.43ID:cJJ6mkUs0
無料100連UR0敗北者ワイ
ステップアップ50連でUR7うち4枚フェス限当てて見事収束させる
2020/09/26(土) 16:32:18.97ID:MaeX6aGl0
願いは配布無しか?
515名無しで叶える物語(SIM) (ブーイモ MMfe-6HZf [163.49.204.4])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:32:58.85ID:vYBpq0VyM
>>513
完全勝ち組やんけ!
2020/09/26(土) 16:33:06.13ID:5Bjyx+2aa
なけなしの2000でフェス引いたら何も無し
課金はしません
2020/09/26(土) 16:34:26.22ID:5KKWtfg40
1周年はあと2週間引けるから虹アニメ記念まで待った方がいい
2020/09/26(土) 16:34:30.22ID:JsTbZYVLr
無償使ってグループフェス引くのはまだやめておけ
本当にやめておけ、まだ
2020/09/26(土) 16:34:41.16ID:bxjh4+Xip
>>513
恒常フェス限の差はあれど無料100連0で復刻の有償に切り替えてる時点で負けや
2020/09/26(土) 16:34:56.92ID:FQHwOIY70
フェステップ確定除く49連中UR3枚出たけど
全部初期凛ちゃんで一気に完凸したわ
ただただ脱力感だけ
2020/09/26(土) 16:36:06.68ID:lQbhjIpGd
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1.違法ファイルへのリンク、それに関する情報を与えない
2.無駄なクレクレ発言、キター発言をしない
 この2つを厳守、これを守る事を条件にスレの存続が許されています。
3.ネタバレする方はトリップ付けて下さい、ネタバレの信憑性を高くする為です。
 トリップの付け方:名前欄に #********* (*は好きな文字or数字)と入れます。これで騙りを防げます。
4.スレは無駄に消費しない、早売りや速報とは関係ない雑談については本スレでどうぞ。


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【雑誌】週刊少年チャンピオン速報スレッドVer.79000【ネタバレ】
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2020/09/26(土) 16:36:12.88ID:xatXOMfN0
中途半端にフェス限持ってるから被りが怖いよぅ
2020/09/26(土) 16:37:12.09ID:evMBaD000
終わりよければ全てヨシ
気持ちの問題よ
2020/09/26(土) 16:37:16.94ID:lQbhjIpGd
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525名無しで叶える物語(SIM) (オイコラミネオ MM5e-xsES [61.205.4.192])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:37:30.14ID:uaOXtM2hM
URチケ1500星セット買うなら2000星でええかな…
2020/09/26(土) 16:37:38.46ID:lQbhjIpGd
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2020/09/26(土) 16:37:41.77ID:gpsAWX0E0
新規フェス追加ほんまにないんか
2020/09/26(土) 16:38:02.21ID:lQbhjIpGd
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529名無しで叶える物語(しまむら) (ワッチョイ b754-C3PC [60.111.199.167 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:38:38.30ID:O9KDNVSy0
今日の放送にすわわがいるって事は…期待していいよな
2020/09/26(土) 16:39:18.03ID:Jdh2q+HL0
期待してええぞ
2020/09/26(土) 16:39:37.65ID:evMBaD000
見ないけど放送楽しみだわ
532名無しで叶える物語(茸) (スッップ Sd42-OwA4 [49.98.146.209])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:39:38.59ID:V5e7NKLod
ステップアップ勢いで30連したらフェス菜凸れて未所持のフェスことり引けておまけにレーシングえりちも出て悪くなかった
ここで満足して止めとくわ
2020/09/26(土) 16:39:49.69ID:/1dC2XV4p
真・水ゴリラ期待してええんか?
2020/09/26(土) 16:39:56.66ID:bz+bLjyD0
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2020/09/26(土) 16:40:44.91ID:PAkqcq46r
ステップアップ初回SR3枚
うーん
538名無しで叶える物語(とばーがー) (ワッチョイ 220a-D++W [219.100.21.141])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:40:52.80ID:H7iTfcIc0
一ヶ月前に一周年控えてるしせつな持ってないけど石温存しとくかと思ってニジガクフェス天井しなかったの正直後悔してるわ
2020/09/26(土) 16:41:16.43ID:FQHwOIY70
常にネタにされ続けてる初期凛ちゃんの能力改めて見てるけど
本当に徹底的に弱くなるように丸いステータスとバラバラなスキル持ちで笑うわ
2020/09/26(土) 16:41:26.35ID:Zjx+nrn3d
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543名無しで叶える物語(たこやき) (ワッチョイ f788-9HpR [124.145.30.143 [上級国民]])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:42:53.10ID:Jdh2q+HL0
スクスタログイン出来ない奴おるんかと思って起動したら該当者やったわ
2020/09/26(土) 16:42:59.48ID:Bi+8kFIdd
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2020/09/26(土) 16:43:11.47ID:Bi+8kFIdd
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★スレ内ローカルルール

1.違法ファイルへのリンク、それに関する情報を与えない
2.無駄なクレクレ発言、キター発言をしない
 この2つを厳守、これを守る事を条件にスレの存続が許されています。
3.ネタバレする方はトリップ付けて下さい、ネタバレの信憑性を高くする為です。
 トリップの付け方:名前欄に #********* (*は好きな文字or数字)と入れます。これで騙りを防げます。
4.スレは無駄に消費しない、早売りや速報とは関係ない雑談については本スレでどうぞ。


※前スレ
【雑誌】週刊少年チャンピオン速報スレッドVer.79000【ネタバレ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/comicnews/1561440923/
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★スレ内ローカルルール

1.違法ファイルへのリンク、それに関する情報を与えない
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 この2つを厳守、これを守る事を条件にスレの存続が許されています。
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4.スレは無駄に消費しない、早売りや速報とは関係ない雑談については本スレでどうぞ。


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2020/09/26(土) 16:43:15.27ID:iTjB3+Sod
これ新規ない普通のフェスガチャじゃね?欲しいURは天井回すの前提じゃん
2020/09/26(土) 16:43:19.65ID:V7wCpdaed
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2020/09/26(土) 16:43:33.60ID:iwCYhTymd
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2020/09/26(土) 16:43:37.09ID:iwCYhTymd
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2020/09/26(土) 16:43:57.13ID:5j2RSZZYd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:00.83ID:5j2RSZZYd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:04.33ID:5j2RSZZYd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:11.07ID:qHRO76d7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:14.58ID:qHRO76d7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:18.04ID:qHRO76d7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
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周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:24.54ID:km4LVBvMd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
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 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
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色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
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「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
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或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:27.88ID:km4LVBvMd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
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時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:31.42ID:km4LVBvMd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:36.80ID:WS6SIy3q0
なんか合宿絡みでエラー起こってるみたいね
貝殻の存在を消したから存在しないアイテムを獲得しちゃってエラーとかなのかな
2020/09/26(土) 16:44:38.28ID:AFhvytz9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:41.76ID:AFhvytz9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:45.22ID:AFhvytz9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:51.49ID:Z1dd7lhId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:54.83ID:Z1dd7lhId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:44:58.14ID:Z1dd7lhId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:04.41ID:yKj5upGEd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:07.78ID:yKj5upGEd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:11.16ID:yKj5upGEd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:17.53ID:GN8uSj5pd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:20.92ID:GN8uSj5pd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:24.72ID:GN8uSj5pd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:31.02ID:fYfJ+pFnd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:34.44ID:fYfJ+pFnd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:37.88ID:fYfJ+pFnd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:44.25ID:EkRSZytOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:47.71ID:EkRSZytOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:51.03ID:EkRSZytOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
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先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:45:52.40ID:iTjB3+Sod
こんなゴミみたいなのセルランあがらんだろw
2020/09/26(土) 16:45:57.24ID:F1EOTHE0d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:00.56ID:F1EOTHE0d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:03.98ID:F1EOTHE0d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:10.50ID:Yq8ANe91d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れて、は縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:18.39ID:Yq8ANe91d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:28.79ID:xYNPK6ljd
増量石2000個10500円(5.25)
増量石700個4040円(5.77)
定価石600個4040円(6.73)
定価石300個2080円(6.93)
1stセット300個+願い10個(≒メロン42個)2200円(7.33)

無しではないけどなんだかなぁ
2020/09/26(土) 16:46:32.26ID:7I27REtUd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:36.14ID:7I27REtUd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:39.64ID:7I27REtUd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:46.26ID:unJ01vQod
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
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誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
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「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:49.74ID:unJ01vQod
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:53.29ID:unJ01vQod
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:46:59.93ID:GRsytlwzd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
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先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
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日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:03.48ID:GRsytlwzd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
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然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
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あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:07.17ID:GRsytlwzd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:14.25ID:NrM8Dtf0d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:18.17ID:NrM8Dtf0d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:21.78ID:NrM8Dtf0d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:31.40ID:SaMbf31Cd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
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上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:35.95ID:SaMbf31Cd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
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あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











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寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:39.90ID:SaMbf31Cd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:50.19ID:XpBO1y3xd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:53.79ID:XpBO1y3xd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
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その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
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周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
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「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:47:57.13ID:XpBO1y3xd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
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あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:03.78ID:35L+X7x9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:07.28ID:35L+X7x9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
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色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
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尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

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此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
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或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:10.84ID:35L+X7x9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
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 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:17.22ID:T6UrNSrrd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:20.80ID:T6UrNSrrd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:24.29ID:T6UrNSrrd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:30.81ID:vn9rau4nd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:34.65ID:vn9rau4nd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:37.93ID:vn9rau4nd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:43.83ID:LiokYVmud
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:47.26ID:LiokYVmud
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:48:50.67ID:LiokYVmud
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲町さかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:00.65ID:zbZyCqUTd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:13.77ID:LEnWnUum0
>>538 自分はニジガスフェスガチャ数回やってフェス愛が当たったけど、フェス菜は出ませんでした。
2020/09/26(土) 16:49:14.14ID:1deCfo/Vd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:18.27ID:1deCfo/Vd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:21.99ID:1deCfo/Vd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
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先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:29.76ID:ExstPlzSd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:34.06ID:ExstPlzSd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:38.41ID:ExstPlzSd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:45.54ID:rKMlxSFid
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:49.03ID:rKMlxSFid
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:52.40ID:rKMlxSFid
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
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夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:49:58.90ID:7Q8Y+yopd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:02.43ID:7Q8Y+yopd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:05.89ID:7Q8Y+yopd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:12.06ID:HjvlN8Wpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:15.47ID:HjvlN8Wpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:18.69ID:HjvlN8Wpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
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先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
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 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
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色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

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此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











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鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:24.90ID:sQclj+vId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
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然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
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あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:28.58ID:sQclj+vId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:32.19ID:sQclj+vId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:38.23ID:iTjB3+Sod
荒らしてんのウザいから通報した
2020/09/26(土) 16:50:39.85ID:or3rDDJNd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:44.10ID:or3rDDJNd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:47.93ID:or3rDDJNd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:54.38ID:8Du14OGad
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:50:58.22ID:8Du14OGad
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:02.49ID:8Du14OGad
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:08.60ID:iwXkjniOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
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誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:12.29ID:iwXkjniOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:15.72ID:iwXkjniOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:21.92ID:xvJDHew7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
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或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:25.53ID:xvJDHew7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
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然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
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あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:28.90ID:xvJDHew7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へ折れてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:37.74ID:zOQV2Read
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:46.66ID:zOQV2Read
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:51:50.11ID:zOQV2Read
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
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2020/09/26(土) 16:51:55.86ID:PAkqcq46r
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2020/09/26(土) 16:51:57.01ID:0spE7BQHd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
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誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:52:00.78ID:0spE7BQHd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
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周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
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「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:52:04.82ID:0spE7BQHd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:52:34.08ID:LUb7sYeId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:52:38.16ID:LUb7sYeId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:52:41.68ID:LUb7sYeId
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:52:44.77ID:gpsAWX0E0
>>538
ニジガクフェスはアニメ始まったらワンチャンあると思うぞ
2020/09/26(土) 16:52:48.62ID:uwEb093Wd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:52:52.61ID:uwEb093Wd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:52:56.27ID:uwEb093Wd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:03.53ID:kRF7tNOHd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:07.17ID:kRF7tNOHd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:10.55ID:kRF7tNOHd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:17.10ID:7wmD98tAd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:20.76ID:7wmD98tAd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:24.08ID:7wmD98tAd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:30.56ID:tNrhC5D5d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:34.27ID:tNrhC5D5d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:37.85ID:tNrhC5D5d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:44.48ID:8jWZEnrgd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:48.25ID:8jWZEnrgd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:51.87ID:8jWZEnrgd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:53:58.12ID:LiMZUu+7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
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然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:01.48ID:LiMZUu+7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:04.75ID:LiMZUu+7d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかされさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:18.93ID:AX0i8AFod
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:27.86ID:AX0i8AFod
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:31.73ID:AX0i8AFod
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:38.28ID:DlknVfkZd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
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日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:41.84ID:DlknVfkZd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:45.49ID:DlknVfkZd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:52.37ID:1izWsgOsd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:55.80ID:FQHwOIY70
合宿不具合ってアプデ跨ぎでタイトル戻された時だけか
今やって落ちてみようと思ったけど当然問題なかった
2020/09/26(土) 16:54:56.07ID:1izWsgOsd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:54:57.76ID:9fXm8n/nM
SSBL控えてるし、新規フェスはぶっ込んで来ると思うぞ?
虹学アニメ開始に合わせて来週虹3人フェス来るかもしれんし

んな事より、一周年なのにググポ増量無かった事のがショックだわ
明日までは一応待つけど、来なけりゃ虹アニメ開始までは何もなさそうだから諦めて水着買うわ
こないだ4倍の内に買っときゃ良かった
2020/09/26(土) 16:54:59.38ID:1izWsgOsd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:05.90ID:9WDpWeGhd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:09.50ID:9WDpWeGhd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:13.05ID:9WDpWeGhd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:19.27ID:Lo+SJYQgd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:22.66ID:Lo+SJYQgd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:24.02ID:m3fpkHSE0
>>655
遊星が荒ぶってて草
2020/09/26(土) 16:55:25.88ID:Lo+SJYQgd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:32.17ID:/1+6w1Y3d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:35.41ID:/1+6w1Y3d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:38.79ID:/1+6w1Y3d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:45.29ID:aAIHASqpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:48.59ID:aAIHASqpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:51.83ID:aAIHASqpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:55:58.72ID:z2jJ0TG6d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
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それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:01.98ID:z2jJ0TG6d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
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日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

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それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
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此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











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寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:05.31ID:z2jJ0TG6d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
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部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
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然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:12.30ID:MI0fvWNZd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:15.58ID:MI0fvWNZd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:18.83ID:MI0fvWNZd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:24.78ID:4FfL6sh1d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:28.04ID:4FfL6sh1d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
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それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
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あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

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学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
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誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:31.33ID:4FfL6sh1d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
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然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
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色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
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日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるささ門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:39.52ID:kMjF6itad
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
715名無しで叶える物語(もんじゃ) (ワッチョイ fb7b-dhlR [218.221.18.186])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:56:42.80ID:dEAyIsvl0
おっ、スレがめっちゃ伸びてるじゃん(´・ω・`)
2020/09/26(土) 16:56:47.56ID:kMjF6itad
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:51.34ID:kMjF6itad
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:56:57.92ID:1bg5EIJOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:01.44ID:1bg5EIJOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
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或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:04.83ID:1bg5EIJOd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:11.56ID:j3JMgwy3d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:15.09ID:j3JMgwy3d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:18.93ID:j3JMgwy3d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:24.56ID:8sI5/YwLd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:27.87ID:8sI5/YwLd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:31.22ID:8sI5/YwLd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:37.31ID:DjUwIXVpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
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然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:40.79ID:DjUwIXVpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:44.11ID:DjUwIXVpd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:50.42ID:qFsV+E+9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:53.92ID:qFsV+E+9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:57:57.38ID:qFsV+E+9d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:03.56ID:ZbBZ7EkXd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
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「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











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寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:06.84ID:ZbBZ7EkXd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
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先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:10.11ID:ZbBZ7EkXd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:16.46ID:W0egbztjd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:20.03ID:W0egbztjd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:23.55ID:W0egbztjd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:30.04ID:v5iDLecLd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
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誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:33.80ID:v5iDLecLd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
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色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
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夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:37.17ID:v5iDLecLd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
742名無しで叶える物語(しまむら) (ワッチョイ 2f7b-98ia [14.8.12.32])
垢版 |
2020/09/26(土) 16:58:42.46ID:oqb2aoKV0
確定枠完凸させたフェス鞠莉被って萎え
2020/09/26(土) 16:58:44.16ID:zEF1XBwMd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:47.48ID:zEF1XBwMd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:50.83ID:zEF1XBwMd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるさは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:58:59.24ID:46yR0xPfd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
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此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











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それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
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鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:03.52ID:nF07qaN10
石切れで諦めて増量石買うのが先か
ポイント増量が先か
2020/09/26(土) 16:59:07.39ID:46yR0xPfd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
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此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:09.21ID:+oQQiB99a
あほーん[NGWord]
2020/09/26(土) 16:59:11.26ID:46yR0xPfd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:17.88ID:ewIs0bjnd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:21.24ID:ewIs0bjnd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:24.61ID:ewIs0bjnd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:26.75ID:gpsAWX0E0
フェス限おはガチャで新規SR
ステップアップ20連で既存SR4枚だったからおはガチャのがいいまである
https://i.imgur.com/3Z4n7rW.png
2020/09/26(土) 16:59:31.16ID:XSa2OxQvd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:34.59ID:XSa2OxQvd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:37.88ID:XSa2OxQvd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:44.49ID:OVt4Jfa4d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:47.92ID:OVt4Jfa4d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:51.31ID:OVt4Jfa4d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 16:59:57.90ID:vXd6CSQTd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:01.36ID:vXd6CSQTd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:04.77ID:vXd6CSQTd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
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色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:10.74ID:7boN9dsNd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:14.40ID:7boN9dsNd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:17.82ID:7boN9dsNd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:25.34ID:B9d6oj5Ed
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:28.95ID:B9d6oj5Ed
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:32.79ID:B9d6oj5Ed
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:39.15ID:Ux6/U7dud
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:42.51ID:Ux6/U7dud
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:45.91ID:Ux6/U7dud
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:52.39ID:0vvuhYd4d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:55.55ID:0vvuhYd4d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。
あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。
遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:00:58.77ID:0vvuhYd4d
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
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色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
強いて求めれば、大分だいぶあの頃から後のちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。
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あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。
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遣やるだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下には下くだらずに進んで来た。遊ぶ時間は極きまって遊ぶ。
夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。
日曜日には舟を漕こぎに行くか、そうでないときは遠足をする。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計に拠よって匡ただされるのである。
周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。

上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼に本もとづいている。
それには月々の勘定をきちんとすると云う事実が与あずかって力あるのは、ことわるまでもない。
「岡田さんを御覧なさい」と云う詞ことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。
「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。
此かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。











 岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。
寂しい無縁坂を降りさ藍染川あいそめがわのお歯黒のような水の流れ込む不忍しのばずの池の北側を廻って、上野のさをぶらつく。
それから松源まつげんや雁鍋がんなべのある広小路、狭い賑にぎやかな仲ささかちょうを通って、湯島天神の社内に這入はいって、陰気はさ橘寺からたさでらの角を曲がって帰る。
しかし仲町を右へされてさは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
2020/09/26(土) 17:01:06.82ID:zL0juwkNd
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条さみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。
その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

 上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、その外ほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、お上かみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。
時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。
部屋で酒盛をして、わざわざ肴さかなを拵こしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。
先まずざっとこう云う性たちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅ほしいままにすると云うのが常である。
然しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男は頗すこぶる趣を殊にしていた。







 この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。
それは美男だと云うことである。
色の蒼あおい、ひょろひょろした美男ではない。
血色が好くて、体格ががっしりしていた。僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。
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あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。
尤もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格でははるかに川上なんぞに優まさっていたのである。

 容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。
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競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。
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しかし仲町を右へされささは縁坂から帰るこさもある。されは一つさ道差である。
或る時は大学の中を抜かてあにさる。
鉄門は早く鎖とかばれさので、患者の出入しゅつにゅうはるはは門さら這入って抜けるのであるさささそささの長屋さが取り払われたので
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