黒澤ダイヤと三年間
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私が浦の星女学院に通おうと決めたのは幼少期から隣人である幼馴染がきっかけだった。
どの高校にするべきか、それなりに近いし静真でいっか。などと軽視していた私をよそに、
浦の星女学院、略称では<浦女>の情報を見ていた幼馴染は、唐突に言ったのである。
「私、浦女にするね」
確かに近所の高校ではあるので、別に中学生の浅はかな怠惰さにおける進路希望としては間違いじゃない。
しかし彼女は「記念になりそうだからさ」と明確な理由があるように言う
そしてそれはもう大層嬉しそうに「ここは廃校になるね。間違いなく」と断言して「ここに行く」と言ったのだ
卒業後か、在学中か
とにかく廃校になって世界から消えてしまった高校の生徒という肩書に魅力を感じるお年頃なのだそう。
正直、私にその気持ちは理解できなかったけれど、
幼馴染とは幼稚園から今日にいたるまでクラスも同じという運命の根強さもあって
この子がそこにするならという軽い気持ちで考えていた。
私は実に、浅はかだったのだ。
とはいえ私立。
入学金もその他もろもろも公立とはまるで変ってくるので、
理由はしっかりと<お母さん達と同じ高校に通ってみたいの>なんて情に訴えた。
そうした経緯もあって、
それなりに勉強をして受験をした私と幼馴染は難なく浦の星女学院への入学が決まって。
彼女――黒澤ダイヤと出会ったのは、その記念すべき入学式の日だった。 ええやん。結構好き
このスレにいるとト書き形式ばかりだから普通のも読みたい
寧ろモブ主観だから内面を描写する地の分形式の方が合ってると思う 「さて――私はそろそろ帰りますね。お二人はもう少し残っていく?」
「それなら――」
「わたくし達はもう少しだけ」
席を立った会長に続こうとした私の手首を掴んで、黒澤さんが勝手に進言する。
会長はそれに何かを思うこともなく「戸締りと返却お願いしますね」と、生徒会室の鍵を置いてさっさと出て行ってしまう。
私達が普段から生徒会室に入り浸るほどの役員という信頼でもあるのだろうか。
夕日が差し始める生徒会室、一人分の影が抜けた分明るくなったように感じる。
彼女が掴んでいた私の手首は、もう解放されている
彼女の手の感触が幻覚だったかのように、そこには何も感じられない
なぜ――残ると言ったのか。疑問符が量産されていく頭を振る。
「黒澤さん?」
「ごめんなさい。この後用事――とか、あった?」
「それはないけど」
良かった――。と、黒澤さんは安堵して微笑むのが横顔でも見えた。
広くもない生徒会室で、一緒に勉強をする
そのための隣接した席取りが仇となったのかもしれない。
「さっきの話――どうするべきかしら」
「黙っていても良いんじゃない?」 あっさりと言った私に黒澤さんは驚いた表情を見せるけれど、
そんなに意外な事でもないのでは――と、私は思う。
この話を知りたがっているのは私の最も古い付き合いである幼馴染だし
旧知の仲であるなら、多少なりと彼女の思惑に付き合ってあげるのが幼馴染としてあるべき姿かもしれない。
とはいえ。とはいえ、だ。
あの子が完全に面白半分で首を突っ込んでいる以上、私はそれに協力してあげる義理はない。
「会長の話が本当に浦の星女学院のことなら、私達が横流ししなくても近いうちに知ることになると思うし」
「意外に――あの子に厳しいのね」
「意外ですか? 旧知ゆえに甘いのか厳しいのか。それは人それぞれだと思いますけど」
少なくとも私は彼女を甘やかそうと思ったことはない。
彼女の奔放さを制することを諦めているという部分に関して、甘やかしている。と取られるのは遺憾だ。
勉強についても、彼女がしたいというのなら教えるが、課題は手伝わないし写させるなんてもってのほか。
「黒澤さんだったら、甘やかしますか?」
「ふふっ」
「なにか?」
いえ、ごめんなさい。と、黒澤さんはなおも笑いながら口元を手で隠す。
一つ一つの所作が何となく、庶民離れしているように感じられるのは、彼女が事実お嬢様だからか。
椅子に座っている分、小さく見える彼女は人形のような愛らしさが感じられなくもなかった。
「わたくしも同じ――かしら。ただただ甘やかすのは、性分じゃないわ」
はたして――同じなのだろうか。なんて、
少し微妙な感覚を覚えたけれど、あえて口にはせずに「そうなんですね」と頷いた。 「それにしても統廃合――ね」
「静真のPTAは受け入れがたいだろうね」
静真は部活動において浦女の比ではないほどに強豪だと言える。
ゆえに――と言うべきか、元からと言うべきか。
向こうの部活動に対する熱量は高い。
その一方で、もはや部ではなく愛好会に型落ちしそうな運動部数々が点在しているだけな浦女
他校との試合ができる団体競技は、ソフトとバスケ、あとはバレーボール部くらい。
バレーボールなんかは三年生の割合からして、来年には枠から外すことになるだろう。
そんな――体たらく、と、言うのは聊かかわいそうな気もするけれど、
そんな状態の学校と強豪校の統廃合の話が出たら、反対多数なのは当然だと言ってもいい。
いや――幼馴染を差し出せばちょっとは喜んでもらえるかもしれないけど。
「正直、私は部活動に力を入れる。なんてことに理解が出来ないけれど」
「運動が嫌いだから?」
「それもあるけど、もし本気でスポーツをやるならクラブチームに所属するべきだと思うんだよね。部活はただの趣味で良いじゃない」
「なるほど――。あなたは趣味に本気を出すべきではないと?」
「そうは思わないけれど」
学生が、趣味に全力を出して楽しむ。
それに関して、よく頑張れるね。とは思うけれど、別に否定しようとは思わない
趣味を持つのは誰にだってあることで、それを最も楽しめることとして入れ込むことも悪いことではないはず。
ただ、私は学生とは勉学に励むべきであると思っている。
「だから勉強が出来ません。と言うのは、学生としてどうなのかってならない?」
他人との付き合いで、教科外の勉強をするのもあるかもしれない――とも一応思ってはいるけど。
それはそれ、これはこれ。 「なんて――言えば良いかしら」
黒澤さんは私を見ずにそう言った。
手元のシャーペンは暇そうにノートに転がっている。
迷いを口にした黒澤さんはしばらく黙ってしまったけれど、
それからふと顔を上げると、私の方を見た。
「少し――不器用なのね」
「不器用なんて、はじめて言われた」
「なら、器用と?」
「それは言われたことないかな」
もし、上手に紙を切れることや
折り紙がしっかりと綺麗に折れることを上手だと言われたことが、
器用である。と認識できるのであれば、私はその限りではないかもしれない。
とはいえ、人から「器用だね」と直接的に称賛を受けた記憶はなかった。
「不器用って、どのあたりがそう見えた?」
「どのあたり――と、言われると少し困っちゃうわ」
「私が怒ると思っているなら――ちょっぴり心外だね」
一応真面目にそう言ったのだけど。
黒澤さんは薄い笑みを作って優しい瞳をみせた。
「そんなことは――ただ、そう。困らせてしまうと思ったの」 困っているのは黒澤さんのはずなのに、彼女は私が困ると言って控えめに目を伏せる
私の何が不器用なのか、それを言われるだけで私が困る?
反応に困るだけで黒澤さんが踏み切らない――なんて、あるだろうか?
それを言えるほどに私は黒澤さんを知らない
けれど、黒澤さんだって私のことなんてそこまで知らないはずだ。
だとしたら、誰しもが言われたら困るところが私は不器用なのだろう
とはいっても――と、私は思わず笑ってしまう。
「黒澤さんの困らせるなら、大したことないから大丈夫――幼馴染よりはね」
そう、彼女との付き合いを舐めないで貰いたいものだ。
幼少期から常に一緒の愛しき隣人
一日一日を、翌朝死に顔を晒すかの如く燃焼して生きている彼女との日々ほど、私を困らせてくれることはない。
黒澤さんとの付き合いだって、その派生だし。
今更なことだ。
それを聞いて、黒澤さんは明るく笑みをこぼす。
綺麗な人だ――と、私は毎回思わされる。
私のような人とは釣り合わない。と、その都度実感させられてしまうほどに。
「あなた――もう少し、自由で良いと思うわ」
黒澤さんは不器用には言及せずに、そう言う。
でも、そういう考え方もありかな――と、思った。
幼馴染は私をテンプレートな人と言い、黒澤さんは不自由で不器用と言う。
つまり――私は型に嵌まって窮屈そうに見えるわけだ。
それを事実だと認識している私は「自転車に乗りながら両手を離すなんて怖いよ」と、笑った。 六月も終わりが近づき期末テストと体育祭がより近づきつつある頃、
私は黒澤さんと一緒に、彼女の家の玄関に居た。
「今日はご挨拶の予定もないから――大丈夫よ」
「はぁ」
いつものように生徒会室に行こうとしたのだけれど、
会長の「今日は遠慮して欲しいんです」でお払い箱となってしまったのだ。
私としては、別に勉強で利用させて貰うだけだから家に帰ればよかったのだけど、
それなら。と、黒澤さんに誘われてしまった。
断ればよかったのかもしれないけれど、なぜだか――惜しく感じて。
なんで断らなかった。なんでついてきてしまった。友人としては特に普通のことでは――?
そんな葛藤の激しい脳内が視野を狭めていたのかもしれない。
広い廊下のいくつかある引き戸の一つが開いたことに気付かず――ぶつかった。 半歩後退りした私の一方で、ぶつかった少女は小さな悲鳴を上げて尻もちをつく
黒澤さんはその子よりも、私のことを心配そうに気遣う。
大丈夫、足は踏まれていない? いつも以上に穏やかさを感じるのは、今は彼女の客人として扱われているからだろうか。
「私は平気――だけど」
言いつつ、尻もちをついた女の子を見下ろす
なら、私よりも痛い思いをしたはずのこの子が心配されないのは、つまりそういうことだろう。
「ルビィ、あなたは?」
「おっ、お姉ちゃん、えっと――」
「平気なら――先に言うべきことがあると思うけれど」
「あっ――えっ、あ」
目まぐるしく視線と感情が動く女の子――黒澤ルビィ
黒澤さんの妹であろう彼女は私の方を見て、涙目になる
じわじわと涙腺が緩んでいくのが目に見えるのが何とも言えない。
――あんまり関わりたくないなぁ。と、素直に思った 地の文たっぷりなら今の半分を1レスでどうですか!?
きっとその方が見やすいですよ!
もっと本編キャラの出番ください!
でも今の作風も好きですよ! 案内されたのは、黒澤さんの私室。
厳かと言うべきか、
私のような一般庶民的には到底私室とは言えない和風な部屋だった。
ベッドはなく小さめの本棚や箪笥が壁際にあって、
日中は陽の光を感じられそうな位置に木製の長机
横を見れば掛け軸はあるし、お皿があって花瓶があって――
普段は収納されているだろう折りたたみの机が、どこか浮世離れして感じてしまう
「黒澤さん、私のことからかってないよね」
「いえまったく」
「そう――?」
これが高校生の私室だと言えるのか。
私の部屋だってもう少し女子高生然とした明るみがある
幼馴染が見たら、時代劇のセットでも買い取ったのかと嬉々として茶化すに違いない
「華やかさに欠けてるね」
「ふふ――そうかしら」
黒澤さんは軽く笑って「そうかもしれないわ」と、続けた 黒澤さんは幼馴染とも松浦さんとも違っていて
会長の目がなくても、黙々と授業ノートと教科書を開いて、
重要そうな箇所を確認しては別のノートに書いてまとめている
冷静に考えてみれば、この状況は意味が分からない。
友達だから、誘われた友人の家に行くというのは別におかしくないかもしれないけれど、
私と黒澤さんは個人的に互いの家に行くほどの関係かと言われれば別にそんなことはなかったと思う。
あくまで同じ生徒会のメンバーで、友達の友達と言う程度だったはず。
「ねぇ――聞いてもいいかな」
「はい」
「どうして、誘ったの?」
視線は自分のノートに向けたまま、右手はシャーペンの芯をちょっぴり無駄遣いする。
あくまで過去の復習をしながらの会話と言う体裁を保つ
「たまたま来客がない日だから、なんて理由ではないでしょ?」 先日、幼馴染が身勝手にも要求した時に黒澤さんは事前に話があれば。と言うようなことを言っていた。
今日はそれがなくても問題なかったとして、
わざわざ私を家に誘う必要は別になかったはず。
私がもし、彼女に「いや〜家では集中できんのですよ。あははっ」などと宣っていたのなら、
気を利かせて図書館よりも人出が少なくそれなりに厳粛な黒澤邸へ招いてくれた――と言うのも悪くない
しかし、私はそんな幼馴染のような言い訳で逃げる気はないし、あったとしても黒澤さんには話していない。
黒澤さんは手を止めると、からんっと氷の揺れるコップに口をつける
潤いを与えられた薄い唇は、ちょっぴり妖艶な雰囲気があった
「同じ生徒会の役員であり級友であり、友人でもあるから――なんて」
黒澤さんの視線が私から流れる
ぽたりとコップから滴った水滴が彼女のノートを濡らす。
なんだからしくないな――と、知りもせずに思った。
「言い訳だわ。ただ――あなたともう少しお近づきになりたかった」
「黒澤さんは冗談が嫌いかと思ってたけど」
「嫌いではないわ――今は、それの必要はないと思うけれど」
黒澤家のご令嬢である黒澤ダイヤ
彼女は本当に、私なんかとお近づきになりたいと思っているのだろうか。
――思っているのだろう。
そう、失笑したくなるほどには、彼女の瞳は本気の色をしている。
心を冗談と言われたら――それは、確かに苛立つものだよね 「気持ちを嘲るようなことを言ったことはごめん。でも、私と近づきたい理由がわからないんだよ」
幼馴染と近づきたいっていうなら、私は渋面で理解できなくもないよ。と言えた。
彼女は自由奔放で手を付けられない面倒事の多い子供ではあるけれど、
だからこそ、彼女が気になるという人も少なくはない
よく言えばムードメーカーである彼女の傍は、
これもまたよく言えば賑やかで、明るい雰囲気を好むのであれば、
ぜひとも、その隣を歩きたいと思うものだろうから。
けれど――けれど。私は。
私はまるでそんなことはない。
周りを明るくしようだなんて思っていないし、そもそも人と関わるのだって必要最低限で構わないと思っている。
特に、これ以降の将来で格差的に離れ離れになるであろう黒澤さんとなんて、
単なる級友、役員仲間、友人の友人としての軽い付き合いで良かった。
「正直に言って、黒澤さんに意味のある付き合いではないと思う」
「それはわたくしが決めることではなくて?」
即答だった。
黒澤さんは私の言葉に立腹してか、目を細めて鋭くする
「この際だから正直に言うけれど――わたくしとしては、気に入っているのよ」 気に入ってるって? 黒澤さんが、私を?
あんなごきげんよう。の一言で?
お嬢様からしてみれば、愉快な人間だったのだろうか
ううん、それなら私じゃなくて幼馴染で良いはずだ
「真面目な人間が好きなタイプ?」
「不真面目な人よりは、断然」
黒澤さんはくすりと笑う。
さっきまでのほんのりひりつく空気感はなかった
「生徒会に誘ったのだって、あなたなら――そう、思ったから」
役員の先輩方が後継を見つけられなかったこと
誰もやりたいという人がいなかったこと
そんな経緯はあったものの、黒澤さん個人としては私を選びたかったと言う
煽てられても困る。
それで喜べるほど単純ならいいのかもしれないけれど、
私はそれを、買い被られているように感じてしまう。 「だからもう少し――そう、あと一歩くらい、仲良くなれると嬉しいわ」
照れくさそうに笑うでもなく、黒澤さんは真面目にそう言った。
それだけ、本気で考えているのかもしれない。
まだたった約三ヶ月の付き合いなのに。
けれどちょっとだけ。
胸の内に沸く違和感を感じて、冷たいお茶を一口通して体を震わせる。
嬉しい――なんて、ありえない。
「努力はする」
「ええ――ありがとう」
黒澤さんは微笑む
嬉しそうに感じるのは、きっと気のせいじゃないと思う。
袖振り合うも多生の縁っていうし、
原因は間違いなく幼馴染だけど、
断れた生徒会を断らないと決めたのは私だから。少しくらいは近づいて良いのかもしれない。
努力はする――とは言ったものの
じゃぁさっそくこうします。なんていうのは聊か難しい話だと思う。
私が幼馴染のような性格であれば「へい黒っち!」なんてことも言えるかもしれないし
黒澤さんが幼馴染のような人だったら「そういえば意外に厳かな雰囲気の部屋だね」と言えた。
当然、私はそんなザルのような脳みそしていないし、
黒澤さんの雰囲気はこの部屋に見事にマッチしている。
私は元来、自分のことをコミュニケーション能力に乏しいと思ったことはない。
クラスメイトに話しかけることは出来るし、そこから友人に発展させるのも普通にできる。
小学校中学校と、私はそれでごくありふれた学生かくあるべしという生き方で乗り切った。
ではなぜ黒澤さんにかける言葉も見つけられないのか。
彼女がお嬢様という明らかに格上なのもそうだけれど――。
「――どうかしたの?」
「え」
とても間抜けな声だったと思う。
さぼっているときにドアを叩かれたような、不意に鼓膜を震わされた動揺感
じっと見てくる瞳が気まずくて目を逸らしてしまう。
「ど、どうもしてない」
「その割には、さっきから進んでいないわ」
あぁごもっとも。
私の手は電源が切れたように動いていないかった。
ぽっきりと折れたシャーペンの芯が<自己の無意識>を象徴する。
とはいえ。
――意識して仲良くなるってなんか普通じゃない。と、思ってるとは言えない。 「ちょっと考えごとしてて」
「そう――話せる?」
黒澤さんは真面目に聞こうというつもりなのか、
ノートを黒染めにしていく手を止めて、声をかけてくれる。
その姿勢はやはり黒澤さんと言うべきか、
もう一歩近づきたいと言ってくれた彼女らしいと思う。
けれど「仲良くなる方法について悩んでます」なんていうのは滑稽ではないだろうか。
逡巡した私は、そういえば。と、頷く
「黒澤さんに、妹さんがいたんだなって」
「あぁ――ルビィね。迷惑をかけてしまったわね」
「それは良いけど、あの子も習い事してるの?」
そう訊ねた途端、黒澤さんの目が細くなる
私の失言かと思えば、その目に見えているのは私ではない何かのように感じて、口を閉じる。
私の失言なら謝るべきだ。でも――違うのなら。
「ルビィは――もうそういったことはしていないの。察しはつくでしょう?」 あの衝突には私の不注意もある。
けれど、そのあとの様子を見ても黒澤さんの沈んだ声色には頷けてしまう。
黒澤さんの妹――ルビィ、ちゃん? は、簡単に言えばおっちょこちょいなのではと思う。
気もそんなに強い方ではなさそうに見えた。
ともすれば、あの子が習い事から身を引いたことも理解できる。
いや、そうでなくても張り合い続けるにはそれ相応の胆力が必要だったかもしれない。
私から見ても、黒澤さんはとても良くできたお嬢様だ。
その妹だとしたら、幼馴染も大嫌いな期待が付きまとっていただろう――なんて、
何も知らずに空想して、頷く。
「大変だよね、家柄が良すぎるって言うのも」
「簡単に言わないで――と、言いたくなるけれど」
黒澤さんはそこで言葉を切る。
氷の溶けたコップからは、もう余計な音はしなかった。
「あなたは、その言葉の意味を理解しているような気がする」
「まさか。私は普通の一般家庭だよ」
父がいて、母がいて――私がいる。ただ、それだけ。
家名を背負わなければならない黒澤さんと私が同列なんて――
私が地に額をこすりつけるべき酷い言い草ではないだろうか。 「もし、黒澤さんが私にその点でシンパシーを感じて近づきたいと思ったのなら、謝るしかない」
「そんな理由ではないわ――ほんとうよ」
黒澤さんの表情が罪悪感に揺れる。
悪いのはどっちだろう――なんて愚問も良い所だと思う。
悪いのは私、余計な一言だった。
大変だね――なんて、知りもせずに。
私も黒澤さんも何も言えなくなって、気まずくなる
それから数分経って――おもむろに時間を確認する
もうすでに夕暮れ時で、
気付かないうちに、窓辺から差し込んでいる陽の光は色濃く傾いていた。
幸い、黒澤さんの家から私の家まで遠く離れていないから、
まだまだ大丈夫ではあるけれど――。
「ごめんね、黒澤さん。今日はもう帰ろうと思う」
「わたくしこそ、押しつけがましくて――」
「ううん、大丈夫」
申し訳なさそうな黒澤さんに首を振って、遮る。
前言撤回するべきだ。
私は――コミュニケーション能力に乏しい。と。 そして翌朝の教室でのことだった――
案の定、幼馴染は探りを入れるように顔を近づけて。
「あんたさー黒っちとなんかやらかした?」
「そう見えたならそうなのかもね」
黒澤さんは普通に「おはようございます」だったはずだし、
私も同じように「おはよう、黒澤さん」と返したはずだった。
なのに、幼馴染はそのたった一言交わしただけで違和感を覚えたのだから、
私の知らない癖か何かがあるのかもしれないと思うと、少し怖いとさえ感じてしまう
「私って、コミュニケーション能力に乏しい?」
「少なくとも良いとは言えないと思うけどね。ほら、あんたって基本上辺だけの付き合いしかしないから」
「むぅ」
「そんなこと言うってことは、黒っちに突っ込んでってやらかしたんだ」
にやにやと笑う幼馴染の顔は叩きたくて仕方がないけれど、
そうする気分でもなく、机に伏せって視界を真っ暗にする
まぁ――図星だった。 「でも、黒っちの反応見る限りだと怒ってはなかったけどねー」
「怒らせたわけじゃないから」
「ふ〜ん。まぁ何でもいいけどさー」
幼馴染はそう言うと、黒澤さんを一瞥する。
周りがまだ始まらないHRまでの時間を潰す中で、彼女はきっと一限目の確認をしているのだろう。
そして幼馴染は「別にさ」と、口を開いた。
「あんたの全部とか、黒っちの全部を理解し合う必要なんてないんだし、気楽に付き合いなよ」
「そのつもりだし、今までもそうしてきた」
「黒っちは今までとは違うタイプでしょ。だから、あんたはやらかしたわけだし」
黒澤さんは今までと違う。
多分、それは的を射ているんだと思う。
黒澤家のご令嬢、なかなかのお嬢様な彼女は、
私が今まで上辺だけの付き合いで済ませてきた友人とは視力が違う。
私のこともある程度は見透かしているから――あんなことを言ってきた。
そんなこと、今までなかったのに。 「まぁ、燻った火は早めに蹴散らすのが良いよ。協力したげる」
「は、余計なことしないでよ?」
机から顔を上げると、もう足早に自席へと向かった後で
今すぐどうこうするわけではないのか。と、ちょっぴり安堵する。
でもやっぱり、合間の休みにでもお断りを連呼しよう。
そう決めて体を伸ばすと――ちょうど、担任がやってきた。
黒澤さんは私にシンパシーを感じたのだろうか。
だから近づきたいわけではないと言っていたけれど――
私のかくあれという生き方が、黒澤家とは――という生き方に似ていると思ったのだろうか。
黒澤さんのそれは、私とは比べものにならないだろうに。
「私って、黒澤さんのなにになるんだろう」
近づきたいとか、気に入っているだとか、
黒澤さんのあの言葉は本心だった――と、そう信じている。
あれはただの身から出た錆で、普通に今まで通りで良いのだろうか。
HRを聞き流しながら、私はずっと――彼女のことだけを考えていた。 合間合間に時間が出来るたびに、私は幼馴染に余計なことはしないように頼んだ
懇願したと言ってもいいくらいにお願いしたと思う。
とはいえ、彼女が終始大丈夫と笑っていたので、きっとダメだろうなと思ってもいた。
そうしたらやっぱり――余計なことをしてくれていた。
もっとも、ほかのみんなは居るけれど
松浦さんと幼馴染だけいない、黒澤さんと向かい合わせの昼食――という程度なのだから、
彼女の本領発揮した余計な事よりは確かに、大丈夫かもしれないけれど。
「すみません、あの人が余計なことして」
「ううん、それはいいけれど――」
黒澤さんは口にこそ出していないけれど、少しばかりは気まずそうな雰囲気を感じさせる
昨日のあんな別れ方の後で、
何事もなく向かい合えというのは、難しいと思う
普段は力強さを感じられる瞳が、今日は弱弱しく感じられる。
罪悪感を感じさせてしまっているとしたら、それは私の失態だろう。 他の誰も見ていなくても私は見てますよ!
安心して続けてくださいね!
ただ一つ言うとしたらこれは果南か鞠莉ではダメだったのでしょうか?
地の文多めのせいでもあると思いますが一番はオリキャラが主人公だから見て貰えて居ないんだと思いますよ!
でもとりあえず続き待ってますね!
「黒澤さんは何も悪くない。私が余計なこと言っただけだよ」
「わたくしも、知ったようなことを言ってしまったわ」
黒澤さんは私が悪くないと庇うように首を振る。
私の余計な一言、それに対して言った自分の言葉こそが悪いと。
黒澤の後継として日々生きている彼女は、常日頃から他者の目には大変そうに見えていて、
彼女にとって、私の<大変だね>なんていう言葉はよく言われることなのだろう。
だから、私が大変だね。なんて言うのは仕方がないことだし、
黒澤さんはそれに対して適当に相槌を打っておけばよかったと思っているのかもしれない。
なんて言えば良いのだろう。と、考える。
まだ広げる途中の弁当箱を見下ろして、溢れる食欲をそそらせる匂いに、息を吐く
私は彼女曰く知ったような言葉に対してどう思ったのか。
怒ってはいない、申し訳なく思った。
黒澤さんがそこに近しいものを感じてしまったのかもしれないと思って。
私は、ただ――怠慢なだけなのに。と。 「私――人付き合いがあんまりうまくないんだ」
幼馴染と話して、笑いながら言われたことを思い返しながら、切り出す。
自分の欠点を欠点として認めて、
先んじて伝えておくのがいいのではないだろうか。と、信じて。
だって、その方が余計な取り違いも起こり辛い
幼馴染が自由奔放で面倒くさい人だと知らなければ、厄介だと嫌悪感も湧くかもしれなが、
そんな人だと知っておけば、あれはああいう<モノ>だとしてそれなりに諦めがつくように。
私がコミュニケーション能力に乏しいだめな奴だと思っておいてもらえればそれなりに何とかなると思うのだ。
「だから、その――黒澤さんは悪くないんだよ」
「ねぇ――」
絞り出した私の解に、彼女は声を被せてきた。
私が自虐すること。
それに対して難色を示すその表情に、私は思わず目を開いてしまう
「どちらも考えが足りなかった。互いを気遣えなかった――それでは、駄目かしら」 これはたぶん、黒澤さんなりの妥協案なんだろうと思った
私が悪いと思っていても黒澤さんも自分に非があると思っていて
そんな責任の引っ張りあいが起きているから――妥協する
相手が自分の非としているのに
好き好んで自分が悪いという辺り、やっぱり黒澤さんは特別なのだろうか。
これに喧嘩両成敗は過言だろうか。
なんにせよ、黒澤さんだけが悪いというなら認めるわけにはいかないけれど
私達が悪い――というのなら落としどころだろうか
私としては、彼女は悪くないとしたいけれど。
「分かった――そうする。そうしよう」
ここで「ありがとう」は不適切かな。なんて考えていると
黒澤さんは「ありがとう」と、溢した。 それからの私達は特別、距離を詰めるようなことはしなかったし
気まずさから距離をおくなんてこともしなかった。
今までのように幼馴染や松浦さん達を挟んでの付き合いや
生徒会の仕事や生徒会室での勉強をするだけだった。
そんな折、私は小原鞠莉と出会うことになった。
いつものように過ごした学校の帰り道、島の方へと向かうボートが出る船着場のところに彼女は居た。
桟橋に制服のまま腰かけていて、
夕陽の黄金色を織り混ぜたブロンドヘアを潮風で苛める彼女の耳から垂れるイヤホンのコード
黄昏を感じさせるその姿に立ち止まったのは失敗だったと――思う。
ふと吹いた風に靡く髪を手で抑える彼女が振り返ってしまったから。 最近あった果林の隣の部屋の子の話とか鞠莉と百合婚とかそういう系の話でしょ
モブ視点でこそ描けるキャラの一面もあるだろうし、楽しく読んでますよ
こんなとき、慌てて目を剃らして足早に立ち去れるのも――勇気の一種かもしれない。
私はそれが出来なかった。
ただ、見つめ返してくる視線を受けて<テンプレート>を探していた。
幸い、私も女学生だから問題にはならない。はず
そう割りきって笑って誤魔化して立ち去るのが正解だろうか
それとも、あえて近付くべきか。
彼女の不信感を育まずにいられるのは後者しかないと思って――
私は声が届く距離まで近付いた。
「ごめんなさい、とても映えて見えたから」
そう言うと、彼女は困ったように笑う。
言葉選びを――誤っただろうか。 「つまりその、見惚れたの」
より直接的な言葉を使ったものの、
彼女は首をかしげると――気付いたように耳に手を当てる
垂れていたコードが揺れ、騒音にも似た激しい音が波の音を押し返していく。
「sorry――聞いてなかったわ」
「あ、うん。だよね」
イヤホンをしているのは分かっていたはずなのに
聞こえない可能性を考慮していなかった私の失敗だ。
聞こえないのに一人弁解していたとは――なんともはや。と、ため息をついて
「邪魔してごめんなさい。見惚れちゃって」 見るからに外国の血が流れているであろう黄昏乙女は、
塗り替えた違和感のない金色の髪を揺らしながら、薄く笑みを作る。
黒澤さんとは別に、綺麗な人だと思った。
純粋な島国の民としての憧れで割り増しされているのかもしれないけれど、
気品を感じさせる微笑みは――お嬢様めいている。
「ありがとう」
「いや、その――」
「no、problem。知ってるわ」
彼女はそう言って「果南のお友達でしょ」と笑った。
私は知らないのに彼女は知っている。
その不平さを感じてか、彼女はそのまま私を見て
「小原鞠莉。同じ浦の星女学院の一年生よ」
隣のクラスね。と、優しい小原さんから目をそらす。
以前から<小原さん>や<鞠莉(ちゃん)>などと小耳に挟んでいたけれど
私の無関心さも極まっているんじゃないかと流石に危機感を覚えそうだった。
三十八人だから一応、二組ある一年生
来年は纏めてくれたら良いのに――なんて思ってしまう
もう知っているみたいだけど。と、前置きしたうえで軽い自己紹介。
小原さんは私と松浦さんだけでなく、黒澤さんと幼馴染のことも知っているようで、
いつも賑やかだから。と、囁くような声で言う。
なんとなく――その騒がしさを避けたがっているように感じた。
「あなたの幼馴染は、初日に会いに来たのに」
「そうなんだ」
「――その様子だと、知らないのね」
小原さんは独り言のような小さな声で言うと、
耳から外したイヤホンに繋がっていた端末の電源を切る。
薄く広がるような騒々しい音が途絶え、彼女の穏やかな声がはっきりと聞こえた。
「一応、転入生だったりするのよ。本当はもう少しあとの予定だったんだけど――」
「え――あ」
「ふふっ」
そういえば、聞いた覚えがあるような。
思い返し、声を上げてしまった私を見て彼女は微笑む 「最初の頃――といっても最近だけど、結構popularだった。と、思うんだけど」
「私にそれを求められても困っちゃうかな」
小原さんには悪いけれど、
幼馴染と違って、特別盛り上がるような性格ではなかった。
転入生、転校生が来た。
そう言われても「そっかー」で済ませるのが、私だから。
「なのに、声をかけてきたの?」
「見てるのがバレたから」
「見惚れてくれたのよね」
「――まぁ」
そこは事実なので否定はしないけれど、
面と向かって、その相手から言われてしまうと照れくさくもなってしまう。
尻すぼみする声はみっともないと感じて、気丈に彼女を見る。
「あなたなら――別に、一緒に居てくれてもいいかも」
「置物っぽいからね」
「そうは――思ってないけど」
幼馴染ならそう評する。
引用して口にしてみれば、小原さんは声なく笑みを浮かべて首を振る。
騒がしくなく、いても苦にならない。といった感じなら、似たようなもののような気もするけれど、
流石に、置物というのは失礼だと思ったのかもしれない。
もしくは、置物も時には障害物となり得るからか。
小原さんは顔を上げると「もうタイムリミットね」と、立ち上がってスカートの裾を軽く叩く。
島の方からゆっくりと近づいてくる船が見えたからだろう。
「基本的にここにいるから、気が向いたら――また、ね」
あの船に乗って、彼女は向こうに行くのだろうか。
だとすれば、松浦さんと知り合いなのも頷けるかもしれない。
彼女の「気が向いたら」には「気が向いたらね」と繰り返すように答えておいた。
そうした出会いもあった中、7月になって期末テストが行われるのだった。
黒澤さんは「あなたには抜かれたくないわ」と対抗心を感じさせることを言っていたけれど
それはたぶん、私こそが言うべきことだろうと思う。
かたやただの学生、かたや名家のご息女
日々得られる自由度に大差あるはずの私が、どうしてそうでない人に遅れをとれるだろうか。
中間テストだってその通りの結果だった。
黒澤さんだって順位一桁の成績だったし、悪いわけじゃない。
そもそも――たった三十八人での順位争いは寂しくならないのかな。
などと言ったら
「何事も、やると決めたらとことんやるべきでしょう?」
と、言っていた。
切磋琢磨するとも言うし、河原の丸石のように削り合う相手が居なければ洗練もされないということ――か
その相手を私にするのはどうなんだろう。
そこはかとなく――もやもやとした。 期末テストは三日間に分けて行われる
水木金の曜日で実施し、
クラスの少なさとそもそもの生徒数から
土日を挟んで月曜日にはもう返却されるようになっている
その試験最終日、やはりお疲れ様といきたがったのは幼馴染だった。
期待たっぷりに黒澤さんを見つめる姿は
端からみてもうざかった――のだから
文句言わずに頷いてくれた黒澤さんには頭が下がる
「試験に答え合わせでもする?」
「黒っち〜それは有り得ないよね」
「また勉強しなかったの?」
「私の人生はね。勉強に浪費は出来ないんですよ」
呆れ顔の松浦さんに、幼馴染は堂々と語る
授業は勉強と等しくないので、
しっかりと受ける――という考えを持っているのが救いだろう。 黒澤さんの家につくと、以前とは違って客間へと案内される。
客間も十分に広いけれど、
彼女の私室を知っていると、ほんの少し手狭に感じてしまう。
「黒っちの家って感じがするねぇ〜」
部屋の雰囲気にまったく見合わず胡坐をかいて座る幼馴染は、
背中を伸ばすようにしながら間の抜けた声を黒澤さんへと投げる
彼女は彼女で、そう? と、困惑気味なものの、
奔放な幼馴染についてはもう完全に諦めているようで、
特に注意をするわけでもないようだった。
「畳の匂いってやつだね」
「そうそう。<ザ・和>って感じ」
「畳の匂い――?」
自分の制服の袖の匂いを嗅いで確かめる黒澤さんは、
なんだかちょっぴり可愛らしく思えてしまう。
普段は奇麗な人だけれど、ちょっとしたところが愛らしく思える。
「そういう意味じゃないと思うよ」
「なら、どういう――意味なの?」
雰囲気的なもの――なんて、曖昧な答えを返してみると、
意外に「なるほど」と、受け入れて貰えてしまった。 「高校生になってさぁ?
もう半年経ったわけでしょ? 浮いた話の一つでもないの?」
そう切り出したのは、言わずもがな幼馴染だった。
お茶菓子を手に取り口に含みながら
なんの気もない様子で、口にしたのだ。
黒澤さんの家には幼馴染が期待しているような浮わついた遊び心がない
その手持ち無沙汰な感覚から言い出したのかもしれないけれど
どうせ無いだろうけど。と、期待していないのは火を見るより明らかで。
「高校生って言っても女子校だし」
困ったように言う松浦さんは「あーでも」と少し考えて。
「ダイビングショップに来――」
「あーはいはいお世辞ねお世辞」
「流石に酷くない!?」
幼馴染は手をひらひらと振る。
お店に来るお客さんが「綺麗な子だか可愛い子だか言ってくれるよ」松浦さんが言おうとしたのはこの辺りだと思う。
どちらかと言えばお世辞に感じるかもしれないけれど
なかには、表現が正しいかわからないけれど
ナンパ――という線もあるんじゃないかと思わなくもない。
松浦さんは松浦さんで、スタイルが良いから。 幼馴染と松浦さんのやり取りを、私はたぶんその場にいない第三者として聞いていたと思う。
頭の中ではあれこれ考え、こうじゃないか。なんて思ったりもしていたくせに――
私の目は、黒澤さんに向いていたから。
だからきっと、二人の会話が途切れたとき
奪われていた思考力が戻った反動を受けてしまったのだろう。
「黒澤さんはどうなの?」
「えっ?」
すっとんきょうな私、間の抜けた黒澤さん。
数瞬見つめあって、ハッとする
「あっ――いや、そのっ」
「おやマイベスフレは黒っちにご乱心かな?」
とりあえず、幼馴染の二の腕をつねった 乱心はしていない。
執心でもない――たぶんきっと。
ただ、名家黒澤の長女という存在には
婚約者がいたりするかもしれないとか
日々縁談の申し出があるかもしれないとか。
迷信とか幻想とか小説とかのように身勝手に考えていた。
――もしかしたら。なんて
黒澤さんは私の焦りに、薄く笑う。
「わたくしには――なにも」
ちょっとだけ困ったように感じる眉
残念そうにも見えるのに、なぜかそうではないよう気もしてしまう。 「黒っちにもないとなるともうダメだねこりゃ」
残るのは私と幼馴染の二人。
幼馴染は先んじて「私にそんな気はまったく無いからね」と自嘲する。
浮わついた話を切り出しておきながら、
自分には恋をする気がないと白状する彼女は
自分ではなく他人のそれが気になるタイプなのだ
「で、どうせなんにもないでしょ?」
幼馴染の一方的な言い方に、少しムッとする
なんにもないのは事実なので
それ事態に怒りはないのだけれど――
黒澤さんにでさえないものがある。そう言ったらどうなるのか。
少しそれが気になったし、多少なり見栄を張ってしまうのが子供らしいのでは。と、思って。
「6月末に、会った人がいるよ」
平然と、言ってみるのだった。 6月末――? と、訝しげな幼馴染は
本当に会ったのかと馬鹿正直に訊ねてくる。
黒澤さんや松浦さん、その他友人知人ではないのは真実だけれど
まるで浮わついた話ではない。
それどころか、この場のみんなが知っているであろう――女子生徒の話だ
「ほんとほんと。たまたま一人で帰ったときに、その人が一人でいるのを見かけたんだよね」
「ふーん?」
「それでそれで?」
怪しむ幼馴染、興味津々な松浦さん
黙って聞いている黒澤さん
三人を見渡して、一息いれる。
「格好いい人だなーってつい見ちゃってさ。声、かけられたんだ」
格好いい人じゃなくて綺麗な人
声をかけられたのではなく、かけた。
唯一、見ちゃったことだけが真実である 「別にナンパとかじゃなかったんだけど、ちょっとはにかみながら、なにか? って」
「――それで?」
「それがまた素敵で――制服から自分たちが学生だって分かったから。あの高校だよね。って話が出来てね」
その日はちょっとした自己紹介くらいしかできなかったけれど、
それからも見かけたときには声をかけて――話をするようになった。
「よく音楽を聴いてるって言うから、どんな音楽が好きなのかとか、こういうのは好きじゃないのかとか」
話していること自体は嘘じゃないからだろう
幼馴染もみんなもそれを嘘だ。なんて言ったりはしなかった。
どんな音楽なのかという質問には、普通なら私が興味を持たない小原さんの好む音楽を答える。
アーティストと言うべきか、バンドと言うべきか。
そういった本当の情報を答えているので、
幼馴染が疑って端末で調べているけれど、それがまた信憑性を上げてくれる
「まだ数回しか会ってないから、このくらいの付き合いだけどね」
「このくらいっていうけど――結構すごいと思うよ」 松浦さんはそう言うと、しみじみと頷く。
同じ学生だとは言え、異性に声をかけられ話をし、距離を縮めている。
それが出来ているのが凄いと思ってくれているんだと思う。
でも、純真にそんな褒め方をされると――ちょっぴり申し訳ない。
私が関わっているのは、同じ高校で同じ学年の小原鞠莉。
彼女はみんなを知っているし、
松浦さんなんて特に知人であるというのだから、酷い話である。
「まさか――まさかまさかまさかっ!?」
「その人とは――連絡先を?」
「ううん、そこまではしてないんだよね」
発狂寸前の幼馴染をよそに、黒澤さんに首を振る。
恋が云々に興味があるのか、私という友人のことを気にしているのか。
興味を持っている黒澤さんは少し、眉を顰めた
「では、普段はどうやって?」
「ん〜――なんていうか、私もその人も別に示し合わせてまで付き合いたいって思ってないんだと思う」
会いたい。話したい。そうして関わっていくのではなく、
いつもの繰り返しの中で、偶然にでも出会った時に――少しだけ言葉を交わす。
波の音、潮風、曇天の闇、晴天の夕日。
彼女の鈴とした声を聞くこともあるが、黙ってそれらに浸っていることもある。
「それはつまり、運命感じたいんだーってやつ?」
「運命――なのかなぁ?」
友人としての関係にも、運命と言うものは存在しているのだろうか?
少なくとも、この出会いに関しては恋愛における運命は介在していないと断言できる。
なにせ――互いに女の子なのだから。 「なら、付き合ったりしないの?」
「勿体ないよ! せっかく仲良くなれたんなら――」
「待って果南。互いに、そうやって強要されたような付き合いは好んでないって言っていたでしょう?」
嬉しそうな松浦さんとは対照的に、黒澤さんは穏やかだった。
私の交友関係が広がっているのを喜んでくれてはいるのだけれど、
私の言った<示し合わせた付き合い>を重く感じているのだろうか。
「交際をすると言うことは、多少――縛られてしまう。きっと、それを望まないわ」
「そうだね。そういうの、望まないよ」
そもそも女の子だし。と、内心で思いながら異性のことを考えてみる。
彼女もそうだけれど、私も黒澤さんが言うように縛られてしまうのを好まない。
だからこそ彼女は一人であの場所にいて、私はその姿に共感してしまった。
「早い話、私は付き合うとかできないと思うんだよね」
「でもさー? 女の子も男の子も。学生のうちに一回くらいは恋愛するのが普通だと思うんだよねぇ?」
「それが普通だとしたら、私達って普通じゃなくない?」
「恋愛なんて、するもしないも自由ではなくて? するのが普通と言うのは――いささか納得しかねるわね」 「ほほぅ」
幼馴染の瞳が好奇に輝く。
黒澤さんの人となりを少しは知っているであろう幼馴染は、しかし遠慮を知らない。
黒澤さんが交際に対してあまりいい印象を持っていないと感じたからこそのその雰囲気は、
やはり、無遠慮だ。
「黒っちは、男嫌いだったりするわけ?」
「嫌い――と言うほどでは」
「でもさー交際、黒っちは否定的に見えるんだよね〜」
そこでなぜか、彼女は私を見る
ニヤリとした口元が<今から私余計なことしますね! テヘッ>と語っているのが何とも憎たらしい。
咳ばらいを一つして、下品にコップの音を立てる
「男の子が嫌いじゃなくたってさ、恋愛なんてどうなるか分かったもんじゃないでしょ」
簡単に言えば、未知である。
誰かに恋をしたとき、自分と言う存在はどれほどまでに歪んでしまうのか。
その何者かの為に、過去に律してきた自分を裏切ることになるのではないか。
少なくとも不変ではあれないであろう未知なる現象には――正直、私は畏怖を覚える 読み物としてとても素敵だと思います。
楽しみにしてます 「それに、あんたはどうなの? 男の子が嫌いだから興味ないわけ?」
「興味はあるけどね、なんかさ――まるで想像できないんだよねー」
幼馴染はそう笑いながら頬をポリポリと掻く
小学校も中学校も、彼女は女友達よりは男友達と言う快活さを見せていた。
クラスメイトの女の子たちが次第におしゃれに興味を持ち始めていた時期もそう。
彼女は、男の子と遊んでいることの方が目立った。
それなのに、彼女は自分が男の子と付き合う想像が出来ないと言う。
照れくさいというより、本当に困ったと感じる幼馴染の歪んだ眉を見つめていると、
幼馴染は「遊びと交際は違うと思うんだよ」と言った
「男子と遊ぶことは出来るけどじゃぁ恋愛しよう。ってなると私は何にもできなくなると思う」
「手を繋ぐとかも?」
「遊びならいくらでもやるよ。中学の演劇部の手伝いで抱き着いたことだってある」
えっ。と、黒澤さんの驚いた声が上がって松浦さんの顔が険しくなる
流石に中学生ではまずいんじゃないか。と考えているのが仲良くなくても分かってしまう
いくら演劇部だと言っても、プロではないし、手伝い程度でそこまでするのだろうか。と。
私へと向けられた二人の視線には、頷いておく。
残念ながら、嘘ではない。 「けどさ、それって別に好きでも何でもないから出来るんだと思うわけだよ。私」
「え〜? 普通逆じゃない?」
「そう? だとしたら、私は女の子としての普通からは外れてるのかもしれないね」
やや無関心気味に、幼馴染はそう言った。
私は恋愛を未知ゆえに畏怖している。
けれど幼馴染は、恋愛を考える気がないのかもしれない。
なるようになるだろう――なんて、考えているように感じる。
「まぁ、そうやって異性と付き合ってきたわけだけれど、私は別に恋してるなぁ――とは、一度も思わなかった」
「興味持たないからじゃないの?」
「友達の恋愛に興味はあるんだけどね」
たとえば、私が誰か男の子に恋をしたとする。
幼馴染はそれに興味を持つわけだけれど、
その矛先が向いているのは、あくまで私であって恋ではないのだ
「小中で、友達が○○くんかっこいとか、好きとか、付き合ってるとか。そう言うの聞いてて、へぇ〜凄いじゃんって思ってたのになぁ」
「自分もしてみたいとは――思わなかったと?」
「有名人を見てすごーいって湧きたってたからって、そうなりたいと思うわけじゃないんだよ」
そう言うと、幼馴染は少し切なげな顔をする。
彼女にとっては珍しい、でも、決してしないわけではない憂いを帯びて
「違う。蚊帳の外だったんだ」
彼女は首を振る。
そこで言葉を切って、まだ冷えている麦茶に口をつける。
続きがあると解ってるからか、誰も口を挟まない
幼馴染にしては――そう、彼女にしては、それは酷く真面目な空気を感じさせていた。
「他人だったんだよ結局――幸せそうにしている友達を見て、私は今の自分以上に幸せになれるだなんて思えなかったんだ」 「友達の恋愛に興味があるのは、それが幸せに見えるから。自分のそれに興味がないのは、それで幸せになれると思えないから」
幼馴染はそう言うと、
多分きっと、私はそういう風に考えてるからなんじゃないかなぁ。と、
砕けた語尾で、和ませるかのように呟く。
「そう――いう、考え方もあると思うわ」
「難しい話は良く分からないけど、今満足してるなら別に恋愛とかしなくても良いんじゃない?」
黒澤さんと松浦さんの仲裁するような言葉が聞こえる。
幼馴染はそれを笑いながら聞いて「そうだねぇ〜」とにこやかに言うのだ。
彼女は、それ以上に幸せになれると思えないと言った。
それは嘘じゃない――と思う。
けれど――本当は、幸せではなくなってしまう。そう、思っているように私は感じた。
今のまま、幸せなままでいたいから、恋愛を避けているのだと、
そう言っているように感じた。
誰かに恋をすると言うことは、心がその人に縛り付けられてしまうことになると、考えられなくもない。
彼女はそう考えて、自分の<自由>が損なわれることに嫌悪感を抱いてさえいるのかもしれない。
ゆえに――無関心になる。
「でも、恋をするのが普通なんだろうなぁ」
幼馴染のささやかな呟き
縁側の方から吹き込む風が、風鈴を揺らす音が聞こえる。
誰一人として幼馴染の言葉に同意はしなかった。 チャラいけど頭の中は高一じゃないなこの幼馴染
やっぱりラ板で無駄遣いする内容じゃないって
普通に渋にでもあげた方がいい 期末テストが終わって数日、返された結果は想定通りだった。
お疲れ様会の後に行った見直し通りの点数で、順位的にもトップの成績
松浦さんも決して悪くはないし、
流石に幼馴染は三〇台の順位ではあるものの、赤点はなかったので問題なく部活が可能だと喜んでいた。
黒澤さんと小原さんも私と変わらない順位なのは流石だと思ったのだけれど、
やっぱり――黒澤さんは不服さを感じさせた。
「前にも言ったけど、黒澤さんは私と違って自由な時間少ないんだから当然だと思うんだけど」
「それはそれ、これはこれです」
「でも、妥協はしてくれないと」
黒澤さんが私を追い抜くには、学年一の成績にならなければならないわけで
それを取るためには、黒澤さんは今まで以上に勉強しなければいけないと思う。
お稽古と生徒会――そして、勉強
全てを両立してトップレベルである現状でも無理しているのではと思うのに、
今以上だなんて、あまり認められたものじゃない――なんて。
「いや――ごめん。まぁ、黒澤さんはそうだよね」
これは過干渉だ
普通の友人らしくない――まるで、私らしくない。 私が少し手を抜けば、黒澤さんは満足するだろうか。
きっと満足しないし喜ばないだろうし。
手を抜いたことがバレるリスクを考えると――それは駄目だろう。
「頑張ったって、黒澤さんは私に勝てないよ」
「次学期は後れを取らないつもりよ」
「今でも十分ついてきてるって思うけどね」
私と同じことをしていて、
それ以外に私がしていないことをたくさんしているのに
黒澤さんの成績は私にとても近い。
それで満足したらいいのにと、思って。
「まぁ、無理はしないようにね。私と違って黒澤家としての責務もあるんだろうから」
「心配、してくれているの?」
「ん――」
ちょっぴり驚く黒澤さんを一瞥する。
心配――かな? 心配かもしれない。
一応、友人ではあるから――頑張りすぎていることを気遣う
「色々ありそうだから」
どんなことがあるのかは分からないけれど、
妹さんと黒澤さん
その家の大きさを見ていれば、何となくありそうに感じる。 私が少し手を抜けば、黒澤さんは満足するだろうか。
きっと満足しないし喜ばないだろうし。
手を抜いたことがバレるリスクを考えると――それは駄目だろう。
「頑張ったって、黒澤さんは私に勝てないよ」
「次学期は後れを取らないつもりよ」
「今でも十分ついてきてるって思うけどね」
私と同じことをしていて、
それ以外に私がしていないことをたくさんしているのに
黒澤さんの成績は私にとても近い。
それで満足したらいいのにと、思って。
「まぁ、無理はしないようにね。私と違って黒澤家としての責務もあるんだろうから」
「心配、してくれているの?」
「ん――」
ちょっぴり驚く黒澤さんを一瞥する。
心配――かな? 心配かもしれない。
一応、友人ではあるから――頑張りすぎていることを気遣う
「色々ありそうだから」
どんなことがあるのかは分からないけれど、
妹さんと黒澤さん
その家の大きさを見ていれば、何となくありそうに感じる。 色々あると考えておいて
いえいえなにもありませんよ。となったら笑い話になるだろう。
黒澤さんが「そんなお貴族様じゃないわ」と笑いながら扇でも振ってみせてくれたらなお愉快かもしれない。
でも黒澤さんは、微かな笑みを浮かべるばかりで
肯定も否定もせずに口を閉じた。
余計なことを言ってしまったかなと目を向ければ
そんなことはなかったようで。
「ありがとう――体調にも気を付けるわ」
「そうしてくれると助かる」
感情を擽るような彼女の声に、私は目を背ける
「じゃないと――生徒会の仕事押し付けられちゃうからね」 「書記ももう一人いるから――大丈夫」
書記も会計も二人ずついる。
だから問題はないとする黒澤さんは
それでも、迷惑をかけることになるだろうからと、気をつけてくれると言う。
その嬉しそうな表情が向けられているのが――なんだかもやっとする。
嫌なわけではないけれど、
今までの自分はここまで関わらなかったはずだからかもしれない。
「次も勝つよ、私」
「では次は体育祭――」
「敗けでいいや」
あと数日後に控えた私の嫌いな一日
黒澤さんの持ち出したその勝負事からは――逃げ出す。
黒澤さんのちょっとした笑い声が聞こえる
そんなこと言わずにと引き留める声がする
でも、運動だけは駄目なのだと――受け付けなかった
まだ人数の多かった小学校、中学校
そこで行われた運動会では、クラス全員一丸となってとか
色々、私には理解しがたい集団意識みたいなものがあった。
卒業したから言わせて貰えば、あんなものはただの同調圧力である。
拒否権が無いからそこにいるだけで
応援だの全力だの頑張れだの――運動嫌いな私にとっては地獄のような祭典だ。
級友の殆どが<勉強しなくていいし>などとにこやかだったのを見て
呑気でいいなぁ――と上の空で逆さてるてる坊主を作ったのはいい思い出かもしれない
とはいえ、我が忌むべき旧知の友である幼馴染の「やるからには勝つぞ−!」という雄叫びにクラスが沸き立ったので、
まだまだ過去の話にはなっていない
そうして清い心で逆さてるてる坊主を作っていると、
不意に黒澤さんが声をかけてきた
「これ――逆さになってしまってるわ」
「これはこれで良いんだよ。大丈夫、間違ってない」
困惑の色を浮かべる黒澤さんに、逆さてるてる坊主のありがたい御利益を話す。
体育祭前日に端正込めて作ったてるてる坊主を逆さに吊るすと、体育祭を中止にしてくれるという御利益
黒澤さんはなぜだか「貴女は――もう」と呆れ顔ではあったものの
特に止める気は無さそうで
「その努力の一部でも運動に傾けたら良くなるんじゃないかしら」
「それを勉強しない運動大好きっこに言ってみるといいよ」 私自身、運動しないための行為だから頑張るのであって
運動能力向上のためにその分頑張れと言われても無理だったりする。
そういうのは、普通の車に灯油で走れと言っているようなものだと思う。
確か走れる車もある――みたいな話も聞いた覚えがあるけれど
少なくとも私は走れない方の車だ。
「体育祭、そんなに?」
「体育祭どころか体育自体無くていいよ――うん、要らないね」
運動したい人だけがして、したくない人はその分別の科目に集中する。
やりたくないのにやって疲れたり怪我するのは大人になってからで良いのではないだろうか。
子供はもう少し自由でいいと思う。
なんて――言えない。
「黒澤さんはやりたい人なんだね」
「やりたいというか――やる決まりだから。かしら」
「そっか」
やる決まりなら致し方ないと私も思っているけれど
でも、黒澤さんはそれとは違って
諦念ではなく、そうすべきという義務感で動いているように感じた。 「ところで――」
会話が途切れたかと思えば黒澤さんの声が間を繋ぐ。
「今日は、会うのかしら?」
「会うって?」
「ええっと――親しい人」
黒澤さんの困った様子には私が困惑する。
ほんの少し言い淀んだわりにはと言うべきか
だからこそと言うべきか
シンプルに不明瞭なことを言われたからだ。
親しい人なら――一応、黒澤さんもそうだろうに。
もしかして親しくなってしまったと思っていたのは私だけで
黒澤さんは<顔見知り>だったのだろうか。
それはそれで望んでもいいのだけれど、
にも拘らずそこはかとなく不愉快ではあるのが我ながら理不尽だ。 黒澤さんが<親しい人>と抽象的に言うということはつまり
幼馴染と松浦さん、生徒会長
いずれでもないということになってくる
つまるところ、小原さんだろう。
以前、小原さんとの出会いをまるで異性と出会ったかのように話したせいだ。
正直、いつまでも隠しておくことではないように思う。
「会えたらだけど――」
あの場所にいけば基本的には会える。
島の方への船の時間にもよるけれど。
「黒澤さんも一緒にいく?」
ただの悪戯のつもりでそう言ってみた。 黒澤さんがそういうことに遠慮するタイプだと思っていなかったと言えば嘘になる。
知人でもないし、同性ならともかく異性を紹介されることには多少警戒心があるものと思っていた。
だから「問題がなければ――」そう、黒澤さんが言ったとき私は思わず反応に遅れが生じた。
私がその分の信頼を勝ち得ているだなんてポジティブな思考はしない。
どうしてと、自分からの提案の癖に困惑してしまった。
――黒澤さんって意外と異性好き?
いやいや、この間の反応からしてそれはないと首を振る
「じゃぁ帰ろっか」
時計を見てみると、まだ急げば小原さんに会えるかもしれない時間
黒澤さんに声をかけて、身支度を手短に終えて二人揃って――寄り道をする。 小原さんに会う場所は、普段黒澤さんがバスを降りる所よりも先にある。
バスの運賃は変わらないものの、
だからこそ帰りの分がかかるという話には、黒澤さんは気にしなくていいと首を振った
そんなに、私の異性関係が気になるのだろうか。
申し訳ないことをしているかなと、少しばかり悩む
黒澤さんが相手が男の子であることを期待して興味を持ってくれているのなら、
実は、貴女もご存じの小原鞠莉さんです。となったらどうなるか。
ちらりと横に座る彼女に目を向ける。
窓側に座る黒澤さんは、まだ高い陽の光を浴びてちょっぴり眩しそうにしている。
なんだかそれは――少女然としているというか、子供っぽいという感じがした。
「黒澤さん、どうして会いたいって思ったの?」
「お相手の方に――?」
「うん」
それ以外にはない。
にもかかわらず、黒澤さんは聞いてきて。
「貴女が会わせてくれる――と、言ったからかしら」 そこはかとなく嬉しそうに見えるのが気のせいではないが、
少しばかりもやもやした気分になるけれど――つまりはそう言うことらしい。
私の口を突いて出てきた悪戯が、結果的に私を困らせることになったというわけだ
因果応報とは時折あることだけれど
これほどまでに迅速な切り返しを行う因果はさぞ手練れだろう。
なんて――心の中で嘯いてみる
「なるほど、それはそうだよね」
「むしろ、会わせてくれる提案にこそ驚いたわ」
黒澤さんは驚いたと言いつつ粛々とした雰囲気を感じさせる。
それは時間の経った今だからかもしれないけれど、提案した時だって逡巡さえしなかった。
本当に驚いたのかと訝しんでいるのを気取られたのか、
黒澤さんは「本当に」と付け加えた。
バスの停車案内を見てみれば、まもなく黒澤さん常用の停留所
今ならまだ間に合うかと、息を吐く
「悪戯のつもりだった。急に言われても困ると思って」
「話を聞いたときから、貴女の御眼鏡に適う人を一度は見てみたいと――思ってたの」
「お眼鏡に適うね」
「ええ」
確かに、黒澤さんや松浦さん、小原さんや幼馴染
その中の誰かが異性と付き合いが深いと言い出したとしたら、私も好奇心を抱かざるを得ないかもしれない。
特に幼馴染と、釣り合いの関係で黒澤さんの相手には。 とても楽しみにしているように見える
だから、これはもう――と、思った。
「ごめん黒澤さん、この話――相手は男の人じゃない」
「と、言うと?」
「女の子なんだ。異性どころか他校ですらない。浦女の一年生」
しかも、黒澤さんも松浦さんも、幼馴染も
みんなが知っているような同級生
赤信号で止まるバスの揺れを感じながら、黒澤さんに目を向ける
彼女も私を見ていて――視線が重なった
「小原さん。黒澤さんも知ってるんじゃないかな」
「小原――」
黒澤さんは繰り返すように呟くと、
不意に「あぁ」と、得心がいったと声を漏らす。
黒澤さんの手は自然と考える素振りを見せた
「なるほど」
「その全て合点がいったって感じ、信じていいのかな」
「幼馴染に見栄を張ったのね」
「信じるよ」 私の即決が面白かったのか嬉しかったのか
黒澤さんは小さく笑う
全てとは言ったけれど、結局は<幼馴染の煽り文句>だけである。
見栄を張る必要――というのはさておいて
そうする理由など彼女を置いて他にない
少なくとも私には。
「だから、ついてこなくてもいいんだよ」
「そういうわけにはいかないわ」
黒澤さんは拒否する。
なぜかと問えば「せっかく誘って貰えたのに」と、返ってくる。
私が心を許しつつある異性ではなく
私に誘われたということに重きを置いていたのだろうか
彼女が抱いていたのは見知らぬ異性への好奇心ではなく
私という友達への――なんて。
それは流石に自信過剰も過ぎるというものだ 狙ったわけではないと思う
悟られたわけでもないと思う
けれど彼女はそんな逡巡の隙を突いて、引目がちに口を開く
「それとも――迷惑?」
窺うような視線、見えない境界線に怯む声
それはあんまりではないかと思うくらいの臆病さ
それならそうと言ってくれれば辞退するという雰囲気
困らせるつもりの悪戯だと私は言った
それが跳ね返って来ただけの話のどこに、彼女が負い目を感じる部分があっただろうか。
あるのだとしたら――私は相当察しの悪い女だろう
「黒澤さん<に>迷惑じゃなければ良いよ」
あえて迷惑を被るのは黒澤さんではないかと強調する。
たとえ私が被る側だとしても自業自得なのだから酌量の余地は皆無だ 「迷惑――なんて」
そんなことないと黒澤さんは言ってくれる。
迷惑だったり、不都合だったり
断る理由があるのなら、断るのが普通だと言うけれど、
黒澤さんの場合、赤の他人でもなければ――それなりに考えてくれると思う。
つまり私は黒澤さんの友人として認めて貰えてる――ということかな。
「小原さんだって知ってがっかりしなかったね。もしかして、もう聞いてたり?」
「貴女と知り合った――とは」
いつも黒澤さんの下りるバス停が近づく。
彼女は本当に降車ボタンには目もくれなかった。
少し考えるように視線を動かして、瞼が降りる
「ただ、話を聞いていて貴女のような人だと思っていたわ」
大人しくて、あまり自分のことを話そうとはしない。
けれど、聞けば答えてくれるし話せば聞いてくれる。
友達に近い知り合いのような人だと聞いたと、黒澤さんは正直に教えてくれる。
悪口は言われなかったかと問うと、困ったように首を振った
「悪口ではないけれど、強いて悪く言うなら<友達の友達と二人きりになった感覚>と、言ってたわね」 シンプルに不明瞭とか手練れな因果とか言い回しが超がつくほど独特な語彙力の高いJKだ
もう少し子供っぽくしようず 「あははっ確かに、否定はできないですね」
友達の友達とは言い得て妙だ。
小原さんとも親しくさせて貰ってはいるけれど距離感があるのは否めない
それこそ友人一人を間に挟んでいるような距離感。
それは、高校を卒業したら疎遠になってしまうような細い繋がりであり
実際、私は小原さんとの関係はそうなるものだと考えている。
彼女とは住む世界が違う――そう感じているから
「黒澤さんは、そう感じてませんか?」
「そうね――」
言葉尻が霞みがかる
それが答えだったかのように漂う沈黙を、バスの停車音が大きく引き裂く
少しだけ揺れて、黒澤さんの視線も動いた
私ではなく、どこか遠く――それは、過去を顧みているような瞳だった
そしてふと、私を見る
「感じていると言ったら、もう少し縮めて貰えるのかしら」
「――これでも、関わってる方なんですよ」
「そう――」
黒澤さんも小原さんのように別世界の住人だと思っている。
今ここまでの親しさだって、私からしたら誤算でしかない
本当なら彼女とはただの級友だったはずなのに――気付けば、二人きりになる間柄
「まだ三ヶ月だから――ね」
それで納得しようとしている彼女に、私は同意をしなかった。
同意をしてはいけないと思った。
その心でも見透かしたように黄昏を感じさせる彼女の横顔が、私にはとても――。 それからは大した会話も無くなって、時間だけが過ぎる
黒澤さんはまるでたまたま席が隣同士になっただけの女性のような趣があるけれど
寂寞感があるように思えて――彼女に対しての悪者がいるように思えてくる
いや――いるのだろう。
彼女にその物憂げさを抱かせた何者かが――なんて、面の皮の厚い人間だったら
どれだけ人生が楽になるのだろう――と、目を瞑る
そんな生き方が出来たらどれだけ楽しい人生なのだろうかと羨む。
私には到底する事の出来ない生き方だ
「――次で降りるよ」
「ええ」
最小限の会話。
私達はただの知り合いか、友人か
はたから見たら――どう見えるだろう?
そうっと彼女を見る
こういう時にかける言葉はどこかにあったか
他愛のない、ありふれた言葉をかけるのがセオリーだろう
たとえば、昨今の天気などの時事
天気が悪いね、良いね。そんな短文を投げかけてどこに繋がるのか――先が見えない
二言三言で終わるであろう数秒後に委縮するなんて――ほんとう、コミュニケーション能力が欠けている。
誰に言われるまでもない――私は、彼女との会話に失敗したのだ
学習能力がない、まるでダメな奴――と、幼馴染なら罵るだろうかなんて彼女を使って貶め疎む
自分を使わない辺りが本当に厭らしい小心者だ 保守
>>137この前半てなんか例の自殺の件に対してっぽいな
少女A今度は自殺するのか? 小原さんがいたら、黒澤さんとの二人きりに幕が下ろされる
小原さんがいなかったら、私と黒澤さんは用事も無くなって別れることになる
どちらでも私にとっては恵みともいえるような状況下において、しかし私は落ち着かなかった。
どちらにせよ私には得。そんな好条件のままであるはずがないからだ。
たとえ一時的にどちらでも構わない状態だったとしても、
その時を振り返ったとき、私は後悔することになると思う。
そうならないはずがない――と、嫌な確信があった。
「あ」
「あら――」
そうして結局、私達は小原さんに出会う。
いつものように桟橋に腰かけている彼女は、いつものように、イヤホンを耳から外して――
「今日は、二人なのね」
「迷惑だったかな」
「ううん、No problem」
小原さんはそう言って首を振ると、私から黒澤さんへと目を向ける。
二人は少しの間黙って見つめ合っていたけれど、不意に小原さんが苦笑を零す
黒澤さんはそんな彼女から目を逸らして、私の隣で膝を折る
「黒澤さん――そっちに座るの?」
「ええ」
小原さんのちょっぴり残念そうな声にも、
黒澤さんは極めて冷静――むしろ辛辣にも感じる声を返した。
怒っているわけでも不機嫌なわけでもないとは思う。
黒澤さんと小原さんは知り合いだったと聞いていたけれど、でもまだ<黒澤さん>なんだと少し親近感が湧いたのは、
私の心のうちに止めておくことにした。 「それで?」
いつもなら音楽を聴くのに戻る小原さんは
珍しく――というと失礼かもしれないけれど
イヤホンを外したまま、私に答えを促してきた。
それで、どうして黒澤さんがいるの? だろうか
その質問はなんだか犬猿の仲みたいで
私としては申し訳なさからいたたまれなくなるので、
そうではなく、それでどうして二人なの? と思うことにする
違いは微妙だけれど、その微妙さが重要なのだ
絶妙だといってもいいかもしれない
「この前話した小原さんを異性に見立てて見栄を張った件だよ」
「バレちゃったの?」
「バレたと言うか――墓穴を掘ったんだ」
黒澤さんの私への興味を軽視しすぎた
それをどう受け止めるかは自由だけれど
感情抜きで語ればただの誤算である
ちょっとした冗談、悪戯
そのつもりで声をかけたら本当について来てしまったと
私は正直に話した 「なるほどね〜」
小原さんは蜜を嘗めたような愉快な笑い声を溢した。
ただの失敗なら心配もするだろうけど私の場合はただの阿呆だ。
笑われるのもやむなしと肩をすくめていると
緩やかに笑い声が途切れて――
「黒澤さんとDate――してるのかと思ったわ」
「デートって」
「小原さんは――ここがデートスポットだと思ってるの?」
言葉に困った私の隣で、黒澤さんは平然と訊ねる
私を間に挟んでいるからか
黒澤さんは小原さんを見ずに、揺れている水面を眺めている
「ん〜どちらかと言えばありね。静かだし、邪魔もそんなにない」
連絡船が来ることはあるが、本数は特別多くはない
桟橋だって一つではないし、この付近なら別に桟橋である必要もない
この場所を気に入っているのか、語る小原さんは楽しげで弾んで見えた
「だから、Dateだと思った」
「残念ながら、期待しているようなことじゃないわ――ほんとうに、さっき話された通りよ」 「ふぅん――」
「なに?」
「ううん、別に」
何か意味ありげな思慮の混じる吐息を漏らしながらも、
小原さんは黒澤さんのやや鋭さを感じる追及には首を振る。
隣にいる私には見えて、黒澤さんには見えない口元の緩やかな笑みは一体何を意味しているのか。
それを聞いたところで、すっとぼけるのが小原鞠莉という女の子だと私は思っている。
私と黒澤さんがデート――なんて、幼馴染曰く青春に満ち満ちた時間の使い方をするわけがない。
どちらかが男の子で、互いを異性だと意識したうえでの付き合いがあるのなら話は別だけれど。
私も彼女も女の子である。
黒澤さんの着替えは見たことあるけど、観察したわけでもなく
ましてや裸体を見たわけではないので、実は胸の有る男の子もあり得る。
――あり得ないけど。
その前提で、わけあって女の振りをさせられている。なんて、
普通は逆の浮世離れした設定が黒澤家に強いられているのであれば話は別だ
もちろん、あり得ない話だけど。
「本当に黒澤さんとは何もないよ。むしろ、小原さんと何かあると思われてるくらいだよ」
「何かあるのは小原さんじゃなくて、小原くんでしょ〜? あ・な・たの――Boyfriend、小原鞠莉くん」 「勝手に脚色したのは悪かったと思ってるから、ほんとう」
そう言う私の隣で、小原さんは軽やかに笑っている。
黒澤さんとは別の気品を感じさせる彼女だけれど、時折感じさせるごくありふれた子供らしさが
彼女の人柄の良さを教えてくれた――と、思っていたのだけれど。
独りを好んで、ここにいる。
けれど、決して賑やかさが嫌いなわけではないだろう彼女は
私の張った見栄を、これでもかと言わんばかりに弄ぼうというのだから、
その判断は流石に時期尚早だったのかもしれない。
「黒澤さんは、相手が私で安心した?」
「安心――とは?」
ようやく小原さんを見た黒澤さんは、
到底友人とは思えないほどに怪訝そうな表情だった。
見る人が見れば睨んでいるような厳しさもあるように感じるのは、
それほどまでに、私との関係を茶化されたのが不愉快だったからなのか、
同性にあるまじき付き合いをにおわせるようなことを私と結びつけられかからなのか。
いずれにしても<私なんか>というのが大きいと言われなくても分かる。
これが幼馴染だったら、駆ける冗談とも言われる人だし、丸く収まっていたんだろうなと――ため息がこぼれる。 「Angry?」
「怒ってはいないけれど――」
いやもう怒ってるよね? と横やりを入れたくなってしまったけれど、我慢する。
そんなに私のことが嫌いなのだろうか
それとも、さっきの冗談の延長線上だと思っているからか。
けれど、小原さんはその言葉で納得したのか、
いつも通りの軽い声を水面に向かって吐き捨てた。
「変な人に騙されていなくて安心したんじゃない? ってこと」
「あぁ――そういう」
「そういうって、どう聞こえていたの?」
「彼女を、ほかの人に取られていなくて安堵した。と、言っているように聞こえたから」
黒澤さんは困ったように言うと、
全然そんな関係ではないからと念を押しながら、私を一瞥する。
貴女も迷惑な話でしょう? と同意を求められたような気がしたけれど
私よりも早く、黒澤さんが話を続けてしまった
「そういうことなら、わたくし――そもそも心配なんてしていなかったわ」
当然のように――いや、たぶん当然なんだろうと思う。
黒澤さんは薄い笑みを浮かべながら、そう言った。 「心配――してなかった?」
「ええ」
全くする必要ないわ。と、自慢げに言い切った黒澤さんは、
私のことをまじまじと見つめて笑顔を浮かべた
「この人が不誠実な人に心を許すわけがないわ」
「なるほど」
「え? えっ?」
黒澤さんは何を言っているのか
小原さんは何を納得したというのか
間の抜けた声を漏らしてしまう私をよそに、黒澤さんは困った表情を見せた
「信頼しているわ」
「私を?」
「ええ、貴女を」
そう言った黒澤さんは、あえて言うけれど。と、口にする。
「ここに来たのだって貴女を信頼していたから、誘われたのよ?」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています