梨子「甘さの秘密」
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バレンタインを目前に控えた休日。
二月の寒さとほんの少しの緊張で震える体を抑えながら渡辺家のインターフォンを押す。
「はーい」と寒さを物ともしない元気そうな声が機械越しに聞こえてきた。本人は寒いの苦手だけど。
「わたし」
「今開けるね」と短い会話。逢瀬の様なやり取りにドキドキしてしまう。
確かに私達がこうして二人で会うことはみんなには秘密にしている。
けれど、それは決してラブロマンス的なものじゃなくて――なんて考えている間に扉が開いた。
「おはよう、梨子ちゃん。今日はありがとうね」
「おはよう、ううん。私の方こそお願いします」 私が今日、渡辺家にお邪魔したのは二人でバレンタインチョコを作るため。
今までピアノ漬けで恋もしたことがなかった私にはチョコを手作りするなんて発想はなくて、今日が初挑戦。
曜ちゃんがたくさんチョコを用意するらしく、教えて貰うついでにお手伝いも兼ねている。
「お邪魔します」
「あ、今日ママいないから」
「ん」
靴を揃えながら雑に返事をする。
曜ちゃんのママがいないのは私にとっては朗報。嫌いなわけじゃないけど……ただ、苦手だった。
娘とは似ても似つかない聡明な瞳になんだか見透かされている様で。 「へへっ、二人きりですな」
「いつも二人きりでしょ」
「梨子ちゃんはムードがないよー」
あったらどうするの。喉まで出かかった言葉をのみ込む。
「荷物置かせてもらうね」
「どーぞー。コーヒー入れてくるね」
「ありがと」
リビングのソファに鞄を置き、一息つく。
通い慣れてるとはいえ、結構な距離がある渡辺家。
よくこの距離を毎日通学出来るなぁと感心する。バスとはいえね。
暖房と曜ちゃんの入れてくれたコーヒーで冷えた体を暖める。身も心も温まるこの時間が私は好き。
コーヒーを飲み干すと、邪魔にならないよう髪を結び、持参したエプロンを着て普段は眺めているだけだったキッチンへ入る。
「梨子ちゃんのポニテ好きー」
「へ?」
「滅多に見ないからさ」
「そうね。曜ちゃんにだけ特別よ」
「わっ、嬉しい〜」
自分で言っておきながら恥ずかしくなったのでそそくさと手を洗う。髪、伸ばしてて良かった。
調理台に目をやると、ボールに大量のチョコレートが。
「え、こんなにたくさん?」
「うん。だってAqoursのみんなでしょ、水泳部の子達に、クラスのみんなと――」
そこまで聞くと、もういっそ全校生徒分作ってもいいんじゃないかとさえ思えてしまう。
「お金平気なの?」
「うーん、まぁチョコ自体はただの板チョコだし、衣装に比べればどってことないよ」
そっか。相槌を打ち、私も持ち込んだチョコを開けていく。生まれて初めて作るバレンタインチョコ。
一体どんな気持ちを込めて作ればいいのか私にはわからない。 「梨子ちゃん手際いいね。私が教える必要なかったんじゃないかな?」
調理を進めていると曜ちゃんに褒められた。
元々料理が趣味の私は器具の扱いだったりは慣れているわけで、今日だって作り方を教わるのが目的じゃなかった。
「そんなことないよ。曜ちゃんの説明わかりやすいし、どうせ作るなら良いもの作りたいしね」
嘘ではない。けど、あまり私の話はしたくないので先に話を振る。
「千歌ちゃんに渡す本命チョコもこれなの?」
纏めて作られる大量のチョコレートを指して私は問う。
普通の友達であれば聞けないことも私には許される。 夏の予備予選を控えた夜。
私の代わりとして踊ることになった曜ちゃんに電話をすると、薄々気付いていた彼女の胸の内を知ることに。
『私ね、千歌ちゃんのこと好きなの。恋愛的な意味で』
改めて打ち明けられたのは東京で再開した夜のことだった。
それからの私達は二人だけの秘密の時間が増えた。
互いにオタク気質なところも相まって趣味の話や他の人には言えない愚痴を言い合ったり、
溜め込んでいたのか千歌ちゃんへの思いの丈をよく聞かされたりもした。
周りから愛され、人気者な曜ちゃんが私にだけ見せてくれる本当の顔。
その事実が彼女の特別になれた気がして私は嬉しかった。 一見完璧超人にも見える彼女からは想像できない日々の不満。
恋する相手が同じ女の子であることの苦悩。吐き出したい事はたくさんある。
今日だって、本当は手伝いなんか不要で、チョコを渡す想い人の話がしたかっただけのはずだ。
だから私から聞いてあげるの。
「違うに決まってるじゃん!」
待ってました! と言わんばかりに曜ちゃんはキッチンの片隅に置いてあった紙袋から材料を取り出すと、
じゃーんと子供がおもちゃを自慢する様に笑う。
「トリュフチョコ作るの?」
「うん! 去年はちょっと大人なチョコ渡してみたんだけど、にがーいって言われちゃったから今年はとびきり甘いの作ってあげるんだ!」
そんな子供舌なところも可愛いんだよね。と、照れ臭そうに付け足した。
こんな惚気話をいつも聞かされている。 作ってあげる。してあげる。時折、彼女はこういった言い回しをする。
まるで見返りを求めない無償の愛。そんなはずはないのに――電話越しに感じた彼女の涙は確かに求めていた。
千歌ちゃんからの愛を、彼女の隣は私だという欲を。それなのに――
「……告白はしないの?」
いつもとは違う真剣さを含ませて質問する。
「……しないっていつも言ってるじゃん。梨子ちゃんのいじわる」
ぷーっと頬を膨らませ不機嫌アピールをする曜ちゃん。可愛い。
いや、そうじゃなくて。今日はとことん追求するつもりだ。 「どうして?」
「どうしてもー」
「本命……なんでしょ?」
「……今日はしつこいんだね」
表情から可愛さが消えた。
「ごめんね。でも……どうしても気になるの」
互いに作業の手が止まり、無音の時間が続く。
無言の時間は苦じゃなかった。だけど、この無音の時間は苦痛だった。
だからもう引き下がろうと考えた矢先、俯いたまま彼女は言葉を紡ぎ始めた。 「私だってね、出来ることならしたいよ」
「今から作るチョコレートだって私の気持ちに気付いてほしくて作ってるんだよ」
「千歌ちゃんにだけ特別だよって毎年渡してるのに、返ってくるのはみんなと同じ友チョコ」
「多分ね、それが千歌ちゃんの答えなんだ」
「それが普通だし、それでもいいって、一生片思いでもいいんだって、千歌ちゃんの傍に居られればいいってあの日思えたんだ」
「こんな私でも一緒に何かやりたいって思ってくれてた。それだけで私は十分……救われたんだ」
「だからしないよ」
顔を上げ、彼女は微笑えむ。
その切ない笑顔が私の脳裏に焼き付いた。 「……ごめんなさい」
私は彼女の想いを侮っていた。『一生片思いでもいい』その言葉の重みを私は受け止めきれなかった。
一体どれだけの想いを積み重ねれば、その重さに耐えられるのだろうか。
私は嫌だよ、一生片思いなんて。
「謝らないで。私の方こそ梨子ちゃんにはちゃんと言うべきだったよね」
「いつも話聞いてくれてありがと……梨子ちゃんにも私は救われてるんだ」
大方の作業を終え、残るは千歌ちゃんへの本命チョコレートだけとなった。
「それでね、一昨年かな? チョコにみかんを入れてみたの。したら――」
『曜ちゃん……チョコとみかんは別々でいいかな。悪くはないんだけど』
「って言われちゃって……あはは、結構自信作だったんだけどなー」
ちゃんと味見もしたんだよ? と、曜ちゃんの思い出話を聞きながらチョコ作りを見守る。
先程のしんみりとした空気は消え、普段の私達に戻っていた。 「いつから渡してるの?」
「本命チョコ?」
「うん」
「中ニの時かなー、思春期真っ盛りであります!」
「中二……じゃあもう四回目なのね」
「ねー。もう三度目の正直も過ぎちゃったよ、あはは」
ちょっと笑っていいのか困惑するジョークも言うくらいに。 「んー……」
ボールに溶かしたチョコの甘さを調節しながら何度も味見をする。
さっきまで作っていたチョコとは拘りが違う。
「もう少し……」彼女の苦い恋とは正反対にチョコレートは甘さを増していく。
「これだ!」
ようやく満足する甘さになったらしい。ふんふーん♪ 鼻歌交じりにご機嫌な様子でラップを手に取る。
「私にも味見させて」
隙きを突いたわけじゃないけど、調理台に残る味見用の小皿に手を伸ばす。
「ダメっ!!」
彼女らしからぬ張り上げた声と共に手首をぐっと握られる。
大声に驚いた体の反射とは別に、私が知らない彼女の顔がまだあったことに動揺を隠せなかった。 「あっ……ごめん……その……」
「う、ううん。私が悪いの……無神経だったよね……ごめんなさい」
曜ちゃんが千歌ちゃんのためだけに作った特別なチョコレート。
その味を知る権利は私にはない。あるはずがなかった。
「特別……だもんね」
「うん……特別なの……」
彼女の口から零れた想いは――そのままチョコレートへ沈んでいく。 バレンタインデー当日。
一年に一回だけの女の子が気持ちをチョコに込めて伝える日。
たとえ相手が同じ女の子でもそれは変わらない。
浦の星女学院では理事長である鞠莉さんのバレンタイン解禁宣言もあってか朝からチョコの交換で賑わっていた。
「早くよーちゃん来ないかなぁ」
後ろの席で呟くのは本日の主役。
「……曜ちゃんのチョコ楽しみ?」
「うん! 毎年ね、すっごいのくれるんだよ!」
千歌ちゃんは自慢する様に今まで貰ったチョコのことを話し始めた。
私は知らない振りをしながらうんうんと頷く。私って聞き上手なのかも。 「おっはヨーソロー!」
勢いよく扉を開け入ってきた曜ちゃんの声はいつもより少し高かった。私まで緊張してしまう。
「おはよー!」
「おはよう、曜ちゃん」
彼女の歩みに迷いはなかった。
千歌ちゃんの前に立つと予め取りやすくしていたのか、さっとチョコを取り出す。
「はいこれ。ハッピーバレンタイン千歌ちゃん」
「ありがとうよーちゃん!」
チョコレートの重さとは対照的な軽いやり取りに心が傷んだ。
四度目ともなれば慣れてしまうのだろうか。慣れたくないな。 「食べてもいいかな?」
「うん。一番最初に食べてほしい」
一番最初。それだけ言うと曜ちゃんは黙って千歌ちゃんを見つめる。
伝えたいことは全てチョコに込めたと、真っ直ぐな瞳が物語っていた。
ゆっくりリボンを解き、綺麗に包装を剥がして蓋を開ける。
そこにあるのは小さいハート型のトリュフチョコが六個。
「可愛い、お店のみたい!」無邪気に笑う千歌ちゃんはなぜか幼く感じた。
一つを摘み取り口に運ぶ。手を口元に当て味わう姿を二人して見守る。 「んっ。とっても甘いのにくどくなくて美味しい! って、なんか食レポみたいだね」
「えへへ、去年はにがいって言われちゃったからね。今年はとびきり甘くしたよ」
「うん、こんな甘いの初めてかも。よーちゃんパティシエさんにもなれるよ!」
「そこまでじゃないよー、あはは」
違うよ、そうじゃないよ。曜ちゃんが欲しい言葉はそんなんじゃないよ……。
ねぇ千歌ちゃん、あなたは本当にその甘さの秘密に気付いていないの?
材料や技術では出せない甘さに。もし気付いてない振りをしているのなら私は―― 「梨子ちゃんも一個食べてみてよ」
「……えっ」
千歌ちゃんの口から放たれた甘い言葉。それは私にとって悪魔の誘惑だった。
「いいよね、曜ちゃん?」
「え、あ、うん……千歌ちゃんがいいなら」
言葉とは裏腹に向けられた視線は『断ってくれるよね』と訴えていた。
けれど、私はもう魅入られていた。
優しく暖かい声で、他人を思い遣れる曜ちゃんが声を荒げ、痕が残るような強さで手首を掴むほど特別なチョコレートに。
今を逃せば一生味わうことが出来ない、貴女の愛に。
だから―― 「……じゃあ一つだけ」
「ほんとすっごく甘くて美味しいんだよ! はい、あーん」
「んっ…………ほんとだ。毎年曜ちゃんからこんなチョコを貰える千歌ちゃんは幸せ者だね」
食べる前から――いや、チョコを作っていたあの時から思っていたことを口にした。
だってこのチョコレートは
吐き出したくなる程に苦かった。
おわり 乙
ようりこの縮まりそうで縮まらない距離感が無性にすき 笑てことは魔女の百年祭で、つまりは休憩所のやつか
違っても同じ扱いでいいか 千歌ちゃんは「甘さの秘密」に本当に気付いてないだけなのか、はたまた気付いてない振りをしてるのか……
どっちにしろ曜ちゃんは報われなさそうでありますなぁ…… 梨子ちゃん的に苦かったのか
実は千歌ちゃんが甘いと言っているのか
どっちですかね
何がともあれ乙! 全員が百合で当然という世界ももちろんいいんだけど、こういう百合の切なさを感じさせるのもすごくいいと思う 実は千歌も無邪気過ぎる自分を演じてるだけで本当は二人の関係すら気付いてしまってるドロドロチョコレート下さい いつも千歌ちゃん「よーちゃん」呼びなのに梨子ちゃんにもチョコ食べさせるときにだけ「曜ちゃん」 って表記されてるのは意図的かなん?
なんか裏を感じて怖いぞ 梨子→曜→千歌なら、チョコは甘くて美味しいはずだけど、自分ではなく千歌へこれだけの想いが込められてるんだって感じちゃうのはまあ「苦い想い」だよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています