にこ「理想の果て」
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あるアイドルの引退報道がニュースサイトの下部に小さく掲載されていた。
ラブライブ元優勝メンバー芸能界を引退。
コメント欄には誰?知らない、そんなコメントが多数。
スクールアイドルが隆盛を誇る今でも世間の認知はそんなもの。
最初は自分もイマイチ納得がいかなかったが見方を変えれば答えは簡単だった。
ラブライブはスクールアイドルの甲子園に例えられる。
では自分は何年も前に甲子園を優勝した高校の、エースでも四番でもないメンバーの名前を挙げられたところで分かるだろうか?
少なくとも私は分からない。
面倒なのでそこで納得することに。
私、矢澤にこは今日芸能界を引退した。 全く鳴かず飛ばずだったかと言われればそうでもない。
アイドル好きの間ではちょっとした人気のグループで、それなりに大きなライブを開き、深夜帯ではあるがグループのバラエティ番組も放送されていた。
グループの人気を左右する中核メンバーでは無かったが固定のファンの方もしっかりついてくれた。
食べていけるほどには稼げてもいたし、そもそもアイドルになろうとしてもなれない女性は大勢いるのだ。
そういう意味では私はまだ恵まれていた方なのだろう。
逆に言えば私のアイドルとしての力はその程度のモノだったのだ。
かつて掻き毟るほど手にしたかった宇宙ナンバーワンアイドルという座はもう未来永劫手に入らない。 この日、何となく初めて煙草を購入した。
吸い方も分からないので感覚で挑んでみると思いっきりむせ返してしまう。
よくもまぁこんなものを好き好んで吸う人間がいるものだと思ったが、捨てるのも癪なのでこの一箱だけは手元に置いておくことにした。
良さはまだ分からないが、薄暗い部屋に漂う煙と微かに灯る火を見つめていると今の空虚が少し紛れる気がしたからだ。
かつての仲間8人と撮影した写真を手に取る。暗くてよく見えないが、きっとその表情は輝いているのだろう。 自分はどこで道を間違えたのだろうか、反省すべき点は?
ありえないはずのもし、たら、ればが無限に湧き出てくる。
そんな事をしても何にもならないのは分かっていたが、時間だけはたっぷりある今思考を留める理由にはならなかった。
まずアイドルグループオーディションに合格した後の事を考えていこうか。
私がオーディションに合格したのは19歳になる直前、デビューは19歳の年だ。
ハッキリ言って遅すぎる。
一桁の女の子も少数ながらプロとしてデビューするこの世界で、私は倍の年齢でデビューした。
これは致命的なハンデだ。 アイドル活動を経て女優やモデル、アーティストやアナウンサーを目指すならあり得ない年齢ではないが、私はアイドルというものに恋い焦がれてこの業界に入った。
当然アイドル以外の事は考えていなかった。
次に「癖」だ。
子役経験者やダンス等、幼少期〜思春期の時期にある程度の経験を積んだものが、事務所やグループに入りなおす際よく指摘されるポイントなのだが
演技や踊り、歌の表現に事務所側が望まない癖がついてしまっていることが多々ある。
デビュー前のタレントは真っ白なキャンパスである方がいい。事務所が望む色に染めて売り出せるからだ。
癖が事務所側の思惑とマッチしているだとか、それらを帳消しにしてしまえるほどの圧倒的な才能を見出された場合は別だが、私の場合は残念ながら特にそんなこともなかった。
一番光り輝いていた時代であるはずのμ`s時代のモノが、プロ入り後苦労の種になるとは何とも皮肉なことだ。 高校生時代のことを思い返していこうか。
アイドル研究部を設立してからしばらくは自分なりに頑張っていたと思う。
結果として人は離れてしまった上に、ハッキリ言ってプロのアイドルになるための努力としてはどれもズレている。
好きなグループのダンス完コピだとかアイドル界の勢力図の把握、キャラ作りの仕方等……
何もかもが全く役に立たなかったかといわれればそうでもないが、これはアイドルになる人間がする行為ではなくアイドルが好きな人間がする行為だったと気付いたのは業界に入った後の話。
これは結果論だが基礎体力作りと発声練習をしていた方がずっと良かったはず。 アイドル研究部から人が離れた後、私は基礎練習はおろかオーディションを受けることすらせずただ燻っていた。
もし時間を巻き戻せるなら若き瞬間を時めいて輝くアイドルの事をお前は何もわかっていないと言ってやりたい。
知識を詰め込むだけの作業を知るとは言わない。
一つだけ褒めてやれるとしたら肌の手入れや容姿の研鑽は欠かずに続けていたことだろうか。
おかげで今も肌は綺麗だと胸を張って言えるし、痩せ我慢の範囲ではあるが夏に厚い衣装を着ることも冬に薄い服を着ることも抵抗がない。
悲しいかな手入れを怠りがちな人間も金を持っていたりすると、すぐ差を詰められてしまうのだが。 話を戻そう
私はμ`sと出会った。
あの日々は間違いなく人生最高の輝きで、今もなお私の心にあり続けている。
だが、光が強いほど影も濃いもので穿った見方をすれば私の歪な面はこの頃になっても直っていない。
穂乃果がμ`sを解散すると宣言してから私が声をかけたのは花陽と凛だ。
二人とも魅力的な人間であることは間違いないし、最高の9人の内の大切なメンバーではある。
スクールアイドルへの思い入れが強い二人へと声をかけたつもりだった。
が、歳をとって卑屈になってしまったのだろうか、今は少し違った捉え方をしている。
私は結局のところ御しやすい人間を選んでいただけではないのだろうか。
あのまま3人で進んでいればかつてのアイドル研究部の二の舞になっていたのではないかとすら思う。 単純に自分のスキルアップを、将来アイドルになることを考えるなら声をかける人物は別にいたはずだ。
ダンススキル、圧倒的な表現力を誇る絵里。
歌唱力に声量、音楽的才能にあふれる真姫ちゃん。
鍛錬を欠かさず豊富な運動量でスタミナ切れを見たことがない海未。
この3人に今の私でもそれぞれの分野で勝てるかと言われると首を縦には触れない。
私の武器も勿論あるし、負けないところだってあると言い切れるが高校生の時点で彼女たちの才能はそれだけ抜きんでていたということだ。 話をもう一度プロの時期に戻そう。
私は苦労して癖を矯正し、自分なりの個性を出しプロの世界を歩み始めた。
所謂「枕営業」の話も来たことがあった。
当然断ったし干されて仕事が全く来ないということもなかった、ただその仕事一つがお釈迦になっただけだ。
あるメンバーが私が断った枕営業を受けたという噂が立った。
その子はめきめきと人気を伸ばし今やグループの中心に居る。 中心メンバーの全員にそういった黒い噂がっているわけでもないので私に実力がなかっただけなのだろう。
枕営業を努力だと認める気はないが、努力も才能も足りていないということだけは認めざるを得ない。
若さ、経済力、家柄……ママは今でも私の誇りだがこういった面でもやはり差はついてしまう
と思っている辺り、もう私はどこかダメになってしまっているのかもしれない。 アイドルはメンバー間の蹴落とし合いを勝ち抜いた者がファンの声援を得るのではない。
ファンにより一層の笑顔を届けるために、限られたスポットライトを浴びるために、厳しい切磋琢磨があるのだ。
この順番を間違えてはいけない。
分かってはいる。
…………分かっては、いる。 中途半端に叶った夢は今でも宙ぶらりん。
体裁上のけじめこそつけたものの気持ちは行き場を失って彷徨っている。
着地することも許されず煙のようにフワフワと。
いっそ消えてなくなってしまえばいいのにとすら思う。 ピコンとスマホが鳴る。
感傷に浸っていた時間を台無しにされた気分だが、現実に帰ってこられた感覚が煙まみれの部屋は実はヤバかったことを気付かせる。
「ヴぇぇぇっほげほげほ!!!なによこれ!要らないわ!」
煙草を乱雑にゴミ箱へと投げ捨てた。
「ったく………誰よ」
グループ:μ`s
最後のメッセージから二年ぶりのグループへの投稿。
メッセージではなく動画が一件投下されている。
『にこちゃん、お疲れ様!』
『たまにはゆっくり君のペースで』 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています